紙の本
著者の博識がとても良く判る
2012/12/16 00:46
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投稿者:たけくん - この投稿者のレビュー一覧を見る
本書は前回読んだ「男の座右の銘」で紹介されていた。
著者である新渡戸稲造に対する印象は、それまで旧5000円札の肖像となった人ぐらいしか印象がなかった。
新渡戸さんは1862年の生まれで150年以上も前の人であるが、本書を読むとその年の経過を感じさせない。本文の随所に世界各国の偉人の著書が紹介される。武士の生き様を、日本の書籍のみならず、世界各国の著書と対比しながら表現する。外来語も随所に登場し、新渡戸さんの知識レベルの高さがわかる。
紙幣の肖像になるというのもうなずける。
武士の生き様というのを、さまざまな角度から分析している。
第12章「切腹および敵討ち」の章は読み応えがある。
新渡戸さんの「武士道」は色々な形で解説されている様なので、またそちらも読んでみたい!
紙の本
世界8大文明の一画としての日本文明の背骨
2006/05/07 17:27
11人中、11人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:佐伯洋一 - この投稿者のレビュー一覧を見る
新渡戸はなにもしてないじゃないか。なんでメガネのおっさんは5千円に載ってるんだ。
いや、それがとんでもない無知ゆえであったことが後に分かった。「武士道」を自分で読んでみて初めて分かったのである。
本書は、かつて日清戦争で、「眠れる獅子」と世界中が警戒していた清国を一刀の下に粉砕した、小国・日本とはなにかを世界に向けて発進した歴史的大名著である。
武士道とはなにかについて、本書は、世界中の哲学者や思想家の言葉を引用しながら、しかもキリスト教徒などへの反発に細心の注意を払いながら筆舌している。本文を読めば分かるが、新渡戸は武士道を語りながら、時に非常に強い英語でわが国の凛たるところを力説している。説明の仕方として、なるべく外国人に不愉快を与えないように前置きをしつつ、強烈に日本を主張しているのである。たとえば、14章「婦人の教育と地位」などは、日本の婦道と西洋のレディを堂堂と対置させ、欧米人の日本への言われ無き批判を論破している。いま、14章で新渡戸が語ったことは、まさしくジェンダーフリーへの警鐘そのものであろう。
武士道に対する誤解として、「日本は農民の国だったから、武士道なんて・・」というものがある。しかし、武士道とは要するに日本に根付いた1つの倫理体系である。たとえば、贈り物をするとき欧米人は自分の贈り物を素晴らしいモノだと言いながら贈呈するのが常道である。しかし、日本ではまったく逆で、「詰まらんものですが」という。これはまさしく武士道の「礼」の精神であり、日本特有の感覚である。武士道の効力が全体に及んでいる1つの証左である。農民から出た感覚ではない。
大体、およそ倫理体系が農牧階級から生まれることなど有り得ない。倫理とは上か下に流れるものである。農民が大多数だからと言って、倫理体系を否定するならば、騎士道はじめ全てはそのひと言で終わってしまうであろう。
「武士道」がアメリカで執筆されたのは、1899年である。日露戦争の5年前である。新渡戸は、武士道を語ることによって、祖国日本とはなにかを世界に知らしめた。本書は各国で翻訳され、大ベストセラーになった。今でも、武士道は世界に認識されている。
この6年後の1905年、日本占領のため、日本海をロシアの大艦隊が埋めた。迎撃に向かった東郷平八郎率いる連合艦隊は、万に1つの奇跡が何千と重なり、人類史上最高の大勝利(日本は輸送艦が沈んだだけで、ロシア艦体は全部消失した)を飾った。実は、この日露戦争によって、日本への興味とそれを充たすための「武士道」への需要が激増した。本書は、その意味でジャポニズムの火付け役のひとつといってよい。
ロシアに圧迫され続けていたトルコや北欧諸国でもわが事のように日本勝利を歓迎し、そして武士道が読まれた。特に、アルゼンチンなどでは当時武士道の勝利と新聞で絶賛され、今でも大使着任のとき、日本海海戦の旗艦・三笠に敬礼するという。
新渡戸は、偉大な足跡を残したと思う。歴代札に載った人の誰にも劣らない素晴らしい日本の弁護人であった。その新渡戸が札から消え、今ではトンでもない一作家に成り果ててしまった。「武士道」を日本人が知らなすぎる事と無縁ではないだろう。
武士道は日本の背骨である。国家の品格の柱である。最終章
「武士道の将来」で、新渡戸はこうした現在の状況を既に100年前に予測している。しかし、本とは偉大なものである。今も、我々はこうして武士道を本によって取り戻すことはできるのである。
日本を語るに武士道は不可欠である。大体、国際人とは自国の文化への精通が最低条件であり、武士道ひとつ知らぬようでは誰にも相手にされない。特にイギリス人はそうである。本書は、隣のページに英原文も付されている。「武士道」を読むのに最も適した1冊といえるだろう。
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新渡戸稲造の『武士道』。
英語と日本語が見開きの対訳になっていてわかりやすい。
『武士道』はもともと英語で執筆されたものなので、出来る限り英語で読むことをおススメします。
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新渡戸稲造の武士道。ページを開けば、左が和訳、右が英語となっている。
昔書かれたものなのに、現代に書かれたんじゃないかと思ってしまう感じ。自分には内容がちょっと難しい。
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When honous lost, it is a relief to die;
Death's but a sure retreat from infamy.
