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フォークやナイフをはじめ、普段何気に使っている物について、その進化の歴史や加工などなど、デザインについての書物です。当たり前に使っているけど、それには進化の歴史があって、また時代背景もあって、そして今が最良のデザインなのか問われても、必ずしもそうではないし、けれどもよりよい未来を求めていくのは、仕事もそうだよなぁと考えながら読んだ。インダストリアルデザインに興味ある人、自分の視野外を見てみたい人にはおすすめ。ペパボのあべちゃんは好きそうだなぁ。
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おもしろくて一気読みしました!文章にユーモアがあるのが難めの内容を柔らかくしているなあと思います。軽い読み物には最適でした。
名著にも関わらず長らく絶版になっていたものが晴れて復刊になりました。これを機にいろんな人に勧めたい一冊。
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要点:人工物は「不満」を解消するように進化するという法則。
第1章〜第3章、第12章〜第14章および解説に良いことが書いてあった。
第1章 フォークの歯はなぜ四本になったか
「形は機能に従う」説では人工物の進化を説明できない。
フォークと箸は西洋と東洋で同じ目的のために異なる形を取った。
人工物の形には技術・経済性が影響する。
また、政治・行儀作法・好み・流行は人工物の影響を受けるし、
逆にそれらが人工物の形に影響を与える。相互作用である。
!!社交の在り方・マナー・リテラシは技術・ソーシャルメディアの影響を受けるし、その逆もまた然り。ソーシャルメディアのデザインは、コミュニケーションする社会の未来を作ることでもある。
第2章 形は失敗にしたがう
欲望が進化を促す。贅沢が発見を促す。
人工物には常に改善の余地がある。
完璧な人工物は無い。
すべての人工物に共通する唯一の特徴は不完全さである。
感知された問題とその解決策がデザインの動機となって人工物の進化を促す。
p.60 アレグザンダー「デザインは不調和や苛立ちの原因や威圧力を中和するためのネガティブなプロセス」
職人は単なる代行者であり、失敗を認識するのは誰でもできる。
!!同意しない。あとで矛盾することを書いている(人は慣れる)。
第3章 批評家としての発明家
発明家は悪態をつく。
エンジニアの習い性は欠陥を見つけて失望することだが、決して悲観論者なのでは無く、むしろ楽天家であり、プラグマティストである。
既存の人工物に感じる不満こそが全ての発明の中核をなし、それゆえ人工物の変化の核心になっている。
第13章 良が最良よりも良いとき
マクドナルドの発砲プラスチック製クラムシェル。環境、政治で形が決まる。
ルイ十四世ホテルの浴室にはドアが無い。デザインによる問題解決の好例。
p.401 目先の問題にとらわれると、解決策がのちにもっと困難な問題を引き起こす。
p.405 あらゆるモノのデザインは、差し迫った利用の先を見なくてはならない。人とモノの世界に導入された人工物はどれも、人とモノの両方の行動様式を変える。
第14章 つねに改良の余地がある
p.411 あとで振り返ってみると技術上の利点だとはっきりわかる事柄が初めのうち一部の人々に不快感を与えるのはなぜか? 慣れの問題。人々は既存の人工物に順応する。
不満の発明
開発者は自分のデザインに慣れてしまうので使いにくい物を作る。
!!UCDの必要性
!!現存するテクノロジーにおける失敗の知覚が、人工物の進化を駆動するエンジン
失敗が何から成り、改善が何から成るのかは、完全に客観的なわけでは無い。→人工物の多様性
解説ー失敗の発明(棚橋弘季)
「デザイン」「発明」はルネサンスに発明された。
西洋:人の巧みさに依存しない。人を必要としない。
→二重の意味での人間非依存性。
新たな人工物をデザインし、失敗を超克する。
→失敗の克服が新たな失敗を生む��
進化プロセスのメタレベルの失敗。
日本:既存の人工物を巧みに使いこなす。惜しみなく尽力する。
→二重の意味での人間依存性。
既存の人工物の失敗を許容する「ワザ」。
→モノを作らない問題解決の方法。
!!東洋的「反デザイン」。
しかし日本も西洋的に大量のモノを作っている。
単なる「反デザイン」「脱デザイン」ではない構想があるとすれば、それは何か?
