紙の本
フードバンクというものを初めて知って
2008/09/22 14:44
3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:くにたち蟄居日記 - この投稿者のレビュー一覧を見る
不勉強にて フードバンクというものを知らず、新聞の書評で本書を見て読んだしだいである。僕自身 現在の日本での賞味期限を巡る言説に大きな違和感を感じていたので本書を読んでいて ある意味で スカッとする部分が有った。
まず 日本の貧困というものが フードバンクを通じて 炙り出されてきた来た点がある。本書でも書かれているが「食べ物を乞う」ということの 乞う方と乞われる方と 両方にとっての困難さがあり 今までそれが見えにくかった。それが 「無償で寄付された食糧を無料で寄付する」という 極めて明快な活動が発生したことで 初めて見えてくる「日本の貧困」が出てきた。
次に日本のいう社会でのボランティアという広い問題が提起されている。アメリカに比べて日本はボランティアという活動が少ないというのが著者の意見だ。確かに ボランティアという言葉が日本語にない。「社会奉仕」とでも言うのかもしれないが そもそも無理して作った単語だと思う。
僕は 必ずしも 日本においてボランティアが「薄い」とは思わないが アメリカのような「組織」としてやるような状況になっていないことも確かだ。その意味で 2HJが どのように根付くのかは注目されるだろうし ぜひ成功して貰いたい。
最後に。やはり日本の食に対する考え方は どこかで道を間違えてきたと再認識した。形の悪い野菜などを否定しているのは 消費者なのか小売業なのかも含めて もう一度考えるべき時代になったと思う。形の悪い野菜を捨てる時に 同時に 日本人は「何か」を捨ててしまっているような気がしてならない。その「何か」は 言葉では説明しにくい。本書は そんな「何か」を言葉で説明している一冊である。
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「ローマの平日イタリアの休日」で何とも魅力的なローマの生活を書かれた大原悦子さんの新作と言うことで楽しみに読みました。と言っても今回は、内容も主題もがらりと変わって「フードバンク」について。訳すると「食良銀行」(当たり前(^^;))でしょうか。私自身もこの言葉に馴染みがなかったのです(アマゾンで調べても楽天で調べても、この本以外には紹介している本はないようです)が、この「フードバンク」は、「もったいない」を「ありがとう」に変えると言う考えのもとに、品質に問題なくても流通のシステムや製造の過程で廃棄されるような食品を、今、食べるものに困っている人に分け与えようと言う考えのもとに活動されている団体です。
・・と言うと私も、「日本は飽食だから、捨てる食料があるのならアフリカの難民に配ったらいいのに」って感じで読みだしてみると、ここで取り上げているのはそうした国際的な救援ではなく、日本の中にも食料を手に入れられない人がいると言うことと、そう言う人に食料を配っているボランティアがいること紹介されていてその事実に驚きました。考えてみれば、国家の体制や政治的・経済的に未熟であるために社会システムとして貧困を生んでしまうアフリカの国が国際的に目立つは当然として、むしろ日本のように国としては経済的に発展して、貧困が全体として目立たなくなっているところに存在する貧困こそが救われていないのかもしれません。
救援と自立支援の問題など、私の頭の中にあったさまざまの問題にも言及されていますが、作者・大原さんのその目線は「ローマの平日イタリアの休日」同様にやさしい感じで、問題は問題として受け入れて、それでも活動のコンセプトを大切にしている感じが、読んでいて心地よい感じでした(この点の本に心地よいと言うのは変ですが)
この本が発売されるちょっと前の7月14日の自社サイトに日記に下記のようなことを書きました。そのあとに、アマゾンからの新刊案内でこの本をタイミングよく知ったわけです。
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【 食糧事情 】
世界一受けたい授業で、世界で死んでいく人たちの死因の1位は、癌でも交通事故でもなく、「飢え」というから驚きです。世界で6人に1人は栄養失調で、しかも1日に25000人の人が飢えや栄養失調で死んでいるそうです。教えもらうと驚きです。日本は裕福すぎるかも。
噂では世界の穀物は足りているけど、一部の国が豊富な食料を取得して、飢餓に苦しむ国ができるとのことです。なかなか均等にと言うのは難しいでしょうけど、裕福な国がそれを意識しないでいることは問題です。問題意識を持って、頂くと言うことに本当に感謝しないといけないですね。
以前から問題になっていた数字も出ていました。世界の食糧支援は年間700万トンに対して、日本では2000万トンの食べ物が捨てられているのです。しかし、今は賞味期限や使い回しなど、違反に厳しくなり、もったいないという言葉との板挟みになっているのも事実でしょう。使いまわしや賞味期限違反はいけないけど、その情報を交換して納得する人は使うという貢献はできないでしょうかね��?
