紙の本
著者による半生記
2020/12/20 00:45
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投稿者:719h - この投稿者のレビュー一覧を見る
著者による作品の和訳モノを
一通り読んでしまったあとに、
この作品にとりかかった記憶が
あります。
読了後、「飛ぶ教室」の次に
繙いてみてもよかったなあ、
と思いました。
著者のいずれの作品に惹かれた方にも、
是非手にとってみて頂きたい一冊です。
紙の本
ケストナーの子ども時代
2002/07/29 13:23
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投稿者:ポーリィーン - この投稿者のレビュー一覧を見る
「エーミール」シリーズや「点子ちゃんとアントン」「ふたりのロッテ」などの名作を描いたケストナーの自伝的作品。彼の先祖、両親、そして自分自身の子ども時代について詳細に綴られています。子供向け文学なのに深く悲しく、大人が読んでも十分耐えうる・・・それ以上に魅了されてしまう作品をなぜ彼は書くことが出来たのか、その秘密が明かされます。子どもも、これから子どもを育てる親も、昔子どもだった人も面白く読めオススメできる作品です。
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ケストナーの作品の根底にある生きることの悲しみやせつなさ、でもそれでもその中に小さな喜びを見つけ、たくましく生きていこうとする力が強く感じられる作品で、これは肉体が子供のための本というより、子供の心を忘れていない大人のための本かな。
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すべての子どもと、そうでない人のために書かれた、ケストナーの自伝。ケストナーの作品は、ケストナーの子ども時代をもとに書かれているということがよくわかる。物語を楽しむ上では全然必要のないことだけれど、どの作品のどの登場人物が、誰をモデルに書かれているのかを考えながら読むのも、また楽しい。[2005.1.4]
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ケストナーがどこから来ているのか ケストナーの本でいちばん好き
「母の心は私を忘れなかった」の言葉に感じる切なさとか優しさとか悲しさとか ところで萩尾さんは「ポーの一族」の中でこれの橋のくだりを使っていると思う。
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これを読んで、他のケストナーの作品に眼を向けてみると
彼の作品が如何に自身の少年時代を下敷きにしているかが見てとれる。
母親からの盲目ともいえる愛情と、
それを受け取りながらも悩む少年と。
こどもだっていろいろ考えているんだよ、悩んでいるんだよ、と
彼の作中にでてくる少年少女たちは叫んでいる。
こどもは弱者でもなければ、浅はかでもない。
真に愚かなのは彼らを理解しようとしない大人たちなのだ。
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図書館で借りたのですがそのうちケストナー全集は買おう、と決意しました。でも大型図書なので場所がなあ…
読むのにえらく時間がかかりました。
大型本なので持ち運びに不向きな為、なかなか読み進められなかったこともありますがお話が色々な処に行ったり来たりして難しい…。それにしても始業式に三角の袋にお菓子を詰めて持ち歩くってどういうことなんだろう…
それと作中ほんもののコーヒーと書いてあるのですがニセモノのコーヒーってなんだろう…。
文化と世代が違うとその時当たり前のことがわからなくなるものだなあ、なんて思いながら読みました。
それでもケストナーとお母さんの愛と友情はいつの世も変わらないものだろうと思います。ちょっとお父さんが可哀そうな面もありますけど…(笑)
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ケストナーの自伝的作品。両親の祖先のことから書かれていて驚いたのですが、両親のバックボーンをしっかりと記すことによって、その両親から生まれて愛された自分のことを描いています。
母の愛とたくましいばかりの活力、そしてそれを受け取る側の心情はケストナーの他の作品に色濃く投影されているのでしょう。何か大きな事件が起こる訳でなく(時代背景として大きな波がありますが)淡々と書かれているかに見えて、ユーモアとペーソスがふんだんに散りばめられていて面白かったです。またレムケによる挿絵がなんとも素敵なんです。作品世界を広げてくれます。
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図書館より。
ずいぶん長いこと借りていたけどようやく読了。
ケストナーは、教職課程のときに先生に薦められた「飛ぶ教室」でとても読みごたえを感じたので、これも読んでみようというかんじで手に取った。
