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投稿者:おいも - この投稿者のレビュー一覧を見る
訳が少々読みにくいが、内容が面白くて一気に読んでしまった。主人公ローズの不思議な能力に、ローズ自身は振り回されつつもその能力を受け入れて成長していく姿は、なんとも言えない切なさを感じた。ストーリーも訳文も独特で、数年後にもう一度読み返したいと思った。
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九歳の誕生日の週、ローズは食べ物の中に潜む味がわかるようになった。
チョコレートチップは工場製なので、かすかに金属的で上の空みたいな味がするし、バターは室内で飼われた雌牛からとったものなので、ゆったりとした味わいに欠けているーーーこうした材料のすべてが遠くでぶんぶんと唸るような音を立てていて、ぜんぶを混ぜてドウをこねた職人さんは、怒っていた。
サンドウィッチがあなたに愛してほしいって、
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"ガーリーもの”好きな人たちには、とっても受けそう。
感じやすいって生きにくいんだけど、そのずっとずっと先に違う地平もあるんだよ、と言ってあげたくなる。
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9歳のお誕生日に、お母さんが焼いてくれたレモンケーキを食べた時に、少女は奇妙な味を感じた。
彼女は食べ物を通じて...というちょっと変わった設定から始まる物語。
彼女はその感覚を除けば、ちょっと感受性豊かな、でも普通の女の子。
そして、彼女には兄とその友人がいる。
彼女の不思議な感覚、そして繊細な兄、優しい兄の友人。
それぞれの登場人物がおそらく何かの意図を持っているのだろうけど、私はアメリカのこの手の文学作品は、苦手分野。
でも、読んでおいて頭の中にしまっておくと、ふとなにか思いつくことがあって、そして読み返すと、その文章の持つ意味がわかったような気がすることがある。
きっとそんな作品なんだと思う。
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タイトルと表紙で手に取る。食べ物を食べると作り手の感情もろもろを感じ取ってしまうという、おもしろい設定だけど、ちょっと読みづらかった。
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最初の、お誕生日にリクエストした、チョコレートのアイシングがたっぷりかかったレモンケーキ(なんて美味しそうなんだろ)を食べて、「ママとパパ、けんかしたの?」
と、ママの寂しさ、空虚感に気づいてしまうシーン!これを読んだらもう最後まで知りたくなる。小さなローズの繊細さ、食べ物に、特に母の作る食べ物にとらわれる日々。
その中で父のおかしな習性、天才肌の兄と素敵な兄の友人ジョージ、近親相姦のように兄に固執する母。
ローズ自身もそんなに簡単に友達とやって行くことも出来ない… 毎日がハッピーだと思い込んでる人たちとは違い、この家族が大好きだ。
不思議なアイテムがいろいろ登場する。それらに気をつけて読み進める楽しさ。お婆ちゃんから届くどうでもいいような荷物、父と母の思い出のスツール、ママの作る木工作品、父のアルバム、そして食べ物。
物語の後半は、兄のジョゼフの不可解な行動にこちらも訳が分からなくなるし、悲しい。
でも全てがクリアになって来るころ、ローズは自ら料理を始める。そこからがすごく好きだ。レストランの温かさ、料理する人の思い。私も料理が好きだし、もてなすことが好きだから、最後まで読んで幸福な気持ちになれた。
自分の今置かれた環境とも重なり、忘れられない本になりそう。
人はそれぞれ異なる環境に置かれているけれど、それぞれの幸せの形があり、どれがいいかなんてある訳がない。それを見せてくれる、教えてくれる、感じさせてくれる、そういう本の力を思わずにはいられなかった。
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自分で料理している時、主人公のことがふとよぎる。
その瞬間の自分のことを顧みさせて貰える。
真摯に材料をかけあわせているかどうか。
わたしも主人公が口にしてもなんとか飲み込んで貰えるものがつくりたい。。
でもこわいな。
ひとに食べてもらうってほんとはそうなんだろう。
ひと をすきなひとが書いた物語だなと思う。
ひとを全身で理解しようとするのは愛がないととても無理だから。
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装丁がきれい
タイトルどおりさびしい話です
ハッピーなところがどこにもない!
