電子書籍
さすが走る哲学者!
2013/11/25 15:53
5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:三上 直樹 - この投稿者のレビュー一覧を見る
走る哲学者・為末大が、単なるあきらめるではなく見極めて選ぶ方法としての諦めることを、自らの経験をふまえて記した好著。
この諦観と、いまだにあがく自分との違いも、今の自分には学びになります。
電子書籍
戦略的諦め
2019/08/31 21:12
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投稿者:かいぴー - この投稿者のレビュー一覧を見る
「多くの人は、手段を諦めることが諦めだと思っている。だが、目的さえ諦めなければ、手段は変えてもいいのではないだろうか。」 著者の為末大さんは、「勝利」という目的を達成するために、100メートルを諦め、400メートルハードルに転向した。 諦めることは、選ぶこと。 成功者の言葉を鵜呑みにした「努力すれば、何でもできる」という考え方は、歳を取るに連れて、人を苦しめる。 自分を生かせるフィールドで戦うことが大切。 「最高の戦略は努力が娯楽化することである。」
紙の本
よかった
2019/01/16 00:30
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投稿者:カズ - この投稿者のレビュー一覧を見る
とても読みやすく共感できることがたくさんありました。これかの人生を考えるうえでもいいきっかけになりました。おすすめです。
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「やればできる」、「諦めなければ夢はかなう」、そんな言葉を信じて頑張ってきたけれども、本当にそうなのだろうか。努力は報われるはずだと信じて、見ないふりをしてきた現実を目の前に突きつけられたような衝撃、それでいて、肩の荷がすっと下りたような気がした。
どんなに頑張っても勝てなかった敗者にこそ、すすめたい一冊。
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成果のでない場所で頑張らなくてもいいよ、勝てる場所で頑張ればいいという本なんですが、『このムダな努力をやめなさい(http://bukupe.com/summary/9134)』と読み比べると面白い。『このムダな~』バッサり切り捨てるといった感じで爽快だが真似できない。『諦める力』は人生の機微と言う感じで爽快感はなくむしろネットリしているが、こちらの方が共感できる。一見すると成功者、自己啓発本にあるまじきネガティブワード満載本。メダルをとった所謂成功者もその過程でなにかを諦めたり、年齢による衰えで諦めたり、様々なものを諦めている。何かを得ようと思ったら、何かを失う(諦める)覚悟がいる。本気で努力して無理だった時に限る話だが、諦めるのは前向きな選択となるだろう。その過程で得た物が他の道でもきっと活きるはず。諦めるに前向きな見方をしてもいいのではないだろうか。
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為末さんの性格を知らなくても調和⇔納得の納得側に大きく振れている
人かな?となんとなく思っていましたが、本書を読んで納得タイプだと確信しました
私はオリンピックやワールドカップ(をみんなで応援しようという雰囲気)が苦手です…
競技自体は面白いのに、メダル・順位に捉われる姿を見ると、戦争の様だと
松本人志さんが昔言っていたことを思い出します
スポーツは視聴者の連帯感を高めるためツール、
歯車となる選手には執拗な期待がかけられ、
本当は目的が別にあるのにスポーツに熱狂しているというポーズを取っている
というわざとらしさにうんざりしてしまいます
そんな期待をかけられやすいスポーツ選手にとっての“諦める”ことは
一般人と比べるととても大きな決断だということを前提に読んだほうがいいかもしれません
為末さんのお母さんが、陸上をいつでも辞めていいよと言っているのを
エクスキューズと捉えたというところに非常に共感しました
ただそれは、かけられた期待に応えたいというスポーツ選手の持つカルマ
みたいなものを私も持っているからかもしれないな~とぼんやり思いました
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マーカーをいっぱいひきました。
「人間には変えられないことのほうが多い。だからこそ変えられないまでも戦えるフィールドを探すことの方が重要なのだ。
僕はそれを戦略と呼ぶ。」
上記引用文は、ビジネスにおいては『マーケティング』と近い考え方なのでみんなが理解しやすいはず。
だけど、こと人生においてはあまり実践していない人が多いのはなぜでしょうか。為末さんは疑問を投げかけます。
「自分にとって成功とは何か」ということを考え抜く難しさ、
「諦める」ということに対するネガティブな捉え方、
耐え抜く努力に対する賛美など。
私自身も社会通念に捕らわれていたいたことに気づかされました。
私自身と、そして日本の価値観に一石投じてくれたこの本に感謝です。
