紙の本
未来の世界を覗く事が出来ます
2018/07/29 20:40
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:Poohta - この投稿者のレビュー一覧を見る
この本は、これまでの概念に縛られず、成功体験の延長線での成長にこだわらずに
社会の実情をしっかりと理解した上で、どの方向に進んでいけば良いかを提言している。
社会構造、科学技術の進歩を多くの知識を持って活用するとともに、我々の強みを見つめなおして
下を向くことなく、前に進む指針を示している。
未来の世界を覗く事が出来る本です。
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西洋近代の人間中心主義による「<人間>の超人化」と「人間のための環境(モノ)の進化」という発想に対して、「<人間>の脱構築」と「環境的知能の全体最適化」、つまり「<自然>としてのコンピュータ」のエコシステムの構築を目指し、その超自然にそれぞれ不可分に内包されるのがデジタルネイチャーである。p87
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魔法の世紀から3年経った2018年に執筆された、続編というかアップデート版というか。すでに2020年なので未来館等の仕事を経て落合氏の中では更にアップデートが進んでいるんだろうなと思うとゲンナリする。まじですごい。
この2冊は基本難しいのだが、なぜか途中で諦めようという気にならず、辛い気持ちになる事なく文字を追い終わり、半分くらいはわかった気になれる。
とりあえず自分が勉強不足であることを痛感させられるので、意識は高くなる。もう少しディープラーニングとか和風の美意識について知ってから再読したい。
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#デジタルネイチャー という聞き慣れない言葉をタイトルに冠したこの書籍は哲学、技術論、そして自己啓発など様々な角度から読み解くことができる。
来るべき未来への高揚感と危機感を同居させ、読む者の意識変革を促すという意味で啓蒙的でもある。
非常に広範なトピックを扱っているため読者にとって未知の内容も多分に含まれ、またおそらく未知であるポイントは読者によって異なる。
たとえば私の場合はテクノロジー面のキーワード/トピックスは既知だが東洋思想などは未知。
ではそこを本書ではどうカバーしているかというと、異常とも思えるほどの注釈が未知の領域に対する知識の断片を与えてくれる。
最初はその注釈の多さに面食らったが、本編のスピード感やダイナミズムを失うことなくより多くの読者へ伝えるためには非常に有効な手法だと感じた。
一度の通読では消化しきれないほどの情報量なので、また頭から読んでみようとおもう。
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目次(一部抜粋)
第1章 デジタルネイチャーとは何か――オーディオビジュアルの発明、量子化、デジタル計算機、そして計算機自然、デジタルネイチャーへ
機械と自然が融合する時代が始まる/メディアアーティストとしてのエジソン/電流戦争から100年後の直流的デジタル社会/〈近代〉を規定する「エジソン=フォード境界」を乗り越える/「AI+BI型」と「AI+VC型」に分化する社会/「タイムマネジメント」から「ストレスマネジメント」の時代へ
第2章 人間機械論、ユビキタス、東洋的なもの――計算機自然と社会
〈人間〉と〈機械〉の統一理論・サイバネティクス/「End to End」という魔術/サイバネティクスとユビキタスを思想的に継承する/計算機自然が〈人間の補集合〉となる
第3章 オープンソースの倫理と資本主義の精神――計算機自然と自然化する市場経済
マルクスとウェーバーに還って現代のエコシステムを考える/オープンソースの倫理と資本主義の精神/絶えずリセットされ続ける市場の出現/「脱倫理性」がもたらす可能性
第4章 コンピューテーショナル・ダイバーシティ――デジタルネイチャー下の市民社会像、言語から現象へ
リアル/バーチャルからマテリアル/バーチャルへ/〈人間‐機械〉の中間領域にあるオルタナティヴ/コンピューテーショナル・ダイバーシティ/ダイバーシティにコミュニティや社会の意思決定を最適化する
第5章 未来価値のアービトラージと二極分化する社会――デジタルネイチャーは境界を消失させる
〈楽園〉の世界と〈奴隷〉の世界の二項対立を乗り越える/第三のてこの原理「アービトラージ」/帝国に対抗する「ラボドリブン」の可能性
第6章 全体最適化された世界へ――〈人間〉の殻を脱ぎ捨てるために
コード化によって変わる遺伝的多様性/ロボティクスとVRによって解放される「身体」/解体される「自我」「幸福」「死」の概念/失われた多様性をインターネットが担保する/人間の寿命を超えた知性が出現する