名誉が失われたときは、死こそ救いなれ
死は恥辱よりの唯一の安らかな隠れ家。
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自宅に積んであった、、そのうち読もうと思ってた本! 「しんとべ」さんとおもったら、 「にいとべ」さん だったようです。 失礼しました。なんと、右側には英語(原文)、左側には和訳 という、とってもバイリンガルな本! でもついつい、日本語しか読んでませんが!{{速読しちゃったんで、約2時間で完読 }} カトリック教徒であり、明治の日本を支えた外交官であり武士であった お師匠さまの ご意見! ごもっとも でした。武士道の基本みたいなことはわかったのだが、これが、軍国主義の中でどの様に悪用されたか、ってのが、気になったところ。 最後の10ページぐらいの中で、師匠の危惧していた、武士道の衰退!への危惧が述べられている。 生き方として、考え方として、自分の中にもそんな血が流れてることは、忘れないようにしよう と、素直に思った。 刀はなくても武士道は死なずか、、、、
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2013年73冊目。
海外の文学や歴史から言葉を引用しながら武士道を紹介するところに、
「海外に日本を発信しよう」という新渡戸さんの強い想いが見える。
共感・反発問わず、日本人の中に深く根付いている精神を勉強できてよかった。
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日本の文化を様々な国の哲人の言葉と比較しながら説いていく。
国際人としての新渡戸稲造の博学ぶりに驚くとともに、西洋文化との対比が説得力を増すことに気がつく。
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対訳であるが最も読みやすいように思える。また、これほどキリスト教やローマやイギリスを例に引いて武士道を説明していたことにあらためて気づかされた。
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時代背景から、信じられない(がんじがらめすぎるルールにのっとって生かされている感)部分もあったが、それも自分が身を置けばそうなるのだろうと思った。。。
【1章】
・武士道は明白な形態をとらないが、道徳的雰囲気を有している。武士道は武士の道徳的な掟であって、武士はこれを守り、行うことを教えられ、かつ要求されるものである。
・(武士道は)「ケンカを堂々とやれ」というフェア・プレイの精神、この野蛮と子供らしさにみちた原始的な感覚の中に、極めて豊かな道徳の芽生えを垣間見れる。
[2章]
・仏教が武士道に与えることができなかったものを、神道が充たしてくれた。
①主君に対する礼節、②祖先に対する崇拝、③親に対する孝行
⇒武士の陥りやすい傲慢な性格は抑制されて、服従性が加えられた。
【3章:義】
・武士道の中で最も厳しい教訓。卑劣な行動や不正な行為ほど忌むべきものはない。「義とは、勇気を伴ってなされる決断力である。道理に任せて決断をし、いささかもためらうことをしない心。死ぬべき場合には死に、打つべき場合には打つこと」
・義と勇の2つは双生児であり、武士の徳。
・義理とは本来は「正義の道理」。厳格な教師のようなものであって、鞭を手にして怠け者を打ち据え、その役目を果たさせる。
【4章;勇】
・勇気は義のために行われるものでなければ、徳としての価値はない。
・死に値しないことのために死ぬのを、犬死といって卑しめてきた。
・真の勇気とは、生きるべき時に生き、死ぬべき時に死ぬこと。
【5章;仁】
・愛情、寛容、同情、憐憫(れんびん)は、昔から最高の徳とされた。
・仁は、やさしくなごやかな徳。伊達政宗の「義に過ぎれば固くなる。仁に過ぎれば弱くなる」
・思いやりの心は、仁という大道の始まり
・音楽や詩歌(しいか)により感情を養うと、他人の苦痛を察する思いやりを生む。他人の感情を尊敬することから生まれた、謙譲、丁寧の心は、礼儀の根本を成す。
【6章:礼】
・礼儀は、他人の感情察する同情的な思いやりが外にあらわれたもので、正当なるものに対する尊敬、ひいては社会的地位に対する公正な尊敬を意味する。
・礼儀の最高の形はほとんど愛に近い。
・絶えず正しい礼法を修めることで、人の身体のすべての部分と昨日は完全に整えられ、身体とそれをとりまく外部の環境とが全く調和し、肉体に対する精神の支配を表現するに至る。
・茶の湯の道の第一義は、心の平静と感情の明澄、立居振舞いの静穏であって、それは正しい思索と感情を生み出す第一の要件。
