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紙の本
江戸の砲術師たち (平凡社新書)
著者 宇田川 武久 (著)
1543年、ポルトガル人により日本に伝えられた鉄炮。文治政治へと移行していく江戸時代には、武芸としての炮術が花開く。炮術に生きた師範と門弟、関流炮術を継ぐ関内蔵助家の生活...
江戸の砲術師たち (平凡社新書)
江戸の砲術師たち
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商品説明
1543年、ポルトガル人により日本に伝えられた鉄炮。文治政治へと移行していく江戸時代には、武芸としての炮術が花開く。炮術に生きた師範と門弟、関流炮術を継ぐ関内蔵助家の生活を明らかにする。【「TRC MARC」の商品解説】
著者紹介
宇田川 武久
- 略歴
- 〈宇田川武久〉1943年東京都生まれ。國學院大學大学院博士課程修了。国立歴史民俗博物館名誉教授。中・近世水軍史、日本銃砲史専攻。著書に「瀬戸内水軍」「鉄炮伝来」「江戸の炮術」など。
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紙の本
砲術という技術継承がなされていた江戸時代。
2010/03/02 10:58
6人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:浦辺 登 - この投稿者のレビュー一覧を見る
司馬遼太郎の『竜馬がゆく』には竜馬が江戸に剣術修行に出かける様子を晴れがましく、青雲の志を抱いて江戸の千葉道場に向かう姿を描いている。
本書を手にした時、はたして砲術修行に出向いた士たちは竜馬と同じような気持ちで江戸に向かったのだろうかと訝った。行間からは、江戸には砲術という剣の道とは異なる武芸の師匠がいるから、江戸滞在中にテクニックの一つとして身につけておこうという雰囲気を感じる。そういう周囲の視線を意識してか、関流砲術師範の祖は様々なレベルの実技や奥伝で権威を高めているところに砲術という新しい技の評価を高める努力をしているのがおもしろい。
さらに、江戸時代、砲術というものに多くの流派が存在していることに驚く。
そして、あの直江兼続が鉄砲を重視していたこと。
この一冊には各種砲術流派があるなかで、関流という流派に限定して砲術師たちが日常的にどのような修行をし、生活をしていたのかが詳細に述べられている。この流派が克明な記録を残していたから分かることだが、その内容を見ると武芸というよりも「道」を究めるという印象を受ける。ある意味、剣術が人を相手にしての「道」を究めるものならば、砲術は標的を相手にしての「道」を究めるというものだろうか。これも、平穏な武家社会が続いていたからこそ確立された「道」であり、仕官の方便でもあったのだろう。
しかしながら、欧米列強が日本周辺に現れると、「道」としての砲術は戦術としての目的に転換しなければならないが、それには欧米との技術格差が大きく、現実を直視しなければならなくなる。
本書では高島秋帆について少し触れているが、高島流(西洋流)という砲術についてひとつの流派を築き、モルチール砲(臼砲)を鋳造し、伊豆の韮山に反射炉を築いた江川英龍の師匠になる人物である。この高島秋帆の父、高島四郎兵衛は荻野流砲術を学び師範にもなっているが、エトロフ事件、フェートン号事件で日本の砲術が西洋に及ばないことを自覚して改革に乗り出している。長崎のオランダ通詞である志筑忠雄が翻訳した『求力論』『火器発砲法』などオランダの砲術理論を取り入れているが、台場という海防施設も長崎港でのフェートン号事件を契機にその建設が始まっている。西洋の科学理論を取り込まなければ防衛できないことを高島たち西洋流砲術は身にしみて知っていたことになる。
そういった流れを振り返ると、日本という国が武器の近代化を進めることができたのは、江戸時代の砲術という技術が継承されていたからこそ花開いた結果といえる。
本書はその砲術という技術継承がどのようになされてきたかを詳細に知る貴重な一冊と言える。