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保守的論陣の一部が安易に標榜しがちな「伝統的」な家族主義への回帰。著者はそこでいわれる「伝統」がいかに「モダン」なアノマリーであるかを社会学的な視点から指摘し、高度成長期には可能であった特殊な形態を最早とり難くなった現在の家族(夫婦)の将来についての考察を展開していく。
ここで著者が「伝統的家族主義」に対置するのは、男女が政治的・経済的なインセンティブによらず、関係の在り方を自由に選択できるという「リベラル派の理想の親密性」だ。「伝統」とやらを志向する向きの中には、己が知ってか知らずか単に自分が個人的に最も心地良かった一時期を恣意的に「伝統」であるとして選び出しているケースが多いが、著者の「親密性」には、やや理想主義的なところはあっても未来を志向する前向きさが感じられる。それに、家族や結婚の軛によって自分の可能性が閉じられる社会は確かにアンフェアだ。
ただしここで論じられる「親密性」はおそらくはかなり単純な、つまり一対一の男女を前提としたものだということには注意を要する。何時でも好きな時に結びついたり離れたりできるというのは、そこに守るべき何物かがない時にできることだろう。しかしここは本書で抜け落ちている視点だと思うが、例えば子供がいる夫婦はどうだろう。夫婦の離別が子供に与える影響は単に経済的な意味に止まるのだろうか。個人的な感覚からいえばおそらく違うだろう。子供の存在を前提とすれば、そのようなリベラルな社会の到来のためには、両親の離婚により子供が経済的にのみならず「情緒的に」も影響されないことが前提となる。そういう社会をデザインすることは果たして可能なのだろうかと思ったりした。
しかし全般的には家族を巡る歴史やに日米欧の家族観・結婚観の比較など実証性あるデータを取り混ぜながらの解説はわかりやすく、改めて家族というものを考えなおす契機としては極めて有用だと思う。また、終章にて「近代民主主義における私的領域と公的領域の分断=公的領域での不公平の固定、私的領域での感情の不公正の容認」にまで論が繋がるところにも知的興奮を覚えた。
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女系で恋愛や関係も自由だった古代。戦功+官職+世襲による家制度で、家父長に権力が集中した封建時代。戦前の強力な家父長制、戦後の近代家族・自由恋愛。共働きカップルにとっては家庭も職場と同様なマネジメント対象でありリスクになってきている。
理想と考えられる恋愛・平等・共働きカップルですが、抵抗勢力はまだ根強いし、社会的に不足するケアを、格差で調達するというのもなんだかなぁ、な全体像が見えてよかったです。
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家族と結婚に関しても、20世紀の大いなる平等化時代が終わり、不平等時代が(また)はじまった、ということのようなのだけれど。これからの話になってないじゃん、というのは言わないほうがいいのかな。
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ファッション雑誌STORYでオススメされていたので読んでみました。
社会学、特に家庭や結婚といった身近なテーマの歴史的変遷を知ったのは初めてだったし、現代の世界における様々な家庭の分析も興味深いことばかり。
雇用・家事育児・所得格差なども社会学的な視点でみるとどうなのか、などとても勉強になりました。
備忘録、たっぷり書いちゃいます☆
まずは歴史から。
古代日本の婚姻はゆる~いものだったそうです。
というのも日本は農耕民族なので村落共同体に所属していれば特に夫に頼らなくても妻は食べていけるし、強いリーダーがいなくても労働力さえ確保できれば(子供が増えれば)村は栄えることが出来たからです。なので、女は実家に所属しながら比較的自由に結婚離婚を繰り返していました。
ところが、封建制度成立以降は、強い血統・リーダーの血筋、といった特別な能力が必要となり、婚姻は厳しいものになっていきます。
その後、家が経済的な単位となっていったため、家督を相続させる正当性の根拠として父を確定させる必要があり、家父長制度が定着していきます。
家父長制度の特徴は、父、長男は家に縛られる一方で(事業を継ぐ)、次男以降は冷や飯食い扱いで結婚もままならない状況でした。
有償労働も無償労働もあいまいにしか区別されていなく、具体的には家長(社長)を中心に、使用人も親族も家事も仕事もしている状態でした。
産業革命と工業化は、このような家事の在り方に変化をもたらしていきます。
工業化によって家庭と職場(仕事)が分離され、資本家と労働者の所得格差が広がっていきました。
それは悪いことのようですが決してそれだけではなく、男性(特に次男以下)の「家」からの経済的自立を即し、結婚もしやすい環境になっていくのです。
(その一方で、男は家族を養う重責を担い、女は専業主婦になり経済的に依存するというマイナス面もある)
更に、経済成長が進むと労働階級の所得も上がっていき、既婚女性は専業主婦になって夫の稼ぎに依存するという性別分業が一般化していきます。
