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イスラム原理主義という因習的社会のなかで疎外された2人の女性。屈辱を受け、苦しみに希望を失いそうになりながらも、互いに通わせた心と心を支えに、より善く生きるための選択を重ねて行く。
2009/03/07 12:47
6人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:中村びわ - この投稿者のレビュー一覧を見る
カーレド・ホッセイニは、全世界で1000万超という驚異的な部数に達したベストセラー『君のためなら千回でも』の作者である。
『君のためなら千回でも』は、めまぐるしく政権が変わったアフガニスタンの現代史を背景に、幼い頃から兄弟のようにして育った2人の男性の関係を軸にした物語であった。それと重なる背景のなかに、2人の女性の関係を置いて書かれたのが本書『千の輝く太陽』である。2人の女性は違う場所で生まれ育ち、たまたま一緒に暮らすことになった。そして、因習的社会のなかで疎外され、屈辱を受け、苦しみに希望を失いそうになりながらも、互いに通わせた心と心を支えに、より善く生きるための選択を積み重ねて行くのである。
第一部では、マリアムという私生児として生まれた薄幸の女性の、少女時代から不本意な結婚生活の数年までを追いかけている。第二部になると、ライラという進歩的な家庭に生まれ育った女性の少女時代から、突然の悲劇で運命ががらりと変わってしまう事件までが書かれている。
マリアムとライラの受難がどういうものであったか、2人がどのようにしてめぐり逢うことになるのか、そしてまた彼女たちが出逢ってから待ち受ける人生の困難がどのようなものなのかといったことを明かしてしまうと、これから読む人の興をそいでしまうだろう。
第三部に入ると、「マリアム」と見出しがつけられた章と、「ライラ」と見出しがつけられた章が代わる代わる登場する。これも何が起きたかを具体的に紹介してしまえば、こういう構成の効果がもたらす面白さも半減してしまうように感じる。説明がなかなかに厄介な小説なのである。
そこで、あらすじというところから離れて、作家が何を問題にして小説を書いたのかというところからの紹介を試みることにする。
前作『君のためなら千回でも』には、内紛や戦争、身分格差や社会の在り方というものが、どれだけ一人ひとりの人生を狂わせてしまうかが描かれていた。そういうなかにあっても、個人が大切にすべきは「義」を貫き通すことであり、前向きに為すべきことを為さねばならないというメッセージが読み取れた。それを表現するために、友情や親子の絆、贖罪といったテーマが扱われていた。
『千の輝く太陽』でも、作者のそのような主張の姿勢は変わることなく踏襲されている。しかし、今回特に焦点が当てられたのは、イスラム原理主義社会にあってのフェミニズムということになろうか。
マリアムは結婚して初めて、夫にブルカを着用するようにと言い渡される。頭巾の部分に詰め物があり、目の部分に空いた網を通してだけ外の世界を覗けるようになった、全身をくるむ襞つき布である。女の顔は夫だけのものであり、女には見てはならないもの、言ってはならないことがあるというのだ。
彼女は外出も制限され、限られた空間の中で生活することを強いられる。それは夫の出身地での慣習だったわけだが、結婚から短くはない時間が過ぎた1992年、共産主義政権が崩壊し、アフガニスタン・イスラム国が成立すると、それまで個人の選択であった女性の生活や服装の在り方は、社会的に規定されるようになる。女性は皆が皆、ブルカで体を覆うことを義務づけられたのである。
ムジャヒディーン政権の基盤は弱く、そこから内戦が始まり、やがてタリバンが台頭、1996年秋に首都カブールがタリバンにより制圧される。そうなると、女性は化粧、宝飾を禁じられ、仕事を奪われ、それどころか公の場で笑うことも男性に自ら話しかけることも禁じられる。少女たちからは教育も取り上げられる。