個人的には、また食べられるのに賞味期限が過ぎたからと廃棄されるなら(消費期限過ぎたものは害がある場合があるのでだめですが)それを納得したうえで使う人に配布しちゃいけないのかな?もうひとつは、商品をサービスだからと言って過剰に生産しないことでしょうでしょう。売り切れるくらいがちょうどいいくらいに思う方が世界にやさしい生産方法かも。
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(日記ではこう書いていますが、フードバンクでは賞味期限を過ぎたものは安全と分かっても受け取りはしないようにルール化されています。そこには作り手と使い手の直接の取引関係ではないための制限でもあるのでしょう)
最近の食品偽装の問題の中で、安心安全の旗印の下にすべてを同じようにとらえているような感じがしますが、私自身は3つの問題ととらえています。
(1)産地偽装
これは、中国産うなぎを国産うなぎと表示して売ったり、牛の産地やブランドを偽装するものです。これは目先の売り上げのためにお客様をだます悪質なもので、このような企業は市場から抹殺されて当然でしょう。
(2)禁止薬物混入
うなぎやギョーザで起きた事件で、国の違いがあるとは日本で食べるものは日本のルールとして満たされているべきと思います。こうしたこともより検査を強化して市場からなくすべきでしょう。
(3)賞味期限の書き換え
この書き換え自体は問題ですし、何よりも信用したお客様を裏切る行為となります。食中毒などの被害がなくてもその姿勢を社会的に厳しく問われています。この感覚がまひして、お客の食べ残しを使い回しするという事態にまでなると、今度は衛生上の問題も大きくなってきます。
中には、賞味期限が過ぎたものでもまだ大丈夫とご家庭で使われる方がいるでしょう。そこにある気持ちは、たぶん「もったいない」と言う気持ちでしょう。賞味期限の書き換えにおいても、企業側も最初は「もったいない」と言う気持ちがあったとしたら、賞味期限改ざんという裏切り行為をしなくても「もったいない」という気持ちを生かすシステムが必要だと思うのです。それが無駄に廃棄されてしまう商品を減らす一番の方策でしょう。
賞味期限が近くなって販売できなくなった商品や、外箱が痛んだだけで受け取り拒否(これで返品は環境にやさしくないと思うけど)などされた商品が、喜ばれるところで使われるのは、食の作り手としては、大変うれしことです。(工業化されていなくて、夏の暑いときには汗をかきながら食品作りをしている作り手と言うのは不思議なもので、たくさん買っていただける方にも感謝しますが、実は量よりも「おいしい」「ありがとう」が一番うれしかったりします。そんな心意気があるものです。)この本の中でもアメリカのフードバンクの紹介の中で「お金と言う収入は減ったけど、サンキューと言う収入が増えた」とあります。その気持ちが活動を支えているのでしょう。
日本にはもともと、食べられないほどの野菜などをもらうと近所に配るような「おすそ分け」と言う習慣もあります。そのように無駄なく使うと言うのは重要なことと感じています。なにより自給率不足の日本で、これだけの食べ物が廃棄されていること自体、いつか罰が当たると心配なのは私だけでしょうか?でも、この活動を読むと、ひとりひとりの小さな積み重ねでいい意味での食の循環が出来るかもしれませんね。
ちなみに、この本の表紙はちょっと面白いです。このブログの画像では「トマトスープ」がゴミ箱に入ろうとしています(もったいない!)が、この帯を取ってみると・・・その結果のお楽しみは本屋さんでどうぞ(^^)
今日はいつになく長い感想になったなあ(^^;
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分類=食生活・食糧問題。08年7月。吉兆の問題などで話題になった、残飯の使いまわしですが、食糧を大切に、世界中で飢える人がいないようにするための努力は大事です。
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余った食べ物を貧しい人々へお届けする仲介団体フードバンクというお仕事の話!
企業がそんなに食べ物を無駄にしてきたのかとびっくりしたり。
ずっと飲食店で食べ物を捨て続けてきた私にとって理想のお仕事です。
アメリカではじまったもので、それを日本で始めたアメリカ人の方のお話も興味深く非常に面白いです。
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企業でまだ食べられるのに捨ててしまわなければならない食べ物を、引き取って、それを福祉施設やシェルターに配布する、こんな活動があるなんて初めてしった。
缶詰が詰まったダンボールが凹んでいるというだけで、中身は全然食べられるのに、1箱全部返品になり、結局廃棄処分せざるを得ない。
そうやって、たくさんのまだ食べられるものが捨てられている一方で、日々の食べ物に困っている人たちがいる。
こういう活動がもっと広がるといいなぁと思う反面、廃棄が少なくなるような工夫も必要、でもそうすると、この運動が立ち行かなくなる...?
