紙の本
「官報複合体」とは読んで字の如く「官報」そのもの、つまり官僚情報の垂れ流しだ
2012/04/04 15:54
8人中、8人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:サトケン - この投稿者のレビュー一覧を見る
日本経済新聞で20年にわたって経済記事を書いてきた元・編集委員が新聞社を脱藩してはじめて書くことのできたジャーナリズム論だ。ウェブマガジン『現代ビジネス』(講談社)に連載された記事を再構成して加筆したものである。すでに一部はウェブでも読んでいたが、あらためて通読すると日本の新聞メディアの構造的問題が浮かび上がってくるのを実感した。
いまから十数年前になるが、ある日系の石油会社のエグゼクティブから、「日本経済新聞の一面は政府の垂れ流し記事だから、まったく読む必要はない」という話を聴いたことがある。つまり日経の一面は「官報」となんら変わりがないということだ。
それ以来、わたしは新聞とは距離を置いて接するようにしてきたが、本書のタイトルを見て真っ先に思ったのはそのエピソードであった。著者は、政官と報道(=マスコミ)報道の複合体のことをさして「官報複合体」というのだが、わたしは、読んで字の如く「官報」、すなわち官僚情報の垂れ流しと受け取っても問題ないと思う。日本の新聞は官報そのものなのだ。
ピューリッツァー以来の本来あるべきジャーナリズムの機能とは、権力を監視するウォッチドッグ(=番犬)にあるはずだ。だが、日本の新聞には市民の目線から権力をチェックする権力監視型報道は皆無である。速報性においてはインターネットにはるかに劣るのにかかわらず、いまだに通信社機能が全面にでている日本の新聞社の姿勢。米国を過度に持ち上げる必要はないが、それにしても日本の新聞はひどすぎる。
これは、「3-11」の原発事故報道によって、多くの国民は痛感したことだろう。日本の新聞においては、ジャーナリズムにおいてもっとも重要なファクト・ファインディングが行われていないのだ。日本ではむしろ、日本の新聞社系列ではないため記者クラブから締め出されている雑誌記事のほうがより「調査報道」に近い。
米国を代表する経済紙WSJ(=ウォール・ストリート・ジャーナル)と日本経済新聞の違いもまた、本書を読んでいてつよく印象づけられた。現在のWSJはメディア王マードックの傘下に入って変質してしまったようだが、記者クラブのない米国の新聞ジャーナリズムの基本線をつくったのがWSJであったというのは、ジャーナリズムの世界には詳しくないわたしには意外な話だった。
問題は、この期に及んでも、テレビと新聞以外の情報源をもたない国民が多数を占めることだ。帯の文句ではないが、「今すぐ新聞をやめなければあなたの財産と家族が危ない!」というのは、けっして誇張でもなんでもない。わたし自身、新聞購読をやめてから3年になるが、仕事でも生活でもまったく困っていない。果たして日本の新聞社に自浄作用はあるのだろうか。それとも、根こそぎ崩壊してしまうのだろうか・・・。
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自分がいかに甘い読者だったかということを思い知らされた。事実を追うことで満足していた。それならインターネットでこと足りる。
この本を読んでから新聞に目を通してみたが、権力側のコメントは載せているが、非権力者のコメントはほぼなかった。ソースはほぼ匿名。冷静に読めば、ほとんどの記事が権力側の意思を反映したものになっている可能性がある。
いずれ発表されることを一日早くしったところで嬉しいことは思いつかない。日本の新聞社がそこにそれほどの労力をかけているのはもったいないことだと思う。記者にとっても、読者にとっても。
匿名を使うので第三者が検証できないという点は、原発における国民のメディア不信につながっていると思う。
震災を機に、記者クラブの実態や自由報道教会の存在をしった。公共サービスとしての機能をNGOに期待する、という記述があったが、私もNGOやフリージャーナリストに注目し、記事を読み、必要であればサポートするようにしたい。
