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なぜ宗教が普遍的に存在するのか?進化論で説明可能
2011/07/24 20:11
2人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:萬寿生 - この投稿者のレビュー一覧を見る
仮説と推論による牽強付会の言説が多いと思うのは、無宗教の日本人の偏見であろうか。著者はニューヨークタイムズ紙などで活躍中の科学ジャーナリストということだが。
本の表題どおり、人類においてなぜ宗教が普遍的に存在するかは、宗教行動が人間の脳に刷り込まれた本能であり、それは自然淘汰による適応という進化論で説明できる、という趣旨である。著者がまったく初めて主張する説でもなく、この本のように本格的なものではないにしろ、何人かの先人もいるようだ。生物学や社会科学や人文科学のいろいろな学問分野の調査研究を援用し論証している。狩猟採集社会の宗教から定住社会の三大一神教、道徳・信頼・取引と宗教、音楽・舞踏・トランスと宗教、国家・戦闘と宗教、など。それぞれの部分部分においては論理的で、おおいに説得的なところも多々ある。
今後おおいに論議を醸し出すことになるのではないか。誰かがまじめに研究すべき分野であることは間違いない。進化論を提唱する生物学者も宗教を信仰する者も、この本で述べられていることに、単純に感情的な否定を繰り返すばかりが能ではない。問題提起をうけて、あらゆる分野の知識を総動員し、検証していくべきことであろう。また、日本の宗教事情をも考慮すれば、この本の主張内容はかなり修正されることになるだろう。
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今、宗教に注目する理由はいくつかある。思い返せば、地下鉄サリン事件が起きたのは、阪神淡路大震災が起きた二ヵ月後だったわけだし、ビン・ラディン殺害の余波だって油断はできない。人は自分の想定を超えるような出来事が起こると、超自然的なものへと導かれやすい傾向にあるのだ。
本書の著者はイギリスのサイエンス・ジャーナリスト。科学を生業とする人には、宗教に批判的な人も多い。有名なところで言うと、本書にも登場するスティーブン・ピンカーやリチャード・ドーキンスなど。リチャード・ドーキンスに至っては『神は妄想である』という著者まで出しているくらいだ。仮に公言していないにしても、科学と宗教の間には埋めがたい溝がある。
ところが、本書のスタンスは一風変わっている。宗教の必然性を、人間の進化学的な見地から解明しようという野心的なものである。
◆本書の目次
第1章 宗教の本質
第2章 道徳的本能
第3章 宗教行動の進化
第4章 音楽、舞踏、トランス
第5章 太古の宗教
第6章 宗教の変容
第7章 宗教の樹
第8章 道徳、信頼、取引
第9章 宗教の生態学
第10章 宗教と戦闘
第11章 宗教と国家
第12章 宗教の未来
人間には本来、道徳的判断にかかわる脳内神経回路が存在しているという。この先天的に保持する道徳的直観の存在ゆえに、宗教は普遍性を生み出しており、世界中に存在する宗教には共通点も多い。誕生、成長、結婚、葬送などの通過儀礼や、そこに伴う音楽などもその一例である。
これらの道徳規範は、集団の淘汰と直結した。個体より集団全体に利益を与える遺伝子の方が一般化するという説は、ダーウィンのあまり知られていない主張である。これらの道徳的規範を守るためのソリューションとして宗教は生まれてきたというのである。
このように宗教と人間との関連性を、生物学、社会科学、宗教史的な観点から分析している点こそが、本書の最もユニークな点である。その他にも、三大一神教や太古の宗教の検証、宗教と経済活動、社会形成、戦争との関連にも丹念に触れており、全編を通して理路整然としている印象を受ける。
しかし著者も、諸手をあげて宗教を容認している訳ではない。現在の宗教は、複雑さを増す人間社会の変化に遅れをとっていると指摘し、第二の転換期を迎えるべきと主張する。
宗教が司ってきた道徳的規範の構成要素は、「友好関係」、「共感」、「社会ルールの学習」、「互恵の観念」であるそうだ。この四つのキーワードを見て、いささかの衝撃を受けた。ひょっとすると、宗教の役割は、ソーシャルメディアに取って変わられつつあるのではないだろうか。
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宗教は古代のソーシャルメディアだ、そしてつながりなしにヒトは生きていけないが結論なのかな?
