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- カテゴリ:一般
- 発行年月:2003.8
- 出版社: 未知谷
- サイズ:20cm/284p
- 利用対象:一般
- ISBN:4-89642-081-0
紙の本
ブレックヴァルトが死んだ ノサック短篇集
著者 ハンス・エーリヒ・ノサック (著),香月 恵里 (訳・解説)
孤独な人間の究極の姿と愛を、モノローグとメルヘンのなかに見つめる作家・ノサック。「孤独な輝きを放つ宝玉」と評されたノサックの短篇世界がここにある。「玄関ホールでの出会い」...
ブレックヴァルトが死んだ ノサック短篇集
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商品説明
孤独な人間の究極の姿と愛を、モノローグとメルヘンのなかに見つめる作家・ノサック。「孤独な輝きを放つ宝玉」と評されたノサックの短篇世界がここにある。「玄関ホールでの出会い」など、本邦初訳の全6編を収録。【「TRC MARC」の商品解説】
収録作品一覧
玄関ホールでの出会い | 7-20 | |
---|---|---|
ヘリオス有限会社 | 21-48 | |
追悼 | 49-146 |
著者紹介
ハンス・エーリヒ・ノサック
- 略歴
- 〈ノサック〉1901〜77年。ドイツ・ハンブルク生まれ。戦後ドイツを代表する作家。父親の貿易会社で働き、後にその経営に携わる。56年より作家として活躍。ビューヒナー賞を受賞。
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紙の本
戦後ドイツを代表する作家の短篇集。結ばれなかった関係とか、そこにはいない人間、あり得なかった社会についての記述で「境界」の向こうを考えさせられる。
2003/09/24 19:48
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:中村びわ(JPIC読書アドバイザー) - この投稿者のレビュー一覧を見る
「戦後ドイツを代表する作家の一人」ということを、実は1ヶ月ほど前にここで本探しをしていて知った。そのような紹介が通用する小説家であれば、ギュンター・グラスにハインリヒ・ベルの名しか思い浮かばなかった。60年代〜70年代にかなり邦訳が出たというユニークなこの作家の日本での初訳作品が、このような形でまとめられたことは、私のような者にしてみれば、新しい作品世界への非常に恵まれた入り口となる。
寓話的な手法もとっているので、カフカの影響下にあるという分析をする研究者もいるようだ。その点がまた興味深い。ちょうど昨年末に短篇集『死神とのインタヴュー』が岩波文庫で「重版再開」の対象となったようだし、講演やエッセイをまとめた『文学という弱い立場』という看過できないタイトルの本も、幸いまだ新刊で入手可能なようである。
しかし、本書の最初の1篇「玄関ホールでの出会い」がものすごく気に入って、この作家の恋愛小説を読んでみたいと思ったものの、偉大なる恋愛小説として絶賛され、彼の出世作となったらしいその長篇の翻訳書は絶版ということ。「読みたいときに名作は絶版」という最近のこのパターン、何とかならんかい、とひとりごつ。ネットの向こうに同じような人が結構いることは知っているけれど…。
その「玄関ホールでの出会い」はわずか11ページの短篇で、この本のなかでは一番短い作品である。気の置けない男どうし、バーで飲んでいた。リラックスしたかったので結構飲みながら馬鹿話をしたり悪態ついたり…。「しかし、どちらかがうっかりまともな言葉を漏らすことも、考えられないことではない」——このような書き方が、この作家のひとつの持ち味であると言えるだろう。
用足しがあって店を出ようとする。そこへ一人の貴婦人が近づいてきて、話者である私の友人に対して唐突な言葉を投げかける。それに対し、当の友人が考えられない返答をする。経緯はそれだけである。だが、この分量1ページほどの友人の台詞が何回読んでも味わい深い。いや、「味わう」というのは正確ではない。何回読んでも、このあたりが確かなところだろうという理解に及ばない。幾通りもの解釈があろうかと思う。決して難解な文章というわけではないのだが、限りない「読み」を可能にする文学的刺激が結晶された箇所である。
表題『ブレックヴァルトが死んだ』は「追悼」という中篇の内容にちなんでいる。上記「玄関ホール〜」が結ばれなかった関係という「空虚」を描いたのと似たトーンの作品で、死んでしまったブレックヴァルトの噂をかつての仲間たちがしている。彼の追悼文を書くにふさわしい詩人の居所をさがし、話者である私が夜の繁華街を訪ね歩く。ブレックヴァルトも不在ならば、その追悼文を書くべき詩人も物語の終盤までいない。逃げていく影だけを追いかけていくような不思議な印象の小説である。やはり「空虚」を描いているのだ。
この「追悼」に続く「特異な事例」は、「追悼」の中の挿話が表現を変えて物語化された作品。そこでもいなくなった男性のことがひたすら妻の口から語られる。
このように「ここにはないもの」「ここにはいない人」を描いた作品が、戦後ドイツの作家ゆえの虚無という括りをされてしまうと、いかにもという解釈でつまらなくなりかねない。だが、深く深く内面に向かわざるを得なかった時代の「空虚」を伝えることも、確かに文学のひとつの使命だったのだろうと分かる。