子ども時代の思い出を中心に語っているが、最初のほうは自分の先祖や父、母のなれそめや幼少時代あたりからかなり克明に書いている。
そのうえ、子供時代の話をしているのに、途中でどんどん脇道にそれて、ひとつの話題のなかで、おとなになってからの話や、関係のない話もごたごたとまぜてくるので、正直丹念に読んでいかないと、すっきりと筋があたまにはいってこない。
何か面白いことが起こるわけでもなくひたすら日常のはなしなので、やや冗長でもある。
以上のことから、どうも本書は子供向け(児童文学)とされてはいるが、実際には、本をそれほど読まない子なら中学生から、ある程度やさしめの児童書も読みつけて読書スキルのある子でようやく高学年から読んで理解できる、と見られる。
でも、飛ぶ教室のときもそうであったように、
実にケストナーの語りには含蓄がある。
えらそうなことを机上論で語るのではない。
ケストナーがしみじみと人生や、運命や、世界や、時間や、人間のことについて語るとき、
そこには自分自身や世界、自然にまじめに真摯に向き合い、対話し、繰り返し考え続けた、地味ではあるがとても説得力のある言葉が並ぶ。
その言葉に、もうとっくに大人になっているわたしでさえ(だからこそ?)胸をうたれる。
特に、記憶と思い出についての描写がとても気に入った。
記憶はモノのように、頭の中の引き出しに収まっていて、
思い出は、まどろむ生き物のように、からだのあちこちにいるという。
思い出は時々目を覚まして、勝手にうごいたり、ほかの思い出を揺り起こしたりする、それがからだのあちこちで起こるのだ、という考え方は、とても腑に落ちる。思い出がよみがえることで、身体のあちらこちらがシクシクしたり、ワクワクしたりするのは、そのせいか、と。
追記:
「月光航海」
「卵まだら」
「軽やき」
なんていう単語たちにただようかわいらしさ!
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ケストナーの自伝的作品。今までの物語に比べると話が分散していてちょっととっつきにくい。でもそこをただの昔話を語るだけにすませないのがやっぱりケストナーのすごいところ。
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なんと言ってもお母さんのパワフルさ、ケストナーへの愛情、そして胸に秘めた悲しみ。天才ケストナーはお母さんの汗と涙の結晶でした。
これを読んでからエミールシリーズを読むとまた印象が違いそう。
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「飛ぶ教室」や「ふたりのロッテ」のドイツ人作家ケストナーの自伝。両親が革細工店を営んでいたこと、旅行嫌いだったこと、ドレスデンという美しい街で暮らしていたときの喜びなど、彼の人格を作ったあれこれを知ることができる作品。「レンガのように重い本はいらない」とか、「読むことのできるものは第二の一対の目(新しい世界)を持つ。ただ、そのため第一の一対の目(現実の世界)をそこなわぬように注意しなければならない」とか、「戦争がはじまった。わたしの子ども時代はおわった」とか、読んでいて彼の本音が聞こえるのが嬉しい。
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文字通り著者の子ども時代の思い出を綴ったエッセイ。学校の事や習い事の体操教室の事も少し書かれているが、家族の話が中心になっている。祖父母の代から両親の子ども時代、そして彼自身の小学校時代までの家族の歴史とも言える。
もともと革細工職人だった父は、生活のために商売をやめて工場へ勤めるようになった。その後エーリヒの学費を捻出するために家に帰ってから革細工の内職もやった。
母は生活のために家に下宿人を入れた。その上内職程度の稼ぎでは足りないと35歳の時に一念発起して美容師になった。エーリヒ少年はお母さんの仕事を実によく手伝った。そして両親の期待に応えるために学校の成績も常に良かった。
他にも富豪になったフランツおじさん一家の話や、お母さんと徒歩旅行に行った話など、さまざまなエピソードがユーモラスに描かれている。限られた環境の中で工夫しながら楽しく暮らしていた事がうかがえる。
この本は確かに面白いのだけど、アンデルセン賞の受賞作品が何故これなのか?という疑問も生じる。ケストナーの作品は他にも面白いものがいっぱいあるのに…
比較的最初のほうに自分の育った街ドレースデンが実に素晴らしい街だったけど、戦争で全滅してしまった事を述べている。そして最後に、
「1914年に戦争が始まり、わたしの子ども時代は終わった」
と締め括られている。
作中には戦争の記述はほとんどないけれど、間接的に人生の大切な時を過ごした場所を一掃してしまった戦争の哀しみが伝わってくる。選考委員会の狙いもその辺にあったのかな?なんて思えた。
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「ケストナー自身が、自分のおいたち、両親や先生のことなどを語った自叙伝。 からだが小さく、貧しい家庭に育ったケストナー少年のたゆまぬ努力や、 親子の情愛などが、静かな感動をよびます。」