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紙の本
榎本武揚シベリア日記 現代語訳 (平凡社ライブラリー)
著者 榎本 武揚 (著),諏訪部 揚子 (編注),中村 喜和 (編注)
明治初年、ロシア公使の任を終えた榎本武揚は、帰国する際、シベリアに立ち寄り、その風景、物産、民俗、交通など万般を観察し、日記を書き記した。その日記を現代語訳し、人名・地名...
榎本武揚シベリア日記 現代語訳 (平凡社ライブラリー)
現代語訳 榎本武揚 シベリア日記
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商品説明
明治初年、ロシア公使の任を終えた榎本武揚は、帰国する際、シベリアに立ち寄り、その風景、物産、民俗、交通など万般を観察し、日記を書き記した。その日記を現代語訳し、人名・地名をはじめ懇切な注を加える。【「TRC MARC」の商品解説】
著者紹介
榎本 武揚
- 略歴
- 〈榎本武揚〉1836年江戸下谷生まれ。第一次伊藤内閣で逓信大臣に就任して以来、諸内閣で農商務大臣、文部大臣、外務大臣などを歴任する。政府内での要職のほかに、日本地学協会の創立等にかかわる。
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榎本武揚の壮大なロマンを感じる旅日記。
2010/04/29 10:34
3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:浦辺 登 - この投稿者のレビュー一覧を見る
これは、明治7年(1874)にロシア公使として派遣された榎本武揚が任務を終了し、明治11年(1878)7月から約二ヶ月間をかけてシベリアを横断して帰国した際の日記である。それもただの旅日記ではなく、風景や義理人情に加えて地域の産物の全てを事細かに記載した日記である。そのため、ヤジさんキタさんの道中話のような面白みは無い。しかしながら、克明に物の大きさ、量、値段、シベリア各地での官吏や人々の対応の様子、複雑に入り組みながらも共存している人種の特徴までをも描いていて、宮本常一の民俗学にも負けないほどにおもしろかった。
榎本武揚は江戸幕府の幕臣の中から選ばれてオランダ留学を果たしているが、それだけに言語、科学分野に精通していて、描写が適確であるために読み手も一緒に榎本武揚のお供をしているかのようだった。ウラル山脈を越えたあたりから登場する支那人、満洲人、朝鮮人だが、朝鮮人の子供がロシアの学校に通い、ユダヤ人が共同生活を営んでいることにシベリアの広大さを感じる場面だった。
それでも、日記とはいえ文章は正直なもので、アジア人種を目にすると日本に残してきた家族が恋しくなってきている。さすがの榎本武揚もヒトの子、親近感を感じるものがあった。
全体を通しておもしろい習慣と思ったのは、榎本武揚が積極的に旅先の軍司令官、警察署長などの官吏とポートレイトを交換し合っているところだった。まるで、携帯メールのアドレス交換をしている感がして、昔も今も、人間のコミュニケーション行動というものは基本的には何も変わっていないと感じた。
更に、榎本武揚は旅先の写真屋を訪ねてはその地方の風景写真を求めているが、これは観光地の絵ハガキの感覚で買い求めていたのだろう。この写真は異国を目にしたことのない家族への土産話に一層花を添えたのではと想像する。
榎本武揚は明治期の初め北海道開拓に従事しているが、その北海道での殖産興業の一つとなる物産の開発と交易を目的に調査をしていたのがわかる。シベリアや満洲は欧米社会と取り決めた国境線はあっても実質的には主権が及んでおらず、その地域を実効支配しようとロシアが狙っていたことがわかる。いずれはその極東ロシアと協調して共存共栄を図らなければならないと考えている節が窺え、残念ながら榎本のその夢は叶わなかったが、明治人の壮大なロマンの一端に触れることができたのは嬉しかった。
本書を読みながら、現代語訳、注釈に尽力された編注者の地道な作業に敬服するばかりだが、旅行中に榎本武揚が食べていた卵料理はスクランブル、ゆで卵、目玉焼き、どれなのだろうかなどと楽しく想像を働かすことができた。