紙の本
楽しい青春小説
2024/02/16 16:00
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投稿者:栄本勇人 - この投稿者のレビュー一覧を見る
苦みが大きい青春小説もいいが、この本のような愉快な青春小説もまた良い。ファンタシー?要素も含まれているので、そのポイントを許容出来る人にはおすすめ。
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なんというか密度の濃い小説だった。すごく集中力を要求された。くだらない映画を量産する日本映画の監督たちにぜひ読んで欲しい作品だが、こんな暑苦しい大学生は今時いるんだろうか。
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奇抜なアイデアと勢いに任せた青春ものなのかと思っていたら、いやいや、純情かつミステリアスで読み応えのある素敵な一冊でした。
あらすじ(背表紙より)
2浪の果てに中堅お坊ちゃん私大に入学した、十倉和成20歳。ある日、彼のボロ下宿の天袋からセーラー服姿の少女が這いおりてきた。少女・さちは5年前から天井裏を住処にしてきたという。九州男児的使命感に燃えた十倉はさちを庇護すべく動きだした。そしていつしか、自らの停滞の原因―高校時代の親友であり、映画に憑かれて死んだ男・才条の死の謎に迫っていく。映画と、少女と、青春と。熱狂と暴想が止まらない新ミステリー。
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帯ほどの衝撃はなかったけれど、確かに余韻は強い。鈍い痺れが少し続いて、その後に思い出したような爽やかな気持ちになれる。
最後の一文は確かに粋。
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「そもそも合コンとは、何のためにあるのだ」
「…はあ?」
「時間を浪費して、金を浪費して、心を浪費して、価値観の合わぬ女子と話すことのどこに意味があるのか」
「意味なんてない。ただ楽しいからに決まっているじゃないか」
『無論亜門は喧嘩を売っているわけではない。母親の胎内に愛想というものを置き忘れてきただけである。』
「いまどき稀な苦学生であるうえに希少性の高い大和撫子的風貌をもつ。何か彼女のために、勉学の妨げにならぬ、効率のよいアルバイトを紹介してくれないか。もちろん、品行方正なもので頼む」
「途中までいろいろ思いついたが、品行方正で雲散霧消した」
「見ろ。人生など所詮一場の舞台だ。どう踊るかはそれぞれだが、踊りきらんやつは男ではない」
『何を踊るのか。
人生という舞台で、いかに踊るのか。』
『暇なやつしか悩まない、とは人生の一面の真実である。死に物狂いでやっている最中にそうそう惑わされることなどないらしい。』
「聞け、十倉和成。おまえは何の為に生きている」
「なんだいきなり」
「この天のもと、おまえはいったい何を踊るというのか」
「天才という言葉は、天才と呼ばれる人々に対する最大の侮辱なのです」
「うるさい、よいか。天才とは理解できぬものをそう呼べば便利だから使われる言葉である。あいつは天才だ、自分たちとは違うのだ、そんな台詞は身を切るような努力を知らぬものたちの言い訳である」
『そうである。舞台の幕はもうすでに上がっている。客も大入りだ。芝居は最後まで続けねばならぬ。今ここでこそ、自分に出来る最高の踊りを踊らねばならぬ。』
「すべては繋がっているのではないかとさちは思います。この世に、奇跡と呼ばれるものが実際に起きたとき、それが奇跡であると知れるのはずっとずっと後のことなのではないかとさちは思うのです」
「生きていれば誰かの足を踏むものだ」「そして踏まれるものだ」「傷ついている暇があれば強くなれ」「笑い飛ばせ」「世の中は所詮一場の舞台である」「踊れ」「おまえの踊りを踊れ」「人は無心に走るものの背中に惹かれるんだ」「いつしか追いかけてしまうのだ」「それが流れとなり」「やがて世界を動かすのだ」
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登場人物や情景が目に浮かび、終始楽しかったです。ゆったりした前半と、怒涛のラストシーンの対比が印象的。文体のためか、森見登美彦作品と似た匂いを感じました。
ポップな表紙ですが、読んでよかったと言える一冊でした。
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一肇(にのまえはじめ)というペンネーム自体に変な方向にこだわっている特徴が現れている。「一」を「にのまえ」と読んでいるが、「一」を「はじめ」とも読む読み方もあるのである。だとすれば、この読み方で「一一」と書いても構わないわけだ。また、2014年の刊行らしいが、偶然にもイニャリトゥ監督の「バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)」が米国公開された年である。書名も内容も実は、既に話題となっていたその作品へのオマージュとも見れなくはないのである。要は、この新人作家の性癖は、「変な方向に拘る」というものだということがわかる。
イニャリトゥ監督は「BIUTIFUL ビューティフル」も「レヴェナント蘇えりし者」も、その年のマイベスト3に入れるほど私は大好きだった監督(私は年間100作以上は観る映画ファンである)だけど、アカデミー賞三冠に輝いた「バードマン」だけは頂けなかった。表現者の苦しみを描こうとしたこの作品、しかしその肝心の苦しみの中味は、台詞的にも映像的にも、私にはほとんど伝わらなかった。むしろ、これはあらすじが先にあって、それに合わせていろんな凝りに凝った映像と台詞を「創った」気がした。
という、全く同じ感想を、この一肇氏の作品にも与えたい。
それなのに、なぜこの本を手にとって最後まで読み通したのか?それは一つは編集者の文庫本の裏表紙にある紹介文「映画と、少女と、青春と。」という文句に惹かれたから。三つとも私の好きな言葉なのだ。それにもうひとつ、文庫の帯の「煽り」にやられた。そういう意味では、小説を創るのは作家ではあるが、本を創るのは編集者であることがわかる。実は、マアこれも 監督と制作の関係であり、映画的世界ではある。
