紙の本
わたしとわたしの仲間の消費が、わたしたちを創る
2008/02/16 18:11
6人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:kc1027 - この投稿者のレビュー一覧を見る
いつの頃からか、ランキングの上位を見てもそれがヒット商品である
という実感を持てなくなった。それが個人的なことなのか、もう少し
広い範囲のみんなの間で感じられていることなのか、それすらもよく
わからない。顧客を分類し、ターゲットを定め、商品を確信犯的に
解き放つマーケティングという経済行為が、社会の分裂を加速させ、
時代のキーワードである「格差」の助長の源泉なのではないか、
ほとんど本気でそう思いかけていたとき、本書を読んだ。
第1章で紹介される『ラブANDベリー』やケータイ小説のタイトルを
私は何ひとつ知らなかった。でも私の周りの仲間も知らないし、興味を
持っていないので気にならない。ヒットの理由はその逆、仲間感覚。
仲間内の盛り上がりが伝播するかのように局所的に沸き起こるヒットを、
著者は「カーニヴァル化」した消費と呼ぶ。自分たちが作り上げたヒットに
自分たちで酔う。そこでは、生産者と消費者が絶妙にブレンドされ、
お客様は神様ではなく、仲間として側にいる。
本書がドライブ感を持って迫ってくるのは、局所的な盛り上がり=
第1のカーニヴァルのあとの考察だ。突発的な盛り上がりはいずれ
沈静化する。そこで、作り手側がすべきことは、ただ単に商品を
カイゼンすることではない。次のカーニヴァルを生み出すための
「ネタ」を提供すること、それが「わたしたち」の輪を広げていく。
もっといい「モノ」、ではなく、もっと楽しい「コト」が消費の
モチベーションをくすぐり、くすぐられたわたしがわたしたちの
仲間を増やしていくのだ。
21世紀初頭の日本に生きる「わたしたち」が自らの考えなり意思なりを
表現しようとするとき、もっともわかりやすいのは消費かもしれない。
レシートを並べれば日記よりわたしがわかるかもしれない。
消費という行動が個人の意思を反映し、(図らずも)社会への参加を促進し、
「わたしたち」をつくる。本書が提示するのは、消費活動を通じて緩やかな
つながりを求める「わたしたち」の姿なのだ。
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消費に対しての意識が変わって来ているのではないか、そのような観点からこの本を読むと納得できることが多い。経済的な視点でなく社会的な感覚での消費活動が進んでいることを説明している。
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2007.12 鈴木謙介氏の新書であるカーニバル化する社会をマーケティングの視点から捉えなおした良書。
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★渡辺さん★
昨年、ある飲料水会社による社会貢献の企画が話題を呼んだ。売上金の一部をアフリカでの井戸掘りに役立てるという内容。自分が水を買うことで、貧しい国の子どもたちののども潤う。そんなイメージづくりが実を結び、三割以上も売り上げが伸びたそうだ。
▼社会学者の鈴木謙介氏らは『わたしたち消費』(冬灯舎新書)で消費者の心にいま、買い物を通じ「人とつながりたい」「共に盛り上がりたい」「何かに参加したい」という欲求が膨らんでいると分析。右の飲料水のような社会貢献をうたったヒットを典型例として挙げる。環境、貧困、過疎などテーマは幅広い。
▼いくつかのトレンド予測でも似た傾向が指摘されている。ある女性向けウェブサイト運営会社によれば、環境保護などを意識した生活を心がける人が最近急増中。別の市場調査会社はここ一、二年で消費者の自己実現志向が低下し、環境、伝統、義理などを大事にする「公益志向」が強まったとの結果を発表した。
▼今年はさまざまな身の回り品の値上げが見込まれる。ただ節約、節約では気分がめいりストレスもたまる。無駄な出費を削ることができ、環境保護やごみ削減にも役立ち、困っている人の支援にもつながり、できれば楽しい。企業からのそんな商品提案を消費者は待っているのではないか
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三種の神器(テレビ・洗濯機・冷蔵庫)に代表される旧来型の「マス消費(みんな消費)」は、1985年以降、大量生産・大量消費型の社会を背景にやがて個人消費(わたし消費) の時代を迎えるだろうと予想されて久しい。しかし、日本社会は今なお、初音ミクやI-Phoneなどの「大衆的なヒット商品」の誕生を許容している。著者が「わたしたち消費」と名づけるのは、一般的知名度は低い一方で一部の限られた層で爆発的に流行する現代の消費行動だ。それは、「わたしたちだけが知っている」という連帯感に裏付けられ、「ネタ」を中心とした仲間との盛り上がりがまた次の盛り上がりを呼んでいく連鎖に特徴付けられる。これまで「お客様は神様」と客体化してきた企業は、顧客を「私たちの仲間」と位置付ける事で、顧客との良好な関係構築と売上の拡大を実現する事ができるだろう。(2月8日報告)
