「honto 本の通販ストア」サービス終了及び外部通販ストア連携開始のお知らせ
詳細はこちらをご確認ください。
このセットに含まれる商品
前へ戻る
- 対象はありません
次に進む
商品説明
国共合作が崩壊した1927年夏から1930年代前半の「土地革命戦争時期」と呼ばれる時期において、中国共産党が中国の農村地帯に構築した2つの革命根拠地を取り上げ、それらにおける党権力と農民の関係を考察する。【「TRC MARC」の商品解説】
目次
- 第一部 革命根拠地における党と農民
- 序論
- 第一章 鄂豫皖根拠地の形成と展開
- 第二章 党組織
- 第三章 党と農民
- 結論
- 第二部 党、紅軍、農民
- 序論
- 第一章 閩西根拠地の概要
- 第二章 党組織
あわせて読みたい本
前へ戻る
- 対象はありません
次に進む
この著者・アーティストの他の商品
前へ戻る
- 対象はありません
次に進む
紙の本
「何でもあり」だった中国共産党
2007/09/09 16:17
9人中、8人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:梶谷懐 - この投稿者のレビュー一覧を見る
これは、1930年代の共産党根拠地における党活動の記録をひたすら丹念に読み込んでいくという、非常な地味な専門書だが、そこから浮かび上がってくる当時の「党と農民」との関係は、現代の中国と共産党の関係を考える上でも、とても刺激的で興味深いものだ。
中国共産党が農村を支持基盤として勢力を拡大してきたことに疑問を投げかける者はいない。しかし伝統に縛られ、新しい考えに保守的であるはずの農村においてなぜそのような勢力拡大が可能になったのか。中国共産党の公式見解とは、高邁な理想に燃えた共産党員は常に貧しい農民の立場に立って悪い地主達を懲らしめ、貧農達に土地を分け与え、匪賊たちから村を守ったので、広く農民達の支持を得ることができた、というものである。しかし、現在では、共産党が勢力を拡大する過程でかなり陰惨な暴力的粛清が行われていたことも明らかになっている。このため、例えば日本でも話題になった張=ハリディの『マオ』では、独裁者毛沢東の指令の下、徹底した恐怖政治により農民を脅しあげて無理やり味方につかせたのだ、という解釈が語られる。
『マオ』の解釈はもちろん党の公式見解と真っ向から対立するものである。しかし、「共産党の一枚岩の規律」および「党員対農民という二項対立的な図式」を少しも疑っていないという点では、この両者の見解は見事に一致しているのだ。
この著作では、中国共産党の公式見解などで前提とされていた、農村における「党員対農民」という二項対立的な図式に対する徹底した疑いが出発点になっている。その結果描き出された1930年代の農村における共産党像は、「一枚岩」というイメージとは程遠く、むしろ伝統的な農村秩序と一体化した、「何でもあり」の「烏合の衆」といったほうがふさわしいような集団だった。
たとえば、多くの農村における入党者には、打倒すべき階級敵であったはずの地主や富農がかなりの程度含まれており、しかもしばしば組織の中心的な位置をしめていたという。彼らは、共産党が地域における優位を確立したとみるや、むしろ内部に入り込んで身の安全を図るとともに、相対的に恵まれた待遇を享受できるようさまざまな画策をしたのだった。また共産党の方も、国民党と対峙し勢力拡大を図る上ではなりふり構っていられず、入党にあたっての条件はもとより、脱党などに対する制裁もかなり甘くせざるを得なかった。このため、ひとたび共産党が劣勢と見るや手のひらを返したように冷淡な態度を見せたり、紅軍に入隊したものの逃走して元の村に帰ったりする、という状況も珍しくなかったらしい。
このような状況の下で、農村における共産党組織は限りなく「土着化」した性格を帯びた。それはお世辞にも、階級闘争などの理想に駆りたてられた一枚岩の組織などではなかった。むしろ、一時的であれ地域に秩序をもたらしてくれる「勝ち馬」に乗ろうと有象無象が「投機的に押し寄せた」結果ふくれあがった寄せ集め集団に近かった。暴力的な粛清の頻発も、「階級闘争」という名目を利用して日ごろの恨みや鬱憤を晴らそうという農民側の事情が働いたものと考えれば、十分整合的に理解可能である。
本書で印象的なのは、毛沢東をはじめとした著名な指導者の思想や言動がほとんどとりあげられていないことである。これは本書の主要な関心があくまでも「大きな社会変革の時代にあって、普通の人々はどのように考え行動しただろうか?」という点にあるからだろう。「普通の人々(老百姓)の行動様式は、ちょっとやそっとでは変わらないんだ」という、ある意味でドライな認識がその基底には流れているような気がする。