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事実を元に書かれたフィクションなので、アウシュビッツについて書かれた本を読んだことがある人には、物事がやや都合良く行き過ぎると感じるかもしれない。
それでもあの地獄から生還したことはまぎれもない事実である。あそこで起きた残酷なことも。
過酷な生活についてはあまり多くは書かれてない気がする。思い出したくことだったのかもしれない。
収容所で知り合った2人が結ばれるなんて、本当にすごい。すごい強運の持ち主。あそこから生きて出られるだけでも強運としか思えない。皮肉なことだが、辛いタトゥー係になれたことが不幸中の幸いだったのだと思う。
深い愛情で結ばれたおふたり。亡くなられるまでそれを貫かれたことも語り継がれますように。
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事実に基づく限りなくノン・フィクションに近いフィクション。わかっちゃいるのに電車でラストを読んでしまいグジュグジュに。ナチス恐ろしいけど、そのナチスを支持したのはドイツ国民。明日は我が身とならないよう賢くあらねば。
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本書は、実在の人物からの聞き取りを元にして作った小説。
小説といってもほとんどの出来事は実際に起こったことであるので、本書を読みすすめながら戦慄を感じずにはいられなかった。
本書の主人公ラリは、スロヴァキア生まれのユダヤ人。ユダヤ人としてアウシュヴィッツの収容所にナチスによって収容されたが、5、6カ国以上の言語を流ちょうに話すことができる持ち前の語学力を買われて、通常の過酷な作業からタトゥー係に抜擢される。何度も死ぬような拷問や病気に蝕まれながらも約3年近くも収容所で生きながらえたラリ。そしてラリを支えたのは同じく収容所に収容されていた若き女性ギタの存在だった。
いままでアウシュヴィッツの様子を描いた本を読んだのはヴィクトール・E・フランクルの傑作『夜と霧』だけであったが、この本を読んでさらに今までの自分のアウシュヴィッツのイメージが違っていたということが明らかになった。
どうしてもアウシュヴィッツ収容所というと「ガス室」や「焼却室」というイメージが強すぎて、連れてこられたユダヤ人はすぐに殺されていくというものでしかなかったが、実際にはそうでなかった。
まず、彼らは「労働力」として強制的に働かされていたのだ。
アウシュヴィッツ収容所の門にはこうスローガンが掲げてある。
『働けば自由になれる』
つまり、最初から全員を殺すつもりはない、働かない人間は殺すということなのだ。
しかし、収容所の生活は過酷以外のなにものでもない。
食事は野菜のかけらの少し浮いたスープが朝と夜だけ。病気になっても薬などは当然ない。働けなくなったものは容赦なく射殺される。
これだけでも、到底普通の人間が受ける待遇ではないのだが、ラリのようにナチスの若い監視兵に取り入ったり、外部から働きにくる町民から食べ物を融通してもらったりしている収容者も存在する。
驚くべきことに彼が収容所の中で貨幣として使っていたのはダイヤモンドやエメラルドなどの宝石だ。
どうやって彼はこれらの宝石を手に入れたのか。
ユダヤ人達は収容所に入る前に持ち物を持ち込むことを許されていた。ナチスがそれを許していたからだ。
しかし、それは彼らを安心させるための罠で、収容所に入ったとたん、持ち物は取り上げられ、衣服は脱がされ、髪の毛は全部刈られ、腕に収容者番号のタトゥーを入れられる。
こういった行為は、ナチスの兵士によって直接行われるのではなく、兵士の監視下において収容されているユダヤ人によって自ら行われるのだ。
ユダヤ人の持ち物の選別は女性のユダヤ人収容者の役目であり、持ち物の中から宝石などの金目の物をその場で盗みとることが可能だった。
それらをラリが集め、ラリは部外の町民からチョコレートやソーセージなどの食料や薬などを宝石で『買う』ことができた。ラリを助けていた町民にとってみれば、チョコレートやソーセージなどの日用品が高価な宝石に変わるのだからこんなに美味しい話はなかっただろう。
ラリは入手した食料や薬を他の収容者に与えたり、若い監視兵が欲しがっている物を入手したりし、特別な立場を築いていき収容所内での救世主的な役割を担っていた。
ラリの行為は当然収容所の規則に反するもので見つかればその場で処刑されるおそれがあったが、ラリはナチスの若い監視兵に贈り物などをすることによって手なずけていたので、見て見ぬふりをしてもらうことができたのだ。
その他、収容所内では想像を絶するさまざまな問題が存在していた。例えば、収容者同士でも、新入りと古参の収容者との収容者同士でのいさかいや「ジプシー」と呼ばれていたロマ人収容者達へのさらなる差別などがあった。
また、見た目の美しい女性ユダヤ人は強制的にナチス幹部の性奴隷にさせられるということで髪の毛はそのままにされ、やせ細らせないように食事の面で特別待遇を受けていたことなど、さまざまな非人道的な行為が繰り返されていた。
