紙の本
マスコミにも限界がある
2011/02/26 21:45
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投稿者:MtVictory - この投稿者のレビュー一覧を見る
政権交代をめぐるブログ、ツイッターでの議論を追いかけ、まとめた本。ネット論壇が語る、「その論考・分析能力の素晴らしさ」を披露しようとしている。
「政権交代後」に対して、第二章ではあるブログのこんな言葉を引用している。「国民の側にも具体的な見通しを欠いていた」と期待先行で、そのあとがっかりさせられている現状を暗示していたかのようだ。民主党は「試行錯誤は避けられない。君子豹変もありうるだろう」と現実的な意見もある。国民は「国任せ」にし、「安上がり」に済ませてきた、と書いたブロガーもいた。結局、高くついたことを今になって国民は思い知らされている。
興味深いのは第六章の新たな投票システムの提案。鈴木健氏によるものだが、ネットにより投票にかかるコストは小さくできることから、選挙や政策決定などに票の分割、譲り渡しという概念を持ち込んでいるのが面白い。
また、「ソーシャルメディアが進化していけば、いずれば輿論や一般意志をそこから抽出していけるのではないか」とネット論壇に期待感する著者。「政権交代をめぐる報道をみてきた限りでは」と断った上での結論として、「人々が違う意見を述べ合って、違う事実が出てくる、というような装置としての役割は、もう新聞・テレビからは失われた」としている。その役割を著者はネット言論、ネットメディアに期待している。
私の限られた時間では、著者の「マスコミ叩き」が果たして正当なものかどうかは判断しかねる。全てのテレビや新聞に目を通しているわけではないから。マスコミを擁護するわけではないが、マスコミの完全否定ではなく、改善要望、また国民への積極的な政治参加への期待として受け取ることにしたい。
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佐々木俊尚氏の新刊。読みたい。
「今後、報道や言論の役割を担うのは、新聞やテレビではなくブログやtwitterだ!!」
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タイトルどおりマスコミに批判的で、ネットに甘目にはなっているが、しかしネットでの誤りも指摘してあり、その点は公平だ。
マスコミの報道や主張がずさんなのはそのとおりで、お前らもっと給料に見合った仕事しろよ、内に秘めている優越感どおりの内容を、自分たちが持つメディアでちゃんと示せよ、とは思う。しかしそもそも彼らは、再販制や安い電波使用料という国からの子供手当てにより自らの存在を養っている、つまり彼らは元々政府の子供だ。子供が親を本気で批判できないのは自明であり、その点で「マスコミはもともと政治を語れない」だ。
語れるのは元々一人一人の国民だ。で、この本で、タイトルの裏返しである「ではネットで政治を語れるか」「そもそも政治を語るとは」に関して何か結論が出ているかというと、残念ながらそこまで踏み込まれていない。
マスコミとは異なるネットでの多様な見方が多数紹介されており、その内容を読むだけでネットにレベルの高いものが存在することは容易にわかる。しかしこれらの主張の妥当性は、それこそ読む者に相当な知識や情報収集能力がない限り判断できない。SN比が高い情報の中から有益な情報を引き出すのには、コストが掛る。情報自体はただで手に入っても、それを分類取捨選択する労力はただじゃない。そうするとマスコミという、品質は普通ぐらいでも低コストなメディアの方が、政治を語る場として選ばれでも別におかしくはない。
また6章の電子民主主義の話が将来の政治や民主主義の姿だ、という話なのかもしれないが、しかしここでそもそも良いものとされている一般意思なるものが、そもそも良いものと思えない。どう考えてもこれには責任が伴わない。
全体意思が全ての成員の意思を組み上げられないという欠点は欠点であるにしても、それで何が問題なんだろう。各成員にとって都合のいいこと、悪いこと、それらをたくさん汲み上げてほどほどの所で政治を進める。それが全体意思で、かつその意志の明示の場は、選挙という形で明確に国民に示されている。どれだけ今鳩山政権の支持率が下がろうと、去年の9月の時点で国民は民主党に投票し、その結果が現状をもたらしている。因果関係は明確に存在している。
これだけわかりやすい仕組みを何故一般意思なんていうわけわからないものに変える必要があるのだろう。アーキテクチャを誰が設計するんだよ。その設計者が権力者になるのか。その設計者の責任はどう問うんだ?それともそも責任を問わずともアーキテクチャが自動調整、あるいは適応する仕組みにするとでもいうのか?でもこういう(自動的に修正されるという点で)間違いが原理的にあり得ない仕組みは、望ましくない状況になったときに変更の余地がない、適応の結果だと言われただけで全てが正当化されるという意味で非常に危険だと思うんだけど。
話がそれまくったが、要するにマスコミは否定されたが、その代わりが明確に示されていない。その点がこの本は不満だ。ただまあそれは高望なのだろう。マスコミの無力さをここ1,2年の身近な政治情勢を基に理解��るという点では非常にわかりやすくて良い本だと思う。
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引用が多くてまじめに読んでると疲れる。
でも最後の方に出て来たルソーの考え方が面白かった。一般意志、個別意志、全体意志の話。
「中途半端な知識を持つ人々による投票よりも、有能な独裁者の決断の方が一般意志をよく反映していることもある。」
特に現代においては、確かにそれも言えるかも。なるほどと思った。でもなんだかんだ投票は極端な思考への抑止力になるから必要。
「それぞれの結社の意志はその結社の成員にとっては一般意志だが、国家にとっては個別意志となる。一般意志のためには結社をつくるべきではない。」
これも確かにってかんじだけど、日本にはゆるやかな形での結社は不可欠だと思う。今までの体制を考えると。
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インターネットに造詣の深い著者が、ブログやツイッター、新聞記事など、
種々の言説を引用しながらメディア環境、社会論を展開していく。
