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経営者じゃない労働者へのメッセージがあった
2024/02/12 13:02
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投稿者:はまさん - この投稿者のレビュー一覧を見る
ドラッカー、マネジメントというと、どちらかというと人を動かす側の人間が読むちょっと意識の高い本というイメージでした。100de名著シリーズの書かれ方としてなのかも知れませんが、実際読んでみると分かりやすい、おもしろい、そして働くことに対してどういうモチベーションで取り組めれば良いのか、ということが書いてあり人生を送る上での教養ってこういうことなのかなと思いながら読了しました。本自体も薄く短時間で読み終われるので初めて触れる本としてはすごく良いと思います。
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NHKの教育テレビで放送されている「100分で名著」。
古今東西の名著を広い視点から解説してくれる番組で非常に面白いのだが、その内容の書籍版が刊行された。
今回はドラッカーのマネジメント(エッセンシャル)である。
最初は「要約されたものをさらに要約して大丈夫なのか?」と懐疑的だった。
しかし、エッセンシャル版の要点を抽出しつつ、その前後に発売されたドラッカーの書籍のポイントを加えながら編集されている。
マネジメントを中心においた、ドラッカー哲学の再編成したものという感覚か。さすがドラッカーを知り尽くす男、上田惇生である。
巻末のドラッカー名著集を見るだけで他の本も読みたくなってきた。
もしドラは内容をより身近な事例にアレンジした本であるが、本書はドラッカーの世界全体を手軽に知ることができる好著である。
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本当はNHKの講座で聴きたかったのですが、ドラッカーの超入門編としては最適だと思います。
この本を読んでから「もしドラ」に入ったほうが、もしドラをより一層楽しめるのではないかと思います。
ドラッカーの考えには共感するところが多いので、私も勉強し直してみます。
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ドラッカーの生い立ち、人生、エピソードについて書かれています。
『マネジメント』をまだ読んでない人に読みやすいのでお薦めです。
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「もしドラ」を読んだ時には、「もしドラ」への反発からか胡散臭く思えたドラッカーが、この本を読んで少し理解できました。
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「もしドラ」も読んでいないし、ドラッカー自体にもそこまで興味が無かったけど、前書きがよかったので図書館で借りた。ドラッカーの著書「マネジメント」の紹介というよりは、ドラッカーの人生と彼の思想の紹介。人生の後半を過ごしたアメリカで「人こそ最大の資産」という持論にたどり着くが、アメリカで人を大事にしている企業ってあるのかな?と不思議な気持ちになった。(おそらく私が知らないだけなのと、「人を大事にする」ということに対する文化的価値観の違いもあるのだろうけど)ドラッカーだけでなく、経営学や西洋の哲学思想にも触れていて、知識を深めるのに良い手助けとなると思った。
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「マネジメント」のエッセンシャル版と「もしドラ」を読んだ状態で読んだ。「マネジメント」の内容がわかりやすく説明されていて読んでいて参考になった。「マネジメント」の内容を知りたかったら、この本から読んでもいいと思う。人に薦めたくなる本。
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「マネジメント」の要約というよりは、ドラッカーが「マネジメント」を書いた背景が分かる本であり、「マネジメント」に興味がある人は、なかなか興味深い内容が書いてあります。
ドラッカーがどういう人生を生きたのか、についてや、どのような考え方の変遷で本を書いたのか、が理解できた。この本を読むことで、より深く「マネジメント」という本を読めるな、という印象でした。導入としては最適の本だと感じました。
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『マネジメント』はビジネス本なのだと思っていた私にとって、そして世のビジネス本になんとなく胡散臭さを感じている私にとって、この本はとても良い「ブックトーク」を提供してくれた。