著者は日経新聞での勤務経験があり、またUSのジャーナリズムスクールで学んでいるため、比較が詳細かつ豊富。読んでいて、こんなにも違うのかということがよくわかった。
スクールで鍛えられているためか、日本勤務時の社内の理不尽なやり取りが鮮やかに描写されていて、やりきれなさが伝わってきた。
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この本の作者曰く、日本のマスコミは政府の発表をそのまま記事にするところが多いらしい。市民の目線から書いてないばかりでなく、政府に都合のいい情報だけを流している。あまり信用しない方がいいかもしれない。
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本の帯には<今すぐ新聞をやめなければあなたの財産と家族が危ない!>とセンセーショナルなキャッチコピーがデカデカと記されている。新聞は必要ないというだけではない、新聞を取ることは害悪だというわけだ。
日本経済新聞出身の著者による、現代日本の新聞社の内幕を鋭く抉った刺激的な本である。消費税増税や原発事故の被害拡大にマスコミはどう関わったのか。巨大な力を持った新聞の「大罪」とは。
「官報複合体」とは、官僚機構と報道機関が結びついている状態を表す言葉。米国の「軍産複合体」をもとに、ジャーナリストの上杉隆が作った言葉らしい。
記者クラブに象徴されるように日本の新聞は「発表報道」が基本である。閣僚や官僚、企業といった権力側から発表されるリリースをもとに記事は書かれる。そして記者たちは彼らにすり寄り、付け入り、「情報」をいち早く自分の紙面で発表する事を競う。
しかしそれは権力とマスコミという第4の権力が他の権力と連合体を形成している事に他ならない。権力側は新聞に有利な情報を書かせるために巧みに操る。新聞はそれを喜んで受け入れ、自分たちだけの「特ダネ」を獲得しようと躍起になる。結果的にそれが権力にとって思惑通りの記事を書くことだとしても。
つまりそれが「官報複合体」なのだ。米コロンビア大学大学院ジャーナリズムスクールを卒業した著者は、米国の新聞報道の現場を目の当たりにしており、そこと日本の新聞の現場とのあまりの違いに愕然としている。
原点に立ち戻ろう。新聞にとって最も大事なのは調査報道による権力監視である。それは自明のことだ。権力側が好き勝手できないように「言論の自由」が保障されたマスメディアは監視していかなくてはならない。ワシントン・ポスト紙の女性記者デイナ・プリーストは「国家機密を漏らせば、通常は刑務所行きになります。でも、合法的に国家機密を入手し、世間に公開できる業界が一つだけあります。マスコミです」(p272)と語っている。同紙がニクソン大統領を辞任に追い込んだウォーターゲート事件報道以降、米国にはその伝統が根付いている。調査報道の下地があるのだ。
しかし日本の新聞はどうだろう。著者は「記者クラブ制度化では、歴史的に戦時中の「大本営発表」が象徴するように、マスコミが権力をチェックするというよりも、マスコミが権力と癒着することで国民の「知る権利」をないがしろにしていた」(p172)という。
2010年に起きた尖閣諸島中国漁船衝突事件の映像が既存マスコミに持ち込まれる事なくYouTubeで流出したのはそれを象徴する出来事だ。
そういう意味では、著者の主張は上杉隆とは微妙に違っているように思える。同じ記者クラブ制度を問題視しつつ、上杉隆が「大手マスコミだけが情報を独占するのは不公平!」と主張しているのに対し本書の著者は、「記者クラブのように権力と癒着して発表だけを垂れ流すようではマスコミはダメになる」と主張しているようなのだ。
あくまで私見だが。
冒頭のように過激なキャッチコピーが帯には記されているが、もともと日本の新聞社で記者をしていた著者には底辺に新聞への愛やジャーナリズムへの忠誠心があるようだ。だから「とにかく大手マスコミ憎し!」と憤っている(ように見える)上杉隆とは少し立ち位置が違うのだろう。
真のジャーナリズムを実現するのは自ら権力に切り込んでいく調査報道なのだ。ところが、それを実現するコスト的な難しさも事実。数週間かけて一本の記事しかできあがらないこともある。実際いま米国でもマスコミ業界の大幅なリストラが進んでいるという。それはジャーナリズムの危機だ。経済社会においてジャーナリズムは敗北してしまうのか。
