電子書籍
純音公害SF
2018/05/01 23:47
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投稿者:かんけつ - この投稿者のレビュー一覧を見る
音の公害、ノイズではなく純音というアイディアにまず感心。こういうパニックSFあったっけ。それだけでも価値あり。謎解き小説でもあるが、真実はかたられていない・・・かもしれない。
十二分に直木賞の価値を認めるのであるが候補作止まり。やはり直木賞は候補作の方が面白いと思うのは落選作家たちのファンの贔屓目なのかな。。
村上元三の評などSFを評価する資質はないとしか思えない。彼のSFの定義はかなり狭かったに違いない。
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レベル3到達が報じられた,十一月のはじめ,Sテレビ“ツィス情報”の視聴率は四〇パーセント台にはね上がった。
そして,ふつうだと六時五十五分ごろのセット・イン・ユース(総視聴率)は六〇パーセント程度なのだが,そのセット・イン・ユースが八二パーセントに達していた。ということは,つまり,いままでその時間にテレビを見ていなかった人が大勢“ツィス情報”を見るためにスイッチを入れているのである。
Sテレビとしては“ツィス情報”を独占しているのが,なによりも強みだった。
(本文p.159)
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ツィス音(二点嬰ハ音)が聞こえる、と訴える一人の女性。そこから大騒動が始まります。徐々に騒ぎが拡大し様々なところに影響を及ぼしていく、その過程は面白いし興味深いです。こんなところにも関係してくるのか、と。国や世界を巻き込んでのパニック作品は多々あれど、音による災害というのは聞いたことないですし。けど途中でラストがうっすら分かってしまい、分かってしまうと気抜けしてしまうんです。分からないで読めればそのほうが楽しいと思います。
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音が聞こえる。それからはじまるパニック小説。
そして、やっぱり、「マイナス・ゼロ」と同じく、地味だ。
以下、ネタバレありです。
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序盤の登場人物が入れ替わり「あれ?」と思っていたが
あまりのあっけなさに終盤に向けて再登場するあたりで
「やっぱり」と感じたが、謎解きを経てラストシーンを考えると
何気ない仕草も意味深。
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神奈川県のある市で聞こえ出した小さな音。ドイツ音名でツィスの音階だったため、『ツィス音』と名づけられた。音響学の権威である教授が調査するも、原因の特定には至らず、音は徐々に大きくなり、東京でも聞こえるようになる。
その後、原因も、対処法も見つからず、音のレベルはもはや、音を遮断せねばならないほどに達し、都では、一部の留守部隊を残し、全都民の疎開計画を実行する。
突如なり始めた正体不明の音によって、生活をするのが困難になる。この太枠の話に、色々な要素が絡みあって、物語は進んでいきます。精神異常に、公害、聴覚障害者などなど・・いったい、どの方向に進んでいくのか、見等がつきません。
そして、あれほど人を悩ませてきた音は、ある日唐突に消えているのです。
ラストで、精神科医が、『ツィス音』は、存在しなかったのではないか?教授が富と名声を得る手段として利用したのではないか?と・・その一番の証拠として「僕には一度も聞こえなかった」と言います。ぬお!となったところで、教授ともめて、精神分裂症とされ、入院させられていたテレビディレクターが、「聞こえなかったと言うのは、証拠にはならない」とひっくり返します。さらに違う陰謀をほのめかして終わります。結局、『ツィス音』の正体は分からずじまいで・・
あったのか、なかったのかもわからぬまま・・けれど、人々、特に東京の住民の生活を大きく変えてしまったなにかがあったのは事実。私としては、東京再生をかけた陰謀説をとろうかな。
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集団パニック物。とはいってもハリウッド映画のようなスペクタクルな展開はない。現実の日本にこんなことが起きたらこんな風に淡々と事が運ぶんだろうなと、3・11以降のネットを見て感じた。映像化するとしたらモチーフを「音」から「におい」に変えるといいと思う。