・礼儀は仁愛と謙譲の動機より発して、他人の感情を洞察するやさしい感情によって働く。悲しむものと共に悲しみ、喜ぶものと共に喜ぶ。
【7章:誠実】
・礼儀を行うのに、真実と誠実の心が欠けていたならば、それは茶番になりお芝居となってしまう。
・正常な両親は要求された高さまで上がり、期待される標準の限界にまで、たやすく下がる。
【8章:名誉】
・名誉の感覚は、人格の尊厳と���の価値にかかわる明確な自覚から生まれる。
・名誉はしばしば虚栄、あるいは俗世間的な評判にすぎなかったとしても、人生における最高の善として貴ばれた。
・多くの少年の目標は、富でもなければ知識でもなく、名誉であった。恥を免れ、名を立てるためには、どんな不自由な暮らしもいとわず、肉体的あるいは精神的な苦痛にも耐えた。
【9章:忠義】
・忠義が徳として最も重んじられたのは、武士の名誉にかかわる規範においてのみだった。
・武士の妻も我が子の忠義のために捧げることに、少しもためらわなかった。
・国家は個人に先んじて存在し、個人は国家の部分および分子として生まれたものであるから、個人は、国家のためあるいは正当な権威の掌握者のために生き、また死ぬべきであるとした。
【10章:武士の教育】
・武士の教育において重んじられたのは品性。
・黄金と生命を惜しむ者はいyしめられ、それを捨てる者が称えられた。経済のことを口にすることは悪趣味とされ、貨幣の価値を知らないことは、良い教育を受けた印だとされた。
・ぜいたくは、人間にとって最もおそるべきものであり、武士は常に質素な生活をしなければならぬと考えられていた。
・国の公史が腐敗や汚職から遠ざけることができたのは、この背景があるから。
【11章:克己】
・武士が、感情を顔に表すのは男らしくないと考えられ、「喜怒を色に現わさず」とは、強い性格を評価する言葉であって、最も自然な愛情をも抑制されてきた。
・克己の収容は、ややもすれば度が過ぎ、霊魂のはつらつとした流れをさえぎることもあるし、また素直な天性をゆがめて偏狭な、奇形な人とすることもある。頑固な性格を生み、偽善者をつくり、愛情をにぶらすこともある。克己の理想とするところは心の平静を保つこと。
【12章:切腹】
・名誉が失われたときには、死こそ救いなれ
氏は恥辱よりの唯一の安らかな隠家
・自然の死を、むしろ意気地のないものとして、男子の望む最期のものではないと考えてきた。
・真の名誉とは、点の命ずることを果たすことであって、このために死を招くことは、決して不名誉なことではなかった。これに反して、天が与えようとするものを避けるための死は、まったく卑怯なことなのである。
【13章:刀】
・負けるが勝ち。真の勝利は乱暴な敵に抵抗しない。武士道の究極の理想は、結局平和。
【14章:婦人】
・彼女らの一生は従属的な奉仕の障害。男子の内助者として彼女の存在が役に立てば、夫と共に晴れの舞台に立ち、もし役にたたなければ彼女は幕のかげに退く。
・女性は男性の奴隷ではない。内助、すなわち内側からの助けであった。
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非常にわかりやすく書かれていてすばらしい本。西洋人向けなので、西洋の歴史やキリスト教での例えを山ほど使っていて、これぐらい読者に寄り添うという良いお手本。それができる教養がすごい。見開きで日英対訳なのも良いし、須知徳平という人の和訳も良い。岩波文庫より全然読みやすい。
出版された1900年は明治時代で武士道はまだ残っていたのだろうが、100年以上経った現代では一見もう残っていないように思える。本書は日本には宗教教育は無いが代わりに武士道があるというストーリーだが、現代は宗教教育も無いし武士道教育も無い。では道徳の掟は何なんだろう。実は武士道がまだ残っているのかも。この本を読んですっと入ってくるのだから、実はまだ残っているのかも。
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課題図書、読了。ほぼ1日で読み終えました。
新渡戸稲造が1900年に書いた武士道。
明治という新しい時代に移り、失われつつあった武士道。
海外に対し日本というものを伝えるために書かれたこの本は、100年以上経過した私に、当時の日本人の在り方、価値観を伝えてくれました。
脈々と育まれた武士道という日本の価値観は、1世代経ってもなお、無意識の中で、今も生きているように思います。
良くも悪くも武士道は変わり、私たちの一部になっています。
改めて、私たちはどうあるべきなのか、問われている気がします。
私も、以下の点において武士道をもっと取り入れたい、自分の在り方を高めたいと思いました。