そこで出現したのが「ハフィントン・ポスト」や「プロパブリカ」といったオンラインメディアだ。単に形態の違いだけでなく、これらの動きにより米国における調査報道の在り方も大きく変わろうとしている。
日本の新聞では主流である「匿名報道」の問題点、最近話題となった「オフレコ取材」の曖昧さ、ウィキリークス登場の意義、アメリカでのトヨタリコール事件の報道のされ方など様々な視点から「官報複合体」という問題が検証されている。本文中に何度も登場する、日本の新聞社はガラパゴス化しているという言葉が印象的。
ただし、読んでて何となくアメリカ礼讃っぽい感じを受けるので、そんなに無条件に日本ダメ、アメリカOKと言っていいのかと天の邪鬼な自分は感じてしまった。またそれだけ日本の新聞を批判している著者も、自身が日本の新聞社で記者をしていた際の話になると、いや、あの時は仕方なかったんです…むしろそういう風になっている構造が問題なのであって…と歯切れが悪い。
まあそこらへんは仕方無い気も。それも含めて非常に読み応えがある本。
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O鷲さんお勧め図書です。
「今年85冊目に読んだ本です。著者は新聞王ピュリツァーが創設したJスクール(コロンビア大学大学院ジャーナリズムスクール)への留学経験を有する元日経新聞の記者。アメリカの新聞業界ではこのスクールの卒業生が大活躍しているのに日本では少数派だそうです。なぜなら、日本では調査報道は重視されず、記者クラブからの垂れ流しのニュースや「速さ」を競う記事が重宝されるから。本のタイトルは過激ですが、書かれている内容は極めて冷静・客観的です。牧野氏の本は以前『最高の投資家バフェット』を読んだことがあり、その時は印象に残らなかったですが本書は満足度が高いです。462ページと厚いですが、読む価値あり。お薦めします。」
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著者の牧野洋さんは、元日本経済新聞記者。世界を代表するジャーナリスト養成機関と言われる米コロンビア大学ジャーナリズムスクール在学中の体験から日本の報道体制に疑問を持ち始め、現在はフリーと講談社「現代ビジネス」などで連載コラムを連載中。コラムのタイトルは「ジャーナリズムは死んだか」。
印象に残った話として、学校の現状を記事にした際、牧野さんは日本の新聞社で培った取材法に乗っ取り取材を進めたところジャーナリズムスクールの講師には、即ボツに。理由は、学校の主人公である生徒の取材が全くされていなかったから。校長や先生、専門家はいわば”権力”側で、支配者。それら権力の言い分を並べただけでは、『プレスリリース』と同じ。
日本の取材では、”権力”から話を引き出す、場合によってはリークされたものが良い記事として評価される。さらに、他社新聞社よりも1分でも1秒でも速く報じられたものが評価される傾向にある。いわゆる『特オチ』を嫌うというもの。
アメリカでは、”権力”の情報(この場合は、学校の校長や教育委員会)だけではなく、当事者たちの話を取材せずにどうやって記事を書くのだ!ということになる。いわゆる『両論併記』の原則というやつね。
実際牧野さんのこうした実体験に基づく日本の報道姿勢・報道機関の欠陥部分や、欧米各国との違い、長い歴史の中での報道検証など、ここには書き切れないほどの(もう十分長く書いてるじゃねーかって話だが)、”考えさせられる”エッセンスが450ページ超えの本書に詰まっている。日本や、諸外国のメディア環境や、現在の日本の報道に疑問を持っている人は是非一読あれぃ
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昨年の福島原子力発電所の事故を待つまでもなく、近年「新聞」を始めとする既存メディアに対する批判がとみに強まっています。本書は、日本経済新聞の記者であった牧野氏によるメディア内部からの批判本です。