考古学の研究結果からいってもエクソダスなかったんじゃ、とかそういう身もふたもない話がいっぱいでほっとします。
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原題「The faith instinct: How religion evolved and why it endures?」
邦題の「宗教を生み出す本能~進化論からみたヒトと信仰~」の題名からも分かる通り、普通、科学とはどのようにその現象が起こるのかについてが中心的な課題である。その現象が、どうして起こるのかについては科学の範疇では無い。それは哲学の問題となる。
本書は、まさに、「なぜ」宗教が生まれ、それが「いかに」発展してきたか理路整然と説明している。
このような問題を論じる上で、宗教は遺伝的な要素によるものなのか、それとも後天的つまり、親が神を信じ、祈りを捧げているために子もそのように信仰するようになるのかが問題となる。
宗教にあまり馴染みがないと後者によるものだと簡単に考えてしまうが(私だけか笑)、筆者の主張は前者である。厳密に言うと、先天的な要素(筆者はそれは道徳性と呼んでいるが)があり、それが親から子に受け継がれることで生存上優位に立つことができるということ。正にCharles Robert Darwinの生物学的進化論の宗教版といったところである。
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文化に進化論的視点を持ち込む(≒普遍性を見出す)ことを思考停止して放棄していた身としてはなかなか衝撃的な本。
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進化論に着目した点は面白かったが、いまいち刺さらなかった。
こんなもんか、という印象。
序盤のつかみはとても良い。
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池田信夫さんのブログでしった本。
連続して宗教の本。ただし、著者はイギリスの科学ジャーナリストだそうで、日本の宗教への記述はほとんどない。
(1)宗教は、恐ろしい超自然的な存在を信じさせることによって、共同体の団結心を強め、平時、戦時での生き残り、困難な目標達成に役だった。こいうことを信じる集団は生き残りの確率が高く、この団体がもつ遺伝子が生き残っていった。(p50)
こういうと、もともこもない感じもするが、説得力はある。
(2)ボウルズは利他主義と戦闘は共進化したという。(p83)
たゆみない戦争の継続と同時に、他人を思いやる利他主義が併存する現在からみると、そのとおりかと思う。もしかしたら、利他主義は、最初は自分の共同体の中の利他主義が拡大していったのかもしれない。これは自分の意見だが、そうすれば、共同体の外へは戦闘をし、内部では利他主義がはびこるという合理的な行動になるような気がする。
(3)宗教は、道徳と信頼、さらには通商制度、生殖活動に大きな影響を与える。(p214)
この手の文化人類学、社会学の視点から宗教を分析すると、もともこもない感じがする。
あと、日本の宗教観は、神道、仏教、そして大陸からはなれた国家でつちかわれたもので、かなりかわったもののような感じがする。
日本の宗教も科学的に文化人類学的に分析した本を勉強してみたいな。
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宗教の本質
道徳的本能
宗教行動の進化
音楽、舞踏、トランス
太古の宗教
宗教の変容
宗教の樹
道徳、信頼、取引
宗教の生態学
宗教と戦闘
宗教と国家
宗教の未来
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「神は死んでない」
(『宗教を生みだす本能 ―進化論からみたヒトと信仰』読み終わり)
久々のブックレビューは読書会で扱ったこの本。
宗教の起源や三大宗教の成り立ち、これからの宗教の在り方について書いてある、とても面白い本でした。
宗教は、人間集団が生き延びるために本能が開発したシステムなのだそう。
個人が集団の中で生き延びるために培ってきた本能として、「友好関係」「共感」「社会ルールの学習」「互恵の観念」がある。それらを集団で共有すれば、集団は結束しますし、そうすれば生存競争にもより強くなります。その過程で、宗教が作りだされてきたというわけです。