類書:ヘンリー・ペトロスキー著『橋はなぜ落ちたのか』
http://booklog.jp/users/zerobase/archives/4022597860
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本書のテーマは、発明という行為の原動力が「失敗の発見」であることを明らかにすることである。”うまくいっていない”ことを認識し、”こうすればうまくいく”と考える能力こそが発明家の特質であり、今日の道具や日用品の構造は、正にそういった発明家達による”改善”の積み重ねの結果であるというのが主な論旨だ。フォークやクリップなど身近な日用品の”進化”が題材なので、およそエンジニアリングに縁のない読者でも読み通すことができる内容だとは思う。
一方で、著者の主張は本書冒頭ですでに明らかになるので、後半の説明は、ともすれば蛇足と感じる人がいるかもしれない。特に、すでにエンジニアリングに関わっている人や、特許関係の業務に携わったことのある人にとっては、「何をいまさら……」となる部分も多いだろう。加えて、訳が下手なのか原文が既に拙いのかは分からないが、悪文と言わざるを得ない箇所がいくつかあった。名著というには今一つだが、大学に入りたての若者にはおすすめしたい。
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「形は失敗にしたがう」という著者の主張のもとに、フォークからファスナーまで様々な実用品の進化について書かれていて、自分が普段から何気なく使っているものがどのような過程を経て現在に至るのかを知ることができ、とても興味深い。言葉だけではイメージしにくい部分を補ってくれる指図があるのも良かった。(個人的にはもっと欲しかった気もする。)少し長いと感じてしまう部分もあったが、デザインやエンジニアリングなどに携わっている人も、そうではない人も、一度は読んで損はない一冊だと感じた。
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デザインとテクノロジーの歴史を繙き、人工物の進化を推し進める要因が機能の探求ではなく欠陥の修正であることを、豊富な実例をもって証明する。
論旨が明確で、「形は失敗にしたがう」という主張自体も興味深いが、フォーク、クリップ、ファスナー、飲料缶、マクドナルドの容器といった身近な日用品の誕生から進化までを紹介してくれる点が魅力。
惜しむらくは、一部の物には対応する図がないこと。言葉による説明に限界を感じる一方、訳者の苦労のほどが偲ばれる。
本書は単なる技術史でなく、ビジネスの格言集としても読める。
デザインは技術的な問題、美的価値、生産コスト、流行といった多様な要素のバランスの中で決定され、完璧な物はあり得ない。モノやサービスの作り手として、利用者目線での有用性に配慮したい。
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形は機能にしたがうという説と、
形は失敗にしたがうという説の紹介がある。
では、フォークが4本になったのは、どちらなのだろう。
話題は、フォークの話題にとどまらず、工業設計『デザイン)全般にわたる。
最後まで読んだが、4本である理由に確信は持てなかった。
まだまだ読み込みが浅いのだろうか。
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フォークの歯はなぜ四本になったか
形は失敗にしたがう
批評家としての発明家
ピンからペーパークリップへ
瑣末なモノもあなどれない
ファスナーが生まれるまで
道具が道具を作る
増殖のパターン
流行とインダストリアル・デザイン
先行するモノの力
開けるより封じる
ちょっと変えて大儲け
良が最良よりも良いとき
つねに改良の余地がある
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普段、わたしたちが”アタリマエのモノ”として目にする食器、文房具、大工道具、果ては建築物にいたるまで、それらがどうしてその形を持つにいたったのか・・・言わばダーウィンの進化論ばりに・・・但し、動物ではなくモノの・・・を徹底的に研究した本だ。
著者のペトロスキー氏はアメリカの工学者。学者らしいというか何というか・・・彼が最初から最後まで掲げている一貫した主張が「(人間が作る)モノの形は、機能ではなく失敗に従う」である。