ドラッカーがなぜ「マネジメント」を書いたのか、彼の言う組織とは何か、という根底のところを丁寧に解説してくれている。
ドラッカーの人となりや、著者自身のドラッカーへの敬意が伝わって来て感動したので、さっそく『マネジメント エッセンシャル版』を購入してみた。
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ドラッカーの来歴とマネジメント一冊に詰込められている心が紹介されている。これを読んで明日から活かせるスキルになるかというと違う。
これを読んだ上でマネジメントを読むと良さそう。
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『マネジメント』のことを何も知らない初心者の「マネジメントって何?、ドラッカーさんってどんな人?」という疑問に、翻訳された方が解説してくれる本でした。
これだけで『マネジメント』が理解できるわけではないです。
ただ、ドラッカーさんがどういう時代を生き、その結果、この『マネジメント』という本が生まれた、という流れが分かるので、そういう背景を知る上では役立つ本だと思います。
また以前から話題になっている本だし、いつか読んでみたいけど自分でも読めるのだろうか…と思っている人にはいい後押しになる本だと思います。
(私は後押しになりました)
ドラッカーさんが数々の書籍の中でも、どの本を読むといいということも書いてあったので、参考にいろいろ読んでみたいと思いました。
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ドラッカーの「マネジメント」を簡単に紹介した本。非常に読みやすくしているので、興味を持たせる点ではいいが、少し内容が薄い感じもしないではない。
しかしながらマネジメントを要約しているためか、ドラッカーの言葉の力強さの一部を知ることができ、これを読んだ人はエッセンス版を、読もうという人もいるのではなかろうか。
個人的にはマネジメントを学ぶというよりも、自己啓発本のニュアンスを感じてしまったのは、「マネジメント」を読んでいないからであろう。
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紹介されて読みましたが、1~2時間で読めるドラッカーの入門書としては最適ではないかと思います。
『マネジメント』の解説から入るのではなく、ドラッカーという人の生涯や時代背景を説明しているところがありがたいです。
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ビジネス経営学における現代の孫子の兵法。孫子の兵法が数多の戦略家の基礎となった様に、現代のビジネスマンの基礎となり得るだろう。
その一つにマネージャー職に就く前からでも、セルフマネジメントをする事は重要であると説かれているからだ。マネジメント職に就いてから、一般職に就くと視界が広がるのだ。これは間違えない。私もプレーヤー目線からマネジメント目線で組織を見た際に視界が変わり、この組織に何をもたらせれば良い方向に向かえるのか、と自然に考える様になった。この様に組織マネジメントも、そして部下世代からセルフマネジメントも推奨するのが本書であり私を含めた部下にも読んでもらいたい作品である。
マネジメントがもたらすもの、それは働く人間の充実感であり、それをもたらすのは顧客の満足度に注視して働く事。単に金稼ぎではない心の満足度を上げる事である。
マネジメントの役割は大きく以下の3個
1⃣自らの組織に必要な役割 使命を果たす。→やるべき事を明確にし実行できる様に作戦を構築しする。
マーケティングをし分析をし顧客の満足できるイノベーションを起こす。経営資源を潤滑にし、生産性を求める事、
2⃣仕事を通じて働く人たちを活かす。→人こそ資産。金稼ぎ・生産性だけではいつか倒れる。
経営資源を円滑にし肉体労働が得意な人間に知識労働をさせない適材適所を行う。
3⃣社会の問題について貢献する。→社会のニーズを追求し応える事。一人勝ちではないwinwinの関係を築く。
営利目的だけでない社会的目的を果たす事が肝要である。利益は妥当性の尺度であって、意思決定の理由や原因根拠ではない。
マネジメントに必要なスキル
①意思決定 多様な意見を徴収し、いくつかの判断の中から意思決定は可能。何もしない、も行動の一つ。
②コミュニケーション 人を動かせるか。自分が所属する組織に何を貢献できるか。お互いに理解を共有し合えるのがコミュニケーション。
③管理 いかに管理するかではない、この組織で何を管理するのかが重要。管理する事自体は大した問題ではない?