宗教というシステムで一番興味深いのは"神"(抽象的な言い方だと、超自然的存在)の存在。これにより、集団の構成員は心のよりどころを得、未曾有の出来事に対しても立ち向かえるようになると同時に、"罰"を恐れ、ルールに外れたことはしなくなります。"神"の存在は感情に直接訴えてきます。理屈ではないので従わざるを得ない。
現代になり、宗教の力は昔に比べ弱まってきました。理由の一つは、歴史の検証が高度になり、宗教の前提となる「神による啓示」のフィクション性が高まったからです。また、地域によってですが、法律や社会保障制度などが整備されてきたのも理由の一つかもしれません。宗教を信じなくてはならないほど生存競争が激しくないからでしょうか。
それでは、宗教はもう"時代遅れ"なのでしょうか。その役目は道徳の教科書や、SNSにとって代わられるのでしょうか。
私はそうは思いません。人生で起きる様々なことの全てが予測可能でない限り、そして、この世の過去と未来の全てが解き明かされない限り、"神"は生き続け、宗教はなくならないでしょう。今の宗教の問題点は無理をして伝統的正当性を主張したからだと思います。神は概念である以上伝統的なものではなく、カリスマ的なものです。
神秘的な存在があり、それに人々が心を寄せ、自らの生き方を省みる限り、そこに宗教は存在し続けるのです。
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宗教は本能的なのであり、社会活動の結果である事はわかったが、ビジネスとしてや紛争の原因と成っている今、必要悪であると感じた。先進国である現代の日本のように、無宗教の人が増えている現実を踏まえると、本能とは言わずとも、合理的行動という言葉の方が腑に落ちる。
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池田信夫のブログでニュートラルな評価(けなされていない)で紹介されていたので、ある程度まともな本なのかと思っていたが、ひとことでいうとトンデモ本の部類に入るだろう。著者が、自らが擁護したい主張にその論理を合わせに行っているので、そこかしこで論理破綻している。ちょっと長いけど、その辺を少し。
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原題は”THE FAITH INSTINCT”で、スティーブン・ピンカーの主著『言語を生みだす本能』”THE LANGUAGE INSTINCT”をもじっている。「言語と同じく宗教は遺伝的に形成された学習能力の上に築かれた複雑な文化的行為である。」(P.9)と著者は言う。宗教を軽視するピンカーを批判し、言語と宗教を対置して、宗教本能が言語本能と同じ意味で人間の本能として備わっていると言いたい、ということがこのタイトルからも分かる。ただ仮に道徳的行動を本能としても、そこから宗教が同じように言語本能と同じ資格で人類の本能として備わっているというのは論理の飛躍がある。
そこで「本書の目的は、進化論の観点から宗教的行動を理解すること」(P.8)として、遺伝子や淘汰を持ち出して宗教行動の本来性を説明している。しかし、著者の進化論の理解度からは差し控えるべきではなかったのだろうか。それともそのことは承知でのことなのか。著者の主張は、宗教能力が突然変異と自然淘汰からなる進化によって人間の本能として備わっていることを科学的に示すことでは実はなく、宗教が素晴らしく今後も重要であることを科学的な装いで説明したいということでしかないのではないか。本書の論理の展開は、最後の方になるにつれ、どんどん見苦しいことになっていく。なぜならどうやらこれが本書の目的ではなさそうだからである。
そもそもこの本にとって「宗教」とは何か。著者ももちろん「宗教の定義」を行っている。宗教とは、「感情に働きかけ、人々を結束させる信念と実践のシステムである。そのなかで、社会は祈りと供犠によって超自然的存在と暗黙の交渉をし、指示を受ける。神の懲罰を怖れる人々はその指示にしたがい、自己の利益より全体の利益を重んじる。」(P.18)としている。「全体の利益」とはその個人が属している集団の利益だ(著者がまず頭に浮かべているであろう「集団」も読み進めるうちに明らかになる)。集団内の利他的行動が遺伝子の淘汰の対象となるかは議論があるところではあるのだが、ここではあっさりそのことを前提としている。もちろん集団の文化的行動が集団間の淘汰にさらされることは確実だが、そのことが遺伝子レベルでの獲得形質によらないといけないということはない。さらに遺伝的形質を議論する場合には、世界宗教と初期宗教は明確に区別されなければならないのに、この定義ではそれを混同してしまうことになる。