家事はもっぱら妻によって、家電製品などの技術に助けられながら行われます。
殆どの人が結婚してその中で子供をつくるという皆婚社会は、20世紀前半を中心に先進国に見られた例外的な現象です。
高い経済成長率と大規模な戦争の欠如により、たまたま可能になった状態なのです。
その後の現代社会は、雇用された男女のカップルによる「共働き」が先進国の中心です。
実は、共稼ぎに同類婚(共通の社会的、肉体的、もしくは精神的特徴を持つ者同士が結婚すること。同じような環境で育った経済環境も似たカップル)が加わると、それは所得格差を拡大するように作用するのです。
格差を無くすためには異類婚が効果的ですが、政治的にそれを調整することはできないので、ワークライフバランスや税制改革など別の角度から、格差を無くすための政策を国は模索しています。
その他、共稼ぎ世帯が抱える家事分担の問題は単なる技術的な問題ではなく、移民や���法労働、ケア労働の再分配などの大きな問題であること示していました。
簡単に言うとアメリカ社会で既に起きている問題ですが、子育てや介護のケア労働は家電製品などでは代用しにくく、共稼ぎ世帯はそれらの仕事を貧民層(移民ら)に低賃金で請け負わせます。多くは不法移民で、彼女自身の子供は祖国に送る給料で他人が面倒を見るという、皮肉な結果につながっているのです。
こんな現代社会は、家に縛られることもなく階級差別もなく自由恋愛が優先されるのですが実際には同類婚が促進され所得格差のが広がる為、皮肉にも結婚しない(できない)人の増加、子供をつくる人の減少、といった脱家族化の増大、という問題に直面しているのです。
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20171222
家族の概念の歴史から共働きを紐解いた一冊。ワークライフバランスが意識されればされるほど高学歴同士の同類婚が増えて社会格差が広がるってのは新しい発見だった。結局どの国でも共働きの限界についての抜本的な問題は解決されてない気がする。
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なかなか勉強になる本だった。特に前半の家族の形態の移り変わりや、後半の男女平等社会がもたらすもの、についての分析、考察が面白い。
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社会学の専門家による家族についての本。結婚や家族について、歴史的な経緯をはじめ、海外との比較など詳細な分析が行われている。ただし、著者のリベラリスト的な主張は受け入れられない。政府等の力によって結婚や家族のあり方など、人間の本質に関わることをコントロールすることは困難であり、社会の流れに任せ、制約をすることなく自然に自由にさせることが大事だと考える。ダーウィンの考え方に人間といえども逆らうことは難しいと考える。
「日本の古代社会の対偶婚は複婚に近く、結婚している男性が他の女性と関係を持つこと、また、結婚している女性が他の男性と関係を持つことが厳しく禁止されることはありませんでした」p22
「古代の日本社会で意外にも男女が平等な結婚・家族のかたちが見られた」p56
「資本主義の発達につれて、経済活動の拠点が家から会社に移っていき、それに応じて家制度の特徴である家長の決定権や家督の管理権が実質的に掘り崩されていった」p56
「(職住分離)家での経済活動と、工場や会社での経済活動では、職住分離が異なる。自営業の時代には重なっていました。勤め人は、日中の多くの時間、家を不在にしますから、小さい子供がいる家庭にとっては誰かがその面倒を家で見なくてはなりません。女性の労働賃金は通常それはど高くありませんので、多くの女性にとっては外で働き続けることの経済合理性がありませんでした(専業主婦の時代)」p61
「専業主婦化が最も顕著だったのは、欧米社会においてでした。たとえば戦後、フランスを始めとするヨーロッパ社会の女性の有償労働への参加率は3割程度でした。最も極端なのはオランダで、小さな子供を持つ妻のうち、有償労働をする人の割合は1割にも満たなかったのです」p62
「歴史人口学的に見れば、1960~1970年代の、ほとんどの人が結婚していた社会(皆婚社会)こそが特殊なのです。家制度や家父長制が経済基盤を失い、「雇用された男性と家事をする女性」が1対1で結婚するようになってはじめて実現しました」p86
「各国の経済成長期のように、ほぼすべての人たちが結婚・出産できた時代こそが、特殊な条件がそろったまれなケースです」p145
「日本の婚外子の割合は2.1%ですが、アメリカでは生まれてくる子供の40.6%、フランスでは52.6%、スウェーデンでは54.7%が、出世時に親が結婚していない子供です」p146
「親が資産家だと、おそらく子供の結婚はそれだけ不自由になる傾向がある」p217
「一緒にいて楽しい相手は、同じような社会階層の人である可能性が高い」p219
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リベラルな立場を自認しつつ、常に複数の見方を提示した上で様々な文献と突き合わせて比較検討し、その上で著者の意見を述べるやり方は、研究の態度として非常に尊敬できる。家族という概念の歴史から掘り起こし、現代の家族像を分析してゆく。