④経営科学 経営科学を使えば組織に貢献できる。
これらは経営者だけでない。労働者にこそあるべきスキルだとも記載がある。
全員が社長の様に働かなければ成功は難しい。全体像を見ながらすれば自ずと動き方が見えてくるという事だ。
マネジメントは今後の人生に大きな影響を与えそうだ。
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信念を貫く姿勢
西洋の日本化
バタフライ効果、全体をみる
既に起こった未来、既に起こったものの既決をみる
失敗を含みながらも長期的な戦略を練っていくドラッカー
貢献と働き甲斐を鮮明にすること
万能として使うのでなく補助せんとして原則つかう
興味を抱いたものは23年徹底的に調べまくってきわめる
どうしても企業活動の現場を見たい──と考えたドラッカーは大企業や中堅企業に片っ端から「研究のために見学させてもらえませんか?」と申し入れたものの、「妙な変わり者」とか「アカ(共産主義)」と敬遠されて、どこも受け入れてはくれませんでした。 しかし、ある日悶々としていたドラッカーのもとに一本の電話がかかってきました。『産業人の未来』を読んでドラッカーに興味を持ったゼネラルモーターズ(GM)(*12)の副会長ドナルドソン・ブラウンからの「我が社を見てみないか?」とのオファーでした。これを機にドラッカーは一年半の間、GMに通い詰めて組織運営についての研究を行なうようになったのです。 彼がGMで行なったのは、本社の幹部や事業所の社員とじかに会って話を聞くだけでなく、さまざまな会議にも参加して、組織のあり方と運営の仕方を徹底的に調べるというものでした。それを報告書というスタイルでまとめたのが、三作目の『企業とは何か』(一九四六年)です。 この本は内容的には企業のマネジメントについて書いてはいたものの、基本的なテーマは社会の体制についての考察であったため、『「経済人」の終わり』『産業人の未来』と合わせて「政治三部作」中の一作として位置づけられています。 経営三部作、そして『マネジメント』へ 『企業とは何か』は、出版されてすぐに評判を呼び、大企業の組織改革のテキストとして、広く受け入れられることになりましたが、当のGM側は内容を見たとたん怒ってしまいました。「もっとこういうふうにしたほうがいいのでは」というドラッカーの提言のいくつかが気に入らなかったのです。 とくにドラッカーの「経営に絶対はない」というスタンスが、GM側には受け入れがたいものでした。GMは当時すでに世界的な超優良企業として成功をおさめ、自社の経営システムに絶対の自信をもっていましたから、それを批判されたことが許せませんでした。 ちなみに「絶対というものはこの世には存在しない。すべては変わっていくものだ」という考え方は、ドラッカー思想の根本ともいうべきものですが、これは日本人の諸行無常の思想に通じています。 また、ドラッカーは社員一人一人に話を聞いた結果として「仕事のことを一番よく分かっているのは現場である。彼らの考えを経営に取り入れるべきだ」と主張しましたが、これもGMの逆鱗に触れる一因になったようです。 さらにドラッカーはGMの事業全体を見て「世の中のことをもっと考えなければいけない」とも言いましたが、これもまた、いらぬおせっかいと映ってしまいました。当時のGMは、よい車を生産することこそが社会への最大の貢献と考え、すでにそれを実現しているつもりでいたのです。 しかし、当のGMからは反発されたものの、『企業とは何か』を書いたことがき��かけとなって、ドラッカーのもとには「我が社のコンサルタントをやってくれないか」という話が次々に舞い込むようになります。 その後、フォードやGEのほか、シアーズ・ローバックや、マークス&スペンサー(*13)といったさまざまな企業の事例を盛り込んで、ドラッカーが四四歳のときに書きあげたのが『現代の経営』(一九五四年)です。この本によって、ドラッカーは「マネジメントの父」「マネジメントの発明者」と呼ばれるようになりました。その後、『創造する経営者』(一九六四年)、『経営者の条件』(一九六六年)を出版。『現代の経営』を含むこの三冊は、さきほどの「政治三部作」に対して「経営三部作」と呼ばれています。 さらにこの経営三部作以降の知見をまとめて、一九七三年に集大成として出版したのが、今回取り上げた名著『マネジメント』なのです。
