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商品説明
眠れぬ夜、明かりも消さずに過ごした一夜…。時間が悲しみを拭い去ってくれるのか。両親を亡くした僕と双子の妹と、祖父との交流の物語を爽やかに綴る。『りぶる』連載を単行本化。【「TRC MARC」の商品解説】
著者紹介
白石 公子
- 略歴
- 〈白石公子〉1960年岩手県生まれ。大妻女子大学国文科卒業。在学中に現代詩手帖賞を受賞。詩人。エッセイ集に「もう29歳、まだ29歳」、詩集に「ノースリーブ」「追熟の森」など。
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紙の本
家族であること、夫婦であること、生きること。
2004/12/06 21:36
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:花の舟 - この投稿者のレビュー一覧を見る
家族愛、兄妹愛に満ちた物語。しかし、深い喪失感が静かに流れる物語でもありました。両親を突然の自動車事故で亡くした“僕と双子の妹たち”が抱え持つ悲しみが、日々を過ごすなかに溶けだして、さざ波が立つように、こちらの胸に押しよせてきます。
もうすぐ26歳の僕、20歳の実のりと穂のか。親を亡くすということが、こんなに大きな子供たちであっても、生活の心棒を失い、寄る辺ない気持ちにさせるものであることを思い知らされた気がします。父母の生きていた日々が自らの生きた日々にすっぽりと重なり得る、ある意味では幸福な子供たち。また、ある意味ではいわゆる普通の家族にもたらされた、思いもよらない出来事。
喪失感を充分に埋め合わせるためには、子供たちは、充分に父母のことを知らなければならないという、関門が待ちうせていました。そして、それより先に、とにかく形だけでも普通の「日常」を取り戻す作業が必要でした。
三人の子供たちそれぞれが、お互いに気を遣いあって、個々に父母のことに向き合えないままの日々に、絶妙なタイミングで、じいちゃんの手料理で、夕食を共にするという約束事ができます。この時のじいちゃんが、とてもいいのです。大きくなった孫たちを、今、構うことが後々の彼らのためにならないことを充分に承知したことが窺えるスタンス。なのに、尋常でないうまさの手料理。そのセンスのよさ、味付けの妙。
たった一人のおじいちゃんが、物心ついた頃には、寝たり起きたりの病床にあった、正真正銘のグランパ・コンプレックスの私には、もう堪らないくらい格好いいじいちゃん!
全部お見通しで、でも、バランスよく接するじいちゃんが聡明な人であることが、僕たちの母さんに纏わることで、いっそう明らかになります。
物語の佳境なのですが、繕いきれない綻びが徐々に生活の表面に出てきてしまうところに、人が生きることの不条理さを感じずにはいられません。ぎくしゃくとした感情が、お互いを刺激しあい、必死に拠り所を求めても満たされない心が、それぞれをまた、孤独に引き戻してゆくはがゆさを、読み手は味わうことになります。 結局はし残したことに戻らねばならないのです。父母の死に向き合うこと。父という人、母という人を自ら、検証せねばならない、そういう時が訪れるのでした。そうするなかで、父の身勝手さを知り、母の孤独を知り、それでも、嫌悪や諦観だけを先走らせることなく受け止める子供たちが、如何に大事に育てられてきたかが分かり、これは女としての私の思い入れが過ぎるかもしれないのですが、家庭での母の在り方を見る思いがしました。
大人になった子供たちが、充分に、父のしたこと、母が考えていたことを理解できる、そういう子供たちに育て得たことを、評価したいと思うのです。そして、ありあまる孤独に鞭打つように、自らの苦しみを浄化するための作業を見いだしていた、このお母さんに敬服するのみです。夫婦というものは、複雑な手間を要する“折り紙”のように、その途中では一体何になるのやら……という時期があるものです。愛して一緒になった人であるはずなのに……。日常では、父や母を、素の人として捉えることはなかなか出来にくいことだと思うのですが、この物語では、本当に流れるが如くそういう瞬間が訪れます。それが、この『僕と双子の妹たち』の、温かさであり、愛であると思われます。
紙の本
3人の兄妹の穏やかで幸せな生活。そこに確かにある緊張感。
2006/05/21 20:57
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:サトウジョン - この投稿者のレビュー一覧を見る
郵便配達人の主人公「僕」とその双子の妹、実のりと穂のか。
この3兄妹のそれぞれの恋愛と、家族関係を描いた物語。
両親の事故死という突然の不幸に襲われた3人は、時がたつにつれ、次第にいつもどおりの日常生活を送れるようになってきた。
やっと戻ってきた穏やかな生活。
しかしその穏やかな生活に影をおとすのは、他でもないそれぞれの「恋愛」だった。
父の浮気相手に想いを寄せる僕、
大学講師との不倫関係を止められない実のり、
兄姉の恋愛に激しい拒絶反応を示し、精神の均衡をきたす穂のか。
作者は決してそれらを大げさに描きはしない。
実のりの恋人である先生に関しては、ほとんど直接的な描写はなく、描かれるのはあくまで3兄姉の日常面のみだ。
3人の日常は、家族愛、兄妹愛に溢れていて、とても優しい。そして穏やかだ。
しかしそれは、お互いがお互いの別の顔・・・つまり家族相手には見せない顔、恋愛をしているときの顔を見せないから。
見せないし、見ようともしない。見ていないふりをしているから。
その閉ざされた世界に第3者が入ってくると、完璧な正三角形はたちまち崩壊する。
完璧であればあるほど壊れやすい、とても繊細な世界で3人は生きている。
これは、微妙な緊張感をはらんだある家族が、ひとつの壁を乗り越える物語だ。
何も大げさな事件が起こるわけではない。
実のりと僕はひとつの恋に決着をつけ、穂のかもまた新しい生活を始めようとする。
結局のところは何も変わっていないように見えるかもしれないが、最後には何故か明るい希望を感じる。
彼らはたしかに一歩、前進することができたのだ。
印象的なのは3兄妹を心身ともにサポートするお爺ちゃんの存在。
古めかしい考え方かもしれないけれど、家のご飯がおいしいというのは、やはり大事なことなのだろう。
展開がゆっくりとしているだけに、人によれば途中で飽きてしまうかもしれない。
お爺ちゃんのご飯だとか、日常生活の積み重ねの間を読む物語だと思うので自分としては気にならなかったが、まったりしすぎていると思う人も多いかもしれない。
なので、一つ減らして、星は4つ。
詩的なタイトルと、装丁が綺麗だ。