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子供のころから現在に至るまで、「諦めるな」という言葉を何度聞かされただろうか。もうほとんど体に刷り込まれてしまったこの一言を、いろいろな角度から検証する一冊。
特にスポーツの世界では厳しい特訓に耐え、怪我や病気を克服し勝者になる事が美談とされる。しかし、敗者もまた同じような努力をしているはずである。
元も子も無いような話だが為末氏が言うように、生まれついた時から埋め難い差がある、というのが現実なのかも知れない。血が滲むような練習が出来る人は、血が滲む事に快感を覚えるような人だったのだ。
でも、たったひとつしかない勝者の椅子に座れなかった敗者たちは、常に敗北感を味わい続けながら、その後の長い人生を生きていかねばならないのだろうか。実はその勝負に勝つ事は決して最終目標ではなく、人生を有意義に過ごすための、一つの手段に過ぎないのではないだろうか。
極論を言えば、最期に微笑みながら逝く人こそが「人生の勝利者」なのではないだろうか。
「諦める力」とは、決して生きる事を諦めろという意味ではなく、真の目標を達成するためには本当にこの手段が最適なのか?という為末氏からの問いかけである。
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BS番組の宣伝で為末選手を見て、真摯な態度にちょっと感動。そんな矢先に情報誌にこの本が紹介されていたので読んでみた。
為末選手の考え方に深く共感。前途洋々な若者にはシビアな内容かもしれないけど、こういう考え方を頭の片隅に置いて生きるのと、そうでないのとでは、人生の充実度が変わってくるだろうなって気がした。為末選手の人となりを知るエッセイとしても、自分を見つめ直す人生訓としても楽しめました。
「オンリーワンっていわれてもなんの慰めにもならない」というくだりと、「フェイスブック参加者はリア充である側面を強く出すから、世の中はまるでリア充の人しかいないような錯覚をしてしまう」というくだり。こんなことをサクッと言っちゃうのも、好感持てるなー。
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為末さんの、リアルなリアルな人生論。
著者の考えでは、諦める、ということは、自分ときちんと向き合うこと、客観視することなのかな、と思いました。
自分はもうちょっと、夢にあふれたことをいつまでも言い続ける大人になりたいけどなあと思った。
著者の言うことも、感覚的にはもちろんわかる。でも、「やればできる」という言葉でがんばれるひとがいるなら、そっちの方が断然いいと思う。
本文のつながりがあまりないように感じ、編集の仕方にも違和感があった。最近出していた『「遊ぶ」が勝ち』はかなりおもしろい著作だったので、少し残念でした。
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この本は400mハードルの世界選手権で二度も銅メダルに輝いた為末氏が書かれた本です。前向きに諦める(自分の才能や能力、置かれた状況などを明らかにして良く理解し、今、この瞬間にある自分の姿を悟る、p3)ことの大切さを述べています。
レビューを書く前に WIKで彼の戦績を見ましたが素晴らしいですね。中学高校と常に日本ではトップかそれに準じる成績です。その彼が、スポーツ選手はいつまでも活躍できるわけではなく、若い時にいくら良い成績を残していても、ある時期が来てもそれなりの成績が残せない時は、キッパリやめるべきだと述べています。
選ばれた一人の選手のかげには、少なくとも彼が決勝で戦った何人ものほぼ同等の実力の選手がいることを強調しています。彼は、昨年(2012)行われたロンドン五輪目指して復帰してあえなく国内選考の予選を突破できなかった悔しさを味わっているようですね。
好きなことをやり続けて、その成果が表れるのは良いことだと思いますが、それができなかったら「人生がダメ」という考え方は良くないという意見には賛成です。よくぞ、本として書くには言いにくいことを、為末氏は本にまとめてくれたと思いました。
また、彼が述べている、「多くの人は手段を諦めることが諦めだと思っているが、目的さえ諦めなければ、手段は変えても良いのではないか(p25)」は、ビジネスマンが自らの将来どうあるべきかを考える上で、重要な考え方だと心に残りました。
更に、「人生というものは、何気ない分岐点での、ほんの小さな選択によって、大きく分かれてしまうような気がする(p82)」及び、「今までいた場所で、今まで一緒にいた人達と会いながら、今までの自分ではない存在になろうとすることは、とても難しい(p90)」は、私が実際に経験したことでした。
以下は気になったポイントです。
・努力することで進める方向とは、自分の能力に見合った方向である、自分とは違う別人をモデルにして「あの人のようになりたい」と夢想するときには、出発点が異なっていることを気をつける(p32)
・人間には変えられないことが多い、変えられないままでも戦えるフィールドを探すことが重要(p37)
・チャンピオンスポーツでなく、会社に勤めながらそれなりにスポーツをやるという選択肢もあったのでは、という元アスリートの声をマスコミは殆ど取り上げない(p50)
