紙の本
クールミリオンと合わせて読みたい
2020/01/29 15:14
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投稿者:undecane - この投稿者のレビュー一覧を見る
ニューエイジに続く社会情勢への不満を面白おかしく表している作品です。
明るい話では決してないですがウェストの作品は目を通しておきたいものです。
新潮版の「いなごの日・クールミリオン」と甲乙つけがたいなと私は思いました。
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投稿者:タカピン - この投稿者のレビュー一覧を見る
宗教観の違いもあり深刻に伝わってこなかった。
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訳者の名前につられて読んだ。禁酒法時代のアメリカ都市の新聞の身の上相談を担当する記者(筆名ミス・ロンリーハーツ)が主人公。グレート・ギャツビーと同じ時代の都市生活者の記録として読んだ。
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訳者丸谷才一氏の解説によれば、ナサニエル・ウェストは新婚旅行帰りに自動車事故に遭い、37歳の若さでこの世を去った。
気鋭の作家、非業の死を遂げる——新聞の見出しに喩えるならさしずめこんな感じか。
現在はこの作品以外は読めなさそうだが(某T原古書店にもない)、え、映画『イナゴの日』ってけっこう有名だよね、観てないけど。原作本すら入手できないのか、そうか……
個人の感覚だが、この人とイブリン・ウォーには近いものを感じる。大ざっぱすぎだが、開放的とは言えない時代に生きる人々をシニカルに捉えて描いているところとか。
読んでいてウォーの『愛されたもの』とイメージが重なった。ことによると『イナゴの日』のほうが近いのかもしれないが、小説で確認することは不可能。まことに残念。
『愛されたもの』デニス・バーロウ>F.オコーナー『賢い血』の主人公>本作のミス・ロンリー・ハーツ
さて、これはどんな序列!?
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20世紀アメリカの作家ナサニエル・ウェスト(1903-1940)の小説、1933年。大恐慌を背景にした社会情況、特に大都会ニューヨークに於ける人間の疎外情況を、ブラック・ユーモアに満ちた暗く苦いコメディのような趣きに仕立てた作品。なお、作家は若き日、パリでシュルレアリスムに触れている。
個々人は、複雑を極める社会機構の中で、各々ギリギリの体勢で生きている、壊れかけそうになりながら或いは既に壊れてしまったことを誤魔化し誤魔化し、何とか日々を遣り過ごしている。出来の悪いハリボテの如き乾涸び衰弱しきった"物語"に縋りながら。社会機構にあっては交換可能な存在でしかない個々人は、孤独の裡にある。他人の孤独に構っているような余裕は無い、共感共苦を示す感受性の余地は無い、傍目で遣り過ごすしかない、自分一人分の孤独で精一杯だ。だからなおさら、個々人は、どこまでも孤独に降下していく。そんな人間にとって、田園も、快楽も、芸術も、自殺も、薬物も、宗教も、何の足しにもならない。勿論、新聞紙上の身上相談欄も。個々人が交換可能な存在以上では在り得ないように、媒体上の助言という言葉も――そして、助言を求める当の手紙の言葉そのものも、則ち差出人が自身が生きている情況を如何に認識しているかその認識の仕方さえも――大量生産・大量消費される以外にない程度の代物であるから。孤独についての「言葉」も「認識」も、予め簒奪されてしまっているのだ。孤独という情況自体が、現代という時代に無数に穿たれた、隙間無く穿たれた、「穴」という否定性のもとでしか捉え得ない。本作品が、恰もバラバラにされた戯曲を無作為に寄せ集めてみたかのような印象を与えるのは、「生」と「言葉」のこの分裂情況を描いているからではないか。
「彼[≪孤独な娘≫]の問題は、というよりぼくたちみんなの問題なんだが、内的な生活しかないことなんだよ。外的な生活は失われている。それも、必然的な力によってね」
「彼[≪孤独な娘≫]としても、これは冗談なんだと考えていた。ところが数ヵ月たつと、彼にはこの冗談がおかしくなくなってきた。たいていの手紙は、精神の支えになるような忠告をまったく謙虚な心で求めているんだし、ほんものの苦悩をたどたどしく表現している・・・・・・そんな事情が判ってきたのさ。それに、手紙を出すほうは彼を信じきっている、ということにも気が付いた。おれはいったいどういう価値を基準にして生きているのか、生まれてはじめて考える羽目になったのさ。考えてゆくと、自分はこの冗談の犠牲者なので、加害者のほうではない、ということがはっきりしてきた」
この孤独情況は、表層的には communication tool が発達して「つながり」が称揚され飽和している現代になおさら痛切に当てはまるものではないか。 communication からの疎外を強迫的に恐れ、逆に communication へと疎外されていくという出口無しの情況に。
