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紙の本
快楽の効用 嗜好品をめぐるあれこれ (ちくま新書)
著者 雑賀 恵子 (著)
酒、煙草、お菓子、カフェイン…。なぜ、ひとは嗜好品を求めるのか? 嗜みとつきあうための技術と経験とは? 人文学と科学の両方の知見を援用しながら、生命の余剰とでもいうべき嗜...
快楽の効用 嗜好品をめぐるあれこれ (ちくま新書)
快楽の効用 ──嗜好品をめぐるあれこれ
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商品説明
酒、煙草、お菓子、カフェイン…。なぜ、ひとは嗜好品を求めるのか? 嗜みとつきあうための技術と経験とは? 人文学と科学の両方の知見を援用しながら、生命の余剰とでもいうべき嗜好品を考察し、人間の実存に迫る。【「TRC MARC」の商品解説】
著者紹介
雑賀 恵子
- 略歴
- 〈雑賀恵子〉京都大学大学院農学研究科農林経済学専攻博士課程満期修了。大阪産業大学ほか非常勤講師。専攻は農学原論、社会思想史。著書に「空腹について」「エコ・ロゴス」がある。
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著者/著名人のレビュー
“生きるということは...
ジュンク堂
“生きるということは、物質の運動であって、その物質と運動のためのエネルギーは、身体の外側から食事と呼吸という形で得ている。”雑賀恵子の魅力は、そのカラッとした唯物論にある。それは決して個物を確固とした実在の様態とみるのではなく、少なくとも生命体は「開放系」でないとエネルギーを得られない。雑賀の思索は、ある必然性を持って、「食べること」へと向かう。
「食べること」を考察する際にも、雑賀は終始リアリスティックである。“意味の体系のなかに包摂され、必要不必要を判断して功利的に、合理的に計測可能な行動をしているようにみえて、その過程においては、余剰と無駄が挟み込まれる―それが、生だ。たとえば、食事ひとつをとってみても、栄養学的に過不足のないものを摂ってはいない。だいたい、摂取するものが栄養学的に要素還元できると考える方が、無理がある。”
そして雑賀においては「食べること」自体が開放系であり、儀礼や世界史的事実、市場とのさまざまな関係を持ち、“言説の世界に潜んでいる価値観によって、誘導されている”。
雑賀の思索が極めて立体的であり、さまざまな方向に可能性を持つ所以である。
紙の本
“科学する女流詩人”による最新作
2010/11/11 09:14
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:あまでうす - この投稿者のレビュー一覧を見る
私の郷里の旧家の冬の朝餉はいつも芋粥で、七人の家族全員が長幼の順で鍋底に杓文字を突っ込んで米に溶解したとろとろの芋を飢えた獣のように奪い合うのだった。おやつなどはなく、毎日与えられるアルミ貨の一円を原資に駄菓子屋で壱枚のチュウイングガムを購ってさぶしい口を慰めるのだった。
小学時代の勉強机がみかん箱という貧乏な家に育った少年の最高の楽しみは、病気やけがをしたときにあてがわれる駅弁と砂糖だった。駅弁は何鹿郡の銘品であり、砂糖はグラニュー糖もしくは茶色い岩石のような形をした粗糖のかたまりで、その口腔に溶けいる絶妙な甘さが、三九度の高熱を忘れさせるのだった。薄い板ガムやひと匙の砂糖は、私のつらく平板な日常の一角を一瞬にして突き破る至高の嗜好品であったことは間違いない。
また成人してから二七歳の新婚旅行で奈良ホテルに宿泊した記念すべき夜まで重度のニコチン中毒に苦しんだ私は、単なる口すさびであったはずの煙草が人生を破壊する猛毒であると体感させられたものだった。
本書はこのように魔術的かつ麻薬的な効用を持つ砂糖や煙草やチョコレートなどの嗜好品を次々に俎上に載せ、その来歴や成分や産業社会的な役割や、われらの人生のさなかにおいてそれらがどのような意味、あるいは「無意味の意味」を持つのか、について、ある時は口腔で軽やかに弄びながらクールに、またある時は美しい眉を少しひそめながらアカデミックに、またあるときは夢見るサッフォーのように物憂げに歌うのである。
文武両道ならぬ文理両方面に該博な知識と教養を有する著者は、例えば煙草ひとつをとりあげても、それが恰好の気散じであるのみならず、戦時の強制収容所などでは迫りくる死の恐怖を一時的に宙づりする迫真的な紛らわしであり、男のロマンの象徴であり、アメリカ先住民にとっては宗教的な儀式の重要な道具であり、医薬品でもあったことどもを、ハワードホークスの映画『コンドル』や大岡昇平の『野火』などを自在に引用してゆるゆると語る。
よく「神は細部に宿る」というが、とかく正則よりも変則、メインよりはサブ、「三度の食事」よりも「三時のおやつ」のほうが「三時のあなた」や「三児の貴方」の真相を浮き彫りすることが多い。そしてその何よりの証拠が、“科学する女流詩人”によるこの最新作なのである。