も。
インターネットというインフラが整う前から、
すでにメディア(特に新聞社)の論考の一面性や浅さは指摘されており、
市井の人々のそれがネットを通じて、よく分かりやすく顕在化してきただけのことなので、
ブログなどで語られている論考が深くて、メディアは浅いから、メディアはダメという構図そのものが、
皮肉にも同氏が同書で指摘している、メディアがやりがちな「単純な対立構造」なのでは、と思った。
もちろん、この論点だけでなく、ネットというインフラを遣った新たな政治参画への視座なども提示されているが、
それは同氏の考えというよりも、ブログなどで発信しているほかの人の考えなので、
いまひとつ感はぬぐえなかった。試みとしては面白いけど。
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ネット万歳とは言わないが、マスメディアだけに依存する方がよほど危険な状況になっていることを再認識。我々は後戻りできない世界に生きている。
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東浩紀 一般意思2.0
1 調整するのは人格と人格でなくデータとデータである。合意形成は目的でない。合意が自覚される必要がない。一般化意思は内面化される必要はない
2 人民が主権を支配し、主権が人民を支配すると言う「社会契約論」の循環理論を、オープンソース的な「透明性」の理論により保証する
3 社会契約論における部分的社会の禁止を、ひとりひとりの市民の複数共同体への同時所属の肯定として読み替える。ルソーが批判したのは、社会が複数の部分に分断化されることだが、各人が複数共同体に同時所属すればこの問題は消滅する
4 社会契約論における国民国家論、人民主権成立条件としてのメンバーシップの必要性については、破棄可能。メンバーシップのない、レイヤリングされた一般意思
5 一般意思2.0における最大の課題は2つ。軍事と教育。つまりはdiscipline。環境管理型社会で残る、規律訓練の残滓をどう処理するか
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・ブログにおけるジャーナリズムの整理とマスコミ報道の対比。
・佐々木氏の視点を通し、非常に分かりやすく整理されている。
・東浩紀氏の一般意志2.0にも言及している。
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マスコミの分かってなさから始まって記者クラブ問題、新聞テレビだけではわからないネットウヨ、一般意思2.0界隈、そして実はマスコミもアッチの人という構成がうまくてノリノリで読んでしまった。引用されている新聞記事とついったー、ブログ記事の落差に驚く。
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佐々木俊尚5冊目
これは今年の2月発行なので、比較的新しい
副題を見れば分かる通り、民主党が与党になったあとのいわゆるアルファブロガーの論を抑えつつ、現在はどのように進んでいるのかについての論考
トピックは、政権交代、記者クラブ開放、偏向報道、ネトウヨ、電子民主主義
総じて、現在の主流メディアである新聞などマスコミの限界を論じている
電子民主主義については、「書き起こし.com」で取り上げているUSTREAMの書き起こしが見れるのでそっちを見た方が早いかも
この人の言うことはいつもいちいちご尤もなんだけど、それでも中々、現実が変わっていかないというのはやはりそれだけ問題が根深いということなのだろう
しかしこの人のは新しい方が確実に面白いんだな
まあネットを取り上げているんだから当たり前か
最新作があれば即買いだな
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民主党政権誕生時のblogなどで発表された投稿群を、ちょっとしたコメントとともに紹介した本。
これが最近この界隈の人の言うキュレーションなのだとしたら、別に佐々木氏がしたものを僕は欲してないなと言う感じかな。
そいえば、氏がアメリカの新聞(引用元不記載)で引用していた「フェースブックは大家族制を復活させている」ていうのはちょっと良かった。
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ブログやSNS、ツイッターなど今の社会背景が生んだ現象が、メディアの存在意義を脅かしている。それはマスコミがなんの努力も行っていないようにも感じ、そして発行部数、視聴率を重視した結果なんだなって感じました。はっきり言って全ての情報はwebの方が早いのですからね!あと最近のマスコミはweb上の情報はまったくリリースしないのにやや腹立たしくなりましたね。一度は読むべき本かもしれません。
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最近の政治ブログ上の論調とテレビの論調の比較がメイン。ただ民主党政権になって3ヶ月間くらいの間の出来事をまとめてあるので、すでに内容が古くなっている感じ。政治ものは書籍としての賞味期限が短い。6月、菅政権になってからの著者の考えを読みたい。
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● 利益誘導が行われなくなった結果、支持基盤は消滅して有権者は浮遊化した。
● 「かっちょいい絶望」というのはとても素敵な表現で、評論家だけでなく、これまでのマスコミ言論の特徴を非常にするどく言い当てているように思える。
● 鈴木が天才的なのは、このイシューごとの投票にさらに「票の分割」「票の譲り渡し」というまったく新しい概念をまとめて持ち込んだことだ。
● 「検察のリークで紙面や番組を作っている新聞やテレビに検察批判ができるのか。」河野太郎
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政権交代により自民党、官僚、マスコミ…などの既存の関係が壊れ、ネットを含めた新しい関係が構築される。
やや民主党よりになっていることと、
民主党が自民党と同じ関係を続ける可能性が考慮に入っていないことを除けば大変参考になる。
ネット上の意見を元にあらゆる可能性を探っているのも面白かったです。