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  • みんなの評価 5つ星のうち 4 12件
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  • カテゴリ:一般
  • 発売日:2008/08/01
  • 出版社: 筑摩書房
  • レーベル: ちくま新書
  • サイズ:18cm/254p
  • 利用対象:一般
  • ISBN:978-4-480-06435-6
新書

紙の本

寺社勢力の中世 無縁・有縁・移民 (ちくま新書)

著者 伊藤 正敏 (著)

幕府や朝廷を凌駕する勢力であった中世の寺社世界は、国家の論理や有縁の絆を断ち切る「無縁の場」でもあった。事件のリアルタイムに書かれた文書と、その直後に記された貴族の日記だ...

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寺社勢力の中世 無縁・有縁・移民 (ちくま新書)

税込 924 8pt

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商品説明

幕府や朝廷を凌駕する勢力であった中世の寺社世界は、国家の論理や有縁の絆を断ち切る「無縁の場」でもあった。事件のリアルタイムに書かれた文書と、その直後に記された貴族の日記だけを使って、中世日本を生々しく再現する。【「TRC MARC」の商品解説】

著者紹介

伊藤 正敏

略歴
〈伊藤正敏〉1955年東京都生まれ。東京大学大学院人文科学研究科修士課程修了。思想家・中世史研究家。研究・執筆活動に専念している。著書に「中世後期の村落」「中世の寺社勢力と境内都市」など。

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みんなのレビュー12件

みんなの評価4.0

評価内訳

紙の本

日本の中世史を塗り替える驚きの書

2008/11/02 19:08

8人中、8人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:JOEL - この投稿者のレビュー一覧を見る

 ずばり歴史ファン向けの本といっていいだろう。著者は、おそらく学会のことを意識しており、通説を否定するような挑戦的な姿勢で執筆に臨んでいる。

 それにも関わらず、歴史の専門家向けとせずに、歴史ファン向けとするのは、新書での出版であることと、著者がところどころに見せる茶目っ気のためである。

 特に茶目っ気がいい味を出しており、読者を楽しませる。例えば、「境内都市」という表現が適切かどうか、著者も完全には満足していない。そこで、読者にもっとよいネーミングを書中で募集していたりするのだから、型破りだ。

 この型破りな気質は、そういう細部だけではなく、本書全体にわたって生きている。「歴史」と言えば、教科書にあるような確定的な事実で固まっていると思うのがふつうだろう。歴史観がゆらぐのは、昭和以降の近現代史ぐらいという受け止め方が多いと思われる。

 ところが、著者は「中世」という、はるかに時代を遡る歴史を再構築してしまうのだから驚きである。書名のとおり、中世には「寺社勢力」が力をふるっていたという持論を展開していくのだが、なかなか痛快である。

 ほとんどの人は、平安時代は「朝廷」が支配し、鎌倉時代・室町時代は「武士」が政権をうちたて、その後の戦国時代・安土桃山時代も、朝廷の存在はありながら、「武家政権」が続いたという風に、教科書を通じて学んだはずだ。

 しかし、著者はこうした時代区分に、まったく新しい見方を持ち込んでみせる。上にあげた時代区分とそぐわないのだから、読みながら戸惑うことしきりである。ただし、その戸惑いは、読者に同時に喜びも与える。

 なぜなら、それまでの通説を巧みにひっくり返して、新しい見方を読者の頭に流し込んでくれる快感をともなうものだからである。本書を読み終えて連想が働いたのは、梅原猛の『隠された十字架』である。梅原は法隆寺にまつわる数々の謎を解き明かしながら、読者を知的興奮に導いた。それに近いものを本書に感じたのである。梅原は、史料を駆使しながらも、大胆な仮説や推理を織り交ぜながら論じて見せた。

 本書の著者の伊藤は、あくまで史料に依拠する。あまり大胆な推理はしない。史料の欠落を想像力で補うことはあるが、あくまで史料第一主義である。それでも、これだけ確定的な歴史をひっくり返してみせるのだから見事である。

 ここでいう史料とは、寺院に残る記録である。朝廷や幕府に残る公式の資料は、時の政権に都合のよいように書かれていたり、そもそも信頼のおけるものがなかったりするので、あまり信を置かない。
 歴史の表舞台から離れて存在した寺院の記録の方が、本当のことが書かれているとして、11世紀から16世紀の歴史を再構成していく。そうすると、「寺社勢力」というものが、朝廷や武家政権という中心軸から距離を置きながらも、相当な力を持っていたことが分かってくる。