また、抑圧は女性ばかりではなく、社交や文化との触れ合い、学問にも及んだ。歌唱や舞踊の禁止、トランプやチェスなどのゲームも凧揚げも、本を書いたり絵を描いたり、映画を見ることも禁止となるのである。
ここで誤解してならないのは、イスラム教がそもそも女性蔑視を謳った宗教ではないということだろう。そして文化の享受を禁止する宗教でもない。
フェミニズムの方にのみ絞って考えていくとすると、イスラム社会で男性が複数の妻をめとることが許されているのは、そもそも戦乱の時代に男性が少なかったことに関係しているらしい。
その独自の結婚観とは別に、男女が立ち入る空間を区別するというイスラム社会の慣習もあった。こういった宗教や慣習の特徴を歪め、悪用する形でイスラム原理主義やタリバンによる女性の抑圧、虐待が行われているようなのである。
作者のホッセイニは、あからさまに「イスラム教ではなく、原理主義こそが女性の権利を侵害している」とは訴えていないので、彼がどこまでそれに意識的にこの作品に取り組んだのかは分からない。しかし、マリアムの夫のような個人、あるいはタリバンのような為政者などの物の考え方こそが多くの女性を肉体的にも精神的にも傷めつけていることが伝わってくる。
デビュー作『君のためなら千回でも』で作者は、比較的穏やかだった共産主義政権下の社会のあとに、市民たちがどのように日常生活を断ち切られ、家族や地域の共同体から離散し、考えてもみなかった環境で新たな生活を築きあげていく破目になってしまっていたのかを描いていた。少年であった主人公は米国に亡命し、そのこともあって自ら壊した友情に対し、長く修復の機会を得られなかったのである。ソビエト軍、タリバン、米軍といった外圧に翻弄された市民たちの生という構図が大きなテーマとして世界に問われた。
一方、この『千の輝く太陽』では、2人の女性が自らの意思では思うように切り拓いていけない人生を、イスラム原理主義の内部における問題として、内部告発的な視点で世界に紹介している。
いくら独自の慣習や価値観があるとしても、文化というものは、あるいは文化という隠れみのを被った主義というものは、個人の領域にどこまで立ち入って良いのかという問いかけがあろう。
物語の終盤、弱い立場にあるマリアムとライラには、抑圧された生活の局面をがらり変えてしまう出来事が起きる。その出来事をホッセイニは、彼女たちの前向きな意志の力から起きたものとしては書いていない。偶発的に起きたこととして書いている。それは注目すべき点である。
タリバンで訓練されている兵士たちのなかには、戦争孤児として寝食を与えられ、生き方の選択が1つしかなかった子どもも少なくないようである。子ども時代に、イスラム原理主義とは異なる価値観に触れたマリアムとライラは疑問や不条理を感じることもでき、だからこそ我慢の限界に向かっていく。そして、それが限界に達する瞬間を迎えた。しかしながら、別の物の見方をよく知らないままに育ったとき、疑問や不条理、我慢はどうなるのであろうか。
アフガニスタンの復興と市民の再生を願いたくなるような、光射すラストが用意されてはいる。だが、女性史やマイノリティの問題に興味がある向きにとってだけではなく、異文化との共生が誰にとっても無関係ではない現代にあって、なかなかに厳しい現実をこの小説はつきつけてくる。
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珍しく本屋で目に留まり、購入した本である。
久しぶりに、長編のフィクションを読んだ。いや、一気に読み上げた。
おそらく、中東やあちらの単語に不慣れな人には読みにくいところもあるが、女性の視点を通して、アフガニスタンの情勢やムスリムの間での女性の地位、状況、教育状況、地域の雰囲気が伝わってくる。また、それだけでなく、不器用な愛情を、そして、・・・せつなさを・・・ひしひしと感じてしまった一冊。カーレド・ホッセイニの作品は初めてだが・・・泣かせてくれるじゃないか。最後の手紙が効いている。
BGMには、M.Jの「Human Nature」がぴったり合う。いや、勝手に、頭の中でリフレインするのだ。優しく、甘く、切ない”why、Why・・・”という、あのメロディとフレーズとが。
