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イスラームの人々とヨーロッパの人々が、どれだけ根本的に違うのかを教えてくれる本。
共生は可能だと信じたいが、道のりは長い。
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レポート作成のために読む。
でもなかなか面白い。イスラムのことってもっと知りたいんだよね。ヨーロッパとイスラムの考え方は全然違う。両者そこを理解せねば共生は無理だと思う。でもして欲しい。
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ドイツ、オランダなどでそれぞれ違うイスラームの扱いをフィールド・ワークをもとに具体的に描くのが説得力あり。オランダにおける共存が決して「理解」があるからではない指摘など重要。近代的啓蒙思想では捉えられないイスラームの思想を簡単にだが紹介している。
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ムスリムのメンタリティと、欧州がいかに彼らを捉えようとしていたか。独蘭仏にしぼって、ムスリムの現状を平易に述べた。知識の無かったムスリムや欧州の価値観、考え方を知ることができ、とても興味深く読んだ。純血主義の独、無関心と裏腹な寛容の蘭、世俗前提で国家規範の受容が前提な仏。どこでもムスリムとは相容れない。各国で語られる女性のスカーフ問題。宗教と解釈し、セクハラと理解しようとせず。さまざまな考え方や価値観を受け入れる難しさよ。
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2008/07/22読了。
ヨーロッパにおいて、ムスリム移民と現地ヨーロッパ人とのあいだでいかなる問題が起きているかを、ルポ風に描く。
新聞記者のような分かりやすい文章と、学者特有の、問題の裏に横たわる背景への深い分析を含んだ良書である。
ムスリム移民と国家、国民とのあいだで起こっている多様な問題が、いかにイスラームとヨーロッパの「世界観」の違いによって引き起こされているかということが克明に述べられている。
イスラームとヨーロッパという文明の対話、相克という比較文化史的本としても読める。
また移民問題を扱った書としても読めるだろう。
近代国家にとって誰を国民としてあつかうかは大きな問題であるが、ヨーロッパ諸国でも、その考え方には大きな違いがある。
ドイツは血統主義的であり、国家とはすなわちドイツ民族国家であるという観念が強い。
対称的にフランスは、理念国家であり、フランス共和国の理念を受け入れるか否かでフランス国民であるかどうかが決まる。
オランダは多様性を重んじ、「列柱主義」という傍目には理想的な政治体制をとっている。
こうしたなかで、移民の存在がいかにあつかわれるかをみることができる。
日本は、万世一系の天皇制を引き合いにだすまでもなく、血統主義的精神が強い国家であるのが、ドイツの状況を見ると、血統主義と移民というものは、かなり相性が悪いと言わざるをえない。
ドイツで暮らす移民にとっては何年ドイツに住んでも、ドイツ人らしくふるまっても、ドイツに貢献しても結局は「で、いつ故郷にかえるの?」と聞かれる、よそ者でしかないのである。
この「いつかえるんですか」という質問は何気なく日本人が外国人にしてしまう問いである。
最近、移民を受け入れようと政府が言っているが、この血統主義とそれを象徴する「いつかえるんですか?」を言ってるうちは、日本は移民を受け入れるべきではないと思う。
というより、受け入れる資格が無い国なのだ。
他者を受け入れる度量の広さを持たないことは、結局は移民を平等な人間だと扱わない危険を秘めている。
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最近物騒なイメージのあるイスラム世界だが、この本を読むと、この現状はイスラム側の人々が西洋世界に振回された結果だということがよく分かる。
今までにない知音を得ることが出来た。少々イスラムを擁護しすぎな気もするが、オススメの一冊。
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著者の授業を履修しており、本人から直接本人の意見を聞いているという影響もあるかもしれないけれど、
おもしろい。
まるで眼からうろこが落ちるように、自分の中で結構多くのイスラームに対しての偏見があったことに
気づかされた。
先生の受け売りではないけれど、日本におけるムスリム人口も着実に増加を辿っており、日本も当事者のなかの一人なのに、まるで遠い異国の出来事か何かのように自分の意見をもてないのはちょっと怖いことかも。
私たちの住む文化の基準(一応資本主義社会)と全く異なる価値体系をもった文化のなかで生きる人と接するとき