主人公がイタリア人かフランス人なら楽しかっただろう設定です
そして訳者はこの本をファンタジーに分類したくないようです
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訳し方が合わなかったのか、読みづらさを感じて読了までかなりの時間を要したものの、最後にこれまでの話が一気に繋がっていったのはとてもスッキリした。
リアルの中のひと欠片のファンタジー、あるいは、ファンタジーの中の息苦しいリアルが独特な一冊。ストーリーとしてはそれなりに面白かった。
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料理を作った人の感情がわかるのは、どうなのだろう。
優秀な兄と感じやすいが優しい母、家族を大切にしている父と暮らすローズ。ただ「普通でない」のは、料理を作った人の感情がわかること。
9歳の誕生日に母が作ったレモンケーキから母の愛しているがための不安な気持ちを味わったことから始まる。怒りながら作ったクッキーや愛して欲しいと叫ぶサンドウィッチ。
しまいにはどこの工場で作られたのか、牛乳を出した牛が広い牧場にいるのさえわかってしまう。
ローズの能力を知っているのは兄と兄の親友・ジョージだけ。この能力のために、母の秘密や友達とも付き合えなくなる。ローズや兄、母、父との10年にわたる話。
家族、食べること、愛すること、わかりあうことについて読み終わった後考えさせられる。
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食べ物を作った人の感情がわかってしまう、そんな特殊能力に目覚めてしまったら、あなたはどうしますか。9歳の自身の誕生日に気づいてしまった主人公のローズ。彼女の青春期は、食べることへの嫌悪との戦いだった。青春期に感じた人生の生きにくさが呼び起こされて、表紙のレモンケーキの甘さとすっぱさと混ざり合う、不思議な感覚になる本でした。
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ローズは、9歳のときレモンケーキを食べた瞬間奇妙な感じを覚えた。それは、ケーキを作った母親の内側にあるもの。空しさや不安だった。それ以来ローズは食べたものから作り手の感情や素材の生産過程などが分かるようになる。
母は兄のジョゼフを溺愛している。どのジョゼフは、科学において天才的な才能を持ちながらも、他人と打ち解けることがなく、自分の世界に生きている、ただ一人の親友ジョージを除いては。
ローズは、自分の特殊な才能を誰にも打ち明けられずにいるが、兄とジョージにだけは伝える。兄は、無関心だがジョージはすぐに信じてくれて理解もしてくれる。
ローズはその才能ゆえに母親の浮気をしってしまう。そして、兄の失踪。
成長したローズは、無関心であり続けた父親から自分の才能の秘密を知らされ驚きとともに家族の結び付きとかつてない安堵感を抱く。
その才能にちょっと突飛な設定と思わざるを得ないが、読後はやわらかい感情にひたれて良かった。
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ただただ憂鬱な話で読み終わったあとも、なんとなく嫌な気持ちでした。
特にお兄ちゃん、なんでああなっちゃうかなー
主人公の気持ちの描写など素晴らしいと感じる場面もありましたが、内容は全体的に中途半端でした。
アマゾンのレビューでよく見かける訳の酷さはあまり感じませんでした。わざと、ああいうリズムにされてるんだろうと思います。( さすがに「へーい」はあんまりですが)
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9歳の誕生日、母がはりきって作ってくれたレモンケーキをひと口食べた瞬間、ローズは説明のつかない奇妙な味を感じた。不在、飢え、渦、空しさ。それは認めたくない母の感情、母の内側にあるもの。以来、食べるとそれを作った人の感情がたちまちわかる能力を得たローズ。魔法のような、けれど恐ろしくもあるその才能を誰にも言うことなく―中学生の兄ジョゼフとそのただ一人の友人、ジョージを除いて―ローズは成長してゆく。母の秘密に気づき、父の無関心さを知り、兄が世界から遠ざかってゆくような危うさを感じながら。やがて兄の失踪をきっかけに、ローズは自分の忌々しい才能の秘密を知ることになる。家族を結びつける、予想外の、世界が揺らいでしまうような秘密を。生のひりつくような痛みと美しさを描く、愛と喪失と希望の物語。
訳が分かりにくいなとは思いましたが、それ以上に内容についていけなかった。ファンタジーがテーマではないよね、これは。ジョゼフは彼の秘密のせいで家族や友人に対して壁を作っていたということ?妹の能力を知った時に打ち明けることは考えなかったのかなと疑問でした。結局超能力の家系ですはい終わりっていう感じで、何が言いたいのか私にはさっぱりな終わり方。ジョージの果たす役割もいまいち謎でした。ローズがパニックになっていたときに支える友人ってことなんだろうか。タイトルがめちゃくちゃセンスいいなと思って読み始めただけに残念な内容。合う人には合うのかもしれない。
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エイミー・ベンダーは、はっとするような言葉で読者を引き寄せたりしない。訥々と単純な言葉を重ねてゆく。けれどもその言葉の組み合わせが穏やかではないので、とても非日常的な物語が展開する。しかしそれもよくよく眺めてみれば、誰にでもある小さな違和感を少しだけ別の出来事のように描いてみせるだけなのだ。決して大袈裟に言ったりしないだけで。
sensitiveとtoo sensitiveの間のどこに線を引けばよいのか、という問い掛けが日本の読者に向けた作家の文章の中に出て来る。恐らくその疑問に対する物語であることが本書の全てであり、結果として、自分を取り巻く世界に対して生まれて初めて抱いた違和感が、実はまだ身体の中に記憶として残っていることを、読み進める内に気付かされることになる。もちろん本書の主人公のように、皆その違和感を、例えばピーマンが食べられるようになるように飲み込み、気にしないようにすることを覚えてゆく。それがsensibleであると、自分を取り巻く社会が要求していることに従うことを受け入れるのだ。たとえそれを善しとしなくとも。
違和感に共感するという自家撞着。けれども鬼束ちひろの言葉に耳を傾けたり、エイミー・ベンダーの文章に身を寄せたりする人がいるという事は、それが誰にでもある違和感だと言うことを示している。岡崎京子の言葉にあるように『ぼくたちは何だかすべて忘れてしまうね』。あるいは、忘れたフリをしてしまうね。