個人的に学びになったのは家概念の成立であった。家概念の成立以前は、閉じた地域共同体の中で性的アイデンティティを重視しつつ比較的自由な人間関係があり、血統概念は弱かったのだそうだ。それが変わったのが武士の登場であり、共同体が食べていけるかどうかが戦の手柄に依存するようになったことが原因だそうだ。戦は男がやるものなので、男が共同体を養う、そして強い男の嫡子はまた強いだろうという想像に影響され、血統が重視されるようになったそうだ。
個人の生き方が昔より自由になった一方で、私的領域の公正さが担保されていないという指摘は我が意を得たりである。本書で最も重要で、かつ今後の検討が必要なのは次の二箇所だ。
「家族やその他の親密な仲にある人と関係を結ぶことを通じて得られる情緒的な満足は、必ずしも公正に分配されているわけではありません。何らかの理由で、特定の誰かからのケア、気にかけを十分に得られない人は出てきます。」p239
「たしかに、政府が介入して福祉を充実させ、経済的な条件をそろえることで、親密性から得られる幸福をある程度平等化させることはできるでしょう。しかし、親密性の原理は政治の公平性原理や経済の効率性原理とはどこか相性が悪いため、幸せの公平性をとことん追求することはできません。自由な親密性の世界が行きつく先は、決して平等な世界ではないのです。」p247
自由や平等、公正といった近代理念が大きくきしみ始めたのを感じる。水野和夫氏の「資本主義の終わり」論(悪目高いが)と、本質的に大きな関係がある気がする。
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内容は思ったよりも硬い。家族とは、家とは、家事分担、共働き、等について歴史を紐解き分析、日本以外の国との比較。
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家族以外のネットワークへの「埋め込まれ」が家族依存を軽減する、という事実をボットは近代産業社会に見出しました。こういう場合、日本古代の妻問題における男女関係と同じく、夫と妻は一緒に行動することがそれほどありませんし、人間関係も別々で、夫の友人と妻の友人が重なることもありません。(p.27)
異類婚というのは、異なった民族や宗教の人と単に同じ学校や会社に所属するといったことよりも、ずっと異質な存在、異質な慣習・考え方への寛容な態度が必要になってきます。何しろ一緒に生活するのですから。宗教や民族の異類婚は特に根本的な価値観にも関わるものなので、あまり増えないとしても不思議ではありません。(p.178)
要するに、「一緒にいて楽しい」相手は、同じような社会階層の人である可能性が高いのです。何がその人にとって「純粋」に楽しいかという感情は、その実、育った家庭環境によってかたち作られるものです。(中略)やはり恋愛はランダム・マッチングをもたらさなかったのです。人は誰かに持続的に魅力を感じるとき、真空から生まれた「好き」という感情からそうなるわけではありません(それはそれで美しい世界だとは思いますが)。恋愛には、たしかに格差を乗り越える潜在的な力はあるのかもしれませんが、通常の「自然な」恋感情に人々が従っている限りは、知らず知らずのうちに人は「同類」を選ぶため、逆に巧妙なかたちで格差を維持しているのかもしれません。(pp.219-220)
「カップルを形成してそこで子どもを作る」ということの安定した経済的条件が失われつつあることは、私たちが生きる社会にとって極めて大きな課題となっています。繰り返しになりますが、ほとんどの人が結婚してそのなかで子どもを作るという社会は、20世紀後半を中心に先進国に見られた例外的な現象です。少し乱暴にいってしまえば、高い経済成長率と大規模な戦争の欠如により、たまたま可能になっていた状態なのです。(p.235)
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前半では、家族や結婚のかたちの歴史を公平な立場で紐解いていく。「男は仕事、女は家事」という性別分業は、伝統でもなんでもなく、経済環境によってたまたま形成されたものに過ぎないと知って驚いた。
後半は共働き社会がもたらす問題点について提示する。共働き化が格差社会を助長するという話は俄かに信じがたかった。また、家族への過剰な依存は、セーフティネットとして家庭を維持しなければならないという「家庭の職場化」に繋がるとのことだった。逆に家族を必要としない社会でこそ、人々は家族を求めるという考えは斬新ながら説得力があった。
最初は人生設計の指南本だと勘違いして本書を手に取ったのだが、実際には個人というより社会全体での家族の在り方を公平に提示してくれる教養本に近かった。結果的にとても勉強になったので、満足している。
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◯著者が社会学者だけあってか、さまざまな視点から家族のあり方についてを分析されている。所得税も検討しているのはやや意外。