私は一体どうするんだろう。考えておかなければならない問題の一つ。
岩波新書だけど、一文一文が短くて明快なので読みやすいところがよし。他の著書も読んでみよう。
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ゼミで使用しました。ヨーロッパ各地、特にドイツ・フランス・オランダのイスラーム系移民の問題について分かりやすくまとまっています。中でもオランダは内藤氏以外にあまり専門にしている人がいないようで資料も少ないので貴重だと思います。深いところまでは載っていないので、内藤氏の他の著作と合わせて読むとより一層理解が深まると思います。
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ヨーロッパに移住したムスリムとのヨーロッパ諸国(ドイツ、オランダ、フランス)の問題を示している。
イスラームとヨーロッパの文化の違いから生まれる思想の違いなどによりお互いが食い違っているというのが
とても悲しいことだと思った。共生のためにお互いがお互いを理解できるように動ければいいと思った。
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欧州にはたしかにたっくさんのイスラム系の移民がいた。別に問題は起こさなかったし、見た目は安全だった。
オランダには白い学校、黒い学校という露骨な表現があって、オランダ人だけが通う学校が白い学校。移民系の黒い学校に通わせたくない、という選択の自由もある。
ドイツでは右翼によるトルコ人、移民への攻撃が絶えない。イスラム系の女性にとってはスカーフは大切な場所を隠すもの。下着と同じ役割らしい。
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第二次大戦後に戦後復興に必要な労働力としてヨーロッパにおけるムスリム移民、フランスには500万、ドイツには300万のムスリムがいるらしい。
そのような現状でヨーロッパとイスラームはどのように共生しているのか、ドイツとオランダとフランスを例として取り上げ、著者はその現状を報告している。
ドイツ…民族の観念と民族を超越するイスラームの観念とが衝突。
オランダ…個人の自由というものに関する観念の相違が衝突。
フランス…社会の進歩と世俗主義の一体性がイスラーム的社会館と衝突。
いまだに宗教の多元主義を受け入れられないドイツ、
多文化主義をとるオランダ、
自由・平等・博愛を掲げるフランス、
いずれの国においても「共生」は決してうまくいっていない。
イスラームに忠実に従って生きようとする運動が、
世俗主義や理性を重視する西欧社会の常識と乖離しているため、
ムスリム移民とヨーロッパ社会が対立してしまっているという。
ヨーロッパに住んで、なぜ移民問題が起こるのか気になった時にこの本を読んですっきりした。
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[ 内容 ]
ヨーロッパ先進諸国に定住するムスリム人口は、二世、三世を含め今や一五〇〇万以上といわれている。
増加と共に目立つようになってきた受け入れ国社会との摩擦は、何に由来するのだろうか。
各国でのフィールドワークを踏まえて、公教育の場でのスカーフ着用をめぐる軋轢などの現状を報告し、異なった文明が共生するための可能性を探る。
[ 目次 ]
序章 ヨーロッパ移民社会と文明の相克
1章 内と外を隔てる壁とはなにか―ドイツ(リトル・イスタンブルの人びと 移民たちにとってのヨーロッパ 隣人としてのムスリムへのまなざし)
2章 多文化主義の光と影―オランダ(世界都市に生きるムスリム 寛容とはなにか ムスリムはヨーロッパに何を見たか)
3章 隣人から見た「自由・平等・博愛」―フランス(なぜ「郊外」は嫌われるのか 啓蒙と同化のあいだ―踏絵としての世俗主義 「ヨーロッパ」とはいったい何であったか)
4章 ヨーロッパとイスラームの共生―文明の「力」を自覚することはできるか(イスラーム世界の現状認識とジハード ヨーロッパは何を誤認したのか)
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[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ]
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本書はスカーフ問題に象徴されるヨーロッパの既存社会とムスリムとの間の軋轢を、ムスリム系移民擁護の姿勢から概説する。
1973年の石油危機以降困窮化したムスリムとそれに伴うイスラムコミュニティの創設。血統主義のドイツ、柱状社会のオランダ、ライシテのフランスで噴出する諸問題。これらの紹介と並行して逐次著者の意見が述べられていく。