とはいえ、実際の内容は、アメリカの「ウォッチドッグジャーナリズム」の紹介が主で、著者が批判する「権力追随」「発表先取り型」の日本スタイルのより具体的な姿、そうならざるを得ない真の要因等についての深堀りは今一歩です。
正直なところ、もう少し踏み込んだ「調査報道」的内容であればと、少々物足りない感じが残りました。
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軍産複合体をもじったのが本書のタイトル。副題といい、帯の惹句と
いい、かなり扇情的なのだが中身は著者の経験をベースとして、
冷静に日米の新聞報道の相違点を論じている。
この点で上杉隆のヒステリックな記者クラブ批判とは大違い。
加えて本書では上杉がしきりに絶賛するニューヨーク・タイムズの
権力に与した報道とその後の同紙の検証記事にも触れている。
上杉隆を妄信している向きには本書の一読をお勧めしたい。彼は
手放しでアメリカ・メディアを礼賛しているので、騙されるなよ。笑。
さて、本書である。日米の新聞記事の違いについて一番分かりやすい
のが、著者が日本経済新聞に在籍したまま、コロンビア大学大学院
ジャーナリズムスクール留学中の出来事だ。
日本人補習学校へ出向き取材したことを原稿にする。指導教官に
提出したところ、「これでは記事として成立していない」と突き
返される。取材した先は校長や教師。これでは「権力側」にしか
話を聞いていないことになるからだ。
後日、著者は再度学校に赴く。今度は授業を見学し、子供たちに話を
聞く。そして出来上がった原稿はOKをもらう。
よしっ。これなら日経の英文サイトにも掲載できるだろう。会社に送った
ところ、子供たちへ取材した部分がばっさりと切り取られサイトに掲載
されていた。
誰に話を聞き、誰に向けた記事なのか。日米の違いはこんなところに
も存在する。
語学の才能がないので英字新聞が読めないのが残念なのだが、
日本の新聞に限って言えば本当に「発表報道」が多い。「警視庁に
よると・・・」とか「政府は…」とか。
それに対し、誰がどう感じているなんてないものなぁ。新聞ではないが、
テレビ・ニュースで「○○(テレビ局名)の取材で分かりました」なんて
フレーズをよく聞く。「ほぅ、それは誰が誰に聞いて分かったのかね?」
なんてテレビに向かって突っ込んでいることがあるのだが。笑。
その報道は誰の為?誰が誰に何を伝えたいの?権力側の発表を
垂れ流すだけしか能がないのなら、それは報道ではないのだよね。
「新聞は情報を読者に届けるためだけに存在する。他に理由はない。
読者にとっての新聞の価値とは何か。いま何が起きているのかについて
真実を明らかにし、きちんと伝えること。これに尽きる。
広告主などからの圧力で伝えるべきニュースを伝えなくなったら、
新聞は広告主も含め誰にとっても何の役にも立たなくなる。読者を
すひなってしまうからだ。」
ウォールストリート・ジャーナルの親会社社長キルゴアが、同紙が
自動車メーカーGMの逆鱗に触れた時の言葉だ。
広告主と闘える新聞社は、日本にあるのだろうか。ないだろうな…。
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126ページ
日本の検察は起訴権、捜査権、逮捕権を独占する
◆→起訴権を独占し、捜査権、逮捕権を持つ
295ページ
二〇〇五年になり連邦捜査局(FBI)の元副長官マーク・フェルドが「私がディープスロートだった」と名乗りを上げるまで
◆フェルド→フェルト
376ページ
二〇〇七年七月一八日付ニューヨーク・タイムズの文芸面で、著名ジャーナリストであるウォルター・クロンカイトの死亡を伝える記事中に合計で七カ所もミスがあった。
◆二〇〇七年→二〇〇九年
404ページ
フィーチャー記事にこそ新聞の末来があるということだ。
◆末来→未来
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・時間が経てばわかることに新聞報道の意義はない。社会を変えうることを報道するのが使命
・だけど日本は御用聞きばかり。報道の体をなしていない(そりゃあそうだよ、大政翼賛会の時代からある新聞社で、伝統を自慢してるんだもの)
・政治とは対峙し、監視するのが使命(あれ?)