◯文体が(なぜか)口語的に記載されており、家族の話だけあって幅広い読者層を踏まえているのか。ただ内容との兼ね合いから、すっと頭に入ってこない。
◯内容としては、保守的な家族のあり方が念頭にあると、中々受け入れにくい検討がされているが、結論としてどのようなあり方が現代日本に望ましいのか、その際の政府の対応としてはどうあるべきかが、具体的かつ分かりやすいものではない。そういった意味では、あくまでフラットに分析しているということなのか。
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結婚して家族を養うことがどうしてこんなに大変なのだろう..。複雑で厳しい現状を知る一歩
●感想
「なぜ、結婚して子供を育てていくことがこんなにも大変なのだろう?」誰もが疑問に思うこのことを、本書は定性的・定量的なデータを駆使しながら説明してくれる。根本的な問題は「お金がないと家族運営・子育てできない」「共働きをしても経済格差が解消されるわけではない」ということ。収入の低い男性も女性も結婚によって問題を解決できるわけではない。結婚相手は同程度の収入・学歴を有する場合が多いからだ。世帯収入の少なさが子育ての厳しさに直結するから、「共働きしてもお金がない夫婦」にはどうしようもないという現状がある。加えて、「共働き」は手段である。本来の目標であるべき「自由な親密性の実現」を損ねてはいけない。
本書の分析をすっきり理解するのは結婚難しい。厳しい現状を踏まえて「次どうしていくべきなのか」が分からない。実行するコトは読者自身が自分のアタマで考えていくことなのだろう。「普通に暮らしていくことが、なんでこんなに大変なんだっけ?」と思ったら、読み返したい。
●本書を読みながら気になった記述・コト
*「その子供は誰の子どもなのか?」明らかでなくても良い時代があった
・「農耕を行う集落にとって重要なのは、みんなが協力し合って農作物を収穫することです。そこでは、子どもは貴重な労働力です。そして、子どもをもうけるためには、男女が関係を持つことが必要です。しかし、生まれてくる子どもが誰の子どもなんかについては、もちろん気になるところではあったと思われますが、とことん追求する必要がありませんでした」
*「誰の子どもなのかはっきりさせる必要があるのは世継ぎが必要な場合」
・血統を重視する武家社会では誰の子どもであるかはっきりしていなければならなかった。そのため、姦通が罰せられることとなった
*子育ている世帯を優遇すればよい、という単純な話ではない
・フランスでは子どもがいる世帯の税制を控除している。では日本もそれを取り入れるべきかというと、そう簡単ではない。国をあげて「単身者を差別する」ことになりかねない
*世帯単位課税とは
・世帯単位課税の世界では、同じ1000万円の世帯所得を夫婦がどのように分担しようとも税率は変わりません
・夫が1000万円すべてを稼いでいようが、夫と妻で500万円ずつ分担しようが、おなじ
・世帯単位課税は、そのなかに二つの方式がある。一つは合算非分割方式、もうひとつは合算分割方式。非分割方式は、世帯の人数にかかわらず、単純に世帯所得に課税する方式。分割方式は、世帯所得を世帯の人数で割ってそれぞれに課税する
・非分割方式では、高所得者同士が結婚することによって、発生する世帯間の所得格差を是正できる。1000万円の所得を持つ男女が結婚した場合、独身時にはそれぞれ1000万円に課税されていたのが、結婚すると2000万円に対応した高率の課税が適用される
→この税方式問題:所得のある人と結婚する動機が小さくなる。結婚が減るか、女性の就労機会を減らす
・分割方式はフランスなどで���入されている。分割方式では、夫婦の所得を平均した額に課税される。したがって、分割方式では、高所得者が低所得者と結婚するインセンティブを持つ
*少子高齢化の問題は「自由な親密性の交友」を失わせること
暮らす相手が選べない、結婚相手も選べない、子どもを持つことも選べない、というのが不幸な状態。少子高齢化が進み経済的に国・国民が困窮すれば、生活の選択肢は狭まっていく
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家族のかたちについて考える本
どんどんと変わっていく家族のかたちをうまく整理している
前時代では「父母子」ではなく「母子とそれを取り巻く社会のサポート」と言う仕組みで支えていた。
国民の管理のために家長制度などが出来上がった。
自由な親密性のための課題①安定した職②無償労働③高齢化
無償労働についてアメリカでは移民などの外部労働力の仕様、北欧は公的サービスに頼った。
アジアはパラサイトシングル率が高い。共働き+同類婚により格差が拡大する。世帯への課税。
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理想的な「親密性」を個々が自由に持つためにはどうすればよいか、
その解の1つとして共働き化が進んでいるけれど、
それは格差の拡大を招きかねないし、当然ながら「ケア」の家事を誰がどうするのかという問題は発生する。
北欧のように国のケアを手厚くするのか、アメリカのように格差を利用した家政婦を入れていくのか、、
社会問題の話を掘り下げていくと、自分の立場の恵まれっぷりを痛感しますね