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主人公の一人は私と生まれた年が近い。
もし自分が日本でなくアフガニスタンに生まれていたら、
こんな過酷な運命がきっと用意されていたのだろう。
その時私はこんなに力強く生きられただろうか。
どんな状況にあっても最善を尽くせる人間でいたい。
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望まれぬ子として生まれたマリアムは、粗末な小屋で母と暮らしている。父は土産を持って毎週娘を訪れるが、兄弟達に逢わせることも、経営する映画館に連れて行くこともしない。ある日、マリアムは父の屋敷を突然訪れ、その扉を叩いた。それが、悲劇の始まりになるとも知らず…。そして彼女の人生は闇に包まれる。二十年後、聡明な少女ライラとの間に、美しい心の絆が生まれるまで。アフガニスタンの激動の歴史に翻弄されながらも力強く生き抜く女達の姿を感動的に描き、2007年度全米年間ベストセラー1位を記録。『君のためなら千回でも』著者の傑作長篇。(「BOOK」データベースより)
『君のためなら千回でも』の著者が書いた作品と知り、前回感じた感動を再び感じたくて、手に取った一冊です。
前作品では男性が主人公だったので、アフガンで起こった悲劇&それに伴って引き裂かれた彼らの友情に重点を置いてストーリーを追って行ったのですが、今回の主人公は女性たち。
アラブ世界の女性の立場が、今だそう高くはない事は知っていたつもりだったのですが、ここまでひどい扱いを受けているとは・・・。
今回は、「女性である」というだけで望みを奪われた悲しみも加わって、前作品より一層深みのある内容になっていました。
ハラミー(不義の子)と呼ばれ、父からは中途半端な愛情を、母からは罵倒と不器用な愛情を授けられつつ小さな小屋で生活してきたマリアム。父の家に行く、というただそれだけの行為の為に、母を失い、父の庇護も失い、父の家族から遠方の見知らぬ男へ嫁げと言われるマリアム。
単なる契約のように結婚し、妻と息子を失った中年男の為にひっそりと尽くすも、妊娠しても子が流れるばかりの妻に苛立ち、手を挙げる夫に耐えるマリアム。
年降りしのち、孫ほどに年の離れた第2の妻の世話をまかされるマリアム。
彼女の人生は、本当に不遇だと言わざるを得ないものでした・・・。
けれど夫が迎えた第2の妻・ライラとの間に奇妙な友情が育まれたのちは、彼女の考え方がゆっくりと変わっていくのです。
愛されず、愛することも知らず、自分の人生に希望を持つことができなかった彼女が、ライラとライラの子供たちのために、とある勇気ある行動をとるのです。そして
「あたしはここで終わっていいんだ。もうほしいものはないもの。小さい頃に願ってたことは、あんたと子供たちが全部かなえてくれた。あんたたちに大きな幸せをもらった。いいんだよ、ライラジョ。あたしはこれでいい」
何も持たなかった小さなマリアムが、大きなものを得、もうなにもいらない、と満ち足りた想いを感じるのです。
多くを持ちつつ、何も得ることがない人たちと比べて、はたしてどちらが真の幸福と言えるでしょう?
マリアムがとった選択はつらく悲しい。でもそこにあるのは悲しみだけじゃない。
虐げられ、うつむいて生きていく事を強いられた一人のアフガン女性の心が、強い輝きを発した一瞬でもあるのです。
このマリアムの行動のために、ライラたち一行はタリバンらの戦闘集団から無事逃げのび、復興し始めたカブールに戻ることす��可能になります。そこで彼女は愚かで哀しい父親の、愚かで哀しい手紙を読みます。
それはマリアムに届かなかった、彼女の父親からの手紙・・・。
この手紙がマリアムの手に渡っていたら、もう少し彼女の運命は変わっていたのでしょうか・・・。
「もしも」の話をするのはせんない事とわかってはいるのですが、あまりに過酷だったマリアムの人生を想うと、ほんの少し、「来るかもしれなかった違う未来」の想像を、彼女の為にしてあげたいという気持ちになるのです。
それでも彼女は、いつかはライラたちのために命を投げ出したのかしら?
