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正義の喪失 反時代的考察 (PHP文庫)
正義の喪失
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紙の本
二分法を越えて
2003/10/09 21:23
3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:さいとうゆう - この投稿者のレビュー一覧を見る
「平和を守るための戦争」という言い方ほど、矛盾した物言いはない。「平和」のために「戦争」が肯定される。「正義」を標榜した「戦争」が称揚される。仕方がないと言われるかもしれないが「戦う」こと以外に方途がないのだとすれば、いつまで経っても「争いの連鎖」から解き放たれることはない。
《正義と平和の間には、克服し難い原理的矛盾がひそんでゐる》(p.55)
「自由」と「平等」が相反する概念であるように「正義」と「平和」もまた相容れない要素を持っている。これは基本的な事実だ。湾岸戦争もイラク戦争もその意味でまことに「奇妙な戦争」であった。
《問題は、人々の掲げる正義が一致しないことにあるのではない。喰ひ違つた「正義」と「正義」とが、どうして裂け難くぶつかりあひ、戦ひあつてしまふことになるのか?——そこが問題なのである》(p.59)
お互いがお互いの正しさを主張して譲らない。双方が「正義」の名のもとに自らの行為を正当化する。結果、事態は平行線を辿らざるを得ず、いつか火蓋は切って落とされる。
《「正義」という概念の内には、たしかに、人を戦ひへとさし向ける、ある必然的な構造が潜んでゐる。…それは「正義とは不正の処罰である」といふ考へ方にほかならない》(p.61)
「大怪盗」なしに「名探偵」が存在し得ないのと同じで、「正義」は「不正」をその動力源としている。一方なしに他方は存在できない。お互いが相補的な存在なのだ。ゆえに「この世に不正あるかぎり、正義はなくならない」のであり、その限りにおいて「正義のための戦争」もなくならない。
最近の話に限らない。明治期日本における「開化」と「独立」という問題もまた、その内部に避けがたい矛盾を内包していた。
《異文化の余りにも徹底した採用は、独立を守る代りに、かへつて内側から独立をつき崩してしまふのではあるまいか》(p.133)
戦わねばならぬ、しかし戦ってはならぬ。あるいは、文明を取り込まねばならぬ、しかし国体は守らねばならぬ。どちらも、絶え難い「二重拘束(ダブルバインド)」だ。一方に依れば他方が立たず、といってその図式自体を無効にするわけにもいかない。
極大の話に限らない。何気ない日常生活における一コマ、「仕事」か「家庭」かという問題もまた、葛藤と諍いを生む典型的な対立項である。
《仕事も、本当にそこに自分をかけるという仕事の仕方をしたら、絶対に周りの人間に有形無形の犠牲を与えずには出来ないし、今度は逆に絶対に家庭に迷惑をかけまいと思ったら、本当に自分を投入するような仕事は少なくともその時期には出来ない》(p.325)
截然と区分けするわけにもいかず、それゆえ惑い、そして迷う。対立を乗り越えるための徹底的無抵抗や非暴力を遂行できるほどわれわれは我慢強くなく、他人の影響を遮断して独立独歩できるほど自分に自信もなく、「仕事」だけを生きがいにできるほど強靭でもない。消費社会の発展に伴なって、心身ともに耐性が弱くなってきているからなおさらである。
「正義」を喪失し、「独立」を喪失し、今まさに「過去」と「未来」を一緒くたに喪失しようとしている。
「幸福」を「快楽」と勘違いして、文明という「汽車」は今日も走る。著者である長谷川氏は言う。「誠実にもがいてください」。——仰るとおり。それを手放したら、お仕舞いだ。テーマは「家庭」から「歴史」、「国際社会」まで幅広い。こんなにお得な文庫はない。
紙の本
「なんとなくいいもの」の怖さ
2003/02/16 17:14
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:KENSEI - この投稿者のレビュー一覧を見る
著者が十数年にわたり各誌で発表してきた論文を一冊にまとめた本である。著者は「なんとなくいいもの」と信じていた観念を、しなやかに転換させていく。国際関係についての論評が主だが、この本でもっとも自省したのは「フェミニズムは共産主義的階級闘争史観である」という著者の読み解きだ。
そもそも「家にいる女性はすでに全員が働いている」と再認識する。それは「人類にとってこの上なく重要な仕事」である。さらには「うんざりせずに繰り返すことができる」特殊な才能が必要だ。
「地球を動かす主婦パワー」というのはマンガ家の大野潤子が作中に使った言葉だが、古来より太陽である女性は世界を動かしてきた原動力なのだ。フェミニズムは「男女平等」と耳ざわりが良いが、女性と男性との「権力闘争」である。そもそも男女のやっていることに上下も勝ち負けもなかった。お互いにとって「必要である」と認め合いやってきた。リベラリズムによって文化が切り裂かれていく。語りつくされたはずの論題が、別の構図として甦る。誰もが「裏方」を放棄すれば歪みが生じる。その歪みは子どもたちへ映されていく。
ほかにも、第二次大戦の勝者は領土のかわりに正義を奪ったという刺激的な論説。欧米にとって正義とは不正の処罰であり、戦争は調停のできない国家間、いわばヤクザ同士の抗争と同じ。戦争に正義も悪もありえないし、負けたものが不正義の歴史を負うことになったのだ。またグローバル経済は大地の秩序を破壊した異常事態であるという解説などもあり、どれも素朴に称えていた思考が剥げ落ちる。
外交的にはアメリカの正義に追随し、国内ではすべての規制を取り払らおうとする日本は、真に考え抜いた末に結論を出して行動しているのだろうか。安易に、甘い響きに寄せられて選択してはいないだろうか。
この本が言っているのは、すでにある論だ、わかりきったことだ、国際的な常識を理解していない……感銘を受けた筆者の無知を嘲る言葉が投げかけられるかもしれない。しかしながら無知と無慮は別のものである。この本にあるのは深慮だ。「その流れが本当にいい流れなのか」と。
立ち止まって考える先達は、日々漠然と積み重ねた浅慮を、恥じるほどの論考を突きつけてくる。