「マネジメント」という言葉をそのまま訳せば「管理」「経営」などの意味ですが、ドラッカーのマネジメント論をひと言でいえば「人と人とが成果をあげるために工夫すること」──ということは、そもそも人を感動させるもの。人と人が一緒に働いていれば、必ずそこには感動の種が存在する。だから、小説やマンガ、アニメや映画になってもその部分をきちんと伝えることができれば、読んだ人や見た人が感動するのは当たり前のことなのです。
第一次大戦が終わりを迎えた五年後、五〇〇年以上続いたハプスブルク家の支配から解放されたことを祝う労働者のパレードが、ウィーンで開催されました。一三歳だったドラッカーは赤旗を振りながら、パレードの先頭を歩き始めたものの、途中で水たまりをよけるために歩道に立ち、しばらくそのまま傍らからパレードを眺めることになります。そのときにドラッカーは、ふと「自分は人の先頭に立って歩く者ではなく、そのありさまを人に伝えるべき者である。それが自分の役割であり、得意とするものではないか」と思い至ったそうです。
とくにドラッカーの「経営に絶対はない」というスタンスが、GM側には受け入れがたいものでした。GMは当時すでに世界的な超優良企業として成功をおさめ、自社の経営システムに絶対の自信をもっていましたから、それを批判されたことが許せませんでした。 ちなみに「絶対というものはこの世には存在しない。すべては変わっていくものだ」という考え方は、ドラッカー思想の根本ともいうべきものですが、これは日本人の諸行無常の思想に通じています。
つまり、ドラッカーは、カスタマー・サティスファクション(顧客の満足=CS)と、エンプロイー・サティスファクション(従業員の満足=ES)の二つが両立できてこそ、会社としての存在意義があると考えたわけです。
でも、これからの時代はトップだけが経営や組織について学ぶ時代ではない──とドラッカーは言います。「組織のメンバー全員が、自らを律する帝王学を身につけて、全員がトップのように働かなければ、組織の成功、ひいては社会の繁栄はない」というのが彼の考え方なのです。 ちなみにドラッカーは、「万人のための」帝王学として『経営者の条件』(一九六六年)という本を書いています。この本は『マネジメント』の原点ともなっている重要な一冊なので、内���について少し触れておきましょう。 『経営者の条件』なる邦題を見ると経営者に向けて書いた本のように思われがちですが、原題は「The Effective Executive」。ドラッカーはexecutiveという言葉を「組織の活動や業績に貢献をなすべき、すべての知識労働者」という意味で使っているので、直訳すれば「仕事のできる人」となります。 『マネジメント』が、組織をマネジメントする方法について書いているのに対して、『経営者の条件』は、自らをマネジメントする方法(セルフマネジメント)について詳しく書いています。つまり、組織のなかでいきいきと働くために、自分自身をどう律していくべきかについて書いたのが『経営者の条件』です。
「成果をあげる能力によってのみ、現代社会は二つのニーズ、すなわち個人からの貢献を得るという組織のニーズと、自らの目的の達成のための道具として組織を使うという個人のニーズを同時に満たすことができる」と。 少々難しい言い回しですが、かみ砕いていうならば「組織に属する者が、それぞれ成果をあげるために努力工夫すれば、組織のためになるだけでなく、本人の自己実現に繫がる」という意味になるでしょう。 そこでひとつ、組織において成果をあげることについてドラッカーが残した言葉のなかで、私がもっとも好きなものを挙げておきます。 成果をあげる人とあげない人の差は、才能ではない。いくつかの習慣的な姿勢と、基礎的な方法を身につけているかどうかの問題である。しかし、組織というものが最近の発明であるために、人はまだこれらのことに優れるに至っていない。 (『非営利組織の経営
