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紙の本
「いるべき場所の感覚」を手に入れる物語
2004/07/07 10:41
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投稿者:べあとりーちぇ - この投稿者のレビュー一覧を見る
1962年、ミシガン州の晩夏。ふたりの兄弟が小麦畑に寝転がって取り留めのない話をしていた。弟のダニーは好きなSF小説のこと、兄のマイクは女の子のこと。そしてその時、突然UFOを目撃する。ふと気が付くと秋になっていて、小麦畑は刈り取りが終わっている。断絶する時間と途切れる記憶。ダニーは尋ねる。「もし僕が死んだら、君も死ぬ?」と。マイクは「もちろん」と答え、このやりとりの真の意味が判明するのは、物語のずっとずっと後になってからである。
本筋の物語が展開するのは小麦畑から40年近くが過ぎたのちのこと。兄のマイクは売れっ子CMディレクターに、弟のダニーは英文学教授になっている。ずっと疎遠になっていたふたりだったが、ある日突然マイクは「矯正者」とか「越境者」と名乗る連中に翻弄され始め、ダニーは息子を人質に取られてマイク探しを強いられる。兄弟のそれぞれに、謎の男・タカハシがお互いを探すように迫って来たのだ。生きていたければ見つけ出せ。もちろんダニーもマイクも、何がどうなっているのか判らないのだが。
ふたりの兄弟それぞれの視点で語られる短い章が交互に並ぶ。巻き込まれている出来事の背景をマイクもダニーも知らないものだから、彼らが遭遇する出来事や人々の話を総合し、全体像を組み立てる作業は読者にとっても一苦労である。キイワードは「蜂鳥」と「エイリアン」と「バッファロー」。読み進むうちに、物語世界の抱える秘密とゲームの衝撃的なルールが見えてくる。そのショックはまるで、そこにあるのも知らなかった落とし穴に落とされた時のようだった。
前作『時間旅行者は緑の海に漂う』でP・K・ディックの後継者と評されたオリアリー氏らしく、仮想現実と「リアルな」現実を擦り合わせる妙技に唸らされる。もっとも解説で神林長平氏が述べておいでのように、オリアリー・ワールドにはディックの悪夢世界のような捻れ感覚、息の詰まるような閉塞感はあまりない。合わせ鏡の映像の中を永遠に彷徨わされるようなディックの世界には最初から出口がないのに対し、オリアリー世界の根本には「いるべき場所」が厳然と設定されているからだろう。マイクとダニーの兄弟にとって「いるべき場所」とはどこなのか。物語が進むにつれて明らかになる、ふたりの複雑な生い立ちと複雑な愛憎は、どうやって昇華させられるべきなのか。
離れ離れになっていた兄弟の、真の意味での再会と和解が本書の大きなテーマである。そのために、経過がどれだけ哀しくやり切れないものであろうとも、ラストシーンに辿りついた時にホッと安堵できたのだろうと思う。
またさらに言うならば、ディック世界が「崩れる現実」を基にしているのに対し、本書の中でのオリアリー世界は「固定された現実」とでも呼ぶことができる。不老不死が実現し、飢えも苦悩もないその世界を、ダニーは真っ向から否定する。真の終わりがなかったらすべては意味を失うのだと。反ユートピア的と括ることもできようが、その印象的なシーンが読者にとってはカタルシスとなる。
合わせ鏡の中で彷徨う悪夢的なディック世界と、「いるべき場所」へ向けてがむしゃらに突進していくオリアリーの世界。同じ仮想現実をテーマにしていてこれだけ料理法が違うのも面白い。ディックの信者である筆者としても、やや遅れ馳せながら大注目である。現在未訳である第2作も早く読んでみたい。