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バルセロナにコーチ留学?していた村松氏が経験とサッカー理論について書き上げた本。
フラクタルやカオスなどサッカーとは関係ない理論が登場し、サッカーが上手くなるために必要な考え方を説いている。
本書に何度も登場する「サッカーはサッカーをやることでしか上手くなれない」という言葉が本書の全てである。
サッカーだけじゃなく、何に対してもいえそうなことである。
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日本、それは世界一をとるには難しいかもしれない。日本サッカーはものすごく施設も充実していて、プロリーグもあるのだから世界のトッププレイヤーたちといい勝負ができると思いますが、日本はいつも中途半端でワールドカップも敗退してしまいます。選手がよわいとかではないと思いますが、結果がすべての世界では選手たちのせいになってしまいます。じゃぁーどうすれば、日本は強くなるのか?テクニックがないからとかではないですし、現に中村 俊輔というテクニカルなプレイヤーもいますから。やはり気持ちの持ちようで世界と同等な戦いができるのではないかと思います。そんな日本サッカーの欠点などツズッている一冊であります。
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大学卒業後スペインに渡り、10数年ユース世代のサッカーコーチを務めてきた村松尚登さんが、「日本のサッカーに足りないものとは…?」を自身の経験を通して述べている著書。中学校でサッカーコーチのアシスタントをしている後輩から薦められて読んでみた。
大学卒業からスペインでコーチすることになったいきさつ、FCバルセロナのスクールを含めてコーチをする上で明らかになった日本とスペインの違い、そしてスペインで得た考えが具現化されている「戦術的ピリオダイゼーション」との出会い。
日本サッカーに足りないものが、あくまで“サッカー”から論理的に述べられているのがこの本の特長。自分の中でもサッカーに対する考え方が改まった部分があった。このレベルでもっとオープンに議論されることが、日本サッカーにとって望ましいのだと感じた。
「サッカー人口全体の経験値の差は、一過性のものではなく、継続的に毎週さらに広がっているという点も見逃せません。「日本も成長しているが、強豪国はそれ以上のスピードで成長している」という表現がときどき使われますが、もしかしたら、そのスピードの差は大会運営の差、すなわち「毎週末に起こっているサッカー人口全体の経験値の差」から生まれているのかもしれません」
「サッカーはサッカーをすることで上手くなる」
「計画的に指導したいが故に“サッカーの本質”から遠ざかったトレーニング“ばかり”していては本末転倒なのです」
「サッカーはカオスであり、フラクタルである」
「戦術的ピリオダイゼーション理論の斬新さの最大の理由は、同理論を構築する上で採用されているパラダイムが、「機械論パラダイム」ではなく「生命論パラダイム」だという点です」
「“サッカー”は切っても切っても“サッカー”」
「サッカーの“カオス”と“フラクタル”という特徴を考慮した戦術的ピリオダイゼーション理論を応用して練習メニューを構築すれば、“大切な何か(=ゲーム性=面白さ)”が失われることはなく、その結果、子どもたちは常に“サッカーの楽しさ”を満喫しながらトレーニングに励むことができるのではないでしょうか」
「監督が個人的に好きな“プレーモデル”とチームが目指すべき“プレーモデル”は必ずしもイコールではない(中略)“プレーモデル”自体が“カオス”だとすると、監督の好みがチームの“プレーモデル”の決定に影響を及ぼすと同様に、選手の好みや長所や短所もチームの“プレーモデル”の決定に影響を及ぼすことになります」
「戦術的ピリオダイゼーション理論にとっての“戦術”とは“サッカーそのもの”なのです」
「戦術的ピリオダイゼーション理論はまさにこの“作詞・作曲をしながらギターを弾く”状態を目指していると言えるでしょう。チームのプレーモデルが“習慣化”されるようにトレーニングを積んだ結果、「プレーモデルに沿ってプレーしながら想像力溢れるプレーもする」状態に到達したいのです」
「毎試合毎練習ごとに選手たちが受ける肉体的疲労と精神的疲労の総和(=戦術的疲労)が数値化できないと同時に予測不可能だとしたら、長期や中期のスケジュールを一旦捨て、毎試合と毎練習の動向を窺いながら習慣スケジュールを随時構築していくことのほうがサッカーの本質に根ざしたトレーニングスタイルなのではないか、と同理論は提案している」
「まずは細部にとらわれずに、“サッカーの本質”にどっぷりと浸かり「サッカーそのものを上手くなる」ことに集中することが大切なのではないでしょうか。足りない部分を補うのは、サッカーそのものが上手くなってからでも決して遅くはないはずです」
