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- カテゴリ:小学生
- 発行年月:2004.4
- 出版社: ブッキング
- サイズ:22cm/111p
- 利用対象:小学生
- ISBN:4-8354-4091-9
紙の本
ドコカの国にようこそ! (fukkan.com)
著者 大海 赫 (作・画)
フトシは小学4年生。だれにも知られたくないヒ・ミ・ツがある。「おねしょ」のくせがまだ直らないのだ。ある夜、不思議な夢を見たフトシは「ドコカの国」にこないかと誘われて…。童...
ドコカの国にようこそ! (fukkan.com)
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商品説明
フトシは小学4年生。だれにも知られたくないヒ・ミ・ツがある。「おねしょ」のくせがまだ直らないのだ。ある夜、不思議な夢を見たフトシは「ドコカの国」にこないかと誘われて…。童心社1975年刊の再刊。【「TRC MARC」の商品解説】
著者紹介
大海 赫
- 略歴
- 〈大海赫〉1931年東京生まれ。早稲田大学大学院仏文研究科修了。「リサイクルショップ魔女」経営。著書に「クロイヌ家具店」「ビビを見た!」など。
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紙の本
大海赫宇宙へようこそ
2006/02/17 21:23
3人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ニッキ - この投稿者のレビュー一覧を見る
子供の頃近所にボロ小屋の貸しマンガ屋さんがあった。商売というか要するにボロい小屋に自分のマンガ置いて朝から晩まで読んでるだけで…そんな生活なのでマンガ屋さんは脂肪の塊だった。
ある日突然閉店となった。「今度台風が来たら小屋崩れるので商売やめることになりました。好きなマンガを80円で持ってっていいよ」
70年代の少女漫画をいくつかもらった。
それが大人になって出て来て思い出した。あの人はどうしているのだろうか?
同じ苗字のクラスメイトがいたが目が似てて…兄弟…?すべては霧の中。これは格好の空想のネタだ。
十年後その小屋があった場所には五階建てのガラスのビルがあって世にも不思議なビジネスやってて…就職して一階づつ上って行って…一、二、三階いろいろいて四階にはクラスメイト…そして一番上には「スリムな美男子に変貌したあの人が!」…なーんてさ。で、主人公はお母さん探ししてたけど実は五階でお掃除してる誰かがそれで永遠に気づかずじまいでした、なーんてさ。
…大海赫の影響だと思います。クロイヌだのドコカの国だの。よしもとばなな先生がすごく好きな童話作家です。私も好きだったなー。
で、そんな人達が大人になって「復刊してくれ!」と言い出して…復刊が決まり大海先生のそれに対する喜びの言葉は…弱々しく病んでる感じの若者でした。それなのに正体はいつ死んでもおかしくないほどのおじいさんだったので意外でした。
ドコカの国にようこそ!はその言葉を見る限り「あんた自身じゃないのかい?」と疑いたくなります。「デブでおねしょがなおらないいじめられっこが世にも不思議な幻覚世界(幻想とは言い難い)へ!」なのだが…この本の背表紙で犬が可哀想だ命は大事だ言ってる昨今のくだらねえ作家の頭蓋骨叩き割りてーな。小学校で575スローガン立ててろ!
教訓では人自身は変わらない。感動話は健全な人しかジーンと来ない。宗教は信じる人しか救わない。しかしこれは…。
デブのフトシ君はデブ治せともいじめっこやっつけろとも言われないのさ。かといって君はなんにもしなくていいなどと言わない。ひたすら幻覚世界を忍耐前進忍耐前進忍耐前進そして最後は…!
…脳髄に染み渡る大海赫宇宙。子供の頃は感動ではない涙が出ました。大人になって思い起こして深い意味を知り愕然としました。当時はまだ語ってはならないことだったのかも知れません。
分からなくてもこびりつくあやしい波動むんむん。それが芸術なのだと知りました。版画家でもあります。版画が挿絵です。これも見ごたえあり。これくらい脳内宇宙と人間味持ち併せた作家どんどん出て来て欲しいです。
自サイトより加筆修正
紙の本
ひりひりする絵本
2004/12/07 12:40
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:level-i - この投稿者のレビュー一覧を見る
さわりたくない人形、地下道のぼろがさ、450円の紙ナプキン、嘘の手紙、悪口、のこぎりの刃。「ドコカの国」をさがすフトシは、この世のつらいものに次々、出会う。もうやめてしまえばいいのにやめないのは、それはそうでなくちゃ絵本にならないからというだけではなくて(こんなことを考えてしまうところが大人はいやらしい)、彼の今いるところが辛いから、ドコカの国への憧れが募るのだ、と思わされる。それがわかるので、読み進むうち、胸が苦しくなってくる。
「わかった! ぼくたち自由なんだね。」と、どこかしらへたどりついたフトシは言う。うれしそうな響きなんだろうなと想像できるのに、悲しくなってしまう。最後に救いとなるようなエピソードが挟まれて物語は幕を閉じるけれど、もやもやしたものが心にこびりついて拭えない。フトシにとって、憧れるドコカではなかった「ここ」は、そんなにも悲しい世界で、ドコカの国が本当に、それが本当に自由なのか。「そんなことないよ、ちょっと待とうよ」と、幼い少年の腕を引っ張ってやりたくなる。
作者が意図したのとは、違う読み方になってしまっていると思う。それでも、途中で唐突に出てくるダレカ先生が言うように、「どこか」とは「わたしたちがいつもくらしているここのこと」なのだと、それが真実だと私は思うし、メモを見つけられなくなった大人としては、もう、そのように信じて踏ん張るしかないじゃないか、と抗議したいような気持ちで思う。ダレカ先生のセリフを置きながら、結末をあのように持っていく、大海赫という作家の挑戦的な態度には恐れ入りつつ、それでも、意義あり、と言いたくなる本だった。
子どもより、きっと大人に響く。単純に喜びや悲しみじゃなく、何かが。
紙の本
独特な絵
2017/02/17 14:25
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:たま - この投稿者のレビュー一覧を見る
どこか、をさがす。イラストが、なんともいえず不思議な雰囲気や妖しさをだしていて、物語の世界にひきこんでくれる。個人的にすき