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商品説明
夕張市の財政は、なぜ破綻したのか? 夕張は、これからどうなるのか? 経過を追って財政破綻の本当の原因を探り、その責任の所在を明らかにしたうえで、夕張の再生について「提言」をおこなう。【「TRC MARC」の商品解説】
著者紹介
保母 武彦
- 略歴
- 〈保母武彦〉1942年岐阜県生まれ。国立大学法人島根大学名誉教授、自治体問題研究所理事。
〈河合博司〉1948年神戸市生まれ。酪農学園大学教授、道州制と自治を考える会代表。
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紙の本
真の財政破綻の原因は
2007/05/26 11:25
9人中、9人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:良泉 - この投稿者のレビュー一覧を見る
自分の行動は自分の意志で律していると信じ込んでいる操り人形がもしあれば、それほど滑稽で物悲しいものはない。
しかし、滑稽な操り人形を笑うわれわれも、知らず知らずの間に何者かに操られ、しかも自分自身ではそのことに全く気付いていないということはないか。
今年の3月、北海道夕張市が財政再建団体に認定されたことを受け、メディアは連日連夜ニュースを流しつづけた。硬派の新聞・雑誌から軟派のワイドショーまで、ほとんどのマスコミが膨大な時間とスペースを割いて報道を続けた。私たちは、眼から耳から、異常とも言える量の情報を得ることになった。
さて、はたして私たちは、それらの情報を自分の中で正しく消化することができたのであろうか。
財政破綻原因に関するメディアの報道の中で、最も視聴者の注目を浴び、印象に強く残ったのが、明らかに過剰と言えるテーマパークやレジャー施設の誘致であったことは、多くの人にとって異論はないであろう。
「石炭の歴史村」「メロン城」「ロボット大科学館」といった施設の情景が、これでもかこれでもかと続けて映し出され、人々の嘲笑の的となった。
「計画性が無い。」とか「無謀だ。」とか、誰もが”にわか評論家”となり、夕張市行政を酷評した。少しでも好意的に評価する報道や意見を聞くことは無かったし、財政破綻の原因を違った観点から検証する見方も、私の知る限りいっさい無かった。
今では、メディアの話題にのぼることも少なくなった。夕張市は、先見性の無い無謀な開発を続けた”愚かな”自治体として多くの人に頭の中にインプットされたままだ。
さて、結局、夕張市の破綻原因はそれだけのことだったのであろうか。当時の為政者たちはそんなに間違ったことばかりしてきたのだろうか。仮に、メディアが示したように観光施設の誘致が過剰であり無謀であったと認めたとしても、それは当時の夕張市為政者たちだけの責任だったのか。
本当の検証が必要である。
日本のエネルギー政策が石炭から石油に切り替わっていくにつれ、かつては戦後復興・経済成長の牽引役として一大産業として栄えた石炭産業は一気に衰退していった。夕張市をはじめとする石炭産業に支えられていた町の人口や税収の落ち込み方は、それまでどの自治体も経験することの無かったくらい急激なものであった。
もともと国策とも言えた炭鉱開発。しかし、その衰退のツケのほとんどは地元自治体が背負い込むしかなかった。炭鉱会社が設置した鉱員向けのインフラは、夕張市が買収して引き受けざるをえなくなった。夕張炭鉱病院を市立病院として引き受けたり、北炭・三菱などは炭鉱住宅や上下水道設備を市に買収させた。それに対して、かつての”国策”を支えてもらっていたはずの国はどれだけの支援をしたのか。そもそもの財政破綻の発端は、当時の国の無策と撤退する大企業の私欲によるものが多い。
また、やむにやまれず市がとった政策である「炭鉱から観光へ」についてもどうであろう。市の見通しのあまさもゼロとは言えない。しかし、それを煽ったのが、1987年に中曽根内閣がつくった総合保養地域整備法、通称リゾート法であることはまちがいない。
これは、バブル経済を背景にしたカネ余りを悪用し、地域振興策に飢える地方を標的にした悪法である。日本各地に同じようなテーマパークやスキー場が散乱し、多くが今や破綻を向かえている。そしてそのツケは地方自治体にのしかかり、結局、得したのはゼネコンとそれをバックにした政治家たち。
われわれは情報に踊らされることなく、正しくものを見つめる眼を養う必要がある。
紙の本
下手な優しさ・思いやりがかえって傷を深くする
2007/06/01 11:22
13人中、12人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:塩津計 - この投稿者のレビュー一覧を見る
夕張ごときで、どうしてこんな大騒ぎするのか。そもそもなぜ夕張を「救う必要」があったのか。私は立ち止まって考えざるをえない。国とは我々国民のことであり、国の予算とは我々が払っている税金のことである。日本には「国」という独立した「金持ち」がいるわけではない。普通、事業をしている人が目測を誤り、時代の波に乗り遅れると、ただ破産するだけだ。誰も救ってくれない。当たり前である。自業自得だからだ。ところが日本では、この当たり前のことが時々通用しないことがある。「国の責任はどうした」「政府は何をしている」と叫ぶ輩が出てきたときだ。夕張の破綻の根本原因は世界のエネルギーが石炭中心から石油中心へとシフトしたことにある。エネルギーが石油にシフトしたのは石油のほうが便利で安かったからで、これは自然なことで、何も国に過失があったわけではない。だから本来炭鉱なぞ潰れるに任せ、粛々と閉山していけばよかったのである。ところが、なまじ規模が大きかったこともあり、またここに左翼がつけこんで三井三池みたいに「総労働対総資本」なんて、まるでピントはずれなネーミングをして騒いだもんだから、その流れで夕張も「国が何とかしなきゃ」なんてことになってしまったのである。結果がこれだ。税金がドブに捨てられたのである。我々は緑資源公団の汚職に腹を立てている。「税金を私するな」と怒る奴がいる。しかし税金を私したのは、何も緑資源公団ばかりではない。夕張に注ぎこまれた税金だって、特定少数の人たちが「弱者救済」の美名の下に私したのである。私はこれは不公平なことだと考える。とっとと切り捨てて、粛々と夕張から他地域他産業へのシフトを彼らの自助努力に任せておけば、一番安上がりで一番自然な形で、あたかも何事もなかったかのように本件は片付いていたのではないか。もう「弱者救済」の名の下に、まるで税金が無制限に「天から降ってくるかのごとく」「国の責任を追及する」のはやめようじゃないか。国とは我々である我々に夕張炭鉱閉山の責任はあるのか。無いと私は思う。責任が無い以上、はじめから夕張にびた一文税金を注ぎ込む必要はなかったのではないか。