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ある日ふと気付くと、一定の高さを持つ奇妙な音が絶え間なく聴こえている――――。
そして、その音が何ヶ月もかけて、次第に、徐々に大きくなっていく――――。
そんな状況になったとしたら、個々人の生活は、そして全体としての市民生活はどうなってしまうだろう。広瀬正の『ツィス』は、我々の何気ない日常生活が特定の音によって脅かされる時、社会がどのように変容してしまうか、ということのシミュレーションとしても読むことが出来る。
きっかけは、神奈川県C市に住む逸見のり子という女性が、精神疾患専門医の秋葉に、「先生、あたし、このごろ耳鳴りがするんです」と相談したこと。逸見のり子は音楽に造詣が深く、敏感な聴覚と絶対音感を持っている。彼女によると、聞こえてくる耳鳴りの音は「ツィス」で、国際ピッチのツィス・五五四ヘルツより少し高い五五七ヘルツの純音だという。相談を受けた秋葉医師にはその「ツィス音」は聞き取れないものの、音響学の権威・日比野教授にこの話を持ちかけ、日比野教授は音の正体を探り始める。
日比野教授による「ツィス音」の調査が大々的に開始され、一般からの協力を求める為に、Sテレビでの情報番組で「ツィス音」が聞こえる人がほかにいないか、呼びかけることになった。するとどうだろう、「自分にも聞こえる」という数多くの人々がSテレビに名乗り出てきたのである。そして「ツィス音」が聞こえる人は、日を追って増えていき、神奈川県C市だけの騒音被害かと思われていたものが、東京にも波及する事態となっていったのである。
「ツィス音」を聞き取れる人間が増加しているという点から見て、その「ツィス音」は少しずつ大きくなっているのではないかという仮説が立てられた。日比野教授は「ツィス音」が増大していく段階を、レベル1からレベル6までの数値で表し、新しく発足したテレビ番組『ツィス情報』を通じて、東京都下に注意を呼びかけ始めたのであった。
レベル1からレベル6までの数値は以下のとおり。
◎レベル1 5-20ホン
騒音のない場所で、一部の非常に耳のいい人 (約5パーセント)だけに聞こえる。
◎レベル2 20-40ホン
75パーセント以上の人に聞こえる。
◎レベル3 40-80ホン
日常生活のじゃまになってくる。音楽の鑑賞 ができない。
◎レベル4 80-100ホン
会話に支障をきたす。思考能力が減退する。 夜寝られない。
◎レベル5 100-120ホン
会話が不可能になる。うるさくてたまらず、 多くの人が精神的、肉体的に変調を起こす。
◎レベル6 120ホン以上
人の住めない状態。耳が痛くなり、さらに音 が大きくなると鼓膜が破れる。
この作品では、各章のタイトルそのものがこのレベル分けに従っていて、「イントロダクション」「レベル1」「レベル2」「レベル3」��レベル4」「レベル5」「レベル6」「レベル0」「エンディング」という風に進行していく。簡素な章タイトルが目次に並ぶのを見ると、読む以前から音による被害と不安と恐慌とが、じわじわと否応なく高まっていくのが解かり、「レベル0」という章で事態が急転直下、収束することが予測できるようになっている。
「ツィス音」という眼に見えず、実体も定かではないものに生活を蝕まれていくパニック小説なのだが、民衆がワーワーキャーキャーと逃げ惑うような、雑な感じのする作品ではない。むしろ架空の話でありながら、上記の「ツィス音」レベルの設定から、聞き取り可能者の人数の設定、窓枠の隙間に張って防音する「ツィス・テープ」が爆発的ヒット商品となったり、高性能を謳っていた耳栓「ユ・ディエーズ」が、広告の不正表示で公正取引委員会の排除命令を受けたりするところまで、物語の細部という細部が非常に事細かに描かれている。読者側が(どうでもいいではないか)と思うような部分まで、広瀬正という作家は手を抜くことなく、(確かにこういうことも起こりうるだろうな)と読者が初めて気付かされるような詳細なシミュレーションを構築しているのである。
よく、「キャラクターたちが勝手に動き出して、ストーリーを作っていってくれるんです」とのたまう小説家や漫画家がいて、それはそれで、その人の物語の作り方だから私が異論を差し挟む余地などないのだが、この広瀬正なる作家のモノの作り方は違う。彼の場合、物語の細部から細部までがことごとく彼の手の内で計算され、支配され、管理されていて、その無駄の一切ない全情報・全条件が、彼の書きたい結末に向かって総動員されていくのである。我々読者が「偶然」の産物と思っていることも、彼には最初から計算し尽くされた「必然」であり、広瀬正は自分の作品に対して完璧なパースペクティヴ(視座)を持つ神のような存在となっているのだ。