「多くの“万年補欠”の犠牲の上に成り立っている日本代表の強化というのは、決してみんなが望んでいる形ではないと思います。普及と強化は決して相反するものではなく、どこかで線を引かなければいけないものでもなく、常に共存し相乗効果を生み出していくものだと思います。だとしたら、一見遠回りに見えるかもしれませんが、サッカー人口全員の幸せを満たすことこそが、日本代表を含める日本サッカー全体の飛躍的なレベルアップに繋がるのではないのでしょうか」
「欧米人やアフリカ人と比較し身体能力で劣る日本人が彼らにサッカーで勝つためには、日本人が世界に誇る“賢さ”を最大限に活かすことが重要になってくるでしょう。にもかかわらず、残念ながら今はまだ、日本人が本来持つ“賢さ”をサッカーのピッチ上で活かしきれているとはいえません。この矛盾と真摯に向き合い、もう一度改めて“サッカーの本質”と日本人の特徴について再考することが僕たちには必要だと思います」
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この本のタイトルと同じ疑問を持っている人が居ると思います。なぜ、日本は世界に勝てないのかは、自分も疑問に思っていました。しかし、この本を読んで、少し分かった気がしました。日本には、世界に通用する技術は持っていると思います。しかし、その技術を出し切れていないのが今日本だと自分は思いました。世界に勝つには、日本が持っている技術をすべて出し切らないと勝てないと思います。みなさんもこの本を読んで考えてみて下さい。
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サッカーが好きなので読んで見ました。確かに日本にはテクニックがあるのに世界だとあまり通用しないなと思っていました。でも、この本を読んでみたら、なぜ世界で勝てないのかなどが分かる本です。
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「サッカーが上手」というのはどういうことか
ドリブルが上手い、トラップが上手い、パスが上手い
そういうことではなく、
サッカーが上手いというのは、
サッカーが上手いということなのだ
ということを言っている至極まっとうな本
すばらしい
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日本は技術は世界トップクラスというわけではないが、そこそこ通用する技術量は持っている。しかしサッカーは技術がすべてというわけではない。精神面も強くなくてはならないし、戦術もしっかり考えなくてはならない。監督にも問題はあるが、選手自身ももっと一つ一つのプレーを考えなくてはならないしもっと周りを見て判断する力が必要だとこの本を読んで感じた。
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サッカーを小学生のころからやっていたので、こういう本はどういうものなのかと軽い気持ちでこの本を読んだが、日本人とサッカーの相性というか本質的なものが少し分かった気がした本であった。この本のタイトルの通り、日本人はテクニックはあるのになんで勝てないのかといつも疑問に思っていた。本を読んでみて、これからサッカーの試合の見かたが変わるような本であると思った。
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サッカーはサッカーをやることでうまくなる。と言う
あまりに単純な答えの理由に行き着いた先が
「サッカーはカオスであり、かつフラクタルである」と言う
難解なものとは・・・。
日本人はテクニックやスピードはあるがサッカーは下手らしい。
確かにテクニックやスピードはサッカーで重要な要素だが
サッカーで勝つための要素でしかない。木を見て森を見ない
と言うのが日本のサッカーなのだろう。
残念だけど、なんか納得。
なお、本書には、出来るだけ試合を経験させるための方策として
部内で5人/チームで1ヶ月のリーグ戦を行うなどのアイデアは
書かれているが、具体的な練習メニューは殆ど書かれていない。
それを不親切と取るかは読む人の捕え方だろう。
ただコーチから言われたメニューをこなすのではなく、
自分自身の課題が克服できるような制約を自らに課して
メニューに取り組むなど主体的に考えて取り組む姿勢が
大事なので、万能のメニューはないと言うのが著者が
メニューを書いていない理由だと思う。
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FCバルセロナ スクールコーチの村松さんの著書。
少し時期が遅れてしまったが、これを手に取ったのは、日本代表の東アジア選手権での体たらくが契機である。
大きな目次
1、スペインのサッカーは何が違うのか?