あ、ちなみに「バードマン」のエマ・ストーンと「少女キネマ」の黒坂さちは良かった。
2017年3月14日読了
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2017.3.31読了。
読みづらい文章で、中盤辺りからどうなることかと思ったけれど、ステキなラストで安心した。
ハッピーエンドでよかった。
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芸術に携わるものが追い求める「向こう側」。
掴みたいけど掴めないもの。実体がなく、掴もうとすることすら正しいことなのか分からず、それでも追いかけずにはいられないもの。
掴んでしまうことへの畏れから、踏み込むことを躊躇してしまい、安定した生活や護るべき存在を認識したとき、どちらか一方を諦めないといけない、ともがき苦しむ性質のもの。
亡くなった友人が、最後に撮ろうとしたものは何だったのか。
向こう側に足を踏み入れようとして、踏み外して、命を落とした友人が追いかけていたものの存在は何だったのか。
結局それは、一人の少女への恋慕であり、思い出であり、通じ合うことへの果てなき希望であった。
ある学生は恋人への想いから芸術への傾倒が不可能になり(つまり、どちらかしか選べないと信じていたわけだが)、
ある学生は恋心そのものが、想いを遂げたいという情熱そのものが、芸術へと昇華された。
選べる人には選択肢が見えている。だからこそ、時に優柔不断になり、突き抜けることが困難になる。
選べない人には選択肢が用意されていない。問答無用で荒波に飛び込み、どちらに転ぶかわからずに「向こう側」を目指す。
そして呟くのだ。この道しかなかった、と。
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「人生は一場の舞台でありそこでお前は何を踊るのか。」
一気に読んでしまった。心の奥底に入ってきて、そのまま固まってしまった。これはなんなのか・・・展開がすごい・・十倉が一番・・
「裸になれ、十倉」才条は恐ろしく真顔でそう告げた。「全て脱ぎ捨てろ。見栄もプライドも欲も恥も煩悩も。すべて捨て去ってただ駆けろ。」「答えはその先にある。」
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一肇著
「少女キネマ 或は暴想王と屋根裏姫の物語 」
読み進むほどに浅田次郎さんの「活動写真の女 」とかぶってしまう。
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登場人物たちが個性的すぎて違和感を覚えつつも、男だらけの四畳半的物語を目指してるんだよな、と割りきって口の悪さやむさ苦しさを気にしないようにして読んだ。
主人公が亡くなった友人の未完成の映画作品の続きを撮るに至るまでがちょっとうだうだ長く感じるけど、最後の怒濤の暴妄は勢いがあって楽しかったし、個性的すぎて受け入れがたかった登場人物たちが人間味を帯びたし、主人公へ力を貸す姿にいっきに嫌味がなくなり、終わりはすっきり良かったなって思えた。
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ミステリー要素に期待していたが、どちらかというと青春小説要素の方が強かったように思う(全くミステリー要素がない訳ではないが、もっと伏線はってもよかったんじゃないかとも思う)
青春の熱はすごくあった。
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映画を巡る大学生達の話。
主人公の大学生の青年は亡くなった友人の足跡を辿るため、大学へ進学した。しかし困窮と勉学の日々に追われ、元々の目的を忘れかけていた。
そんな日々の中で突然ある少女に出会い、彼の物語が動き出す。
というこんな話だけど、上手いこと出てくる人物の全てが映画に関わっている。また映画を中心に話が進んで行きます。
物語の2/3は正直パッとしなかったけど、主人公
が自分のやるべき事に目覚めてからは、その情熱に当てられ、めちゃくちゃ面白くなってきた。
途中までは森見さんの作品に似たような感じがあったけど、最後は全然違ったね。
情熱がたぎるいい作品でした。
ここまで情熱の苦しさを切り取った作品も無いかもしれない。
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初読みの作家さん、書店で平積みされてるのに惹かれ購入、ジャケットも好み。
この一肇(ニノマエハジメ)氏、ラノベ出身で『魔法少女まどか☆マギカ』のノベライズを手掛けているとのこと。
まず文体と主要キャラ造詣、これには大きな既視感がある。ジャケットからも想像に容易いが「夜は短し恋せよ乙女」を連想せずにはいられない。今時の若者が決して使わないバンカラ言葉、ヒロインの容姿に言葉遣い、貧乏苦学生の暮らしetc…パクリ感は否めないものの、そこに「映画」に魅入られた人々がミックスされる。
「映画」にかかわる作品として重い浮かぶのは「探偵映画」我孫子武丸著、海外版として「フリッカー、あるいは映画の魔」セオドア・ローザック著などを思い出す。主人公の秘匿されたる停滞の原因が、「映画」に魅入られ自死を遂げた親友の「死」の真相究明というミステリ的構造を謳っており、中盤までは延々と繰り返される苦学生バンカラストーリーに、どうやって解決(オチ)をつけるのか、半ば作品としての成立に疑いを持ちつつも我慢しながら読んだ。
しかしながら親友の未完の短篇映画の最後のカットを撮りきる件にくると、スピード、サスペンス、キャラ立ち、全て停滞を感じていたものが急激に輝き出して、一気に解決へとなだれ込んだ。
正直、いくつかの仕掛けは仕込まれていて、それは今さらの手法ではあるが、自分は気付けなかったし見事な着地、解決と評価した。時代を築いた一大コンテンツ「まどマギ」のノベライズを手掛けただけのことはあると納得した。(まどマギもミステリ的どんでん返しに富むストーリー構成であることは周知の事実でしょう)
ただ残念なのは最後の最後、ヒロイン「さち」の在り様をファンタジー然として、無理やりなハッピーエンドで締めてしまったことである。ハッピーエンドは嫌いでないが、もう一捻りが欲しかったと思う。
まぁ個人的趣味をあるが、そこそこ楽しめる作品でありましょう。