そのことは、作中の文章に様々な形式・表現方法を用いて、現実味・臨場感を演出している点からも窺える。時には日比野教授や音楽評論家、交響楽団の常任指揮者、メゾ・ソプラノ歌手らを交えた座談会の記述があり、「ツィス音」対策商品についての新聞コラムがあり、あるいは「ツィス音」を利用して自宅に心地よい音響空間を作り出す「ツィス・ハーモナイザー」のご使用の手引があったりする。そして、物語の後半部分になるが、「ツィス音」で苦しむ東京都民に向けて出された天皇皇后両陛下の談話や、それに対する投書までが創作されているのである。この人の脳髄には、どれだけの非虚構的虚構が詰まっていたのだろうと、薄気味悪くさえなる。
そうこうしている間に東京の「ツィス音」は、とうとうレベル6となり、警察・消防・各官庁の代表からなる約二千名の留守部隊を除いて、全東京都民に疎開の指示が下されることになる。この留守部隊には疎開後の東京の姿をイラストにして残すために、イラストレーター・榊英秀(さかきふたひで)と彼の同棲相手でハーフのファッションモデル・ダイアン稲田(通称オイネ)が加えられている。物語は中盤から彼らの視点を通じて展開していくのだが、この榊英秀とオイネによって、「ツィス事件」の終止符が打たれることになるのだ。全都民を疎���させるためのシステムと実際の方途、その際の混乱、疎開を拒んで一家心中を遂げた家族などのことが、ここでもまたリアルに書かれ、がらんどうになった東京で起きる出来事の描写に、読む者はふっと口をつぐむ。
イラストレーター・榊英秀(さかきふたひで)に「ツィス音」は決して聞こえない。なぜなら彼は後天的に聴覚を失った人物だからである。彼は、健康な耳を持つ人々が「ツィス音」に悩まされ、耳栓の手放せない生活を送るがゆえに擬似的な聴覚障害者となったことに同情している。しかし時折、彼の心の隅に(耳の聞こえない俺の気持ちがやっと分かったか)というような復讐的気分が顔を覗かせるのだ。『ツィス』という作品は、音に悩まされる大勢の人間のパニックを経(たていと)としながら、緯(よこいと)として、耳の聞こえる人間とそうでない人間の意識の相違、聴覚障害者が受ける差別待遇の数々が提示されている。
この作品自体が四十年以上前に書かれていることと、主要登場人物の身体的特徴から、どうしても「つんぼ」という語が頻出する。ここ最近小耳に挟んだり、活字として目にすることは激減し、若い方が「つんぼ」という語に触れれば、多少のショックがあるかもしれない。しかし私が子供の頃は日常的によく聞かれる言葉でもあった。そして私自身に投げかけられる言葉でもあった。
どこかの記事で書いたような気もするが、探し出せないので改めて書いてみる。
私は生まれつき右耳が聞こえない。完全な聴覚障害ではないが、使える耳が片方しかない分、会話の聞き取りに苦労する時がある。雑踏、にぎやかな飲食店、必要以上にテレビの音量を大きくした室内などなど、邪魔な雑音が飛び交う中では、聞き取りたい音声が上手く拾えず、かろうじて拾えた音声も言葉としての区切りがどこにあるのか、とっさには判らない場合が往々にしてあるのだ。聞こえる左耳も年を取ると共に性能が落ちてきているような気がするし、何よりもまず(聞き取らねば!)と気構えるだけの集中力が持たなくなっているから、他人との会話そのものがかなり億劫な状態である。この『ツィス』を読むと、榊英秀が経験してきた、聞こえないことに対する差別や劣等感といったものが、私の場合、よく理解できるのである。
子供時代というのは残酷なもので、私が何度も聞き直すことや、聞こえる耳を一心に相手に向けることを不審がり、露骨に嫌な顔をする子もいたし、面倒くさそうに、うんざり顔を向ける子もいた。蔑むように「つんぼ」と言われたこともあれば、「女の子なのにつんぼだなんて可哀相ね」といったような憐憫の意味で使われたこともある。そんな子供時代が影響してか、私は独りで読書に耽ることを何よりも好む人間に成長してしまった。読書それ自体を愛しているけれども、私が本を読むのは、それが精神的にも肉体的にも一切負担のかからない、ただひたすら悦びだけを感じていられる現実逃避の装置にほかならないからだ。
そんな私が云えることは、この小説にどれだけ繰り返し繰り返し「つんぼ」という言葉が出てきても、それは作者の広瀬正が差別助長の意味で、そして聴覚障害者の気持ちに対する無理解から、この語を使用しているのでは決してない、ということである。彼はむ��ろ、健常者と聴覚障害者の間に横たわる断絶をあぶり出し、榊英秀という人物を通して具体例を示し、「ツィス音」の被害という未曾有の出来事によって、聞こえる者・聞こえない者の歩み寄りを象徴化しているのだ。榊英秀に対して<つんぼのくせに、ふらふら歩いているから、いけないんだ>というタクシー運転手も、<つんぼが、余計な手間をとらせやがって>というデパート店員も、「ツィス音」によって、彼を始めとする聴覚障害者と結局同じ立場に立たされたのだから。