では、ドラッカーは「成果をあげること」として具体的に何が必要だといっているのでしょうか。『経営者の条件』のなかで、彼は五つの能力を高めれば、成果をあげることができると言っています。五つとは──すなわち「時間管理」「貢献」「強み」「集中」「意思決定」のことです。 「時間管理」とは文字通り、何に自分の時間がとられているかを知り、時間を体系的に管理することです。やる必要のない仕事や、成果に結びつかない仕事は切り捨てる。人にまかせていい仕事は部下や外注にまかせる。時間は大きなかたまりで使えるように調節する──といったことが主なポイントとなります。 「貢献」とは、外の世界に対する貢献に焦点をあわせることを言っています。つまり、ここでいう貢献とは、会社から言われた仕事をこなすだけではなく、自分の仕事が社会とどう関わっているのかを考えなさい、という意味です。 三番目は「強み」。これは自分の持っている強み、得意なことを伸ばしてフルに使う能力のことです。自分の強みを発見し、それを仕事の基盤にする。そうすることで弱みは意味のないものにすることができる、とドラッカーは言います。 四番目は「集中」です。際立った成果をあげられる領域に力を集中させる。そのためには、仕事に優先順位をつけることが大切になります。 最後は「意思決定」の能力。意思決定を行なうには、問題の正体を明らかにすることからスタートし、異なる見解に耳を傾けることが重要になります。 こうやって見ていくと『マネジメント』に書いているマネージャーに必要とされるスキルと、『経営者の条件』のセルフマネジメントのスキルは、多くの部分で共通していることが分かります。つまりはセルフマネジメントを行なうということは、「すべての人が経営者の意識を持つこと」(=万人のための帝王学)と同じととらえていいのです。
組織の正統性の根拠──それは「強みを生かす」こと こうしたセルフマネジメントの能力や、マネージャーの仕事のなかで、ドラッカーが特に重視しているのが「強みを生かす」ことです。 普通の人間には、誰だって得手不得手があります。子どもを見ても、算数はできないけど国語は得意という子もいれば、歌は上手ではないけれど、体力だけは誰にも負けないという子もいます。 組織で働く大人たちも同じです。細かい作業は苦手なのに、人と話すのがうまい人もいれば、逆に社交的ではないけれど、机に向かって行なう作業には抜群の集中力を発揮する人もいます。社交的でない人のなかには、それをコンプレックスと感じ、なんとか上手に人と話せるようになりたいと考えて、会話のノウハウについて書いた本を読んだり、話し方教室に通ったりする人もいます。そうした努力は悪いことではありません。しかし、ドラッカーは「弱みを克服しようとするよりも、強みを伸ばすことを考えるべきだ」と説くのです。 人間というのは、もともとデコボコがあってあたりまえの存在です。日本の小学校や中学校では、算数も国語も体育も音楽も、全部それなりにできなければいけないと考えて、デコボコな子どもを、なるべくきれいな丸にしようという教育をいまだにやっていますが、本来はデコボコでいいのではないでしょうか。 ボコの部分は無視して、デコの部分をどんどん伸ばしていくことで、ボコは自然に見えなくなっていく。さらに大人になって組織で働くようになると、このデコこそが強みになる。 以前、建築家の方から、ヒノキだけを使って建てた家よりも、スギやマツなど、種類の違う木をいくつも組み合わせて建てた家のほうが頑丈である──という話を聞いたことがありますが、企業もそれと同じです。いろんな得意分野を持った人が集まることで、企業はより強い力を発揮するようになるわけです。 セルフマネジメントによって、自分の強みの部分をより伸ばすことが大切だし、組織のマネージャーが各自の強みに注目してその部分を引き上げてあげることが大切です。「強みを生かす」ことは、成果をあげる組織をつくる──ということになるし、さらには働く人間の「生きがい」や「自己実現」にも繫がっていきます。 