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紙の本
戦争責任について多角的に解明した名著!日本、ドイツばかりではなく、連合国側の違法な軍事行為と戦争責任についても言及されている。
2005/08/14 10:58
12人中、9人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ブルース - この投稿者のレビュー一覧を見る
今年2005年は、例年になく先の大戦に関する図書の出版が盛んである。これは、今年が戦後60年という節目にあたっていることと、首相の靖国神社公式参拝の是非を巡って、各国から日本の歴史認識が問い直されていることが背景にあるからであろう。
この歴史認識の問題がクローズアップされる際には、必ずと言ってよいほど戦争責任という重い課題が浮かび上がってくる。
戦争責任は、多くの問題を含み、今でも多くの論争を呼んでいるテーマである。それだけに、アプローチするには、難しい面があるのだが、本書は戦争責任について多角的に論じている。
最初の1〜3章では、戦争責任という概念が生まれてきた歴史的背景が探られている。それによると、第一次世界大戦が総力戦となった結果、悲惨極まりないものとなり、それに伴って多くの残虐行為が生じたことから、戦後のパリ講和会議で主にドイツをはじめとする枢軸国側に対して戦争責任を問う声が高まったという。パリ講和会議とそれに基づいて結ばれたベルサイユ条約は、戦勝国側の一方的な意向が反映されるなどの制約がありながらも、「戦争の違法化、戦争犯罪人への処罰、それらを通じて法と正義にもとづく国際秩序を目指したことは評価しなくてはならない」としている。著者は、このように戦争責任が生まれた背景を明らかにして、日本の戦争犯罪が裁かれた極東軍事裁判(東京裁判)に言及している。
日中戦争やアジア太平洋戦争下で行われた日本の戦争犯罪が初めて明にされたのは、言うまでもなく極東軍事裁判を通じてである。著者はこの裁判について、アジア不在で裁判が進められたこと、「人道の罪」が追求されなかったこと、冷戦の影響により裁判が早期に打ち切られたことなど様々な時代的な制約があったことを指摘している。いずれも大きな問題で、そのために戦後日本が自主的な戦争責任観を深める妨げになり、また「戦後の日本の指導者層に強固な帝国意識を残す結果を招いた」としている。
東京裁判は以上のような歴史的な制約があったが、日本国民に戦時中の日本軍の違法行為(南京事件、マニラ華僑虐殺事件、バターン死の行進事件、泰緬鉄道連合軍捕虜虐待など)を白日に知らしめたことや「今日の国際関係を規律するうえで重大な役割を演じる観念が含まれていた」など評価すべき点もあることも同時に指摘している。
著者は、終章で、最近の戦争責任の論じ方について触れ、従来は「戦争の性格についてスポットライトがあてられる傾向にあったが、(最近では)国際的には人権問題として捉える方向にある」という。これは、戦時中の日本軍が組織的に関与していた「従軍慰安婦」と関わってくる問題であり、現在の日本政府の対応は最近の戦争責任の捉え方から言って極めて問題が多いとしている。
本書は以上のように日本軍によって行われた戦争犯罪と戦争責任を明確にしているが、同時にアジア太平洋戦争末期にアメリカ空軍によって行われた日本諸都市へ加えられた無差別爆撃や広島・長崎への原子爆弾投下などの違法な軍事行動についても指摘している。いずれも、軍の施設を目標したものではなく無抵抗な女性・子供などの一般市民を多数殺傷しており、当時の国際条約にも違反しており、人道上からも許されるべきではないと激しく非難している。
最近、連合軍が第二次世界大戦末期にドイツ諸都市に加えた無差別爆撃や上記の日本空襲および原爆投下について、その正当性と戦争責任を問う声が高まってきているというが、たとえ戦勝国の軍事行為であろうとも、非人間的な行為には、風化されることなくその責任を問い続けることが必要であると思われる。