2、育成に関する違い
3、FCバルセロナと日本の違い
4、戦術的ピリオダイゼーション理論とは
5、戦術的ピリオダイゼーション理論の実践方法
6、日本がワールドカップで優勝するために
こういった構成になっている。
前半部分は、日本サッカーの強化のためにスペインに渡った村松さんの経験的なところが多く、書かれている。
スペインのサッカー文化についてもあり、興味深い。
個人的には4章からの戦術的ピリオダイゼーション理論に目から鱗だった。
一言で言うと、上記の理論とは、「サッカーはカオスであり、フラクタルである」ということ。
内容についてはぜひ本著を読んでもらいたい。
本質的なサッカーへのアプローチを指摘した村松さんは素晴らしい指導者になるだろう。
彼の理論は、オシムさんの練習メニューにも通ずるところがあるので、やはり欧州のサッカーに対する理論は進んでいるのだなぁと感じた。
サッカーはサッカーをすることでしか上達しない。
日本代表の球際の競り合い、そしてゴール前での迫力不足、言われたことしかできない展開力のなさのすべてがこれに収束するのでは?と思うほどだった。
おススメ。
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抜群のテクニックはあるが、それを試合で見せられず、決定力がない日本サッカー界への提言の書だと思う
要約すれば、日本が強くなるには、一度負けたら終わりのトーナメントスタイルではなく、リーグ戦形式のサッカーをしないと、サッカーの経験値が溜まらずうまくならないし、試合数をたくさんこなさないといけないことが一番だと思う。逆に言えばその環境が整っていない日本への批判である。
テクニックは身につき始めている日本サッカー。今後はそれを試合でどのように生かすかだと思う。また、これらを複雑系の考えを生かした理論で説明している部分も必読だと思った。
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スペインに行って,フットボルのコーチができるなんて。
聞いただけでは、とても羨ましい話だと思った。
読んでみると、スペインと日本の違いがフィジカルコンタクトにあるという。
その理由が勝つ為の競技だという意識の違いだと説明している。
たしかに、納得できる。
勝つための競技だからこそ、勝つ為にはなにをすればよいかを考えるのだろう。
日本ではどうなのだろう。
勝つ為に頭を使おうとしないのだろうか。
コーチの指示から、自分で学ぼうとしないのだろうか。
日本にも、仕事のない土日に、子供の練習や試合で師事してくださるよいコーチがいるのに、
子供がコーチの話の趣旨を理解しようとせずに、他のことをし始めたりするのを目撃する。
親もコーチのいっている話の趣旨を理解しようとする親とそうでない親がいることを目撃する。
勝つことにこだわっていても、どうやって勝つかについてコーチの考えを聞こうとする子供と,聞こうとしない子供を目撃する。
うまく淘汰する仕組みがあれば、いいのかもしれない。
まだまだチーム数が少なく,淘汰する仕組みがないのかもしれないとおもいました。
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スペイン人に言わせれば、日本人はスピードやテクニックはあるがサッカーは下手らしい。
著者が肌で感じた日本とスペインのサッカーの違いは、
①スペインでは選手は勝負に勝つことに徹し、フィジカルコンタクトを避けず戦えることが最優先されるのに対し、日本ではテクニックなどが最重要視され普段からフィジカルコンタクトの少ない環境でプレーしている傾向にある。
②スペインではどのカテゴリーでもリーグ戦で毎週末試合があるが、日本ではトーナメントが主流である。日本では試合に出れる選手が相対的に少なく限られており、スペインでは毎週末の試合に向けた練習ができ練習課題の設定が明確になりやすい。
③スポーツ科学や戦術に関する知識はスペインに劣っていない
ことが述べられている。
育成に関しては
①スペインではテクニックはチーム戦術を構築する練習で勝手に身につくものと考えられており、
②スペインでは賢さや駆け引きがより重要視され、
③良い選手は育てるものではなく、見つけてくるものであり、
④所属しているチームで活躍すれば、上のクラブから声が掛かること。また今のチームで一番でもすぐに上のチームに行くことで、上には上がいることを認識できること、
などを挙げている。
さて、筆者は以上のようなスペインのサッカー観をまとめると「サッカーはサッカーをすることでうまくなる。」という単純な言葉で表現している。そしてそれを裏付ける理論として、ポルトガルのフラーデ教授の戦術的ピリオダイゼーション理論を紹介している。それはサッカーはカオスであり、かつフラクタルであるという、生命論的なパラダイムで説明したものだ。
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スペイン、バルセロナのカンテーラで指導を行っていた著書による、スペイン育成と日本の育成の違いをあぶり出し、どの辺に問題があるのかを書かれた本。推奨しているピリオタライゼーション理論の練習方法の部分は、より詳しい著書があるようで、それを併用したうえで、如何にしたらサッカーが上手になるかが分かるかもしれないと思う
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面白い。スペインのサッカー事情が良く分かる。
サッカーはサッカーをすることで上手くなる、という言葉はその通りだと思う。