 比叡山延暦寺というと、たいていの人は最澄が開いた天台宗の拠点という認識くらいしかないが、歴史を大きく揺り動かす存在であり続けた。

 比叡山は、京の都にいくつかの有力な末寺を持ち(祇園社=今の八坂神社)、朝廷や幕府に圧力をかけることがたびたびあった。というより、時の政権は、武力も経済力も持ち、なおかつ宗教的な意味からも手出しできない領域であった比叡山を決して支配できなかった。そして、これは奈良の興福寺や和歌山の高野山などにもあてはまる。

 こうした有力寺院は、いわば境内都市ともいえる機能を発達させていた。今日の神社仏閣のイメージからは、大きくはずれた存在であったことにおどろかされる。ここには政権の警察力も及ばないのであるから、自律的な動きをすることができた。神威を背景にして、内裏に神輿をもって押し掛け、要求を突きつける強訴は当たり前の時代であった。朝廷も警護する武士も及び腰にならざるをえなかった。

 著者は有力寺院が力を維持した1070年から1588年までの約500年間を明快に「中世」と定義する。この中世は、教科書で教わる歴史とは、似ても似つかない時代であったことを例証していく。その手さばきは鮮やかというほかない。

 1571年に織田信長は比叡山延暦寺を徹底的に焼き討ちにした。そうしなくてはならないほどの力を、当時の有力寺院が持ち合わせていたことを示す好例だ。ここに信長の残酷さを見るというより、「中世」の「寺社勢力」の存在感をみるべきなのだ。信長は存命中、比叡山の再興を許さず、これ以降寺社勢力は衰退していき、やがて「中世」は終わりを遂げる。

 本書を閉じるとき、この500年間の歴史を塗り替えて見せた著者に、敬服せずにはいられなかった。

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紙の本

中世日本のことながら、現代日本にも十分に共通項を見出せる内容でした。

2008/09/01 21:24

6人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:佐々木 昇 - この投稿者のレビュー一覧を見る

 長い日本の歴史の中で、複雑で興味がぶれてしまうのが中世史だが、「無縁所」という観点から中世史を見直してみると現代の日本に重なる部分が見えてくる。物価高、狭い住居、長時間の通勤時間を要する都市でありながら、都市に人々が集中する要因を読み解くことができる。都市の資源はヒト、モノ、カネだが、その構成の中心をなすものはヒトである。そのヒトが中世日本の都市、京都に集中していた。
 そして、そのヒトの拠り所が「無縁所」だった。

 格差社会といわれながら、かつての日本には現代よりもさらに厳格な身分社会が横たわっていた。その厳格な身分社会において、縁を切られた者、切った者が混在しながらも生きていける場所が都市だった。社会的アウトローに分類される人々が中世における都市である京都に集中してきているが、寺社が営む商工業に従事し、なかには比叡山の僧兵という形で武力集団の一員となっている。その武力集団は比叡山の代表として政治に圧力をかけ、反面、比叡山における身分格差に異議を唱える集団でもあった。
 そこには宗教による平等思想というものが背景にあるが、現代日本における資源であるヒトは都市という枠のなかにおいて平等思想で守られている。自然の流れとして、窮屈な縁を切ってヒトが都市に集まるが、有形でありながら無形の都市は現代日本における教祖不在の新しい宗教なのかもしれない。
 
 武士による天下統一の以前、織田信長は比叡山の焼き打ちを仕掛けたが、このことは比叡山が既成宗教として社会に変革をもたらす存在ではなく、保守層が利権の確保に利用する場所になったことを打破するためのものだったのかもしれない。
 中世における日本史を朝廷、比叡山、高野山、武士という視点で見ていきがちだったが、「無縁所」から読み解いた本書は発想の転換をもたらしてくれた。
 この中世日本の姿をみながら、いまだ中東で解決しない民族、宗教紛争の陰にはヒトの権力という欲望が渦巻いていることにもつながっていると思えて仕方がない。
 果たして、都市という宗教はこれからの日本をどのように変革するのか、はたまた打倒されるのか、鴨の河原に集ったと同じようにネットカフェ難民が都市に集中する。その混乱のなかから、また新しい何かが生み出されていくのだろう。

 なお、読んでいておもしろいなと思ったのは、日本の歴史でありながら全ての歴史的事実の表記が西暦で表わされていることだった。ここに、なにか著者の意図が隠れているのではと思うが、それは次の機会にと楽しみにしている。

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2010/05/30 13:47

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2010/08/29 07:48

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2011/06/13 13:45

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2014/02/08 01:07

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2014/03/07 23:25

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2014/11/05 10:50

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2017/01/12 12:35

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2019/03/29 16:12

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2022/12/22 09:02

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2023/04/14 22:08

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