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さすが電通。
まさに最近の世の中の風潮、消費者の気持ちや動向を言い当てているように思いました。
時代は間違いなく変わっている。
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レビュー 著者は社会学者ながら「ビジネスに役立つものでなければ意味がない」という立場をとっている。(三浦展もそうだが)ビジネス的な考え方(企業の側の視点)のある学者さんの本は参考になることが多いので、気にするようにしている。
大量生産・大量消費の時代が去り、「大衆」が崩壊した現代で、従来とは質的に異なる「姿の見えないヒット商品」の生まれるメカニズムを明らかにする、という言葉で説明するのが難しそうなテーマに挑んだ良書。
今回の紅白歌合戦を見ても「大衆にアピールするコンテンツ」が不可能なことは明らかで、それにも関わらず「メジャー感」か「若さ」か知らないが中途半端な出演者構成で「誰からも魅力的でないコンテンツ」をつくっているNHKにはマーケティング的嫌悪感さえ感じる。
著者は最近の「ゲーム」「ケータイ小説」のヒット作品を例に、従来のヒットのメカニズムとは質的に異なると指摘。その要因が「(共通の、順序立てられた価値観に基づく)みんな(=大衆)型消費」から「(局所的なブームが共振により大きな塊となる)わたしたち消費」へのシフトにある、と主張している。従来はまずマスメディアの情報に敏感な「少数のオピニオン・リーダー」に情報が伝わり、そこから「その他大勢」への伝播が起こる、という構造があった(イノベーター理論)。しかしこれら最近のヒットは、同じ関心をもっている人たち(Community)の中で局所的に発生し、その中でのコミュニケーションにより強化され、結合することで拡大していく「ボトムアップ型」の特徴を持っている。新しい「ネタ的コミュニケーションから生まれる市場」では、そこで生まれる人々の「連帯感」が非常に強い影響力を持つとしていて、さらにその根底には「失われた共同体(ムラ、クニ)」への志向の高まりがある、という指摘は社会学者ならではで非常に興味深い。(彼担当の)最終章では、企業側がこの「わたしたち消費」をマネジメントする際に留意すべきポイントを指摘しているが、ここはちょっと議論が薄っぺらいのが残念。ダイナミズムの中心となる「わたしたち拡大層」像を調査によって描こうとしてるが、イマイチ。「ブームというものは、閾値の低い影響を受けやすい人たちが蜜につながっているという特定のトレードオフが成立するときにのみ発生する」というルディ和子(by『マーケティングは消費者に勝てるか』)の主張を前提に考えてしまうと、ちょっと議論にもしにくいような内容。
批判としては、全体を通して対象がゲームや小説など「生活非必需品」の流行にFocusされていて、もっと必要性の高い製品については「同じ」と考えているのかそもそも「対象外」なのかも曖昧。もう一点残念なのは、せっかく電通が社会学者を引き込んで「融合」を期待したのに、1〜4章+5章で議論が「ぶつ切り」になってしまってる点。もっと揉んでほしかった。
マーケターとして思うことは、もしここに書かれていることが実際に起こるなら、マーケの役割がより「プロデューサー的」に変化していくかも、ということ。つまり、従来の静的なセグメンテーションでは既にニーズは飽和状態で、動的な人々のつながりが全ての起点となるとすると、いかに適切なコミュニティーに適切な「ネタ」を落としてやるか、という「プロデュース力」の勝負になのかな〜と。
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ケータイ小説は誰が読んでいるのかわからない目に見えないヒット商品。
ジュリアナ東京ができたのは91年5月。すでにバブルは崩壊していた。みんなバブルが崩壊していたことに気がついたのは93年くらいから。
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【以下抜粋】
「見えないヒット」の駆動要因であるわたしたち消費と、それが生じる原因をこの章では見てきました。そこでは、コミュニケーションが次のコミュニケーションに接続されるための「ネタ」を提供することで、カーニヴァルの輪が広がり、その盛り上がりの話しに参加させるために、消費が促されていくというサイクルが生じているのです。
マーケティングの対象が、大衆→小衆→分衆と個別化して行きた今、その対象は「わたしたち」という共同性なんです。というのが「わたしたち消費」という言葉の前提。
