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議論が飛んだりして、とても読みにくい。そして分かりにくい。上から目線は、元々存在していたもので、それが言語化され、大衆に広まった事によって、会話がやりづらくなったんだと思う。もちろんその過程で、上から見られる事に対する嫌悪感が昔に比べ人々の中で増して来たというのはあると思う。知識がある方がない方に対して上からものを言うのは当然のことだと思うが、頼んでもいないのに上からこられたらイラつくのも当たり前。
そうならないための対処法は、へりくだる事だと書いてあったが、それは根本的な解決になるのだろうか?プライドばかり高くなって、中身の伴わない人間に対してへりくだる必要もないし、むしろ上からこられた事実に腹を立てる事によって、得られるものも多いと思う。
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考察が中途半端。
財布と落とした若者の態度の例があって、それをいろいろ考察しているが単にその若者が無礼な奴だっただけという考えが無い。深読みするところでないところで下手に深読みしている。
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時間をかなりかけて完成されたようで全体的な流れについていくのに少し疲れました。共通の価値観・前提が崩れ、コンフリクトが起こり上から目線となる仕組みが非常に丹念に説明されています。日本語の成りたち自体にも因があるとのことですが、ますます困難さの感覚が募ります。
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う〜ん。久々の迷作。
何が言いたいのかよくわからん。
新書なんだからもっと、何が言いたいのか前面に出してもいいと思うんだが、当たらず触らず、なんとなく上から目線のような、そうでないような文章。
う〜ん、わからん。
ちなみに講談社現代新書はこういうよくわからんのが多い気がする。
いつ読んでもすっきりせんなぁ。
著者というより編集の問題だと思うな。
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「目線」というフレームで括ることは、日本だけ?と思ったら、日本語の構造そのものにも原因があるという。ところどころウンチクや時勢のことが書いてて面白いんだけど、まあ読みにくい。だから星2つだ!と上から目線で言ってみる。
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「上から目線」がなぜ生まれるのか、また、それは何なのかを解説した著作。やや論旨が追いにくいが、本書で少しだけ触れられているインターネットの影響をもっと掘り下げてもよいように思う。proとconが直接リンクされるネット化された知識社会であるが故に、お互い相容れない議論が生まれ、「上から目線」という一種の「不寛容」を生み出しているということも言えるのではないだろうか。
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気づきが多い。手元に置いておきたい本。
エピソードを通じて、過去の自分の過ちも見つけられた。
時代の変遷、政治家の移り変わり、コミュニケーションの在り方、日本語の会話の特徴、などなど。
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タイトルに惹かれて手に取った本です。
「上から目線」という言葉をキーに、円滑なコミュニケーションをとる方法について論考が進みます。
著者は、「上から目線」が問題視されるようになった背景には、「空気の消滅」を伴うコミュニケーション不全があると指摘しています。紹介している事象の解説については、首肯できるところが大いにありましたね。
しかしながら、それを改善するための対策については、正直なところ腹に落ちませんでした。「日本語の型」に少々こだわり過ぎで、その背景にある精神性・社会性の分析にまで踏み込んでいないのが残念です。
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上から目線とは「現場、実態も分からないのに勝手なことを言う指導者」「分からない人に対して、偉そうにもの言う態度」に対する批判めいた言葉である。日本全体の空気が、この批判を恐れていると著者は言う。
政治の世界で、現与党の民主党を見てみると「小沢的 ビール箱演説の演出」 「鳩山的 ”国民の皆様方の・・・・・させて頂きます”口調」 確かに、視線を徹底的に下に下に落として批判を受けないようガードをしている。
