紙の本
村の外から
2013/02/23 21:26
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投稿者:ソレイケ - この投稿者のレビュー一覧を見る
書評などで知る人ぞ知る千野帽子。この人は以前、雑誌「俳句」誌上で非常にミもフタもない、痛快極まりない俳句論を連載していて、楽しみに(立ち)読んでいたのだが、今回また別の処で(『日経ビジネスオンライン』だってさ)書かれた俳句論である。いやぁ、みごとにミもフタもないやあ。俳句の世界というのは閉鎖的なところがあって、まあ一種のムラ社会を形成しているのだが、そのムラの外から思いっきり「王様は裸だ!」とやってしまうというのがこの本の面白いところ。ちょっと笑いながら楽しく読んでしまった。ひょっとするとどっかの年寄りの主宰なんかは怒り出すかもしれないなあと思いながら、しかし彼らに有効な反論は出来ないだろうという予想もできたりして。そうなるとまあ無視するしかないんだろうね。この本にムラの住人たちがどう反応するのかあるいはしないのかというのもミモノだな、と完全に野次馬根性。
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NB Onlineの連載「千野帽子のマッハ575」をベースにした新書。まさにマッハのスピードで本になりました。連載時編集をしたわけですが(新書にはノータッチ)、これが一冊にまとまってみなさんどんなふうに読まれるのか、たいへん興味があります。
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俳句にまつわる文学幻想をはぎとった上で、句をかたちにしていく手法について語ってあり、スピード感があっておもしろい。
自分には詩心がなくて、それをさぐりたくて読んだ。詩心というとレトリックとか比喩のうまさ、みたいなものがクローズアップされると思うのだけれど、そうではないというのがわかった。つまり「言葉を跳躍させる発想」、「DJみたいにつないでみせる発想」の足りなさだな、と自覚した。
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いちばんひっかかったのは、
“単体としての詩作品より作者の伝記情報に詳しい読者が多い。それって読者じゃなくて信者”
のところ。これって演奏会の曲紹介にも言えるよなあ・・・。借金まみれだったり女癖が悪かったりしても、作品の良さには関係ないよね!っていう文脈はありだとしても、私生活でつらい時期から抜け出した彼のこの頃の曲はのびやかで・・・ってのはナシなんだろうな。伝記情報にたよらずに曲の解釈ができるようになりたい・・・。
かわずくんとか、千野さんがRTした、読者のツボ引用ツイートとかのおかげで再読感があるなかで、今の私はここに反応しちゃったってだけで、面白さ満載の一冊。ゲームとしての俳句って観点が新鮮でした。
しっかし。紀伊国屋書店での平積みといい、ブクログでの検索結果といい、堀本さんの「十七音の海」とのセット感たるや。仲良く並べて平積みにしてあるのは書店員さんの機転なんだろうけど。検索機能で一緒に出てくるのはなんで?システムの中の人の機転?amazonのこれ買ったひとはこっちも買ってるよお勧めシステムみたいなもの?うっかり、こちらも買ってしまったので、明日の長い移動時間にでも読み始める予定。
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千野帽子『俳句いきなり入門』NHK出版、読了。俳句とは「自分の言いたいこと」を表現するものではない。言葉が先に存在し、支えるのは読み手なのだ!だから句会が存在する。俳句とは、自分ではなく言葉と読み手という「外に預ける」開いていくもの。頭をトンカチで殴られるようなスリリングな一冊。
「俳句は自分の意図にではなく言葉に従って作るものだ。だから自分で思いつかない表現が出てくる。自分の発想の外側に着陸できる。坪内稔典さんも言うとおり、感動したから書くんじゃなくて、書いたから感動するのだ」。千野帽子『俳句いきなり入門』NHK出版、2012年。たしかに!!!
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俳句の楽しさをきれいごとなしでストレートに書かれた本。
なかなか勉強になったなと。
ことばとことばをつなぐDJであれ、みたいなことがよかったなと。
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俳句に言語学的転回が必要だとは思わなかった。句会の魅力を充分に伝えた一冊。俳句は一人で楽しむもんじゃないらしい。
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おもしろい視点で俳句の楽しみ方を論じている。バフチンや記号論的な視点を援用し、俳句は散文の断片であり、読み手に接続されることで機能する、ゲーム的な要素をもつという。こんな俳句なら遊んでみたいと感じさせる一冊。
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歯に衣着せず、句作と句会の内情を暴露した俳句ドキュメンタリー(笑)。
伝統や建前、思い込みを引き剥がし、「俳句を作ることの本当のところってこうなのです」と、ズバズバ本音を語ってくれるから、肩のこりが一瞬で吹っ飛ぶ爽快さで句作を楽しめる。
この調子で短歌についても、人の親切を仇で返す某自己中歌人をぶった斬って欲しい。
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俳句入門の本。
優しく解説しているようにみえて、結構狭き門です。
でも「ガーリッシュ」の時も狭き門だったから一緒か・・・?