たとえば、人と話をするのが苦手な人が営業をやらされても苦痛なだけです。もちろん、話すことが好きで得意とする人が営業職につけば、成果はあがっていくし、成果があがることで本人も喜びを感じるようになります。そして、もっとがんばろうというモチベーションが高まっていきます。 これこそが、マネジメントの「正統性」の源です。マネジメントを行なう立場の人間は、組織のなかにおいてある意味、権力を持つわけだから、その権力には正統性がなければなりません。顧客と従業員のニーズを満足させることがマネジメントの役割であるというのは、前回のお話ですが、それだけではレゾンデートル(存在理由)にはなりえても正統性の根拠にはなりえません。 マネジメントのなかの「強みを生かす」という部分にこそ、組織における正統性が存在し��いるのです。働く人が幸せを感じるかどうかは、給料の額ではありません。生活していくためにはお金も大切ですが、仕事自体に喜びを感じることができなければ、人生自体が空しいものになってしまいます。 しかし、それぞれの強みを生かせる仕事を与えられれば、人はその仕事に責任を持つようになるし、さらに改善工夫して上を目指そうとがんばるようになる。それによって組織はより成果を伸ばすことになり、社会への貢献にも繫がっていくことになるのです。
何をもって憶えられたいか 成果をあげるためのセルフマネジメントの必要性に関しては『経営者の条件』だけでなく『プロフェッショナルの条件』(二〇〇〇年)でも書いています。さらにこの本のなかには、ドラッカー自身が仕事に対する取り組み方を改めて考えるきっかけとなったエピソードが「私の人生を変えた七つの経験」として挙げられています。 「自分はいったいこれからどんなふうに仕事と対峙すべきか?」──と迷っている若い世代への助言ともなると思われるので、七つの経験のうち印象深いものをいくつか紹介しておきましょう。 まず「ヴェルディ(*5)の教訓」と呼ばれるエピソードから。ドラッカーはハンブルクにいた時代、図書館通いのかたわら毎週のようにオペラを聴きにいっていたそうです。そんなある日、『椿姫』などの作品で知られる一九世紀を代表する作曲家ヴェルディが八〇歳のときに書き上げた最後のオペラ『ファルスタッフ(*6)』を聴く機会がありました。 はじめてこの作品に出会ったとき、ドラッカーは、その信じがたいほどの力強さで人生の喜びをうたい上げる内容に衝撃を受けます。そしてその後、ヴェルディが八〇歳という高齢になってまで、なぜこれほどの難解なオペラを書こうと考えたのかを本で読んで知り、さらなる感銘を受けます。その本にはヴェルディのこんな言葉が書かれていました。 「いつも失敗してきた。だからこそ、私にはもう一度挑戦する必要があった」 ヴェルディは、すでに若い頃から作曲家としての名声を手に入れていたのに、死ぬまで「もっといい仕事をしよう」という意識を持ち続けていました。それを知ったドラッカーはヴェルディのこの言葉を心に刻みつけて「私もいつまでも目標とビジョンをもって自分の道を歩き続けよう。失敗し続けたとしても、完全を求め続けていこう」と決意したそうです。 もうひとつ、仕事に対するドラッカーの姿勢を象徴するエピソードとして「フェイディアス(*7)の教訓」というのがあります。これもドラッカーがハンブルクに住んでいた頃のことですが、ギリシャの彫刻家フェイディアスについて書かれた本を読んだそうです。 パルテノン神殿完成後にフェイディアスから出された制作費の明細をみて、アテネの会計官は顔をしかめて支払いを拒んだそうです。なぜなら、どの位置からも絶対に見ることのできないはずの彫刻像の背中の部分の制作費まで記されていたからです。 しかし「見えない部分まで勝手に彫刻しておいて、請求してくるとはなにごとか!」という言葉に対して、フェイディアスはこう答えたそうです。「そんなことはない。神々が見ている」と。 この言葉にドラッカーはひどく心を打たれ、それを機に「神々しか見ていなくとも、完全を求め続けていこう」と考えるように��ったそうです。 この二つのエピソードだけでも、ドラッカーが理想というものを追い求めて、自分を律しながら仕事を続けてきたことがうかがい知れます。