終章 思考の立脚点としてのアート、そしてテクノロジー――未来を予測する最適の方法としての
〈超人〉・〈身体性〉からデジタルネイチャーへ/〈物質〉と〈実質〉の境界を突破する/〈生命〉と〈機械〉の新しい関係/不可視のデータ、そして重力からの解放へ/風景と計算機自然
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「デジタルネイチャー」落合陽一
人々の労働は、機械の指示のもと働くベーシックインカム的な労働(AI+BI型・地方的)と、機械を利用して新しいイノベーションを起こそうとするベンチャーキャピタル的な労働(AI+VC型・都市的)に二極化し、労働者たちはそれぞれの地域で全く違った風土の社会を形成するようになる。
プラットフォーマーの想定するAI+BI型の社会は成功した社会主義に近くなる。社会の構成員に等しくタスクが振り分けられ、その対価も等しく与えられる。それに対してAI+VC型の社会の中では、一部の人々は挑戦的なビジネスに取り組む。シリアルアントレプレナー。
両者の価値観の共存は難しいため、AI+VC型の社会についていけなくなった人はAI+BI型の社会に移住して余生を過ごす事になる。
AI+BI社会では、機械ができない環境のセットアップや、地震は洪水といった外部的なリスク要因の判断、インフラ維持が人間の主な仕事となる。
AI+VC型社会では、抽象的な思考による新しいAIの利用法の考案等、フレームの外側の可能性の探求が仕事になる。文化もこちら側から生まれる。文化は論理的な説明を超えた非合理性の上に成り立つので、機械による予測ができない為。
工業社会では1日を時間単位で分割し、それぞれの労働を可処分時間に割り当てるタイムマネジメントの発想が求められる。生産性の高い工業社会に人間を最適化させる為の処理をする。人間を規格化する為の仕組み。
コンピューター中心の社会では、劇場型の授業は不要。個々の進捗に合わせて最適化する。
今後の社会では画一性が求められる作業はある程度機械が行うようになり、人間に求められるのは、規格化できない作業を解決するような手法論等、非画一的な仕事。
頭脳労働は仕事の質は作業時間に比例せず、集中力依存が大きい。時間単位での労働価値測定は弊害を招く。
知的生産者の疲弊は、時間労働による身体的なものではなく、頭脳の処理による負荷。問題は時間ではなく、演算ストレス。
タイムマネジメント時代は「ワーク」と「ライフ」を対比的に区別していたが。今後は全ての時間がワークでありライフであるワークアズライフになる。
この時代では、頭脳に対して、ストレスフルな仕事とそうでない仕事のバランスが大事。
ワークライフバランス思考からの脱却。
残業禁止解決法は、時間による労働管理でストレスが生じている場合は逆効果。
タイムマネジメントからストレスマネジメントへ
社会格差は経済資本ではなく、モチベーションとその根底をなすアート的な衝動にある。
人類のコンピューターに対する優位性は、リスクを取るほどにモチベーションが上がるところ。
コンピュータは関数と目的地があると収束してしまう為、リスクを取る事が苦手でイノベーションも起こりにくい。
リスクを顧みないほど何かに熱中している人間や、社会や技術の新しい芽を育てたいという人間の数はごく僅か。多くの人は知識を吸収しても騒動を生み出すような独��の視座を創り得ない。
文化資本の再分配は資本以上に巨大な格差がある。本がたくさんある家庭と1冊もない家庭の差は経済的理由を超えている。
「可能かもしれない想像上の産物に様々な質問を問いかけるという作業に集中する事」google Xアストロ・テラー
これからの人類がやるべき事は、「可能かもしれない想像上の産物」に対して、「様々な質問を問いかける」為に具体化して「それに集中する」事。まだ実現していない未来にコミットするのは大きなリスクだが、これが最も重要な価値である。
「世界」とは「世=過去現在未来の時空間」「界=上下左右東西南北の三次元空間」を指す仏教用語。
「宇宙」とは、「宇=空間」「宙=時間」を指す。
この世界は、たんぱく質をベースとしたプロテイン型コンピュータ(生物)と半導体素子の元となるケイ素をベースにしたシリコン型コンピュータが共存している。
機械には不可能な判断を人間が行い、人間に実行できない演算処理を機械が担当する。人間と機械が両輪となって技術が進歩する。
イルカやクジラは、2000万年もの間、1キロ先の仲間と話ができるし、個々がコールイホイッスルという個別信号を持ち、周波数帯(ブロードキャスト)を使って全体送信と個別送信ができる。海中では、超音波は秒速1.5キロメートルで通信可能。
イルカ語を翻訳できないのは、会話が単語ではなく、データに近い構造で一対の言語としての変換が難しい為で、恐らく空間情報のようなものを送りあっていると言われている。
この数百年、人間は脳で実行可能な知識を真理としてコレクションしてきたが、今後はプログラムやベクトルの形で提示される。コンピュータにしか理解できない知識も真理たりうる。
