紙の本
シンプルで、力強い。
2012/04/26 09:01
3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:アヴォカド - この投稿者のレビュー一覧を見る
この作品の紹介を書くことは大変に難しい。
(まあ何の作品でもそうであるが)とりわけ、何の先入観もなしに、何の推測もなしに読むのが最もいいと思われる作品だから。
性別も時代もジャンルの思い込みも。何一つ持たないまままっさらで読むのが、最も、作者の描きたい世界に導かれる、と思う。
シンプルなタイトルからは、先の想像がつかない。
展開は意外と言っていいと思う。今まで読んだ中で、似た感じのものはちょっと思いつかない。
ロードノベル、と言うことは出来ると思う。
主人公は移動し、移動する中でいろいろなことが起こる。
種を蒔いて育つ、それを収穫して食べる。
獲物を自分でしとめて、それを自分で捌いて食べる。
妊娠して産んで、子どもを育てる。
そういう生き物としての人類の、シンプルさを思い出す。
そういえば、今ほど文明やテクノロジーが発達し、そのことになんの疑問も抱かずに多くの人々が享受している時代は、これまでの人類の歴史の中でもごく短く、ここ何十年だけのことでしかない、ということを思い出させられる。
電気も電話もインターネットもなかった時期のほうが、それがある時期より遥かに長かったはずなのに、人類はさっさと適応し、いとも簡単にそのことを忘れる。
悲惨とか苦労とか、そういうマイナスの言葉がどこかへすっ飛んでいく。ただ目の前の食糧、目の前の寒さ、目の前の危機。
主人公の自己憐憫のなさが眩しく、そして力強い。
紙の本
文明を支える科学技術、進歩や革新を求める精神、文明の災禍をどう考えればいいのか。村上春樹訳。暴力に転化した「文明」「システム」の行く末を透視する険しい小説。
2012/05/28 18:39
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:中村びわ - この投稿者のレビュー一覧を見る
物語は、語り手が銃を手に巡視に出かけるところから始まる。ほどなくその名が「メイクピース」という、何やら象徴的なものだと知らされる。何があったか街は廃墟と化した場所らしく、人の気配がほとんどない。明日を生きるにも容易でない環境に置かれたメイクピースは、巡視先で、同じように孤立して生きる少年と出会う。
この世界でも同じだが、出会いは孤独な心に火を灯す。メイクピースの心に灯った火は、読書という孤独な取り組みを覚悟する者の心に、暖かみをもたらす。
一つの出会いを得たことで、メイクピースは旅立つ。冒険と違い、北の放牧民のところへ食料を求めておもむく旅、命を永らえさせるための旅。テントに寝袋を持参、馬で移動、しかも行く手には厳しい自然が立ちはだかり、途中で賊でも出てきそうだ。
読み手もまた、安全や安心が保障されない別世界へ連れ出される。行く先は知らされない。何が起こるか分からない勇気と忍耐のいる旅だ。
文明から離れた過酷な環境で、人としての「誇り」「理念」といった社会性を内在させながらも弧絶する。生物としてのそういう限界を突きつけられたら、どう行動するのか――小説の前半には、このような冒険めいた課題が待ち受ける。
30ページ、34ページ、50ページ、99ページと、物語が突きつける罠のような展開に驚く。そこに至るまで、丁寧な語りにガイドされてきたのに、挿し絵や映像が与えられず言葉だけの世界を進んできたからなのか、かんじんの情報から遠ざけられていたと思い知らされる。
訳者の村上春樹氏は、罠のような展開を、小説に必要な「意外感」だと評価する。本当だ。その意外感が小説を読む潜在的願望だったのだ。
意外感ある物語の運びそのものに、物語が扱う重要な要素の一つがなぞらえられている気もする。それは、人類が作り出した社会機構や巨大技術といったシステムが単に大きいだけではなく、運用されるに従い、目的と手段が転倒し、予期できない影響を及ぼし、その結果、人の手に余り、人の手を離れ、全容が見えなくなっていくという事実だ。
ひとり歩きを始めるシステムに対する恐怖が、『極北』という物語の底を流れる。その恐怖を人々が常に意識に置いておけば、現実世界で生じる悲劇は、もっと軽減できるに違いない。
手さぐりのように、メイクピースという人物の属性や過去を知っていくと、これが文明の災禍につながる物語だと分かっていく。メイクピースの旅は食料を求めるものだけではなく繰り返され、監禁という危機もあり、さらなる旅で、物語の旅立ちからは想像もつかない場所へ至る。