また著者は宗教行動が人間の本能として備わっている証左として、その普遍性を挙げるが、この論理はおかしい。
例えば、「宗教行動は人間の進化した部分と考えるおもな根拠は、宗教の普遍性にある。あらゆる社会になんらかの宗教がある。世界じゅうに存在する宗教は、文化によって大きく異なるとはいえ、共通点も多い。宗教行動が持つそういったほぼ不変の特徴には、遺伝的基盤があると考えられる。」(P.47)という。
ここでも本書を通して多く見られる論理の転倒がある。人類が持つ遺伝的形質(本能)であれば普遍的であるが、その逆、普遍的であるからといって遺伝的形質にその源があることは真実とは限らない。著者は結論をいそいであっさりと論理を飛躍させてしまう。
著者はその論拠が薄いことを分かってのことか、脳神経生理学的研究によってその根拠が見つかる"べき"、としている。「宗教行動の普遍性は、言語と同じように、脳内の構造に仲立ちされているからと考えられる。言語は脳の特定の領域にある神経回路に支えられている。というのも、その領域がわずかでも損傷を受けると、言語能力に障害が出るからだ。しかし言語と違って、宗教行動の土台となる神経回路がある脳領域は、まだはっきりと特定されていない。」(P.51) - ここから得られる結論は、普通であれば"もしかしたら宗教行動は神経回路に根ざしたものではないのかもしれない"、となるべきはずだ。しかし著者は、こう続ける。「つまり、宗教行動は現在の調査方法で発見できるほど大きな脳領域を必要としていないようだ。」(P.51) - この論理の飛躍は、もはやあきれるしかない。
さてここまできて、どうやら本当の「本書の目的」が見えてくる箇所がある。「宗教について書いた生物学者は多くはないが、そのほとんどが、宗教は進化的起源を持つと考えている。しかし何人かは、宗教は偶然の産物であり、自然淘汰上、有利だったほかの性質から生じたと主張する」(P.72) - ここで「ほとんど」の宗教について書いた生物学者とは誰かは述べられない。一方、「何人か」については具体的に述べられる。「宗教行動を非適応とする有名な生物学者に、スティーブン・ピンカーとリチャード・ドーキンスがいる。偶然ながら、ふたりとも宗教を痛烈に批判している。」(P.73) - どう考えても偶然ではないのだが、いずれにせよこの二人が反対していれば、その正当性について真剣に考えるに十分だろう。つまり、本書の目的は実は、著者の考えるところに反する彼らの宗教批判に対抗することにある。リチャード・ドーキンスの『神は妄想である』のような急進的な無神論に対抗する必要性を感じていることは確かであるように思われる。
だからこそ、著者にとって宗教行動が進化論に根ざしたものである必要があったのだ。
しかし、「目や耳のような複雑な器官は進化の中で少しづつ形作られた。これは宗教のような複雑な行動でも同じだろう。」(P.85)としてしまうほど、著者の進化論の適用についてあまりにも思慮が足りていない。
著者は舞踏と音楽と宗教と言語の四つが共進化したのではないかというが、もちろん「この四つの複雑な相互関係はまだまったく解明されていないが、いつの日にか、それらにかかわる神経回路を作り出す遺伝子が特定されれば、明らかになるかもしれない。」(P.100)としてしまう(妙に事実については正直なのだ)。そして、脳神経生理学にその証拠を見いだせなかった著者は次に考古学的証拠に向かう。「音楽と舞踏と宗教は、五万年前、現生人類がアフリカを離れるまでにそろっていたにちがいない。が、いまのところ、それらの発生時期を特定できる考古学的証拠はほとんどない。知られているもっとも��い楽器は、ドイツのガイセンクレスタールで発見された、白鳥の骨から作られた二本の横笛で、およそ三万六〇〇〇年前のものとされる。」(P.101) - ダメだった。