まさにアウシュヴィッツはこの世の地獄であったのだ。
このようにアウシュヴィッツ収容所に入れられたユダヤ人は問答無用ですぐに皆殺しにされていたものという僕が思っていたイメージとはだいぶ違うものであった。
実際に、収容されていたラリも後に『ホロコースト』と言われるような、これほど大規模な殺戮が実際に行われていたということは知らなかったのではないだろうか。それは、収容所のナチス兵なども同じだっただろう。もちろん、アウシュヴィッツ収容所を解放したソビエト兵達もナチスによってこれほどの殺戮が行われていたということは知らなかったに違いない。
実際に『ホロコースト』の全容が明らかになったのは、終戦後のことだ。
多くの虐殺の証拠は隠蔽され、その遺体も地中深くに埋められ発見が難しかった。当初は100万人程度のユダヤ人が殺されたのではないかと言われていたが、実際には900万人から1000万人もの罪のないユダヤ人たちが虐殺されていたのだ。
この小説で書かれていることはホロコーストで行われたごくごく一部のことであり、主人公のラリは本当に奇跡的にラッキーな立場にいたというだけだったのだ。
人間はどこまで残酷になれるのであろうか。
戦争という狂気の中で、人間は良くも悪くもそういったことに『慣れてしまう』のだ。
ホロコーストに関与したナチスの大幹部アドルフ・アイヒマンが終戦後に逮捕され、裁判で語った言葉がある
「私は命令された自分の仕事をしただけです」
と。
そこには罪の呵責など全くない。
ただ事務仕事のようにユダヤ人を殺していた。
なによりもアイヒマンを見た多くの人々が衝撃を受けたのは、彼がふてぶてしい大悪党ではなく、何処にでもいる小役人的な凡人にしか見えなかったということだ。
このように、多くの『普通』のドイツ人たちが、ホロコーストを起こしていた。
もちろん、ナチスの中には生まれながらのサディスト的な人間もいたかもしれないが、多くの兵士は普通の人間であっただろう。そういった『普通の人間』を機械的に変えてしまうのが『戦争』の恐ろしさなのだ。
戦争だけでなく、よく無差別テロや無差別銃発砲事件などのニュースで「犯人」が「女性や子供にも容赦なく銃弾を放った」などと報道されるが、そういった「犯人」の思考回路は完���にこのホロコーストを起こした人間と同じで、相手をもはや『人間』だとは認識していない。
つまり、「犯人」の思考回路の中ではもう相手の「人間」は『人間』ではなく「虫けら」や「害虫」などといった「殺してもよいもの」「殺すべきもの」に変化してしまっているのだ。
そういった「犯人」に対して「女性」だから「子供」だからなどという、相手に「情け」を求める行為は全く意味をなさない。
なぜなら「犯人」の思考からみれば
「害虫のメスはさらに多くの害虫を産み出すから真っ先に殺さなきゃダメだろ」
「害虫の子供はこれから害をなす存在だから、害をなす前に殺さなきゃダメだろ」
という思考回路になっているからだ。
自分でこのレビューを書いていてなんだか気分が悪くなってきてしまったが「戦争」というものは普通の人間をこんな風に変えてしまうということなのだ。
今に生きる我々は、絶対にこのことを忘れてはいけない。
人間は『暴力』に慣れる。
人間は『残酷さ』に慣れる。
そして、人間は『狂気』に簡単に取り憑かれる。
これが人間の本質なのだ。
このことを常に我々は肝に銘じ、人間が過去に起こした罪を忘れることなく、生き方を戒めながら、この先も生きていくことが必要なのだろう。
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この本は、新聞広告で見かけて、広告には、「全世界感涙のラブストーリー」と書いてあったので、興味を持っていましたが、フォロワーさんがされたレビューなどを拝見すると、どうも様子が違うようでした。アウシュヴィッツは『アンネの日記』とあとは『アウシュビッツの図書係』をかなり後半まで読んだことがあるのですが、途中までしか読めませんでした。
『アンネの日記』のアンネは、アウシュビッツで命を落としてしまいましたが、この本の主人公は生き延びて家庭を持つことができた。そこが、唯一救いのある点だと思いました。
このフィクションのモデルとなったラリとギタは、収容所内での仕事も、他の収容されていた人々とは違って特別だったし、男女交際をしていても、とがめられていないのはすごいことではないかと思いました。(国民性もあるのでしょうか)ラリは拷問も受けており、死んでもおかしくなかったし、ギタは発疹チフスにも罹っています。
そして奇跡の再会。ラリは非常に頭がよくて優しい男性だったし、ギタも辛抱強くて賢い女性だと思いました。
でも、この二人は、かなり運もよかったのではないか。どこかで、何かひとつでも違っていれば、この展開、命はなかったのではないかと思いましたが、そう思うのは間違いのようです。