<要点>
①義
自分の正義に基づいて判断、行動する。
卑劣、卑怯なことをしない。フェアに。
②勇気・敢為堅忍の精神
忍耐。困難を乗り越えやり通す。
落ち着いた心の状態
③仁・惻隠の心
愛情、情け。思いやり、他者への寛容。
④礼
相手を思いやることで生まれる作法。礼儀。
心身ともに行われてこそ意味がある。
⑤誠
武士に二言なし。
口約束で十分。契約や誓いは侮辱。
⑥名誉
名を尊び、恥を知らない生き方をすること、
恥を避けようとすること。
⑦忠義
主君や師に忠義を尽くすこと。
⑧武士の教育
全ては武士の行動につなげるための学び。
必要なのは知識ではなく知恵。品性。
品格の形成が第一
富は智恵を妨げる。質素。
⑨克己
不平不満を言わない。
自分の苦しみや悲しみを面に出さない。自制。
常に冷静でいる。
⑩自殺
死生観。誇りを大切にする。
11.婦人の教育
女性の役割。家庭を守る。内助の功。
12.武士道の感化
武士の在り方は規範となり庶民にも電波。
大和魂。
P.S, NPOの時に、人の行動変容、文化作りをしようとしていましたが、数年単位ではなく、数十年、数世代かけて育まれていくものなんですね。
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この本の背景:日本という新しい国が世界にその雄姿を示す、日清・日露戦争の合間に出版された。
その思想が西洋思想に比肩する点を強調した。
仏教は武士道に、運命を穏やかに受け入れ、常に心を平静に保ち、性に執着せず、死と親しむ心をあたえた。
知識というものは、これを学ぶものが心に同化させ、その人の品性に表れて初めて真の知識になる。ゆえに、武士道は知識を重んじるものではなく、重んずるは行動であった。
「義」は「自分の身の処し方」を道理に従ってためらわずに決断する力であり、死すべき時は死に、討つべきときには討つことである。しかし、いたずらに死ぬことは、身分の卑しきものでもできる。生きるべき時には生き、死ぬべき時には死ぬことが真の勇気だ。
また、不正や卑劣な行動をみずから近似、死をも恐れない正義を遂行する精神のこと。
「勇」は、「ただしき事をなすこと」。
勇気の精神的側面は、平静さにあり、その精神の均衡を乱されないことである。
「仁」は、愛、寛容、他者への情愛として、人間の魂でもっとも気高きもの。
「礼」は、他を思いやる心が外に表れたものでなければならない。社会的地位に対する正当な尊敬。
この礼には真実と誠実、すなわち「誠」が伴う必要あり。
「名誉」は境遇から生まれるものでは無く、個人個人が役割をまっとうに果たすこと。
「忠義」「克己(己に勝つこと)」
武士道では、個人より国家が先にあり、国家のために生きて死なねばならぬと考えた。よって、一族や家族の利害は一体不可分。
武士の教育において重んじられたのは「品格」。知的才能はあくまで副次的なもの。
日本人にとっては、感情を表に出さず、心が乱された時であっても、微笑みで心の平穏を取り戻そうとする。
真の名誉とは、天の命じることをやり遂げることであり、それを遂行するために招いた切腹は名誉であるが、天が与えようとしているものを避けるための死は、まさに卑怯だ。
武士道は生来の常識に支えられ、道徳的均衡を維持するための「道徳法廷」として、仇討の制度を作らしめた。
夫が国のために身を捨てることとと同じように、妻は夫と家族のために身を犠牲にすることがあるが、当然、それは大変な名誉とされた。自己犠牲の精神は男性と女性の両方に見られた。
女性は男性の奴隷ではなく、妻たちが果たした役割は、「内助」すなわち「内側からの助け」として尊ばれた。
日本人が西洋近代化を成し遂げたその行動力の源泉は、内なる力、すなわち武士道であった。列島国として見下されることに耐えられない名誉心、これが日本人の最大の動機であった。
武士道の終焉は、1871年に封建制を正式に廃止する廃藩置県と、その5年後の廃刀令。
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何回か読むたびに理解が深まる。この内容を英文で書けるのはすごいの一言。日本人の無意識な部分を表現しているものと思う。
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いつか読もうと思っていたものの数年経ってようやく読了。日本人が暗黙的に持っている精神的なものをここまで言語化できるのは素晴らしいと感じた。
一時期テレビでもよく聞いた「惻隠の心」について、この本を読むことで思い出し、日本人の美徳を忘れないように生きていこうと思った次第である。