それにも関わらず、「ある意味で、宗教はひとつしかない。すべての宗教はひとつのファミリーに属するので、互いに関係がある。... しかし、宗教の歴史を一瞥すれば、それがいくつかの重要な点で言語に似ていることがわかる。おそらく今日のすべての言語がひとつの樹から枝分かれしたように、宗教もひとつの樹から派生しているのだ。」(P.162) - まるで言語がひとつの樹から派生したから宗教もそうだと言わんとしているが、比喩は比喩でしかなく、その正当性を保証するものでないことは明らかである。何にせよ、論理に無理があるのだ。
本書では世界宗教について、ユダヤ教の起源、キリスト教の起源、イスラム教の起源、と考察を重ねるが、その考察によってこれらが遺伝的に獲得した形質であることのつながりを証明しているとは思えない。あえて宗教を遺伝形質に根ざすものと言わずとも成立するのではないだろうか。類人猿にも見られる道徳的感情が遺伝的獲得形質であるとして、そこで終了ではないのだろうか。
また、宗教が大事だという論拠についてもいよいよ怪しくなってくる。「それでも宗教は、かつてほど目立たないとはいえ、昔ながらの役割の多くを担いつづけている。なかでももっとも重要なのは、人々に存続に大きくかかわるきわめて困難な行為、すなわち戦闘の準備をさせることだ。」(P.261)として、「宗教は戦闘に対応して進化してきた。宗教によって人々は共通の目標に身を捧げ、味方のために躊躇なく命を投げ出すほどだった。この驚くべき態度は人間の本能に深く刻みこまれているため、歴史をつうじて数多くの人々が、自分の宗教と仲間のために死んできた。本人と家族の利益は、より重要な大義の下位に置かれた。」(P.264)と書くに至っては、宗教に反対する論拠の全くの裏返しだ。
最後に近づくにつれて論理破綻がますます加速していく。「公正な法律があること、経済がおおむね反映すること、富がそれなりに平等に分配されることはすべて、まとまりのある社会には欠かせない。しかし、アメリカのように多様な国が驚くほど社会的に安定しているのは、それらだけでは説明できない。アメリカ市民宗教が、宗教の異なるあらゆる人々に精神的な絆を与えているのだ。さらに言えば、異なる人種間の橋渡しをしていることのほうが大きいかもしれない。」(P.302)というのもおかしい。アメリカ市民宗教にはイスラム教などが入っていないことは明白だ。さらに「結束を強める宗教の力は、ヨーロッパやアメリカなど、それ以外の社会的絆が弱まりつつある国や文明にとりわけ役立つはずだ。ヨーロッパは、何世紀ものあいだ互いに戦ってきた国々をひとつにまとめるという大胆な実験に取り組み、内部での深刻な戦争が起きにくい体制を作ろうとしている。キリスト教という共通の遺産がその結束力になりそうだったが、新たな欧州連合(EU)の憲法によって現代の宗教軽視の傾向があらわになった。キリスト教は加盟国すべてで昔から信仰され、消えようのない文化と歴史の一部であるにもかかわらず、EU憲法でまったく言及されていない。」(P.311)と書いてしまうことで、��の人はもう単純にアメリカのキリスト教をその無知なるところも含めて擁護をしようとしているのだ。彼がリチャード・ドーキンスに対して過敏に反応しているのもよく理解できる。それこそが、ドーキンスがまさに撃たんとしているところであるからだ。
「神を信じる人も減っているが、教会に通う人よりはずっと多い。スウェーデンで神を信じると言う人の割合は、一九七四年の八〇パーセントから、二〇〇一年の四六パーセントに減った。同じ時期で見ると、フランスでは六六パーセントから五六パーセントに落ちている。つねづね例外であるアメリカでは、一九七四年に九四パーセントの人が神を信じると言い、二〇〇一年にもまったく同じ数字が出た。」(P.307)という数字を出して、アメリカ人って本当におかしいんじゃないか、ドーキンスが心配するのも分かるわ、と思う。
しかし、著者はこれに対して、「これらの数字の変化は、人間にはもともと宗教行動の能力が備わっているという見解によって容易に説明がつく。能力があるからといっていつも最大限に発揮されるとはかぎらないということだ。」(P.307)としていてあきれる。普通に考えて、文明が進化して科学的な知識が増えるに従い神を信じる人が減っているということは、宗教信仰が環境に対する反応であって、本能ではないことを示す方の有力な証拠としか結論づけられない。