訳者あとがきで、金原瑞人さんが、「ラリは、ドイツ兵から、「知ってるか、タトゥー係。間違いなくおまえは、オーブンの中に入って生きて出てきたたったひとりのユダヤ人だよ」さらにラリは無意味に殺されていく人々をみていく。そして最後には運よく、故郷に帰り着くのだが、それを「運よく」といえるのかどうか。タトゥー係という特殊な立場にいたため、普通の被収容者たちが目にしなくてもすむものまでみてしまうし、みせられてしまう。家畜を運ぶ列車でアウシュヴィッツに運ばれてくる途中で死んだ方がましだったかもしれない。ラリはアウシュヴィッツという現実を後世の人々に語るため、その証人として神から遣わされた人物だったような気がする」と述べられています。
作家のグラム・シムシオン氏は「わたしは無条件でこの本をすべての人に薦める。ホロコーストの物語を百冊読んだことのある人にも、一冊も読んでいない人にも」と書いているそうです。
私はこの本のラリとギタの物語は時にこれ以上ない酷い話であり、時に素晴らしい話であったと思いましたが、アウシュヴィッツの話は、もうしばらく目にしたくないと思いました。
最後になりましたが、ギタも明るく賢い女性でしたが、ラリのお母さんは、ラリをとても素晴らしい人間に育てた、やはり素晴らしい女性だったと思いました。
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小説であるけれどルポのよう,フィクションだけど限りなくノンフィクションのよう。
ラリがモリスに語ったものをまとめて,それがさらに翻訳されているという過程を経ていることもあって物事が淡々と進んでいるように写る。どんな卑劣で凄惨なことも,どんなに感動的なことも。良くも悪くも。
ビルケナウでの出来事は本当にこの世で起こったものとは思えないというありきたりな感想しか出てこず,己の語彙力の低さに辟易する。過酷,苛酷そんな言葉で表現できない死と隣り合わせどころか,たまにそちら側に足を踏み入れながら,なんとかこの世にとどまっている収容所での生活は何度も吐きそうになるほど胸糞悪かった。ただ,その中で生きる希望を見出すラリとギタに救われる。事実は小説より奇なりという言葉がストンと落ちてくる。この二人が家庭を築き,ゲイリーがこの本の結びの言葉を綴ることは幾つの奇跡の連続の結果だろうか。
ラリが放った「明日も生きて朝を迎えてくれ」という言葉の重み・切実さがずっと心に響いている。
感じたことは沢山あるのに,まとまらない。久しぶりにそんな本に出会った。
何度も読み返す類ではないけれど,心にずっと残り,伝えたくなる本だった。
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事実を元にした小説。「縞模様のパジャマの少年」や「4才の僕はこうしてアウシュビッツから生還した」等もそうだが、どれだけの苦難も怒りも兎に角淡々と書かれている。それだけに生々しくリアルに感じる。収容所を舞台にした恋愛ものは初めてだが、明日の朝迄生きていたいと言うささやかな希望を繰り返し狂気の日常を過ごす二人が切ない。
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中学生用選書。
うーん。訳の感じも含め自分の受持層には厳しいかも。
ホロコーストに関して読んだ、見た作品は多くありませんが、人間という生き物のいろんな可能性を強く感じたこの作品。
虐げる者と踏みにじられながらも抵抗する者、そして口を半開きにしてページをめくっている私。全部同じ人間っていうのが到底信じられないじゃないですか。
「全世界感涙のラブストーリー」なんていうチープな帯をよくもつけてくれたなぁとか毒を吐いたりもしたのですが、アウシュビッツという舞台において、そのチープコピーが持つパワーってとてつもないものだと思います。
アウシュビッツを語る上で、奪われる「愛」じゃなくて、育まれる男女の「愛」を語ることができるんだ!と。
また、こういっては語弊があるとわかりつつ言ってしまうと、想像していた地獄とは少し空気が違うと感じました。
もちろん劣悪な環境で、被収容者の人としての尊厳なんてクソとも思われていないのは十分伝わるんですが…日曜日は休みなんだ!とか、特権とはあえ1人部屋の可能性があるんだ!とか、見張り役がクズだけど憎み切れないぞ、とか。
でも、それがすごくリアルなんですよね。人間、地獄の中で馬車馬のように休みなく働かされ続けたら死ぬ。あっという間に労働力が無くなる。
そして、そんな中で普通にどんどん人が消えていく。煙に、灰になっていく。
フィクションとはいえノンフィクションに近いこのストーリーの主人公ラリ。生き抜くことが最大の抵抗だと信じ才能と学と愛と運をフル稼働させられる判断力と精神力。そして確かにイケメン。
自分だったらって考えると、退場ポイントの多さに辟易します。貨物車の時点でドボンですね。
ソ連のポン引きやってる時なんて、最後にお偉いさんの仕事だけ片付けて逃げよう。いや、お手当もらえるって言うし、屋敷が引き払われるまではのんびりやるか。とか言いかねない。