ふとそんな気がしたりもするのですが・・・。
ラスト一行に込められたライラの想いもとても深いです。
さりげなく、美しい未来を約束してくれるような。
そんな希望に満ちた一行です。
自分らしく生きることができない環境で、それでも自分の意思を失わずに生きた一人の女性の生き方を、その未来がしっかりと受け継いでくれるのでしょう。
神ではなく、人だけが灯し得る希望の光。
暗闇に差し込む、そんな一筋の光を感じる一冊でした。
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前作の『君のためなら千回でも』も面白かったが、この作品はさらに面白かった。アフガニスタンで女性が生きて行くことが、いかに困難であるのかを理解できる。ストーリーとしても一流のエンタメといえる。
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時代は紛争中からアルカイダ登場、さらにビンラディンの出現まで。
この時代に生きた2人の女性の人生を通して
アフガニスタンという国と人と時代を描ききった秀作。
たぶん時代とか国とかいう縛りがあるから面白いのですが
国籍、性別などに縛られなくても
物語として、すごく奥深く、余韻の残る作品。
知らない国のできごとだからこそ、
次はどうなるかわからずに、
主人公たちと一緒に不安を抱えながら進んでいける。
ドキュメンタリー番組や新聞より、
アフガニスタンのあり様が心に迫る小説でした。
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作者はアフガニスタンからアメリカへ亡命した人物。
共産主義の時代からその後に続く内戦の時代へ。この中で生きる二人の女性を軸に話は進む。
とにかく…なんというか…
読んでいて自然と口許に手が行き、眉間に皺が寄ってしまう。
「なぜ!」と思ってしまう。
アフガニスタンがずっと内戦状態にあること。タリバンって勢力があること。イスラム原理主義じゃ女性は蔑視されていること。
ニュースで何度となく聞いていたけれど、それがどういうことなのか私は全然分かってなかったんだな。
マララさんがノーベル賞を採ったけど、それはこういうことだったんだ…。
物語のラストには希望が見出だされるけど、たぶんほんとの世の中にはそれさえもない場合の方がずっと多くて…どんな感想を言っても偽善になるような気がしてしまう。
ちゃんと伝えたいことがあって書かれる本はなんて強いのか。
日本に住んでいる私はとても恵まれているんだなと、ただただそれは強く感じた。
もっとちゃんと生きないといけない。
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こういう世界があることは知っていたつもりでいたけれど、
ドラマチックに描かれた、でもおそらく現実にもあるであろう物語を読んで、
いかに自分が何も知らなかったのかを思い知らされた。
厳しい環境や社会の中で、それでも心に希望を持って生きる強い人に、
その生き様に、本当に心を打たれた。
宗教や教育、食べるものや話す言葉、肌の色や目の色は違っても、
やっぱり同じ人間なんだから、戦争や差別は無くなって欲しいと思う。
自分には何が出来るだろうか・・・
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図書館で。君のためなら千回でもを読んだので他の本も読んでみようと借りてきました。本当に男ってやつは…という感想です。イスラム圏に限らず男女平等というのは表面ではうたわれているもの中々実現はしていない。それにしても女性に暴力をふるう男というものはなんなんだろう。自分を産み、自分の子を産む女性という存在を何故そう差別し虐げられるのだろうか。理解に苦しみます。前作を読んだときも思ったけどとかく知らない人間だとアフガン=タリバンの支援者の国と思いがちですがそんなことは決してなく中には反対する勢力もあり内乱状態の国には必ず苦しんでいる弱者が居る。女性を診察することをタリバンが禁じたとか本当に憤りを感じます。
弱者である女性たちが助け合って何とかできるほど生きやすい世界ではなかったのですがそこには希望がある。最後は泣いてしまいましたよ。戦争は嫌だなあ、教育って必要だよな、と改めて考えさせられる本でした。
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読みやすくドラマチックな小説を低くみなす人もいると思うけれど、それによって多くの人々が世界の重大な問題に気付けるのなら、その力は難解な純文学をはるかに超えると思う。