さらには、「宗教行動を好む性質が人間の神経回路に遺伝子レベルで刻まれている以上、宗教活動がすたれることはなさそうだ。そのうえ、たとえ人口のひと握りであっても信心深い人々がいれば、彼らの価値観が多くの人と共有され、国の文化にとどまりつづける可能性もある。」(P.308)と、神経回路に遺伝子レベルで刻まれている証拠はないと、自分で言っているのにそのことは全く無視の論理が展開される。
「宗教行動が大昔から果たしていた役割、すなわち集団内の結束を高め、外部集団から守るという役割は、たとえ教会へかよう人の数が減りつづけても続くと思われる。同じ宗教の異なる宗派間でひとつの価値感が共有されるなら、内と外という社会の両極化が、部族や国を超え、文明規模で起きてもおかしくはない。」(P.308)をなぜか肯定的に記述していることはあきれる。先のEUの例からも見てとれるように、そうとは言わなくてもアメリカの素朴なキリスト教を正義として捉えているのだ。
そして最後の締めがこうだ。「部族が国へ、そして文明へと発展する過程で、宗教は社会を団結させるメカニズムとしてもっとも基本的で際立った働きをする。合理的思考や社会の安定は、人々の宗教行動を減らすかもしれない。戦争や不安は教会へ足を運ぶ信者を増やすかもしれない。いずれにせよ、宗教は人々が団結して敵から身を守るのに欠かせない手段でありつづける。」(P.312) - 「進化論の観点から宗教的行動を理解することである」とした本書の目的は影も形もない。著者がある人の集団に対して「敵」を想定していることも明白だ。頭にあるのは、もちろんアメリカの「敵」であろうことは想像に難くない。
ここで、「際立った働きをする」は、「際立った働きをした」と過去形であるべきだろう。宗教が著者の希望に反して少なくともアメリカという特殊事例を除いては団結に役に立たなくな��ていることがますます多くなることを理解すべきだろう。そのときに宗教をその玉座から引きずりおろした科学がその埋め合わせをする必然性がおそらくはある。例えば、内面を管理する方策のひとつとしても、団結を産み出す力としても、ソーシャルネットワークという新たに生まれた場を想定して検証するのは間違っておらず、よほど生産的であろう。
書評などを読んでいると比較的好意的なものも多い。どこを切り取ってもトンデモ本にしか見えないのだが、どうだろう。
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宗教を論理的に擁護しようとすると論理破綻してしまうよい見本だということにしましょう。
道徳的本能はあると思っているし、類人猿にもその徴は見られるし、集団内の利他的行動が集団の淘汰に影響を与えて、それが宗教を含めた文化を形作るというのは、その通りだと思ってますよ。一方、宗教と神は、その役目を終え、また終わるべきだと考えているだけです。
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原題が”THE FAITH INSTINCT: How Religion Evolved and Why IT Endures”となぜか’IT’が大文字になっている。背表紙と表紙の両方でそうなので、何か意味があるのだろうかと思ってAmazon.comで原書を検索すると普通に"It"になっている。チェック漏れか。どうでもいいことだけど、批判的に見てしまっているので気になるな。
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著者は、New York Timesの科学ジャーナリストで、いくつかの著作が邦訳されている著名な人物らしい。ただ、NY Timesにおけるリチャード・ドーキンスの『神の存在証明』の書評で、進化を事実とするのはおかしいとその態度含めて批判したらしい。ダニエル・デネットからそのことに対する反対の投書が届いたりして、Wikipediaにも載っかるちょっとした論争になったらしい。なるほど創造論者だったか。そうと知っていれば読まなかったかもしれないけれど、逆の意味で勉強にはなったかな。
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宗教行動や信仰心は本能的なもので、進化の過程で生存上有利に働いたそうな。
人類の祖先の最大の外敵は他の獣ではなく同じ人間で、人間同士の戦闘が絶えなかった。ほかの人間への防衛策として集団生活を行うようになり、ここでまず道徳(善悪の感覚)が生まれた。道徳の存在理由は他の人間集団との争いに勝つために必要な結束を作り出すこと。戦闘が道徳を生み、利他主義と攻撃性は共進化した。