「大衆」とは仏教用語で、仏法によって正しく規律制御された人類を指す。
現実とは主観的な認識であり、事実や真実とは限らない。「リアル」とは微妙に違う。
正確には、「リアル/バーチャル」ではなく、「物質的/実質的」
近代的な人間観は、自分らしく生きていく事。
「自分探し」から「べき論」へ
「べき論」と「やりたい事」を分ける。先ず、「べき論」はニッチを狙った生存戦略。ある程度時代の流れを読めれば、その中から自分ができる事を始める事。それによってそれまで見えていなかった「やりたい事」が明確に見えてくる。
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言語と社会システムの不可逆性と不完全さをテクノロジーによって超克出来れば、脱近代そして人と人の相互理解、経済圏の選択を含めた互いの共存を認めやすくなる生態系が実現出来ることへの希望を与えてくれた一冊でした
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フォトリーディング3回目。
今後間違いなく進んでいく方向性について、あらゆる分野での更新がなされる。
その中での普遍性を考える。
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魔法の世紀の方が面白かったかな
なんとなくバズワードや知的な言葉をちりばめようとしていて正確性に欠ける(例えばGPS衛星が静止軌道であるとか)部分が気になってしまって残念。本質的な文章だけにしたら良書になるんじゃないかな
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『超AI時代の生存戦略』を読んで興味を持ったので借りてきた。こっちは難しめ。こちらもわかりみは多かったが、抽象的すぎる。(2018/9/4)
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「侘びと寂び」とあるのでもっと人文系の内容を想像したが、AIを含むITの現在到達点を基に近未来のITと人間の関わりや人間社会の近未来像を冷徹に推測した部分が大半となっている。
「侘びと寂び」は冒頭部分と巻末部分にだけ著されているが、著者の辿ってきた道筋がわかるようで興味深い。
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初見で理解するのはかなり難解な内容です。3回程読み直してようやく全体像を理解する事ができました。
本書はタイトルにある通り、デジタルが自然化した先の未来を、東洋、西洋、あるいは近代と相対的して書かれています。日本人が持つ独特な感性「侘び寂び」から語られる思考の拡張性や、ポストシンギュラリティー時代の二項対立の融和(テクノロジーによって障害者という言語自体が消失する)、またイルカのエコロケーション獲得による言語から解放された人類(簡単に言うと、技術によって脳で思考した事が言葉を介さずに相手に伝達可能になる)など興味が惹かれる内容ばかりでした。
落合さん独特の専門用語が多いため理解するのは難解ですが、無知な言葉を検索しながら読み進めるうちに、落合さんの思考の多くを獲得できたと思います。
半年掛かっても読む価値はありますので、是非。
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限界を迎えている様々な近代システムに対し、イデオロギーではなくテクノロジーの側面からこれを刷新することを目指した1冊。タイトルのデジタルネイチャーとは「生物が生み出した量子化という叡智を計算機的テクノロジーによって再構築することで、現存する自然を更新し、実装すること」とある。つまり、テクノロジーによって従来の人間対自然、主観対客体、などの二項対立を超越し、全体主義的に最適化された状態へと、まさに「脱近代化」するということであろう。内容は少し難しかったが、テクノロジーによって今何が変化しているのか、あるいは今後何か変化するのかということを考えるには非常に適した指南書であると感じた。
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まえがきが最もタフでわずか31ページを読み切るのに1時間以上かかったが、それさえ乗り切れば以降は滑らかに読める。
近代の超克や東洋思想への回帰という発想は非常に面白い。
本書で提示しているような哲学的考察や思考実験を吸収して自分なりにアップデートすることが次なるパラダイムへの備えとなると感じた。
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人間を数理的に捉えるサイバネティクス、あるいはあらゆるモノをコンピューティング化するユビキタス思想に立脚しながら、「デジタルネイチャー」という新たな地平を構築。
脚注も豊富で、膨大な情報量に裏打ちされた有機的な論の数々がひたすら刺激的。脳汁出まくりで飛べる一冊。