ところどころに現れる哲学的な文章は、はじめ控え目なほのめかしで物語に深みを加える。だが、半ば過ぎから遠慮がなくなり、人類が切り拓いてきた文明、それを支える科学技術、進歩や革新を求める精神等に対する問いがむき出しで提示される。「私たちはこれで良かったのか」……と。
コーマック・マッカーシー『ザ・ロード』、ジム・クレイス『隔離小屋』、そしてストルガツキー兄弟が脚本に携わった映画「ストーカー」……そうした作品に通じるものがある。どれも圧倒的虚構世界を脳内に構築してくれた。卓抜した文明観、世界観、歴史観に触れる喜びがあった。
『極北』もスケールの大きな小説だが、肌身に触れてくる親しさがあった。昨年来、かつてSFが近未来カタストロフィとして表現してきたものを現実として経験したせいなのか。それもあろうが、おそらく、
メイクピースという主人公がさんざんに傷つき、苦悩を経てきたことに、ぐっと心を寄せられるからなのだろう。
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村上春樹訳。極北の秩序なき地で主人公の女性メイクピースが困難や逆境を撥ね退けながらも奮闘する姿は、読者に生きることの素晴らしさを訴える。
時代は近未来なのであろうが、東日本大震災を経験した日本人にとってはフィクションなれどリアルな内容となっていて、“たかが小説”とは思えず小説に入ることを余儀なくされる。
もちろん小説なので無慈悲な世界なれど娯楽性もそこなわれていないのであるが、そのあたりは作者だけでなく村上春樹の名訳がもたらせたものであるとも言えるであろう。
ラストに読者にとって大きなサプライズが用意されていて、“こう来たか”と唸らされる。読者にとっても主人公にとっても希望になりえたのではないだろうか。そのサプライズにより読後感が頗るよくなったことは否定できない。
私たちの未来もそうなることを祈りながら本を閉じることを訳者も願っているのだと確信している。
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村上春樹の翻訳小説。
シベリアが舞台の近未来小説。
ほぼ、廃墟となった街で一人黙々と警官として巡回をする主人公。
冷静な彼女だったが、ある日飛行機の墜落を見る。
飛行機を「他者がいる徴」とした彼女は、長く住み慣れた自分の街を後にする。
長い道程の後、人が居る街にたどり着くが…
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ここに描かれているのはメイクピースという人のひとつの人生の一場面であり、死しか孕みようがないように見える銀世界の中での強靭で狡猾で怜悧な生であり、容赦のない生命のサイクルである。空気ははじめからおわりまでぴんとはりつめ、ページを繰るごとに世界は変容する。はっとするできごとが息つく間もなくさしこまれ、流れ、読者は驚き、嘆きながらもついていくしかない。抗いがたい強い流れでもって押し流されながら、それでも読んでいる私の頭の中にはずっと、しんとした荒野が広がっていた。寒々しく荒涼とした、しかし生命を湛えた真っ白い雪の大地が、読んでいるあいだじゅうずっと広がりつづけていた。
ここにはひとつの人生の一場面が描かれているが、それは極北の景色なかのほんのひとつにすぎない。「極北」、タイトルがすべてを語っている。
あるいはチェルノブイリ、あるいはアウシュヴィッツ、このふたつの名前が、読んでいるしじゅう交互に頭の中に浮かんでいた。どちらでもありどちらでもない、でもなまの、現実世界のものとしてのフィクションがびっくりするほどの肉々しさで迫ってくる。
何百冊、何万冊の中からこのような本に出会うために私は本を読んでいるのだ、と、読んでいる自分を俯瞰しながらずっと考えていた。
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2011年3月11日のおかげでこの本は間違いなく重さを増したけれど、その前であっても重かったに違いない。訳者村上春樹自身はその日付をまたぐようにこの本に関わっていたのだから、それを深く感じていたのだろうと思う。
舞台は近未来のシベリア。放射能による汚染が蔓延する世界で生き延びる人々の姿を主人公の意外性に富みつつも、説得力のある行動を通して見つめていく。
個人的な感想だけれど、ドン・デリーロの「アンダーワールド」以来のショック。実に重たい。
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『貧しい人々はみな同じような見かけになってきた。彼らは同じように暮らし、同じように食べ、同じ服を(中国の同じ地域で作られた服を)着るようになったのだ。父にとってそれは、人々が土地から切り離されたというしるしだった』