500万年前、チンパンジーとの共通祖先から分かれる前まではボスによって支配される階層社会だったが、そこから脳の発達した後の狩猟採集社会では完全な平等主義。この移行期に宗教が生まれた。知性の高まりは寄食者を生み、内部(寄食者)と外部(戦闘)の脅威に対する防衛策として道徳システム(殺人、虚言、窃盗の禁止、集団全体のためになる利他主義の奨励等)を発達させたが、道徳だけでは不十分だった。ここで宗教登場。神や祖先の霊等の超自然的監督者・懲罰者への信仰によってより強い社会的結束が実現され、平等主義が徹底された。
超自然的存在を信じた人々は信じない人々より結束力があり、より多くの子孫を残すことができ、我々の祖先となった。
宗教には個人的側面もあるが、進化にとって重要なのはより多くの子孫を残せるかどうかの一点のみ。信仰の満足は人を宗教の実践に向かわせるが、宗教の進化論的機能はあくまで人を結束させ集団の利益を個人の利益に優先させること。進化論的観点からの宗教の定義は
『感情に働きかけ、人々を結束させる信念と実践のシステム』。
初期の宗教では舞踏や音楽を通して共同体が一体となり、トランスの恍惚を求める性質と超自然的存在への強い関心が引継がれていった。
1万5千年前に定住社会が出現すると原始宗教は徐々に抑圧され、聖職者のみが儀礼を司り、超自然界との交流を独占したが、神との直接の交流と恍惚を求める人々の性質を如何に抑えこむかという問題が常につきまとい、抑圧に失敗するたび、新たな宗派が生まれていった。
宗教は社会が変わるたびに生じる新しい要求に応えるために何度も作り変えられてきた。宗教が今も廃れずにいるのは人が何かを信じたいと思っているからであって、宗教に歴史的合理性があるからではない(聖書がツギハギだらけで科学的にも間違っていることは既に暴かれた)。宗教行動が進化したただひとつの理由『人間社会がより長く生き残れるようにするため』に、現代社会に合う形で変わっていくべき。
宗教行動を適応とみなすには自然淘汰が個体レベルではなく集団レベルに働くことを認める必要があるが、本当に集団選択が起こるのかわからない。
面白かったけどあまり論理的ではない。
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宗教がどのように発生したと進化論者の立場からは主張するのか、ということは非常に関心があるところです。古い時代の研究、また原住民たちの音楽、舞踏、トランスなどにその原点を見出そうとするところは受け容れ難いですが、ユダヤ教に始まる一神教に焦点を置いた説明は非常に研究されているということで、著者は宗教を前向きに捉えているような、不思議な本でした。ヒンズー・仏教などの記載が一切ないのは、宗教と考えていないのでしょうか? 冒頭の言葉が改めて全体を言い表していました。「本書の目的は、進化論の観点から宗教行動を理解することである。このアプローチから生じる結論は信仰者、無神論者双方にとって受容し難いかも知れない。しかし、どちらの主要な考えも脅かすものではない。ダーウィンは生物学的プロセスの目的を説明していない、と考えるのは正しい。また宗教行動が道徳意識を高め、社会の結束を強め、初期の人間社会の存続にとって重要だった。・・・」この本は結論が最初にあると言える。
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人間と動物を分かつのは宗教行為である。政治や経済は類人猿にも存在する(『あなたのなかのサル 霊長類学者が明かす「人間らしさ」の起源』フランス・ドゥ・ヴァール/『共感の時代へ 動物行動学が教えてくれること』フランス・ドゥ・ヴァール)。だが死を悼(いた)み、死者を弔(とむら)い、遺体を埋葬し祈りを捧げるのは人類だけだ。宗教行為は「死の認識」に基づく。
http://sessendo.blogspot.jp/2014/03/blog-post_13.html
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ものすごく面白かったです。
それまで不思議だった宗教について、かなり納得できる説でした。
読んで良かったです*\(^o^)/*
なお、アブラハムの宗教についてが主で、東洋の仏教などについては書いてなかったと思います。