ちなみにドラッカーは「あなたの本で最高のものはどれか?」と尋ねられた際には、必ず「次の作品です」と答えていました。 ドラッカーの仕事に対する姿勢を示すエピソードには、ほかにも興味深いものが多数あります。なかでも私がもっとも気に入っていて、機会があれば必ずお話ししているのが、七つの経験のなかの最後に出てくる「何をもって憶えられたいか」という問いです。 これは彼が通っていた学校の宗教の先生の言葉らしいのですが、彼は絶えずこの言葉を自分自身に問いかけながら仕事を続けてきたそうです。『プロフェッショナルの条件』では、あの経済学者のシュンペーターもこの言葉を一生自らに問いつづけていたと紹介しています。 「何をもって憶えられたいか」──これは言い換えるならば、子どもや孫、あるいはまわりの仲間たちに、自分はどういう存在として記憶にとどめておいてもらいたいかを意識しなさい、ということです。 そう聞くと「大統領を目指したり、スポーツ選手としてオリンピックを目指したりしなきゃいけないのか」と勘違いされそうですが、ドラッカーは、何もすべての人に歴史に残るような偉人を目指せ──といっているわけではありません。 今の自分よりちょっとだけよい自分を思い浮かべながら、日々を過ごすようにする。そうすることで、毎日の一挙手一投足が自然と「なりたい自分」へと向かっていき、五年後、一〇年後には自分が確実に変わっていくことを実感できるようになる、というわけです。 皆さんにも、ぜひこれは試してもらいたいと思います。『マネジメント』を読んでみたけれど、難しくて完全には理解できなかったという人も、これならば簡単に実行できるはずです。 毎日でなくとも年に二回くらいでいいのです。一年の締めくくりの大晦日と、夏のお盆休みの頃とに、「自分は何をもって憶えられたいか」、あるいは会社の経営者ならば「自分の会社は、何をもって社会に憶えられたいか」──それを機会あるごとに問いかけてみて欲しいのです。そうした意識を持ち続けることで、必ずや「よい自分」「よい会社」に近づくことができるはずです。
工場や建築現場で働くブルーカラーの人々であっても、自ら生産性を高める工夫を考えて、自分の「強み」を発揮しつつ仕事に励む人は、知識労働者ということになります。言われたことだけをやるのではなく、常に自分の頭で考え行動する人は、すべて知識労働者と言っていいでしょう。
工場や建築現場で働くブルーカラーの人々であっても、自ら生産性を高める工夫を考えて、自分の「強み」を発揮しつつ仕事に励む人は、知識労働者ということになります。言われたことだけをやるのではなく、常に自分の頭で考え行動する人は、すべて知識労働者と言っていいでしょう。 自分の強みを知り、それを伸ばそうと考えることで、生産性が高まるとともに、仕事が生きがいにもなっていきます。知識社会になるということは、人間がいきいきと働ける社会が出現することを意味しているわけです。
ほとんどの経済学者は単純肉体労働者の問題には興味を示しませんが、組織社会���働くすべての人間が幸せであるべき──と考えるドラッカーは、そうした人々のこともちゃんと考えています。この問題の解決の基本となるのは、単純肉体労働および単純サービス労働の生産性を飛躍的に向上させ、貢献と働きがいを鮮明にすること以外にない──と彼は言います。
ドラッカーは、モダン(近代合理主義)の次にくる時代という意味で、すべてが繫がった複雑で変化の激しい我々が生きている今の時代を「ポストモダンの時代」と呼んでいますが、ポストモダンの時代を生き抜くには何が必要とされるのでしょうか? 彼はポストモダンを生きるためには、以下の七つの作法が有効であると語っています。すなわち──「見る」「分かったものを使う」「基本と原則を使う」「欠けたものを探す」「自らを陳腐化させる」「仕掛けをつくる」「モダンの手法を使う」です。 これらがいったいどういうことを意味しているのか、順を追って説明していきましょう。 まずは「見る」という作法について。見るとは全体を見る、すべてを命あるものとして見るということです。