この作品はソ連侵攻以降のアフガニスタンの庶民の生活、政治状況をリアルに理解させてくれた。ソ連支配下にもいい面があったこと(共産主義では人民は平等なので、女性も学校に行けたし、職にもつけた)、その後のイスラム過激派がなぜ血で血を洗う抗争を続けることになったかなど。
不義の子として生まれ、15歳で30も年上の男と結婚させられるマリアム。恋愛結婚した教養のある両親の元に育ち、恋人もいたライラ。平和な時代なら決してクロスしなかった二人の人生が重なってしまう。そのこと自体は不幸である。しかし彼女たちのつながりによって生まれた、自己を顧みないほどの愛は胸を打たずにはおかない。
これを読むと厳格な(あるいは過激な)イスラム主義が生まれた理由もわかる。しかし、その実態は女性の人権を踏みにじるものであることも。
この本がとてもいいのは、虐げられた女性を主人公にしても、彼女たちの魂の高さ、生き方の美しさを読者にしっかりと理解させること。単に可哀想な女性ではない、逞しさと気高さがきちんと描かれている。もちろん物語の運びもうまい。
個人的には厳しい家長制度のあった時代の日本でも同じような女性はいたと思うし、今でも世界中にこういう暮らしを強いられている女性がいるだろうと思う。「おしん」がアジアやアラブでヒットしたように、こういう本もそういう女性たちに届けばいいと思う。
土屋政雄の訳もよかった。
読みだしたら止まらないリーダビリティのある本。読書をあまりしない人にも薦められる。
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望まれない形で生まれた子供。
その子が、苦しみながらも生きることをやめない勇気。この子に一度も自殺という考えが脳裏によぎっただろうか。
アフガニスタンという過酷な環境。
強いられた結婚。
夫からの暴力。
戦争で両親を無くした子が新しい夫として迎えられる。
これが生きるということ。食事ができて、寝る場所があれば、それが生きるということ。
殺人の行為そのものは悪いけれど、殺人を犯した人が悪い人とは限らない。
とにかく素晴らしい本。また読みたい。
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この本を手に取ったのは、表紙に本の厚さ以上の深い意味を感じ取とり、訳に土屋政雄さんの名が見えたので読み始めました。
保護対象外として生まれ落ちたマリアム。一緒に暮らす母ナナ。ナナ以外に何人もの妻子がある父親。幼いマリアムはときどき会いに来る父が教えてくれる外の世界を純粋に見て見たかった。耳に心地よい言葉だけを父から聞き、母の言葉は信じなかった…
それにより、マリアムには長い長い間、強制的に結婚させられた夫から苦痛を与えられ続け、それに耐え忍ぶ未来が待っていた。
一方進歩的な父に恵まれ、聡明な女性に育つライラ。義足を振りかざしてでもライラを守ってくれる幼馴染タリーク。お互いを想い熱を持った手を重ね、光輝な未来を描いていた―上空から爆音をさせながら降りてくる黒い物体が、町の人々を粉微塵にするまでは。
その後、縁がマリアムとライラを結び、共に耐え忍び、理不尽がまかり通る現状に対し強い心で挑んだ。
決して安全とは言えず、恐怖と銃で人々を支配する国に暮らすマリアムとライラ。瓦礫の下から娘の死体を泣き叫びながら探す母親。少女は年端もいかない頃に結婚を強制させられ、子供はおもちゃで騙され四肢を吹き飛ばされる国。本の中の世界のことだけとは思えず、辛すぎ、息をつめ、手で顔を覆いました。
描かれる政治紛争、9.11― 私がまだ幼く難解すぎて理解できなかった出来事です。でも、今こそ理解すべき努力をする時がきたんだと思いました。日本で生きていれば生涯聞くことのない銃声を、生活音として聞いている国の人たちのことを知り、なにに希望を見つけ、どう生きているのかを知る努力です。
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カーレド・ホッセイニの二作目。母娘の物語、といっていいだろうか。
無責任な父を信じ母を疑った罪悪感を抱えて、暴力的な家庭に押し込められ続けた女が、最後に幸せな母になる。悲劇でもあり、でもそれを、明日を生きるために逞しく歩いていくアフガニスタンの女性たちの姿がたまらなかった。彼女たちが、好きなときに好きな格好をして大好きな『タイタニック』のレオ様に会いに行けるような日々が続きますように。