こんな一文に出会うまで、この物語は単に「田舎のねずみと都会のねずみ」のような少しばかり青臭い(ということは、少しばかり原理主義的な香りのする説教めいた)なおかつどこかしら牧歌的な古き善き時代を懐かしむ価値観を強要するお伽噺(お伽噺は往々にして説教臭いものだが)であるのかと思いながら、少し慎重に読み進めていたのだけれど、現代社会を瞬時に過去に置き去りにするようなこの一文にぶつかり、衝撃のようなものを受ける。
物語には、否定しようもなくアーミッシュ的な価値観は漂っている。だが、これは過去の(それは時間軸を遡るという方向性に併せて、文明の中心から周辺へという空間的な方向性の意味も持ち得るだろう。だからタイトルが指し示す方向へ勝手に顔を向けていたのに急にそれが酷く間違ったことであることに気付いて衝撃を受けるのだ)価値観を強要するための物語ではない。もしそう受け止めてしまうのだとしたら、それは読み手の内にそのような思いが既に存在していたということなのだと思う。ただ、そのようにして何かを喚起する言葉が溢れている本であることは間違いない。
進化という考え方に、どうしようもなくダーウィンの自然淘汰的なニュアンスを込めないでいることは困難だが、それは地質学的時間のスケールで起こることであるという、逆にゆったりとした感覚を我々に植え付けてしまってもいるのかも知れない。白亜紀の終わりに起きたようなことは、まさに天変地異のような稀な出来事で、人ひとりが生きている間に世の中の何もかもが根本的に変わってしまうようなことは起こりはしないと考え勝ち。しかし全ての仕組みは絶妙なバランスの上に成り立つもの。それを崩すのには案外小さな力で済む。
だからどうしろ、と言うのではない。その難しい立ち位置を保ったまま物語はすすむ。進化の歴史は一本道。後戻りは出来ない。人類が地球の所有者のように振る舞っているのもまた束の間のこと。人はかつて何十億年も大地に君臨したもののような巨大な骨は残せない。つつましやな生き方を想う。
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寒い。展開がどんどん変わって面白いがメインがこれからあるのでは…と思って読み進めているうちに終わってしまった。
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何らかの理由で衰退した人類。極北に生活の拠点がうつり秩序が失われた世界。メイクピースの元に現れたピンクと名乗る少女。ピンクの妊娠と死。新たな生活を求め旅に出たメイクピースの出会う人々と苦難。スパイとして捕えられ5年間の強制労働。脱走後のメイクピースの生活。彼女の見た飛行機。新たな希望。
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やばい。面白すぎる。のっけから時代背景や登場人物の紹介的なエピソードを廃し、どんどん話が進んでいく。まさにドライブする文体。全体像が見えないままに意外な展開が次々に現れて目が離せない。こんな小説には滅多にお目にかかれない。スリリングな短編のようなテンションで、最後まで一気に読ませる筆力は大したもの。村上春樹の訳だが宋とは感じさせない抑制の効いた文体ではあるが、物語は世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド、といった趣もある(笑)必読です。
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翻訳者、村上春樹は「あとがき」でこう語っている。
「昨今読んだ中ではいちばんぐっと腹に堪える小説だった。物語としてのドライブも強靭(きょうじん)だし、読後に残る重量感もかなりのものだ。そして何より意外感に満ちている。僕は思うのだけど、小説にとって意外感というのは、とても大事なものだ」
ある出来事によって世界が破壊されたあとの物語。人々は、家族をはじめ人間にとって大切なものをほとんどすべて失ってしまっている。「失われた」世界で、生き残りを賭ける人々。秩序は消え、飢えたいくつかの部族が荒地をめぐって闘いあう。
「自分が何かの終末に居合わせることになるなどと、人は考えもしない。自分が終末に含まれるだろうなどと、人は予期もしない」
たしかに世界は一瞬にして破滅する。
村上春樹はあとがきで、「3・11」を引き合い出している。
しかし、この物語のテーマは破壊されたことではなく、その後に人間が作り出した地獄だ。あまりにもリアルに描き出された人間の本性。こんな未来はありえないと、たやすく否定できるだろうか?