速攻で自転車にまたがるラリだから生き延びられたのでしょう。
引きの強いPOPを作るから、あとがきと息子の言葉も含めて、なんとか読んでもらいたいなあ。
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「夜と霧」や「アンネの日記」とはまた別の意味で興味深いホロコーストのノンフィクション。人間はここまで残酷にも、そして優しくもなれるというのを改めて考えさせられる。チルカのスピンオフも是非読んでみたいと思った。
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僕は生きてこの場所を出る。歩いて外に出て自由になる。もし地獄があるのなら、あの人殺したちが地獄で焼かれるのをこの目で見てやる。
やらなきゃいけない。やるべき仕事をやるんだ。誰にも一言も話しかけるな。君がやらなくても、誰かがやることになる。
何年間も5分後に自分が死んでいるかもしれないと思いながら過ごしたことgあれば、たいていのことは切り抜けられるようになるのよ。息て健康でさえいれば、全てうまくいくものよ。
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あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いいたします。
今年の読了一冊目は、「実話をもとに綴られた、全世界感涙のラブストーリー」(帯のコピーより)。
ホロコーストの舞台である悪名高きアウシュビッツの収容所で、ユダヤ人のラリとギタが育んだ愛の姿を描く小説。
ラリもギタも生き残ろうという強い意志を持っていた。そして、奇跡的な運も重なった。基となる実話が語られ、小説になること自体が稀少であり価値がある。
学ぶことは非常に多いし、こういう本って、読まないよりは読んだ方がいいに決まっている。しかし、残念ながら、時制や人称がぎこちない、というか、ピタッとそぐわない感じがどうにも気になって、僕は小説の世界に入り込めなかった。冷めた頭のまま読み終わってしまった感があるため、評価は3点。
ー ひとりを救うことは、世界を救うこと。(P49)
ラリが信条にしていた言葉であり、ラリ自身もこの言葉により助けられる。非常に含蓄に富んだ言葉で心に残った。意味を噛み締めて考えたい。
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うまく言葉にできないけれど。
「人類史上最大の悲劇」といわれるアウシュビッツ。家族を守るためにそこに行ったのに、守れなかったと悔やむ人がいたり、家族の安否を信じる人がいたり。高官の指先一つで自分たちの人生が決まってしまうことの恐怖。密かに支えてくれる人の温かさ。いい人、悪い人というのはなく、ただ自分が生きるためにそこにいた。生き残った人、死という形で去った人、誰かを犠牲にしたこと。責められるべきはこんな政策をした人であって、中に押し込められていた人達ではない。
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実話に基づいたフィクション、その過酷さは想像を絶すると思う。こういうことがあったということは忘れてはいけないし後世に伝えていかなければならないと強く思った。
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心が洗われる作品。命の大切さ尊さを再確認できる。今は普通に生きているが、そうではない時代があったことを忘れてはいけない。今を生きている我々が読むべき一冊である。
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極限状態で、主人公のしたたかさが強運をたぐり寄せた話。
私にとって、「不滅の愛の実話」としては響かなかったけど、人間の心理や取引について、極限状態ではどんな思考回路になるのかについて、とても興味深く考えさせられた。
チルカはナチスに協力した罪に問われ、重労働の刑に処せられて、シベリア服役。
ラリは愛の物語の主人公。
ラリはチルカならラーガーフューラー(収容所指導者)に頼みごとができるかもしれないと思って、懲罰の際に頼った。チルカはずっと他の人にはない苦痛に耐えてて、その頼みごとのせいでさらに苦痛を強いられたかもしれないのに、服役。
もちろんラリが悪いとかずるいとかじゃない。悪いのは戦争。ホロコースト。
本当に不公平で理不尽だったんだって、怖かった。
愛の話としては読めなかった。
これが現実だったんだって、怖かった。
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綺麗事だけでは生き残れない
想像を絶する環境だから仕方ないけど
好きな女だけに割り切って贔屓できる
ラリをあまり好きになれなかった。
そこが生々しいと言えば生々しい。
なんだかんだ収容所で
セックス出来るのも驚いた。