部分を見るのではなく、全体を見ることの大切さをドラッカーは高等数学の「バタフライ効果」を例に挙げて説明しています。 アマゾンの密林で蝶が一羽、ぱたぱたと羽ばたいた。そして、たまたま次の週にシカゴで雨が降ったとしましょう。この二つの事実は互いに何の関係もなさそうですが、二つが無関係であることは証明できないというのがバタフライ効果なる理論です。つまり、あらゆるものは、あらゆるものと関係しうるということを言っているわけです。だからこそ、理屈で考えるのではなく、全体を見ることが大切になるのです。 さらにドラッカーは見ることの補完として、他の人が見ていることについて聞くことも大切だといいます。たとえば、自分の「強み」がどこにあるのかは本人には意外に分からないものです。人に言われてはじめて「強み」に気づく。こうした「見て、聞いて、全体をとらえる能力」がポストモダンの時代には必要になってくるというのです。 二つ目の「分かったものを使う」。これは次に何が起こりそうかを考えて行動するのではなく、すでに分かっていること、すなわちすでに起こったことをもとに行動せよ、ということです。ドラッカーは「すでに起こった未来」という言葉を使って「今起こっていることをしっかり観察すれば、おのずと次に起こることが見えてくるはずだ」と度々語っていますが、同じ意味ととらえていいでしょう。 三つ目の「基本と原則を使う」というのは、文字通り、ものごとを行なう時に、絶えず基本あるいは原則となるものを知って使うということです。しかし、それを万能のものとして使うのではなく、補助線として使うことが重要です。たとえば何のための経営でしょうか。基本とすべき答えは、「世のため人のため」です。 四つ目の「欠けたものを探す」。これはギャップを探して新しいニーズを見つけることを意味します。現実に私たちの目には、すべてが見えているわけではありません。大事なものの多くは見えていない。目に見えないものによって現実の多くは支えられています。見えないものを明らかにするだけでなく、それによって見えるものの意味を示すことが大切となります。 五つ目は「自らを陳腐化させる」。��ストモダンの社会はどんどん変化を続けているため、同じことをやっていては、すぐにおくれをとってしまいます。そこで必要となるのが、あえて自らを陳腐化し、絶えず新しいものにチャレンジしていく姿勢です。 六つ目は「仕掛けをつくる」。これは理想を現実化するために何らかの仕掛けをつくるということです。そのひとつとして挙げられるのが、達成すべき目標を定めるということ。さらには、失敗した場合に反省するだけでなく、成功した場合に「なぜ成功したか」を検証し、成功を慣習化していく仕掛けをつくることも重要になってきます。 七つ目は「モダンの手法を使う」。ドラッカーはモダンの手法を「論理と分析」、ポストモダンの手法を「観察と知覚」と定義しましたが、やや色のあせはじめたかに見える「論理と分析」も、そこに限界が存在するということを分かったうえで使えば大きな力を発揮すると言っています。何しろ近代文明をここまでもってきたのはデカルト以降の「論理と分析」の力ですし、ドラッカー自身が「論理と分析」の力を縦横に発揮する人でした。
日本画に夢中になったのと同時に、日本という国に強烈な関心を抱くようになったドラッカーは、日本企業のロンドン支社長らとも親しくなって、日本のことを熱心に調べました。彼はもともと興味を抱いたものについては、二、三年徹底的に調べまくって極める──という方法論をもっていますが、日本についても歴史から世界観まであらゆるものを調べまくったそうです。
逆に言うと、ドラッカーは「失敗をしない人を信用してはいけない」ということも書いています。それは、何もしてない人のことであると。真摯な人というのは、チャレンジをして失敗をする。しかし、失敗をする人こそ信用に値する。成果とは長期的なものであって、曲芸ではない、と言うのです。百発百中のものは曲芸なので、そういうものは逆におかしい。失敗を含みながらも、長期的な戦略というものを練っていくべきだと言っているんです。