「そこには、ものごとがなされるべきやり方があり、生きていくために役立つものと、役立たないものがあるだけだ。偽善が入り込む余地はどこにもない」
そんな世界で主人公のメイクピースは、一度はすべてを失い、人生の目的をすっかり見失いながらも、「心」を決める。
荒廃した世界を生き抜くタフな主人公。
(主人公自身も「意外感」に満ちている。)
主人公はある意味世界の果てまで旅をし、自らの謎に直面する。
この徹底的にタフな描かれた主人公のおかげで、我々はこの地獄を旅してみることができる。
「我々がいったん心を決めたとき、我々にできないことがあるだろうか?」
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いつ頃ぶりだろうと思い出せないくらい久しぶりに、冬休みを利用して小説をしっかり読んだ。話に入り込んで3日で読んでしまった。極北というタイトルや雪原の装丁からジャックロンドン的な世界観かと思ってたけど、マッカーシー的な荒野のイメージや村上春樹の世界の終り的なイメージの方が近かった。細かい部分はちょっと雑というか、説明不足で話がいきなり進んだりするけど筋としてはとても濃密な終末小説。欲や文明から逃れようと思ってシベリアのどこかに入植した人間たちが結局は人間であることから逃れられず階層社会を作って自滅していく中で生を受けた主人公が、信仰を取るか目の前のパンを取るか的なキリスト教の矛盾を問うよくあるテーマもいれつつ、最後は不遇な生い立ちも含めて自分の人生だと受け入れながら死に向かっていくそんな重厚な話。
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終末というか絶滅の寸前だろうか。とある極北の地で街の最後の生き残りとして狩りや家庭菜園での厳しい暮らしを余儀なくされている主人公の物語。
極北という環境の厳しさ、人の心の極北、私たちの行く末の極北。本当の極北には「北」というものが失われてしまう。
何故そのような状況になったのかは深く語られない。
要因が一つではないことはうっすらと今の世界の状況を見渡してもわかると思う。
この作品を村上春樹が翻訳し始めたのが2010年の夏。
チェルノブイリを思わせる土地がひとつのキーとなっているこの物語を読んで、福島の災害を思い浮かべない人はいないだろう。
「ものごとが今ある以外のものになる必要を私は認めない」という言葉が極北で主人公が唯一得たもののような気がする。
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珍しく図書館で借りた本である。極北という名前がロマンあるタイトルに感じられた。村上春樹訳というのも本を借りた理由だ。
翻訳物の文体ですんなり頭に入ってこない部分もあったが、想像力を掻き立てられる素晴らしい作品だ。時代も場所も分からない極北の地を舞台にストーリーが展開していく。話の進行に合わせて次第の不明だった点が明らかになっていく。村上春樹の作品にも共通するものがある。欧米の作品は、映像が浮かんでくるのが不思議だ。映画化可能な作品だ。近未来小説というべきなのか。最後に解説を読んで、意外に最近の作品なのに驚いた。図書館の本にしては、まだ比較的綺麗だった。
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★百でも足りないくらいの小説に久々に出会いました。ほぼ一気読み。本当に村上春樹さんの言うとおり、あらすじとかを全く知らずにまっさらの状態で読めてよかった…。