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- カテゴリ:一般
- 発売日:2008/11/28
- 出版社: 角川学芸出版
- サイズ:27cm/1343p
- 利用対象:一般
- ISBN:978-4-04-621962-6
- 国内送料無料
紙の本
江戸時代語辞典
【毎日出版文化賞(第63回)】上方語から江戸語までを網羅した、江戸語辞典の決定版。俳諧、黄表紙、歌舞伎、人情本など、あらゆるジャンルから語彙・成句2万1千項目を集成。生き...
江戸時代語辞典
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商品説明
【毎日出版文化賞(第63回)】上方語から江戸語までを網羅した、江戸語辞典の決定版。俳諧、黄表紙、歌舞伎、人情本など、あらゆるジャンルから語彙・成句2万1千項目を集成。生きた江戸語に触れ、日本文化を理解することができる。巻末に出典一覧を付載。【「TRC MARC」の商品解説】
前期の上方語から後期の江戸語までを網羅した江戸語辞典の決定版。近世文学研究の泰斗故潁原退蔵博士の遺稿が結実。2万1000余の項目に約5000の出典から4万2000の用例を収録。巻末には出典一覧を付載。【商品解説】
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紙の本
なんともミーハーな書評紹介。
2009/04/05 09:43
11人中、10人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:和田浦海岸 - この投稿者のレビュー一覧を見る
まったくもって、ミーハーな私であります。
この本。とても私には手が出せない金額であります。
その癖して、なんとも開いて見たい誘惑に駆られます。
というのも、魅力ある書評を読んだからなのでした。
それではと、ミーハーなわたくしは、どう考えたか。
魅力のある、書評を取り上げるという変則ワザ。
つまりはね。書評の紹介なのであります。
やっぱりね。いいものは、書評でもいいのであります。
それに、私に手が出なくても、他の方は別かもしれません(笑)。
ということで、はじめます。
はじまり。はじまり。
2009年3月30日のコラム産経抄はこうはじまっておりました。
「国文学者の尾形仂(つとむ)さんは戦後まもなく、昼食の握り飯を包んでいた新聞で、恩師の訃報を知った。恩師とは、近世文学研究の大家、頴原退蔵博士だ。戦前に東京文理科大学の学生だったころ、俳文学の指導を受けていた。尾形さんは卒業後海軍へ入り、当時は土木の仕事に就いていた。・・・・」
ところで、頴原退蔵(えばらたいぞう)博士というのは、いったいどのような方なのでしょう。 私は未読。そういえば、林望氏の文に、登場しておりました。 その箇所を引用。
「私は学者の世界に長くいたけれども、学者たちが書く文章は、ほんとうに下手くそなのが多い。それも気取りに気取って、生半可で・・・私は学者先生の書く学術論文というもは、ほんとうに読みたくない。なかには、戦前の古典学者池田亀鑑(きかん)博士や、近世文学の頴原退蔵博士のように、高度な内容を分かり易く面白く書ける先生もいたけれど、それは例外で、現代ではほとんどそういう人は見かけなくなった。・・・」(p125~126・「日本語は死にかかっている」NTT出版)
話をもどして、産経抄。
尾形さんは遺族にお悔やみの手紙を送ったことが縁となり、頴原氏の次女、雅子さんと結婚することになったそうであります。学究生活へと戻る。その続きを引用してみます。
「頴原氏にはやり残した大きな仕事があった。江戸時代の言葉を網羅した辞典の完成だ。昭和10年ごろから、用例を集めてカード作りを始め、その数は10万枚に達していた。【江戸語辞典執筆半ばに父逝きて用例カード空しく遺りぬ】。雅子さんは自らの歌集『夜の泉』のなかで、父の無念をうたっている。やがて夫婦は静かに年輪を重ねていった。・・・尾形さんの脳裏から、義父の辞典のことが離れることはなかったようだ。古希(70歳)を迎えたのを機に、教え子たちに呼びかけ、完成をめざした。【用例の乏しき中より語意を汲むと腐心の夫に父が重なる】。そんな夫を見守ってきた雅子さんは、辞典の完成を見ることなく、平成18年に79歳で亡くなった。『江戸時代語辞典』(角川学芸出版)が、「構想70年」と銘打たれて刊行されたのは、昨年11月のことだ。【妻雅子に対し、やっと約束を果たすことができた】。辞典の前書きの欄外に、小さな文字で記した尾形さんは26日、雅子さんの待つ浄土に旅立った。89歳だった。天寿を全うするとは、このことをいうのだろう。」
その日の産経抄の、ほとんどを引用してしまいました。
ところで、尾形仂ご夫婦をむすびつけたところの「握り飯を包んでいた新聞に」という箇所に私は興味を持ちました。 そういえば、お祭りなどの屋台で、焼きソバは、その昔は新聞紙の切ったのが皿の代わりになってました(笑)。
終戦直後のようすは、どうだったのか。
「幸田文台所帖」(平凡社)にこんな箇所がありました。
「戦争のおにぎりは、新聞紙のおにぎりだ。木の葉ならばいさぎよいものを、新聞でじかに包んだおにぎりには、紙のケバがくっついて活字のあとがしみていた。印刷のおにぎり、文字のめしである。それをたべてしまうのだった。印刷おにぎりを超満員の列車の便所の扉に押しつけられながらしみじみ眺めていて、同行のある出版社の青年は『無条件か、―――」とわんぐり食いついた。・・・・」(p36)
むろん推測なのですが、尾形仂氏の戦後を決定する「昼食の握り飯を包んでいた新聞」というのも、そんな感じだったのではないでしょうか。