・アスリートのやめ時と、セカンドキャリアの問題は、スポーツ界の知られざる問題、オリンピック選手はともかく、オリンピック予備軍で終わるアスリートの現実は厳しい(p53)
・例として400mハードルに3名出場したが、オリンピック選考会となる日本選手権には40名程が出場している、彼らが優遇されることは、まずない(p
53)
・就職において体育会系に人気があるのは新卒のみ、30歳を超えたアスリートの人気は低い(p54)
・願望を希望と錯覚してズルズル続けている人は、やめ時を見失いがち、願望は確率を捻じ曲げるから(p57)
・この道が唯一の道ではないと意識しておくこと、そして自分が今、走っているこの道がどこにつながっているかを考えてみることによって、選択肢が広がる(p63)
・「やめなかったからこそできた」、こう主張する少数派の言葉に嘘はないが、現実の社会においては、はるかに敗者が多いという事実はわかっておくべき(p68)
・何かをやめて良かったか悪かったかという判断は、人生の終盤になって決まるもの、やめた結果、別の分野で成功すると、やめて良かった。逆もある(p79)
・どんな分野でも、「あの人は凄い」と言われるような人は、無意識と意識のバランスが普通の人に比べて格段にいい、勘にゆだねるときはゆだね、論理的に詰めるときは詰める(p103)
・失敗を共有するためには、失敗した直後、記憶と感覚が新鮮なうちに、失敗した原因について分析して、そのときに思っている気持ちと共に、一緒に吐き出すのが重要(p108)
・つらい時期を耐え抜いたら成功できると一般化しがちだが、ほとんどの人にとっては、つらい時期を耐え抜いても成功しないことが多い(p109)
・IOCの委員のいるパーティでは、メジャースポーツの元選手よりも、フェンシングや近代5種、ボート等の、貴族出身も元選手が圧倒的に多い、五輪の内部の世界は随分違う(p123)
・努力には、「どれだけ」がんばるか以外に、「何を」がんばるか「どう」がんばるか、という方向性がある、つまり、選ぶことは人任せにしてしまうと、自分にツケが回ってくる(p141)
・スタープレーヤーは、努力を努力と思わず、努力そのものが楽しいという星の下に生まれてきているのがほとんど(p167)
・フェイスブックに上げる情報は、「見られてもいいもの」というより、むしろ「見て欲しいもの」である(p176)
・あなたが今やっていることを諦めろと言ってくる人は、「自分と同じになってほしいから」そう言っているのか、客観的にみて勝算は無いからやめろとドライに言っているのかは、見極めるべき(p191)
・人生において「ベストの選択」なんていうものはなく、あるのは「ベターな選択」だけ、ベターなものを選び続けていくうちに「これでいいのだ」という納得感が生まれてくる(p233)
2013年9月1日作成
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”「諦める」は「明らめる」、仏教で真理や道理を明らかにしてよく見極めるというポジティブなイメージを持つ言葉”という意表を突く出だしで始まる、著者の思考方法を遠慮なく言い放った、気持ちの良いエッセイだった。
目の前に分岐点があれば、そこには”選択”がある。諦めたのかしがみついたのかはどうだっていい。選んだからにはポジティブに思ったもん勝ちだ。限りのある人生、迷っていてもしかたがない。やれること、可能性のあることが”明らか”になっていくのは良いこと。そんな自分の考えに近いものがあって爽快な読後感であった。
安易なタイトルは、著者の意志ではなく出版社側の意向なんだろうな~(笑)
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走る哲学者・為末大が、単なるあきらめるではなく見極めて選ぶ方法としての諦めることを、自らの経験をふまえて記した好著。
この諦観と、いまだにあがく自分との違いも、今の自分には学びになります。
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TwitterでよくRTされてくるので試しに読んでみた。ふむふむなるほどとは思えたものの、なぜかあまり刺さってはこなかった。ちょっと語りすぎ?で食傷気味な読後感。でも、一流のアスリートから発せられるアンチスポ根的な人生哲学は、現役アスリートや夢を持っている若い人にとっては、苦境のなかでこれを読んで救われる人も多いだろうと思った。
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刺さる人は限られるが、腑に落ちる人には納得の本。
分野は違えど、カヌースラロームやってた時に考えていたことと合致。(世界大会でメダル取ったことないけど。)
少し引用。
「多くの人は、手段を諦めることが諦めだと思っている。だが、目的さえ諦めなければ、手段は変えてもいいのではないだろうか?」
「勝つためには、最初から負けるフィールドを選ばない事が重要なのだ。」
「全力で試してみた経験が少ない人は、「自分ができる範囲」について体感値がない。」
ちょっとマキャベリストなのかな〜、と読んでいて思いました。
マキャベリズムは誤解されがちですが悪徳ではありません、という立場に私はいます、念のため。