当初、掴みを得るためか我々の同情を誘う記述が多く、単なる感情論なのではと思われる点がままあった。しかし、後半になるにつれて各国事情との照合に基づいた記述が増えてゆき、論理に肉付けがなされてゆく。
冒頭にも述べたとおり、決して本書は中立的な立場に乗っ取って書かれたものではないと思う。だが、ユーロセントリズムの陰に隠れて見えなかったヨーロッパのイスラムを知るにあたっては有益な書籍になるはずだ。
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ドイツ、オランダ、フランスの移民事情に関して考察を述べた上でまとめています。これから、日本も労働力不足で移民受け入れを検討しなければならないなか、どのような問題が生じてくるのか、どのように互いの権利を認め合うのか。議論の土台として抑えておくことが書いてあります。
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アル・カイダのナンバー2と言われるザワヒリ氏が、日本への攻撃を示唆したというニュースが飛びこんできた。イラク攻撃の正当性を依然として訴え続ける米英はともかく、スペインを筆頭に他の国々は、米英二カ国に距離を置こうとしている。大量破壊兵器の存在が認められないというアメリカの発表は、イラク戦争の正当性について重大な疑義を自ら示したと言えるだろう。国連事務総長までもがアメリカに対してはっきり批判的な態度を表明した今となっても頑なにブッシュ大統領支持を訴え続ける小泉首相の態度は、反イスラム的態度ととられても言い訳できない。
郵政民営化でもそうだが、事態を冷静かつ客観的に見て取り、的確な判断を示すことより、自らの言い出したことに飽くまでも固執し、内実は捨てながら、名のみ残すことに拘泥する首相には、国を預かる資質があるのかどうか疑わしい。この人にとっては、国や国民より自分の方が大事なのではないだろうか。この難しい時代に、とんでもない人を国民は宰相に選んだものだ。
そもそも、イスラムに対する米英その他のヨーロッパ諸国と日本は同じ位相にはいない。ヨーロッパとイスラムには、日本などには窺い知れぬ長い確執がある。テロリズム対民主主義などという単純な図式で、イラク戦争の大義を訴えるブッシュ大統領の言葉を真に受け、名誉白人的な位置に自分を置こうとする日本という国に対して、アジアは言うに及ばず、ヨーロッパでもその行動に不可思議なものを感じているのではないだろうか。
筆者は、ヨーロッパにおけるムスリム社会でのフィールドワークの結果をもとに、移民に起きたイスラム復興の原因を明らかにし、ヨーロッパとイスラムの共生は可能かどうかという問題を設定する。ドイツ、オランダ、フランスの三国を中心に、それぞれの国におけるイスラム諸国からの移民の受容の違いを分析する部分は鮮やかで説得力を持つ。しかし、その分析の結果、明らかになるのは、二つの文化の共生は難しいということである。
イスラムは、まず民族を超越している。国家の法が神の教えと衝突する場合、国家や民族という概念より、ムスリムであることの方が優先する。国家や民族という枠組みの中で発展を遂げてきた近代ヨーロッパとは相容れないものがある。次に、個人と自由という規範性を尊重する西洋文明社会と、神の前にあっては個人の自由というものが存在しないイスラム的規範とがぶつかり合う。さらには、次々と新しい科学や技術を採り入れることを良しとする進歩主義的世界観を前提とする西洋文明と神の定めたものを絶対とし、その不変性、無謬性を疑わないイスラムの世界観とが衝突する。
キリスト教的な宗教観に基礎を置きながらも、政教分離により、それを相対化してきた西洋では、過去を否定することで人間は進化し、発達するものだという世界観を疑う者はいない。それに対し、イスラム世界では、神の定めた道が規範であって、人間が行った行為によって世界が進歩するなどという観念はもともと存在しない。女子学生のスカーフくらいがどうして大問題になるかといえば、このような人間観、世界観の違いが二つの世界にあるからだ。
イスラム世界と西洋文明社会との間に軋轢が生じたのは、西洋文明の側の傲りにより、世界が圧倒的なまでに非対称的なものとなったことに起因する。ヨーロッパが誇る哲学や自然科学などギリシア以来の知の大系は、もともとイスラム文明を経由した結果もたらされたものである。西洋世界が自らの世界観を絶対視せず、イスラム的世界を含めた世界を相対化することができれば、問題の解決も不可能ではない。テロの根絶などという硬直化した態度は事態を悪化させこそすれ、決して解決することはないだろう。
個人も自由も政教分離も、語の真の意味で、いまだ手にしたことのない日本は西洋的な価値観を伴にしているとは言い難い。かといって絶対的な神への帰依などという信仰心も持ち合わせてはいない。だからこそ、どちらの立場にも偏らない中立的な位置で問題の解決にあたれたものを、絶好の機会をみすみすふいにしてしまったのは返す返すも悔やまれてならない。