この一連の出来事が、どのような形で終焉を迎えるかは、勿論読んでからのお楽しみである。「ツィス音」の正体が最後の最後に明かされるのだが、それすらも人間の主観的な知覚を問題にしている以上、疑ってかからなくてはいけないのかもしれない。『マイナス・ゼロ』を読んだ時もそうだったが、四十年近く前に世を去った作家が、こういう結末を用意できるなんてという感嘆の想いがする。
これから読む方には、この小説を面白いパニック小説として読んで頂きながら、かすかに浮き出している緯(よこいと)の部分も併せて考えてみて欲しい。これは虚構ではあっても、障害を持つ者と持たない者という、現実的で身近な問題を扱ってもいるし、障害を持つ人々に向けての、広瀬正の細やかな観察と友情が見て取れる作品となっているからである。
平成二十二年六月十一日 読了
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今読んでも新しい斬新な小説で驚いた。
あらすじを書くと、ある日突然、不思議な高音が聞こえ始め、その音が徐々に音量を上げながら、東京に向っていく。この謎の音の公害で、首都機能はストップし、東京は混乱に陥る。果たして音の正体は?
得体の知れない音が町を襲うという設定がすごい。
現代都市において、騒音のストレス、生活音のノイズに対して、神経質になってきていると思うので、かなり予見的であると思う。
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理系の方にはおすすめしたい本。
ジャンルとしては「SF・パニック小説」となるんだろうけれど、非常によくできた思考実験のよう。
「日本中でツィス(C#)が聴こえる」
という条件の下に起こりえる状況を非常に細かい所まで考えている。
他の人のレビューを見てみるとオチにがっかり、という人が多い気がしますが、個人的には「なるほど」と思いました。
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こんなこと起きたらどうしよう。
簡単に騙される側に居る自分が容易く想像出来るんだが…。
集団疎開ってどうなのかな。難しそう。
簡単には移動出来ない財産持ってる人っているし。
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読んでる途中結末はどう迎えるんだ?と不安に思ってしまったが、まんまと騙されました。豊富な知識と情報量、緻密な構成が成せる技ですね。ツィス音が神奈川県C市(湘南の某市のことでしょうか?)から東京都へと騒音被害が拡大していくパニック小説。所々昭和を感じさせる演出もいいですね。T型フォードの実物は見たことないな~。ツィス音が題材として扱われたが、振り返ってみるとメディアを通しては数多くこのような現象が起きていましたね。
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広瀬正のツィスを読みなおしました。この本は昔読んで面白いと思った本だったので、文庫が再販されたこともあり、読み直しました。ある女性から奇妙な音が聞こえるという申告があり、それがだんだんエスカレートして首都圏に大打撃を与えてしまうという物語でした。物語としては、読みやすく面白く読みました。SFなので、ちょっと無理な設定があっても仕方がないのですが、読み直してみると現実的にこの設定でこの状況は発生しないだろう、と考えてしまいます。しかし、インターネットで常時情報過多になりつつある現在では、別の意味でこのような事態が起きる可能性もあるなあ、と振り返って考えてしまいました。
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ラストがやはり秀逸。
ツィス音のレベル1が、「一部の非常に耳のいい人だけに聞こえる。」
としているのに、表現の妙があるなと思った。
「目に見えないもの」への集団心理なんて、30年経ってもあまり変わって
ないように感じる。情報の取捨選択をしっかりできるようになりたい。
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大好きな広瀬正、中でも一番好きなのがこの「ツィス」。
「どうなるの?」とドキドキしながら読み進め、最後の落ちにまんまとやられました。
この時代にこの内容を書いた先見性に脱帽。