「人間はいつも夢を武器として、めいめいの悲劇と闘っている。かつてさまざまの夢は力強いものだった。しかし、映画やラジオや新聞のせいで、他愛もないものにされてしまった。たくさんの裏切り行為がこの世にはあるが、こいつは一番けがらわしい裏切りだ」
匿名多数への媒体の中を流通する中で言葉はボロボロと崩れ去り、如何なる"夢"も最早ハリボテでしかない、そんな情況を、磨り減ったアイロニーの中で、現代人は徹底的に思い知らされてしまっている。
本作品は、こうした現代的情況を先駆的に描いている。
□
彼≪孤独な娘≫が自らの心身困憊の原因を求めて視線をやるニューヨークの姿は。
「・・・、小さな公園を四方から脅かしている摩天楼に視線を投げる。むごたらしい拷問を受けている何トンもの石材、何トンもの鋼鉄、・・・」
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なぜいまナサニエル・ウェストの復刊かと思ったら、訳者・丸谷才一追悼の一環なわけか。
地方新聞の人生相談欄を担当する男「Miss Lonelyhearts」の物語。匿名同士の文章やりとりという、現代のWeb空間に似た世界で、空疎な言葉のやりとりを繰り返す「Miss Lonelyhearts」。助言者という云わば神のマネ事は、助言者自体が助言者を求める事態に陥る。究極の助言者キリストの福音の夢想と、相談者たちの地べたをはうような救いの無さの、痛切な対比が印象に残った。
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「《孤独な娘》は、数年前うっかりして小さな蛙を踏みつぶしたときのような感じに襲われた。はみだした内臓は憐れみの情をそそるものだったが、蛙の苦悶が自分の感覚になまなましく伝わってくると、憐れみは怒りに変った。彼は気が狂ったように蛙を踏みつけ、殺してしまった (p. 50)」
◆新聞の読者の悩みを引き受ける「孤独な娘」。それは新聞の読者を伸ばすための企画にすぎず、実際には読者に何らかの救いを与えるわけでもなんでもない。それでも「孤独な娘」には、彼に助けを求める人びとからの投書が絶えません。それは、まるで彼が、救いを与える神であるかのように。◆ところが「孤独な娘」は、彼らの苦悩が自身のうちにあることに気づきます。それは、みずからがもつべき価値を失ってなお宗教にすがる都市生活者を覆い尽くす憂鬱。
「両親もまた夢を作るための仕掛けなのだ。[……] メアリのような人たちは、こういう物語に支えられなければ何もできないのだ。彼らはこういう話が好きなのだ。なぜなら、服装や仕事や映画以外のことをしゃべりたいから。何か詩的なことについて語りたいから (p. 66)」
◆実際にはなんの役にも立たないアドバイスを送る「孤独な娘」にすがる人びと。人びとを救う「孤独な娘」自身をも巻き込んで都会を覆い尽くす憂鬱、虚栄。価値を失い、神(=孤独な娘)にすがることしかできなくなってしまった人びと。そんな憂鬱をどこか滑稽に語らせているところに、すこしの気持ち悪さを覚えた一冊でした。
◆この本を読んだうえで現在のことを考えてみると、現代の人びとは、作者が描いた陳腐さに満ちた世界をなんとか回避しようともがいているようにも思えます。
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世界大恐慌後の戦間期に書かれたアメリカ作家ナサニエル・ウェストの、悲惨な人びとの苦悩をブラックユーモア的に覆った幻想的な作品。訳は丸谷才一。
それほどページ数も多くなくてストーリー全体の雰囲気がハードボイルドチックなので、雰囲気に酔いしれながら割とすらすら読める。但し、内容は少し重たい。
「悩みごとはありませんか?相談相手はほしくありませんか?『孤独な娘』に手紙をお出しになれば、御返事いたします」
そんな新聞の女性専用身の上相談欄を担当する「孤独な娘」は、予想外にも深刻すぎる手紙を毎日のように数多く受け取っていた。
貧乏で腎臓が弱いのに何度も夫に妊娠にさせられ苦しむ妻、先天的に顔の真ん中に穴が開いている少女、ろう唖な幼い妹が知らない男に強姦されたと相談する兄などなど、世の中の苦しみが怒涛のように吐き出されてくる状況に、神のごとき境地に徹しきれない「孤独な娘」は次第に精神を病んでいく。
編集長のシュライクも何かにつけて絡んでくるし、酒場に入り浸り恋人ともうまくいかない「孤独な娘」の精神の行方は・・・。
重苦しい精神状態の中で、実際の「孤独な娘」が溺れるのは酒と女。高みの宗教観から万人を導くことなどできようはずもなく、酒と女にも癒されない彼は次第に狂気と夢の世界へと踏み入れていく。
次々と舞い込む「孤独な娘」への仕打ちは、一身に背負わされてしまった人々の苦しみを茶化しているようでもあり、救いなどありえない現実の直視であるともいえる。
このシュールな状況を脱する唯一の手だては?
