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紙の本
身体の哲学 精神医学からのアプローチ (講談社選書メチエ)
著者 野間 俊一 (著)
心と体は別ものではない。互いに交差し合い、しかも他者の体へと開かれている。拒食症、解離症、境界例などの「心−身」に関わる病例に依りながら、「こころ」と「からだ」の問題を根...
身体の哲学 精神医学からのアプローチ (講談社選書メチエ)
身体の哲学 精神医学からのアプローチ
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商品説明
心と体は別ものではない。互いに交差し合い、しかも他者の体へと開かれている。拒食症、解離症、境界例などの「心−身」に関わる病例に依りながら、「こころ」と「からだ」の問題を根底から問い直す。【「TRC MARC」の商品解説】
著者紹介
野間 俊一
- 略歴
- 〈野間俊一〉1965年香川県生まれ。京都大学医学部卒業。同大学大学院医学研究科脳病態生理学講座(精神医学)講師。専門は精神病理学、心身医学、思春期青年期精神医学。著書に「ふつうに食べたい」等。
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紙の本
身体のロゴス
2007/06/09 16:26
5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:森山達矢 - この投稿者のレビュー一覧を見る
テーマは、至極単純である。それは、「身体を生きる」ということである。本書は、この言葉で始まり、この言葉で閉じられている。ちなみに、筆者は哲学者ではなく、精神科医だ。
この「身体を生きる」とはどういうことか?筆者は、それを説明するために、解離、過食・拒食症、境界などの精神的な病症例を出す。
これらの症例、特に解離と境界などは、まったく逆の志向を持つものといえるかもしれないが、筆者によればある点で一致しているのだという。すなわち、「ハイマート」を探求するという点においてである。
ハイマートとはなにか?筆者によれば、ハイマートとは、「自らの起源や、最も安心できる場所や、自然な他者との情緒的交流」のことである。つまり、筆者によれば、上記の精神的疾患は、このハイマートを巡るものなのである。
解離とは、患者自身の「私」と「身体」の隔たりが問題なのである。言い換えれば、解離とは、強力な引力を持つハイマートへの身体的拒絶の症状のことなのである。「彼らは、ハイマートへの希求と拒絶とを繰り返しながら、自らの存在の意味を問い続けている」のである。
一方境界例においては、自分の自己性を、他人と身体的に共感することで確認する。彼らはそうした他者を必要としている。そうした共感してくれる他者に対する要求が、対人関係においてトラブルを起こす。このような対人関係に対する要求は、ハイマートへの希求の表れなのだと筆者は言う。彼らは、ハイマートを具体的な他者に求めているのである。
これらの症例に見られるのは、私と他人の身体との関係のありかたである。一方は、他人の身体から距離を取る。一方では、その距離を限りなくゼロにしようとする。そうしたむなしい努力をしている姿は、ある意味悲劇である。けれども筆者は、次のように言える。
「他の人たちとの共存も、他の人たちとの絶対的な距離も、共に真なる現実のはずだ。この二重性こそがそもそもの悲劇と言えるのかもしれない。「不可能な合一」とでも「中絶された癒合」とでも言い表すことができるだろうこの悲劇は、単に忌まわしい現実を説明するものではない。いや、むしろこの悲劇こそ、私たちが日々の経験を豊かにし、今ここに生きていることを保証するものなのかもしれない。「私」とは、「単独者の孤独」なのではなく、「全体の亀裂」なのだ。」(p.220)
人はあらかじめ他人に開けた存在なのである。癒合もできるし、分離することもできる。が、完全にはそれをすることができない。しかし、僕らがそうした中途半端な存在であるからこそ、僕らの経験が逆に生き生きとしてくるのだ。
人間が人間を嫌うのも、人間が人間を好きになるのも、人間が身体をもち、他人に開かれているからだ。嫌いな人には障りたくないし、近寄りたくもない。けれども好きな人、好きになって欲しい人には、近寄りたいし、触りたいと思う。そんな「エロティックな関係」を欲望するのは、脳でもあるけれども、それ以上に身体なのだ。不快をできるだけ避け、心地よさを求めるのが、身体のロゴスである。この身体のロゴスこそ僕たちの「生」である。
そうなのだ、僕らは身体を生きているのだ。