私がもし俳句を作ったら、自動筆記までもいけない気がする。
だれもがヒョイっと入ってしまえる世界だったら、それは反対にヒョイっと出ていけるような世界なんだろうなー。
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俳句についての本ではあるけれど、すべての創作表現にかかわる人は読んだ方がいい。文章のなかでも俳句にかぎらずブログやツイッター、他に音楽、絵画などジャンルを問わない。日常会話も含むぞ。
「俳句は短いのではなく速いのだ」
「俳句はモノボケ」
なるほど〜。例えばだけど、こういう思ってもみなかった方向からの鋭い指摘に、目から鱗が落ちる落ちる。
日経ビジネスオンラインの連載を楽しくよんでいたので、一冊の本としてまとまった形になって嬉しい。
ただし、副作用もあって、しばらくは怖くて(少なくとも気軽に)文章を書けなくなってしまう。
「これは『見て見て、私を見て』の見苦しい文章になってないだろうか」と。また、なんとなくつまらないと感じる文章の三割くらいは手段(技術)が原因ではなく目的が「私ってすごいでしよ」だからだってことにも気がつくようになった。
「文章の方があなたより偉いのだ」「読む、という創作活動」
表現というのは、思ってもみなかった方向に深いのだなぁ、と思わせてくれるすてきな入門書でした。
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時間はかなりかかりながら、やっと読み終わりました。
なるほどね。
五七五の世界に挑戦してみたくなります。
興味はあるけれど、俳句の世界は、難しい。
でも、この本を読みながら、TRYしてみたくなりました。
切れとかの段になると、もう少し読みを深くしないと理解できないこともあったけれど、まずはやってみることが大事な一歩かな。
私の中のイメージより、千野さんの俳句の世界は、ゲーム感があって、気持ち的に入りやすいように思いました。
たくさんの人たちが読んで、俳句がもっと、楽しいものとして認識され楽しい句会がたくさん開かれるようになってほしいなと思います。
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俳句を作らなければならなくなって急いで読みました。笑
冒頭の、「自分を表現したい!って人に俳句は向きません」「俳句は自分の意図にではなく言葉に従ってつくるもの」「自分の発想の外側に着陸できる」
などの言葉により、私の俳句のイメージ(感動したこと、自分の気持ちを五七五で表す)ががらっと変わりました。特に言いたいことが何もなくていいという点でハードルが下がり、また、言葉に身を任せてみることで自分の発想の外側に行けるという点に非常に興味を持ちました。
とはいえ、実際に作ると、自分では気づかなくてもまだまだ自分の枠内での作業になっているのだろうとは思いますが。。
実際にそのようなものができるかどうかはさておき、俳句に興味が沸いてきたことと敷居が下がったことは大きな収穫でした。
ひとつ気になった点は、ここに書かれていることが、俳句を作る人たちの中での共通認識になっているのかどうかということです。
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かなり前に買って、読み始めたが「・・・じゃん」等々の浅薄な若者言葉が嫌で暫く放置していました。
・・・が、図らずも某句会(ネット)で、俳句を作る破目になり、再度読み直した次第です。
俳句の業界(?)ではない人のラディカルな実践的俳句論。
「俳句は自分を表現したい人には向きません」
「俳句は一発芸だ!」
「俳人は季語とそれ以外を選んで繋げるDJ」等々。
この型破りな俳句論の背景には膨大な読書の蓄積があることが分かって改めて著者を見直した次第です。
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著者が本音で語った俳句の入門書です。俳句の作り方についてのアドヴァイスだけでなく、句会を「洗練された言語ゲーム」として捉えるという観点から、俳句の鑑賞の仕方についても参考になるところが多い本でした。現代の文学理論の成果をざっくばらんに解説しながら俳句の創作についての議論につなげるなど、読みやすい言葉で書かれているにもかかわらず、俳句という十七音の世界を超えて、広く文学や芸術についての著者の考えにも興味を惹かれます。
とりわけ興味深かったのは、桑原武夫の「第二芸術論」をそっくり裏返して、俳句の魅力を再発見しているところです。ちなみに著者は、「第二芸術」を「Art 2.0」と呼び変えて見せたりもしています。また、季語をデータベースに見立てたり、俳句の「型」を現代のサブカルチャーにおける消費のありように通じるところを見いだす議論なども、おもしろく読みました。