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紙の本
のび太くん、どこでもコンピューター!
2003/03/27 11:17
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ソネアキラ - この投稿者のレビュー一覧を見る
「パソコンってなんだろ」と考えるときがある。数年前、必要に迫られてパソコンを購入した。それまではワープロだった。いまでも、ごくたまに昔の原稿をチェックする時があり、棚の隅にあるRUPOをどっこらしょと机の上に置くのだが、スイッチひとつですぐに立ち上がるのは、やはりストレスを感じない。パソコンは艱難辛苦だった。過去形じゃなくていまもそうだけど。マニュアルの頭の痛くなる日本語ではわからず、パソコン雑誌を買ったり、知り合いに教えを乞うたりした。「パソコンってなんだ」が、頭の中で堂々巡りをしている時に、本書と出会った。何かヒントになるかも。溺れる者はワラにもすがる状態で読むことにした。
「ユビキタス」−わけのわかったようなわからないような言葉。元々はラテン語で、「偏在」ではなく「遍在」。「神はどこにでも遍在する」という宗教用語を用いたもの。田口ランディ風に言うなら、いつでも、どこでも、チャネリングできるってこと。作者が提唱しているTRONとは、ほぼ同じ概念のようだ。「自動車、携帯電話、家具などコンピュータが入ったあらゆるものをネットワーク」しようというもの。ポストパソコン、脱パソコン、どこでもコンピュータのことで、ほら、メガネ型ディスプレイやヘッドマウント型かなんかで話題になったウェアラブル・コンピュータもその1つだ。予想に反して鈍い伸び率のFOMAも言うなればユビキタス・コンピュータを目指していたはず。モバイルやインターネットがすっかり手アカがついてしまって頃、出て来た言葉なんで、企画書に「時代はインターネットからユビキタスへ」なんて書いて悦に入っているマーケターやプランナーって山ほどいるんだろな。
でもさ、パソコンがしたいわけじゃなくて、eメールのやりとりがしたいとか、ホームページを見たいとか、作りたいとか、そーゆーことだよね。だとしたらパソコンは不親切な道具堂々第1位にランキングしても構わない。
名付け親であるマーク・ワイザーはユビキタス・コンピューティングについてこう述べている。
「背後に隠されたコンピュータが相互に連絡を取りながら、あらゆる面で人間をサポートする。それはあくまで環境であって人間はそれを意識することもないし、システムが人間を強制することもない新しい世界だ」
「良く出来たハンマーは、大工の手の中におさまり、(存在を感じさせないように)消えてしまい、関心事に集中できるようになる。コンピューターもこのように消えてしまうようになってほしい」
実際、あなたがパソコンでキーボードをたたきながら軽快に文章を綴っている時、あなたにはパソコンの存在はインビジブルなものとなっているはず。誰にでも使えるが、ユビキタス・コンピュータの特徴なのだが、そうするとコンピュータ犯罪とセキュリティという大きな問題が立ちはだかってくる。ここは頭が痛いとこだけど、きっちりしとかないとね。
最終章で、電脳建築学の第一人者である作者の理想型−電脳都市が描かれている。このベースとなったものは、なんと十年前ほどに書かれた原稿なのだそうだが、いやはや近未来SFの世界。でも、この原稿がまんま使えるってことは、そんなに大した進歩してないってことなのかな。ユビキタス・コンピュータが、マン・マシン・インターフェイスの究極のカタチであることはわかるが、どうも絵餅(絵に描いた餅)のような気がして。諸手を挙げて歓迎ってわけにはいかない。なんか複雑な気持ち。
紙の本
実験一本勝負
2002/06/19 09:54
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投稿者:みゆの父 - この投稿者のレビュー一覧を見る
号砲一発飛び出して、あっという間に大幅リード、でも最後に疲れて、追走してきた集団に飲み込まれかけてデッドヒート。そんな感じを与える本だ。著者の坂村さんはOS〈トロン〉の開発者。最近出た科学者や技術者のインタビュー集(畑村洋太郎他『成功にはわけがある』、朝日新聞社、二〇〇二年)のなかで圧倒的な存在感を発揮しているので、何を考えているのかを知りたくて、読んでみた。
この本の白眉は、何といっても、近未来のコンピュータのあり方を論じる部分だろう。そこで坂村さんが惜しげもなく披露するアイディアの数々は、独創的で論理的で、しかもそれだけではなくて、実現可能かつ製品化を視野に入れている点で、僕のようなコンピュータ科学の素人でさえも唸らせるものだ。僕はパソコンを使って仕事をしているけれど、基本的には素人だから、突然画面が真っ暗になるなど、何か起こったときには本当に困っている。それに対して坂村さんは「どこでもコンピュータ」(九頁)を提唱するけれど、これはパソコンと正反対の発想をもとにしている。つまりコンピュータは「誰でも使え」(八二頁)て「人間を助ける」(二一六頁)ような「環境」(六三頁)でなければならないのだ。そして、その背景には、コンピュータ技術はオープンでパブリックでなければならないという「基本的な理念や哲学」(一一三頁)がある。
ただし、しゃべるだけならサルでもできる(無理か)。坂村さんのすごさは、単なる提唱にとどまることなく、それを〈トロン・プロジェクト〉として実践してきたことにある。そのうえで、いまは「電子実体」(一三一頁)という、情報に実体を持たせる試みを続けているらしい。情報に実体を持たせようという発想そのものに、僕は圧倒される。
ただし、こういった「どこでもコンピュータ」が作り出す近未来の社会「電脳都市」(二四五頁)のイメージは、どこでもコンピュータが使え、二四時間化され、機能が分散された空間という、わりとよく聞くようなものに留まってしまう。もちろん、理念にもとづいて思考実験と実際の実験(実践)とを積み重ねるのは大変な営みだし、近未来社会をイメージする仕事を科学者だけに押し付けるのは間違いだということは、わかってはいるけれど。