著者はこの主張を証明しようと、本全体の9割近を”うんちく的な話”・・・に割いている。ナイフ、フォーク、スプーン、クリップ、ポストイット、ジッパー(チャック)、ジュース缶、マクドナルドのハンバーガー容器、ハンマー・・・世の中で普段わたし達が目にするモノの進化の歴史についての言及だ。こうした”うんちく”こそが、本書最大の特徴とも言える。
ところで、1つ難点を挙げるとすれば、この本は読むのに相当な体力を要するということだ。
読者の理解を助けようと、ところどころに出てくる挿絵はとてもありがたいのだが、残念ながら、取り上げられるモノの数の比して十分な量とはいえない。モノのデザインについて、その細かい部分を文章で描写されても、頭の体操をしたいのならともかく、気軽に読みたい読者にとっては疲労感を増やす要素以外の何者でもない。加えて、著者が終始言及する「ほらね、モノの形は失敗に従うじゃないか!」論・・・こちらについては、どうしても抽象的・概念的な話にならざるを得ず、やはり読んでいると疲れる。
しかしながら、こうしたネガティブな側面も、数々のモノのルーツを教えてくれる本書の魅力には抗えないと思う。それに、小難しい話は読み飛ばせばいい。
読んだ次の日から、アタリマエのモノを見て頭がスパークすることうけあいだ。
「ふーん、このフォーク、このスプーン・・・このお箸は・・・どうしてこんなカタチに決まったんだろう??? なぜ?なぜ?なぜ?」・・・って。
(書評全文はこちら→ http://ryosuke-katsumata.blogspot.jp/2012/12/blog-post.html)
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なぜフォークの歯は三本でも五本でもなく、四本なのか。
なぜナイフなのに刃先が丸まっているのか。
フォークは何故湾曲しているのか。
実用品が、どのように今の形に進化してきたのか、その背景にはどのようなことが影響してきているのか。
デザインの本質を語る上でかかせない、歴史の中の進化論を知ることができる一冊。
”道具のデザインは、偉大な作り手の頭の中で完璧に練り上げられてから生まれるのではなく、むしろ、それらを取り巻く社会、文化、技術に関連し、つくった側の(おもに不愉快な)経験を通じて変更が重ねられてゆくもの”
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形は機能に従うのではなく、失敗に従う。モノは欠点を修正することによって進化している。
いったんある方向に進みだすと、その方向で進化していくと。
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身の回りのモノに関する雑学本。
ナイフの発明からフォークへの進化、ポストイットやホチキスといった今では必需品と言ってもいい文房具の開発史、ジッパーが生まれるまで、缶詰やコルクなどの保存目的の製品の成り立ち、土木作業や農作業などで使われる荷車の西洋と東洋での形態の違いなどを挙げながら、それぞれのモノが生まれ、洗練され、現在に至るまでが丁寧に紹介されています。
すべてのモノの紹介の根底には、いわゆる「必要は発明の母」という考え方は間違いであり、「モノの機能や形態は失敗に従う」という著者の考えが流れています。確かにこれだけの実例を並べられると、既存のモノの形の欠点に応じて、より完璧を求めて形態が進化していくというのもあながち誇張ではないな、と思えます。
個人的に「へー」と思ったうちの一つは、洋服のボタンが男女逆になっている理由のくだり。
自力で服を着る男性の場合、右利きの人が多いことから右側にボタンがつく。一方の女性は、ドレスを着るような階級の人たちはメイドに服を着せてもらうことになるため、メイドが女主人と向き合う時に便利なように左側にボタンをつけるようになった。この名残が、女性も自分で服を着るようになった現在にも続いている、らしいです。なるほど、という感じ。
もう一つは、荷車の形態の違い。
西洋の手押し車が二輪の牽くタイプであるのに対し、中国では一輪の押すタイプが普及した理由として、二輪の牽くタイプは水田の狭い畦の上を進みにくいため、前方の視界が遮られるというデメリットがあっても細い道を確認しながら進める一輪の押す形に自然と進化していった、という説が紹介されています。
終盤は「良が最良よりも良いとき」として、すべての発明やモノが最善の結果を生むわけではないという警鐘も鳴らしています。
