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紙の本
国際的に活躍した日本初の女性科学者に励まされます(担当編集者コメント)
2002/11/01 19:48
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:猿山直美 - この投稿者のレビュー一覧を見る
「マドモアゼル・ユアサは、もし要求が通らなければ〈ハラキリ〉も辞さないのではないか」と周囲のフランス人研究者から囁かれたり、「いつ寝ているのか」と問う医師に「車を運転しているときに」と答えたり! 本書の主人公湯浅年子にまつわる有名なエピソードです。研究への情熱から発したこととはいえ、いやはや…。
湯浅年子は1909年生まれ。国際的に活躍した日本初の女性科学者です。昭和初期に物理学を志し、東京女子高等師範学校、東京文理科大学で教育を受けたのち、第二次世界大戦勃発直後の1940年に30歳で単身渡仏。マリー・キュリーの娘夫妻であるジョリオ=キュリー夫妻のもとで研究をはじめますが、ドイツ軍の進攻に遭い…。陥落直前のベルリンにあっても意欲たくましく研究を続けますが、シベリア鉄道を経由して敗戦直前に帰国を余儀なくされます。戦後しばらくは東京女子高等師範学校で教育にあたりましたが、1949年、再びパリにもどり、以後1980年に70歳で亡くなるまで、フランスの研究所で研究一筋、日仏共同研究の実現にもこぎつけました。パリを訪れた多くの文人や研究者が、文学や芸術にもくわしい年子の案内でフランス文化にふれることとなり、日仏の文化交流にも大いに貢献しました。
「やさしく思いやり深く、いい加減でなく、おしゃべりで冗談好きで、負けん気が強くてかわいげがあって、おしゃれでおしとやかで、ちょっと危なっかしいところもあって…。その個性とひたむきな真面目さと行動力で、フランスでも日本でも、大きな存在感があり、人をひきつけずにはいなかった」と著者は言います。人柄をしのばせるエピソードは、冒頭に紹介した以外にもたくさん残っていますが、著者が語ってくれた次の話は、当時の「天声人語」にも紹介されたそうです。
——77年の来日時に、友人たちと銀座を歩いていたときのこと。片側5車線の大通りに出たので歩道橋を渡ろうということになったのに、湯浅先生は「わたしは陸橋は渡りません」と、歩行者の横断を禁じるためにはりめぐらされた有刺鉄線をくぐって車道を渡り始めたのです。「道路は本来人間のためのもので、車のためのものではないでしょう」と! 慌てて後を追い、しっかりとふたりで腕を組んで、もの凄い警笛の嵐の中、ふつうの歩調で渡りきったときには汗びっしょり。
研究を志す女性にはもちろんのこと、進路を考えあぐねる若い人たちにぜひ、読んでいただきたいと思います。きっと励まされることでしょう。
岩波書店ジュニア新書編集部 猿山直美
【目次】
まえがき
1 フランスへの旅立ち
2 コレジ・ド・フランス原子核化学研究所
3 ドイツ占領下の研究所で
4 崩れ行くベルリンで
5 敗戦の祖国
6 再会、そして別れ
7 オルセー原子核研究所で
8 断層を超えて
9 "Jusqu' au bout"—最後まで徹底的に—
あとがき