取材に応じるのは覚悟がいる。
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第一章
エルスバーグ:ペンタゴンペーパーズを持ちだした
道でん篤:五菱会関係のマネー・ロンダリングで逮捕起訴されたが、後日無罪を獲得したクレディ・スイス銀行の元行員
合衆国憲法のファースト・アメンドメントに言論の自由を守られながら、内部告発を保証するアメリカに対し、日本国内の現状を憂いる。
第二章
村上ファンドと堀江貴文について。村上世彰から逮捕当日の朝電話がかかってきたらしい。波取り記者(電波利権)について
第三章
ジュディスミラー:NYTの女性記者。イラク戦争前にサダム・フセインが核兵器開発に向けて準備を進めているという誤報を続ける。
前田恒彦:データ改竄問題においての主任検事
大坪弘道:特捜部長
佐賀元明:副部長
ロバート・クザミ:SEC捜査局長ゴールドマン・サックス追求で活躍した
匿名について。
マスコミと権力が癒着していると以下の3点が展開として考えられる。
内部告発者が匿名性を失う 推定無罪がまかり通る リーク依存型報道が過熱する。日本では検察、裁判所の裁判長など、権力側にいる人物の匿名性が多く見られる。
第四章
記者クラブ
第五章
市民目線が根付くアメリカの報道機関
第六章
ウォルト・モスバーグ:WSJの記者。毎週木曜日に書くコラム「パーソナルテクノロジー」が絶大な影響力をもつ。ジョブズとの関係も。
モスバーグに関する情報がとても良かった。彼を引き抜こうとするNYT、そしてWSJの意図も分かる。徹底的に消費者の目線にたって、様々なデバイスを吟味。
シリコンバレーに赴任しなかった理由も納得。
第七章~第八章
デイナ・プリースト:ワシントン・ポスト記者。CIAのブラックサイトを調査報道によって暴く
アメリカの調査報道、および調査報道に特化した機関の取り組みを紹介。ロサンゼルス・タイムスのトヨタリコール問題など。CIAのブラックサイト問題ではブロガーの力を借りたと記されている。ディープウェブ検索について。これはwikileaksにも近い。
第九章
フィンク:プロパブリカにてカトリーナハリケーンで襲われた地域の取材でピュリッツァー賞を受賞
チャールズ・オーンスタイン:プロパブリカ所属記者。看護婦の実情について記し、ピュリッツァー賞最終候補まで残る。
トレーシー・ウェーバー:同上。
調査報道の雄として、オンラインメディアやNPOを紹介している。ボイスの運営実態について。収入など新たな経営について記されている。
第十章
ウォルター・クロンカイト:CBSイブニングニュースのキャスターを19年間務める
記事の正確性について。ルパード・マードックの買収が影響しているのでは。ファクトチェックについて。
第十一章
第十一章
「一面トップ記事の条件」は一番の興奮をもって読破してしまった...。第十一章は「近代的フィーチャー記事のパイオニアがWSJ」という言葉を掘り下げた章で、WSJ中興の祖といわれるバーニー・キルゴアの改革から、筆者である牧野洋さんがコロンビア大学Jスクール���学ばれた「WSJ方式」の説明が書かれている。ハンター・S・トンプソンの映画や、カポーティの「冷血」を読んで以降ニュー・ジャーナリズムにも興味があったので、それらとフィーチャー記事が繋がったことも学んだことの一つ。報道に悶々としている人はまずこの章だけでも読んで欲しい。
第十二章
ピュリッツァー賞と新聞協会賞。またJスクールの教育について。厳しいが実践的。
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面白かったが、ちょっとエピソードがくどい。コラムまとめたみたいだけど、もう少し削った方が読みやすい。
民主主義にはいいマスコミが不可欠。
んで、知る権利を履き違えてはいけない。
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元日経ニューヨーク駐在capによる日米ジャーナリズム(新聞)比較論。ややアメリカ新聞礼賛のきらいがあるが事実日本の新聞報道のショボさがあるんだと思う。メディアリテラシーを高めるためにも読了してよかった。ちなみに欧州はどうなんでしょうね。FTとかルモンドとか。
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面白かった。アメリカのジャーナリズムと比較して、日本のマスコミ、とくに新聞が抱える問題点を指摘する。頭から新聞の記事を信じてしまうことに危険性があることを知った。
アメリカのジャーナリズムを賛美し過ぎの感はあるものの、ジャーナリズムの本質を考えさせられた。
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新聞を中心とするメディアが権力監視の役割を果たさなくなると民主主義は腐敗し崩壊する。新聞社のエライさんが政府の審議会に入っていたり、同じ施設内で便宜供与どころかネタまでもらう記者しかいない日本で、アメリカ流のジャーナリズムが育つはずもないか。