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商品説明
天才物理学者にして名エッセイスト寺田寅彦。その研ぎ澄まされた知性と感性が宿した「寂寞の影」とは? 日本科学の青春期を生きた「知の巨人」を現代の視点から蘇らせた、畢生の評伝。【「TRC MARC」の商品解説】
著者紹介
太田 文平
- 略歴
- 〈太田文平〉1916〜99年。静岡県生まれ。旧制名古屋高商卒業。日立製作所を退社後、日本大学経済学部教授、名古屋商科大学教授を歴任。著書に「寺田寅彦の生涯」「中谷宇吉郎の生涯」など。
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紙の本
2002/03/24朝刊
2002/04/12 03:15
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:日本経済新聞 - この投稿者のレビュー一覧を見る
物理学者、随筆家と二つの顔を持っていた寺田寅彦(一八七八—一九三五年)は、芸術にも造詣が深かった。その志向は音楽、絵画、短歌、俳諧、映画など多岐にわたっている。『寺田寅彦全集』で編集委員を務めるなど、一筋に研究を重ねてきた著者が、芸術家としての寅彦に焦点を合わせながら、生涯と作品を丹念に追った評伝だ。
自然科学者の寅彦にとって、芸術とは何だったのか。著者は「死んだ自分を人の心の追憶の中に甦らせたいという欲望がなくなれば世界中の芸術は半分以上なくなる」との言葉を引用しながら、寅彦の根本的なモチーフは「寂しさにあった」と看破する。
その「寂しさ」の遠因は父にあるという。父利正は幕末、士族階級間の争いに巻き込まれ、実弟の介錯(かいしゃく)を命じられた。その体験から屈折した「内攻的性格」になり、寅彦にも強い影響を及ぼす。徹底した懐疑主義者となった寅彦は、内攻する矛盾と常に闘わなくてはならなかった。それで「寅彦にとっては科学も芸術もその寂しさを解決するモメント」になったと指摘する。
寅彦は俳諧を好み、自我を捨てて得られる心の自由、つまり「風雅の精神」に傾倒した。著者はそこに師である夏目漱石の「則天去私」の境地を見いだし、風雅も「自然科学の精神に通じる」ものだったと論じる。寺田寅彦という多面的でとらえがたい存在を理解するうえで示唆に富む力作。著者は九九年に亡くなり、これが遺作となった。
(C) 日本経済新聞社 1997-2001
紙の本
寺田寅彦の「寂寞の影」とは?(目次)
2002/02/09 12:29
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:bk1 - この投稿者のレビュー一覧を見る
【帯コピー】
天才物理学者にして名エッセイスト寺田寅彦——その研ぎ澄まされた知性と感性が宿した「寂寞の影」とは? 日本科学の青春期を生きた「知の巨人」を現代の視点から蘇らせた、畢竟の評伝。
寅彦の風格の中には寂しさがあった。寅彦にとっては、科学も芸術もその寂しさを解決するモメントであり、それはまた寅彦の科学と芸術のモチーフであった。
*
人間そのものに対して真摯な愛情を有しながら、しかもいい意味にも悪い意味にも徹底した懐疑主義者であった寅彦は、暗い懐疑の底に徹して内攻する矛盾と常にたたかわなければならなかった。 (「本文」より)
【目次】
まえがき
第一部 寅彦の寂寞
寅彦の作品序説
文学への出発点
漱石の影響
「随筆」という形式
作品と時代
作品の文学史的位置
俳諧に寄せる情熱
作品に現れた統計思想
教育について
よき時代のよき映画評論
短歌に対する態度
自著装幀の背景
寺田寅彦の寂寞の影
第二部 寅彦の眼
関東大震災と寺田寅彦
「天災は忘れたころ来る」考
平板な野の森影の小屋
「重平衛さんの一家」のこと
幼少時の寅彦と名古屋
「花物語」「龍舌蘭」「球根」
「花物語」と「春六題」
「寅彦のゴムの木考」始末記
「栗の花」始末記
「藪柑子」考
第三部 寅彦をめぐる人々
漱石と寅彦の出会い
漱石門下生としての寅彦
漱石と寅彦の人間的交流
漱石の作品に現れた寅彦
漱石の「日記」と「断片」に現れた寅彦
「団栗」のヒロイン——寺田夏子覚書
子規と寅彦の交流
「ホトトギス」初期の頃——虚子と寅彦
「鐘にちぬる」の源泉——露伴と寅彦
「寅彦日記」のハイライト
寅彦と小宮豊隆の書簡往来
寅彦と豊隆の友情
寅彦と斎藤茂吉の共通項
絵画を軸とした交流——寅彦と津田青楓
二人の文人科学者——寅彦と中谷宇吉郎
初出一覧
あとがき
寺田寅彦年譜
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