しかし、そろそろその空気も終わるだろう。実行力の無いだけで、下から目線をしておけば間違いないだろう的な姿勢はスキャンダルこそ逃れるものの人気は上がらない。橋下市長に人気が集まるのように、実行力のある指導者であれば上から目線でも構わないという空気に変わりつつある。
日常生活では、「正社員- 非正社員」 、「一部上場ー非上場」、「出身大学の序列」 のような上下関係を匂わせるような発言はタブーとされると著者いう。 これは世の中の風潮以前の問題な気もするが、著者のいうことでもっともなのは、人との関係を会社名や役職、出身校等で判断する部分する下らなさをつぶやいていても非生産的であるという点。
人間の関係に上下関係ができるのは当たり前なのだから、まずは「すべての人が対等である」という精神的な意味での前提に立つ、その上で局面局面で必要な上下関係は生産的な行動を生む為にも必要である。 理解ある上司や、分かったふりの上っつらの人間関係では何も生み出さない。
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近年は「こころの時代」ともいわれるほど、「生きにくい」社会だと思う。高度経済成長からグローバル化社会に突入し、日本経済自体も成長路線から停滞路線へ、個々の価値観も多様化している。本著ではこの価値観の多様化が、会話のテンプレートを崩壊させ、コミュニケーション不全が安易に「キレる」というコンクリフトを起こしている。こうした状況が本著でいう「上から目線」を作っている。
この「上から目線」化は日本語がもつ「上下構造」から生み出されるというのも驚きだった。関係性が言語からもつ特質というのは新たな発見ではあるが、同時にこうした新たな知見を例えば国語教育の中に位置付けるなどの社会教育的なところにつねげるべきだろう。個人的には会話だけでなく、メールやSNSなどのIT化の促進によって、言語の向こう側にある情報リテラシーやコミュニケーションの取り方、背景にある歴史・文化・思想・宗教などの幅広い知識をもつことが今後の社会では重要になってくると考える。コミュニケーションというもののもつ必然性、特殊性を改めて考えさせられた。
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今時の若者が年上からのアドバイス等を「上から目線」として嫌う現象を分析した1冊。
といっても作者のこのような若者への憤りがところどころに噴出しているのでもう少しニュートラルな目線で書いて欲しいと感じた。それこそまさに上から目線の世代論の本。
しかしながら、若者の困ったケースを紹介して憤慨しておきながら、このような若者の心理やそうなった社会背景も説明しており、若者にも理があることを認めている。なぜこの視点を持っていながらこのような構成にしたのか惜しさを強く感じる。
ぜひ社会現象的な切り口と若者の観点から「上から目線」が現代において嫌われるかを分析して欲しい。
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普段何気なく使っている日本語がかわりつつあること。時代背景や社会的に大きなインパクトのあった出来事によって変わっていくことを知ることができてよかった。対等な社会がうまれつつある。
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「上から目線」に対応するコミュニケーションの方法として,[1]価値観論争をやめる,[2]個人の立場から語る,[3]利害の結節点に立つ,[4]聞き流しの術を身につける を提案している.どれも正鵠を射ている.
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「『会話のテンプレート』がなくなった」この現代の状況を筆者は嘆く。でも「会話のテンプレート」の影には「人生のテンプレート」があった訳で、ここから外れた人は世間から冷たい目で見られるという窮屈さがあった。これが昔。例えば「デキ婚」なんてのは一族郎党の恥とまで思われてた。逆にいい年して結婚しないのも恥ずかしいことと思われていた。
実は皆が嫌がっていた旧来の価値観の押し付け。それを極力排除していって、なるべく個人のおかれた現実を尊重しましょうね、人の嫌がることに触れるのはやめましょうね、というのを推し進めた結果が今の社会な訳で(これをさらに推進した果てに「無縁社会」も生まれてしまった。これは負の結果)。
「会話のテンプレート」「人生のテンプレート」がなくなった分、生きやすくなった人も大勢いるのだし。テンプレートがなくなったことは必ずしも悪いことではないと思うのだけれど……。
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共通の空気の無い、困難な感覚。
世界観のぶつかり合い。
上下を設定しないと、会話が成り立たない日本語。
それぞれがなるほどと思わせるのだが、何故か全体を通して膝を叩く感じがしない。
ちょっとしっくりしない。