ただ、こういった言葉の定義やらが全体的に、それをそう言ってしまえばそうだけど、で?という感じがします。
しかし、四章、五章のわたしたち消費のマネジメントというところはなかなか面白く今のコミュニケーション戦略の参考程度にはなります。
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ケータイ小説や、ラブandベリーといった現代のヒット商品について、従来の大衆ヒット商品との違いについて論じている。大衆ヒット商品は言わば、「みんな」の商品であり、誰もが欲しいと思えるものであった。他人が持っているから、しているから、私もしよう。
一方、現代のヒット商品は、「わたしたち」の商品であり、一人称の「わたし」から始まり、その同じ仲間である「わたし」が集まることで、「わたしたち」に発展する。
「みんな」と「わたしたち」の大きな違いは、やはりインターネットであろう。インターネットを通じて、同じ仲間同士が集まる土壌ができやすい。そういった局所的な動きがやがて大きな波となって現れる。言い換えれば、現代はそういった大きな波を、「わたし」という自分発信で作ることが可能ということである。
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鈴木謙介の電通との共著。自身は、マーケティングのための知見であることを唄うが、その内実は学術的な消費社会論。
70s.80s年代は、田中康夫の『なんとなくクリスタル』、糸井重里の「贅沢は素敵」よろしく、消費社会の黎明期。そこでは、商品の有用性ではなく、差異コソが肝要。
そんな時代の消費を上野千鶴子は、〈わたし〉探しゲームと名付ける。消費を通した自己表現、他者との差別化こそ美徳であると。
翻って、鈴木謙介のわたしたち消費は繋がりに注視する。自分が素敵だと思った消費を、友人も素敵と感じる。バラバラだと措定されていた個人の偶然の結びつき。そして、深まる人間関係の濃密化、これこそ時代のトレンド
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前半はネットにおける流行を中心に、まあまあ地に足の着いた分析が展開されていた感があったが、途中から雑になっていった印象。上から目線な感じがしてしまい、読後感がイマイチだったかも。リアル世界の流行(自転車とかプレモル)には触れないほうが良かったのではないか。取って付けた様な分析ならないほうがいい。それと、『わたしたち消費』のわたしたちとは具体的にどんな層だったのかまで言及してほしい気がした。
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[ 内容 ]
ラブandベリー、『赤い糸』、初音ミク…これらは異例のヒットを記録するゲームやケータイ小説、ソフトウェアの名前である。
一般的知名度は低いが、小学生や女子高生、ネットユーザーなど一部の間で大流行している。
なぜこうした局所的なカーニヴァルが近年ミリオンセラーを生み出すのか。
「わたし」が欲しいものを追及した「わたしたち」がつながり、盛り上がり、生まれる「わたしたち消費」は、まさにウェブ時代の新ビジネスを拓く現象といえるのだ。
[ 目次 ]
第1章 「それって人気なの?」-姿の見えないヒット商品(「脳トレ」に匹敵する人気ゲームたち 日本の人口を超えるヒット、カードゲーム ほか)
第2章 「みんな」から「わたし」へ(「みんな」意識はどこから来たか 「大衆の消滅」と「感性の時代」 ほか)
第3章 わたしたち消費の時代(ネタ的コミュニケーションから生まれる市場 共同体から共同性へ)
第4章 わたしたち消費のマネジメント(共同性のサイクル 感染を拡大する ほか)
第5章 わたしたち消費のさらなる拡大メカニズム(共感力と発信力に優れたわたしたち拡大層 共振する社会の消費の行方)
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読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ)
[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ]
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実質評価は限りなく3に近い4です。
確かに当たっていることは当たってはいますが
いかんせん、中身がスカスカ。
おそらく肝心のわたしたち消費のところが
仔細に書かれていないのが
原因なのかもしれません。
なんかちょくちょく飛んでいるようなイメージを受けました。
ビジネスの介入点は
ごもっともとは思いました…
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今の話よりも過去の話が多くて、更に今の話の箇所はあまり新しい発見がなかったかな。世の中が盛大に流行を追いかけていた時代も体験してみたい。