その時、神の下した結末もまたシュールなものであり、ラストは映画の一場面を観るかのようなコマ送りの瞬間であった。
ある意味オカルト的な可笑しみとハードボイルドな雰囲気に幻想を掛け合わせ、時間の流れを自在に扱うような映像的な筆致には、シュールさにもかかわらず引き込まれるような面白さがあった。
時代の雰囲気を持ち、時代の写し絵としてのシュールさを味わえる作品であったといっても良いだろう。
凝縮された「孤独な娘」の内面の憂鬱は、反面ラストの発散の契機ともなっており、ブラックユーモア的なストーリーのラストにふさわしいものであった。
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新聞の相談欄(読売新聞にあるような)の担当者《孤独な娘》もまた都会の孤独の中にあった―
この紹介文をみて設定に心惹かれ1,2ページを読み進めて気に入り一通り読み通すことにした。
期待に反して孤独と向き合う葛藤の描写よりも、逃避行動が多かった。
シュライクの冷笑的なアドバイスと彼のキリストコンプレックスはキリスト教圏でなければ共感できないのではないかと思われる。私にはさっぱりである。
打ち寄せる手紙の重みを波にたとえそれを物ともしない滑らかで硬い岩の心を持った終盤、《孤独な娘》は拳銃の暴発で倒れる。
ここにあるのは文学のための文学で、《孤独な娘》に生を感じられない。よって彼の悩みも理解しがたい。地に足がついていない。
巻末の解説に処女作の設定が紹介されている。「トロイの木馬の肛門から中に入り案内人に案内される」という設定で始まるらしい。この設定はすさまじい。読みたくなる。本書もそういった設定の魅力で手に取ったのだが、自分の期待していたような内容ではなかったと感じた。
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新聞の投書欄「孤独な娘」を担当する主人公。行き詰まる。ただでさえ進まないのに上司に似たようなのばっかじゃん、早く書いてよとか言われる。酒場へ逃避。街へ逃避。新聞で架空に人助けをしてるよりも、現実に人に触れ合った方がよいかも。。。しかし簡単に人助けなんかできないしぃ。だってキリストじゃないもん。キリストってなんだっけ?フラフラしてたが身を固めようと決意した所、なんとなく神の存在に触れた気がする。。。皆にもおすそわけ。。。殺されると。ああ面白い。エリック・ロバーツが主演にて映画化。もっと読みたい。
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「孤独な娘」よ...
流れるように読むことができた。
少し性的な描写が多かった気がするが特に不快にはならなかった。
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なかなか根暗な小説です。しかもその根暗がただの文章上の雰囲気によるのではなくて、世相にあてられた主人公の精神が抱える屈託によることが巧みに書かれている。文体自体は淡々としているので、読み手も淡々と読めますが。
これは、近年の世の中の雰囲気を考えると、遠からずまた脚光をあびる時が来るんじゃないかという気がします。
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新聞で身の上相談欄を担当する「孤独な娘」と、彼をとりまく人間模様を描く。
あらすじには「都市生活者の苦悩」「現代人の憂鬱」といった言葉もあるが、日々のストレスやノイローゼに悩まされるドタバタ劇といった趣き。
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新聞の身の上相談欄を担当する「孤独な娘」を描いた話。「孤独な娘」が仕事をしている様子はほとんど見受けられない(途中で投げ出しているような場面は多々ある)が、相談の投稿内容は多様。多様だが皆それぞれに苦しんでいる。「孤独な娘」もその周りの人間も、しょうもない。世の中こんなしょうもない人間で溢れているのかと愕然とするくらいにみんなしょうもない。ただ、色々な葛藤を抱えつつも、みんな何とか生きているんだなというのは伝わる。
翻訳文が読みやすくてよかった。
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数カ所「?」という言葉があるが、翻訳当時はそうだったのかも。このまま映像化したら、官能的で不条理、シニカルな後味の悪い玄人好みの映画になりそうだな…と想像する。ウェストの他の小説も機会があれば読んでみたい。