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商品説明
百年前に書かれた小説、田山花袋の「蒲団」が現代の日本で「FUTON」として甦った。「蒲団」の書き直しを図るアメリカ人と愛人の日系女子学生。95歳の曾祖父の戦後史と現在。知的ユーモア溢れる書下ろし長編。【「TRC MARC」の商品解説】
著者紹介
中島 京子
- 略歴
- 〈中島京子〉1964年東京都生まれ。東京女子大学史学科卒業。96年インターン教師として渡米。97年帰国。フリーライター。著書に「だいじなことはみんなアメリカの小学校に教わった」など。
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紙の本
FUTONのかほり
2004/02/27 02:33
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:トッポ - この投稿者のレビュー一覧を見る
FUTON という文字、パリで見かけて、あれ? と思ったことがある。パリでも、FUTON は売られていて、しかも高級家具のアイテムなのである。もちろん、日本人から見ると、そこで売られているものが、FUTON なんだか bed なんだか、その区別はよくつかなかったりするのだが、和食ブームともあいまって(?)、そこそこ売れているらしい。
この作品はそうしたこととはまったく関係なくて、田山花袋の古典、『蒲団』の改作を一つの軸とした快作である。もちろん、この快作が怪作たる所以は、『蒲団』をFUTONと解釈することからも見て取れる。一応主人公と言えるのは、デイブなる日本文学を専攻するアメリカの大学教授。バツイチなのだが、ハーフのエミという自分の学生と付き合っているうらやましい、いや、けしからんやつである。そのエミが、他に若い日本人留学生ユウキとも付き合っていて、こいつを追っかけて日本へ行ったエミを追っかけて日本へ行く、という次第で、この小説は動き始める。一方日本には、エミのひいおじいさん・ウメキチ95歳が運動の中心になる。ボケてしまっていて、イズミが介護をするが、その友だちのケンちゃんがボーイフレンドなんだが実はガールフレンドである、という中での運動だ。そして、折々、デイブによる「蒲団の打ち直し」がこの運動を計るかの如く、あるいは小説の渦巻きを強めるべく介入してくる…と、なかなか目まぐるしい。しかし、この複雑な運動・渦動を破綻無く動かしていくあたり、「大型新人」というに相応しい。高橋源一郎氏のご推挽ももっともであろう。
ところで、この作品、登場人物が生粋の日本人でも「ウメキチ」とカタカナで書かれる(「蒲団の打ち直し」部分を除けば、登場人物が、日本的表記で現れる箇所は、気づいた限りでは、一箇所)。これが、「FUTON」と繋がっていることは、読み進むにつれて気づくことになる。この物語、或る意味では、越境の物語とは言えまいか。デイブというアメリカ人が日本文学という異文化を研究している、その彼が、ハーフの女学生と仲良くなる、それを追いかけて日本へと太平洋を越えてくる、日本では、現実と夢幻との境界がぼやけたおじいさんを、女性を愛する女性や男性的な女性が介護をし…。「蒲団の打ち直し」が、『蒲団』を先生の妻の観点から(デイブという男性が)書き直す試みだという点で、この越境的性格は確然とする。95歳で、大空襲を生き延びてきた人間という存在自体、過去から現在への越境者ではないか…。カタカナは、そうした「異」性を、と同時にそうして取り込まれて生かされかつ異化された(=同化された)香りを漂わせている…かもしれない。その香りは、「蒲団」ならぬ“FUTON”を抱きしめたときにもかぐことができただろうか?
ま、そんなことはともかくとして、面白いです。