アメリカで始まったこの運動のこれからの課題なんかも書いてあった。
フードバンクが食べ物を与えるだけでは、貧困はなくならない。長期的に考えれば貧困をなくすことが必要。でも、その対策を練っている間にも、お腹をすかせている人たちは目の前にいるわけで、「今」できることをやることが必要なんだと思った。
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いい本だ、と素直に思った。
必要な人に必要なものを。
シンプルだけど、かっこいい。
NGOとしての考え方だけでなくて、自分達自身がかかえる矛盾もちゃんと理解している。
そういう点で新しい視点を持つことができそうだ。
日本でも広まるといいし、ぜひ広まってほしい。
ただ、全国的な大きな組織よりも、小さな組織のほうが動けるんじゃないのか、とも思う。
我々は共同体に対する責任を持つべし。
本文より、
自分の身に起こる問題や不幸は全部が全部自分の責任ではないのかもしれない。
けれど、その経験とどう向き合い、何を学び、その後どう対処していくかは、その人次第だ。
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こんなことがあるのかと、びっくりした!!
世の中、二極化といわれているが。。。
ともに暮らすことを、もっと素直にできればと思う。
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賞味期限
エマーソン食料寄付法
バックパックプログラム
カーブスジャパン
「相手の立場に立って考えよう」と私たちはよく言ったり、言われたりする。けれど「つい、相手の立場に立ったつもりになって、こうしてあげよう、あぁしてあげよう」となると、相手から思うような反応が得られなかったときなどに「差別的な偏見を、かえって自分の中につくってしまう」
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今や飢餓と飽食は世界中のどの地域にも混在する。欧米ではじまったフードバンクが、日本で制度化され定着することを願ってやまない。
ただ、あくまでも根底には社会構造の産物としての貧困があることを見落としてはいけないだろう。
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「フードバンク」という見慣れない単語が目に付いて、何気なく図書館で手にした本だったが、一気に読んでしまった!何とエキサイティングな活動なんだろう。そしてまだ始まったばかりではあるけれど、日本で「フードバンク」を設立したアメリカ人とそこに集う人々の生き様の何と魅力的であることか。文句なしの5つ星です。早速購入して自分の周りの人にも勧めます。
「フードバンク」とは、簡単に言えば企業や商店、農地で消費期限が充分残っているのに廃棄されていた食べ物を、困った人々に渡す仲介役を行う団体のこと。一見簡単そうに思えたが、読み進むと事はそう簡単ではなかった。渡す側のニーズと受け取る側のニーズの違い、ものが食料なだけに発生する安全性の確保の問題、ロジスティックの問題、そして日本のNPO団体の多くが抱える財政上の問題、等々。
そのような困難だらけの中、まずは行動と動き出した人々の勇気にはやはり感銘せずにはいられなかった。また、著者の、恐らくは相当量の時間を取材に費やしたであろうことから来る文章の確かさが、読み手にしっかりと届く迫力として感じられた。
まずは出来ることから始める、ということを自分でもやってみようと思う。動き出さなければ何も変わらないと言うのは、きっと正しい。
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「完璧でない」からと捨てられる食べ物。一方で、食べることに困っている人が大勢いる。両者をつなぐ活動の最前線、アメリカと日本から。 「Google ブック検索」より
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まだ食べられるのに捨ててしまう食べ物を困ってる人に!
発想と仕組みはシンプルで効果は大きい。なのにNPOだからなのか問題は山済みだ。フードバンクは絆創膏の役割だけでいいのか?という指摘があったが貧困や食糧不足の問題を根本的に解決するにはあまりに多くの問題が絡んでいるのでこの指摘はおかしい。
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フードバンクの考え自体はいたって単純。安全なのに「完ぺきではないから」と言って捨てられてしまうような「もったいない」食料を、足りない人に回すというもの。
つまり無駄を再分配してゆくことです。
ところがそれを実現するためにはアメリカでも、日本でも様々な障害があります。とりわけ日本では、その活動の知名度や日本ならではの「偽善」への厳しい批判、そしてNPOを支援するような制度の問題から、最低限の資金を回して運営してゆくことも難しいといいます。
運営の実際的な問題ももちろんありますが、一つの文化として、日本で寄付がもっと流行するような方法はないだろうかと思いました。
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「余ってる人から足りない人へ」、フードバンクの仕組みはとてもシンプル。フードバンク発祥のアメリカではソーシャルビジネスとしての地位を獲得し、寄付する側の税制優遇なども整備されている。しかし日本ではボランティアを偽善と捉えられる傾向があり、普及にはまだまだ障害が多い。他方で日本には「もったいない」文化があり、これは逆輸出できる習慣だとも思う。
SCMや印刷技術が発達し、食品ロスが減少傾向にあり、食料が調達がしにくくなっているという話はなんとも皮肉で需給ギャップの解消が如何に難しいかを物語っている。
食料問題というのは根深い複雑な問題だが、「問題」として提起しない限り解決もできない。そうした問題提起と現状を伝えるこの本の意義は物凄く深い。
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生きるだけで精いっぱいである時代を超えて、じゃあ生きて何をするの? と問われる時代になっている気がする。いやもちろん、生きるのが第一なんだろうけれど……少なくとも生きるだけで精いっぱいではない人は、それを考えざるを得ないような。
……豊かさとは何でしょうね。