その一つがポリ袋をゴミ箱にかぶせることによる問題。ポリ袋があることにより捨てるものに頓着しなくなり、中が汚くなったり汚水が出たり、悪臭や腐敗の原因となったり、ゴミ収集車の通った後にポリ袋から漏れ出た汚水が道を汚してしまう、といった問題が挙げられています。
このことから著者は「頻繁に昔からの問題・推測される問題を解決しようとして新たな素材・装置を節操なく取り入れると、より複雑な問題が起こりかねない」と危惧しています。これを回避するためには「外見・短期的デザインの先を見越し、長期的な結果を見なければならない」としています。
雑学を楽しむための本としても良質であり、過度に発展する文明にシニカルな忠告を与える本としても面白いです。
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形は、機能に従わない。
発明は、不満から生まれる。
→不完全な行動様式を完全にすることや、
不十分で不適当なパターンを改善することこそ発明の動機。
失敗から生まれる。
完璧な製品などない、ということから明らか。
・斬新な外見より、伝統的な機能。
・インダストリアルデザイン
most advanced yet acceptable(ローウィ)
ほかのすべての点で新しく、過激な形の中に、見慣れた型を取り入れることで、広く受け入れてもらえるようにする(ドレイファス)
利益をもたらす技術革新と、安心感を与える見覚えのある要素との絶妙なバランス。
・17世紀の、びっくりジョッキ。
てでふさがないと漏れる。ゲームが出来る。
・赤ワインの瓶と白ワインの瓶の形の違い。
・シャンパンの底は、凸面が中の圧力に対抗できるように。
・マックのクラムシェルパッケージ。
進化の末に生まれた。
・ポリエチレンのゴミ袋、
のせいで生じた環境汚染問題もある。気持ちのゆるみ。
未来を想像し、どんな結果がもたらされるかまで見通した上でのデザインを。
・分厚い説明書は、その商品が不完全であることを示している。
・中世までは、ミメーシス。(外界にあるものを写しとる技術)
ルネサンス以降は、内面の構想を形にすることへ。
=デザインのはじまり。
外界は、模倣の対象から、
内面世界に想起されたよりよきものを反映する場になった。
すべてのものは、誰かの不満から生まれていて、
一面的な不満を反映したデザインはまた、
別の問題を生じさせていく。
つまり、完璧なデザインなどありえないので、
「不満を見つけ出してデザインの努力をしていく」というプロセス自体が有名。
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発明とは、既存の人工物の失敗や欠点を修正することで進化させた成果物であり、無から生み出された全く新しいというものはほとんど存在しない。考えてみると確かにそのとおりで、たとえば食品保存で瓶詰めは缶詰に進化し、缶詰を開けるのにナイフに代わって缶切りが生まれ…というように、我々の身近なモノだけでも枚挙にいとまがない。例えば特許にしてもそうだ。請求項に「本発明が解決しようとしている課題」とあるが、つまりは解決すべき課題ありきなのである。そうして発明はモノを進化させ、エンジニアリングやデザインを求めるようになり、工業デザインという文化が発展してきた。どうりでクールな世の中になるわけだ。
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「形は機能に従わない」と著者は主張する。
仮にその道具が機能に従って開発されたとしたら完璧なものが世の中にごろごろ存在しそうなものだ、と。
道具の欠点、道具への不満点や失敗経験が進化を促すという。
身近な道具の進化について特許の記録などを通して考察。
ペーパークリップ、ジッパーなどの進化過程が大昔の特許の挿絵などを使って説明されています。
特許は昔のモノの改良でしかない。
新規性・進歩性が何たるか、自らの発明をどのように主張すべきか参考になります。
また、天才ではなくても、凡人でも発明と言うか日々の観察と改善・改良を通して世の中にかかわることができるのではないか、と勇気をもらえます。
そもそも道具の機能は、その時代の社会や文化によって、要求のされかたが異なってくるのでしょう。
つまり、・・・機能は文化に従う。
ということは「形は文化に従う」とも言えるだろうか。
プロダクトの場合、形は人間に従うとも解釈できそう。
ただ、人間の文化とは身近なところで言い換えると日々の習慣だとも考えられ・・・
・・・これを乗り越えることは一苦労。
人の習慣を変えることができる位のメリットある商品開発。。。
何時かはエポックメイキングな発明を。