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- カテゴリ:一般
- 発売日:2021/03/01
- 出版社: 講談社
- サイズ:20cm/412p
- 利用対象:一般
- ISBN:978-4-06-518349-6
読割 50
紙の本
激震
著者 西村健 (著)
1995年。年明け早々に阪神地方を襲った大地震に衝撃を受け、被災地に駆けつけた月刊誌の記者・古毛は、長田地区で焼け跡に佇む若い女と遭遇する。戦場の少年兵そっくりの眼をした...
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商品説明
1995年。年明け早々に阪神地方を襲った大地震に衝撃を受け、被災地に駆けつけた月刊誌の記者・古毛は、長田地区で焼け跡に佇む若い女と遭遇する。戦場の少年兵そっくりの眼をした彼女ははたして何者なのか?【「TRC MARC」の商品解説】
1995年、大地が裂けた。時代が震えた。
阪神淡路大震災、地下鉄サリン事件と未曾有の災厄が相次いだ一年、戦後五十年かけてこの国が築き上げたあらゆる秩序が崩れ去っていく……。
昭和史の闇を抉った傑作『地の底のヤマ』の著者が描き出す平成の奈落。
雑誌記者として奔走した自身の経験が生んだ渾身の力作長編。
年明け早々に阪神地方を襲った大地震に衝撃を受け、被災地に駆けつけたヴィジュアル月刊誌「Sight」記者の古毛は、その凄まじい惨状に言葉を失う。神戸でも火災被害の激しかった長田地区では焼け跡に佇む若い女と遭遇。夕方の光を背にこちらを振り向いたときの眼はかつて戦場で出会った少年兵とそっくりだった。果たして彼女は何者なのか?
「何やってんだろうな、俺達」加納が自嘲ぎみに呟いた。(略)「世間の耳目を引く話題に引っ張り回されて、取材取材に駆け回る。それで終わってみりゃぁ、前に何やってたかも記憶が薄れてる始末だ。(略)世間、てぇお釈迦様の掌で踊らされてる、孫悟空かよ」
「元々、報道なんてそんなものだったのかも知れませんけども」古毛は言った。「特におかしくなって来たのが、あのバブルの辺りからだったような気はします」
「あれで、日本が溜め込んで来たあれこれの矛盾が一気に噴き出して来た感じだな。戦後、営々と築いて来たこの国の神話が次々と崩壊してる、ってところかな」
――本文より【商品解説】
著者紹介
西村健
- 略歴
- 〈西村健〉1965年福岡県生まれ。作家。「地の底のヤマ」で日本冒険小説協会大賞、吉川英治文学新人賞、「ヤマの疾風」で大藪春彦賞を受賞。
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紙の本
本質として何も変わらない25年
2021/07/13 07:03
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:浦辺 登 - この投稿者のレビュー一覧を見る
「激震」という表題、「1995大地が裂けた。」という帯から、阪神淡路大震災に関する作品と直感した。しかし、この平成7年(1995)には、オウム真理教の地下鉄サリン事件も起きた。バブル経済がはじけ、それでも、持ち直しに懸命な時期に止めを刺すような災害に事件だった。あの未曽有の大戦と言われた大東亜戦争(アジア太平洋戦争)復興から半世紀。再び振り出しに戻ったかのような印象すらあった。それでいて、その災害や事件を渦中の外の人々は、対岸の火事として見ていたのではないか。
本作品は雑誌記者の古毛が主人公。怠惰な東京での女子高校生の「売春」事情の取材から始まる。そして、「本質としては何も変わらない」25年前の思い出に変っていく。阪神淡路大震災の一報は、まだお屠蘇気分が完全に抜けきらない1月に起きた。地震大国ニッポンでは地震は珍しいことではない。しかし、まさかの阪神地区での大地震だった。革新系の強い地域だっただけに、緊急事態でありながら、自衛隊の出動は大幅に遅れた。
事件は、その瓦礫の山となった神戸の街で起きた。倒壊した建物の下敷きで亡くなったと思われた遺体に刃物による刺し傷。捜査担当の刑事の如く、古毛は聞き込みに歩き回る。雑誌記者の本能というか、勘というものが働いたからだろう。ここから急展開でオウム真理教の地下鉄サリン事件に話が飛ぶ。一瞬、ストーリーの展開が分からなくなる。しかし、この地下鉄サリン事件は意外な結びつきを見せる。
ここから先は、著者の思惑に従って、話の展開を楽しむしかない。次は、どうなるのか。ここから、どう広がるのか。どう膨らむのか・・・。400ページ超の作品だが、300ページを過ぎる頃から、ページをめくるのがもどかしい。先に、先にと急ぐ気持ちを抑えて読み進む。結末は、今話題のGAFAのあの方?と思える意外な話に、安堵もした作品でした。
新型コロナ・ウイルスの出現で、日本人の多くは予想もつかない日常を強いられた。従来、右肩上がりで成長するのが当然という資本主義の展開を疑わなかった。幾度も幾度も、谷底を経験して、這い上がってきた日本だった。自宅待機の時間は、個人の内面と向き合う時間とまで言われた。しかし、果たして、そのようになるだろうか。本作品では、「本質としては何も変わらない」「後悔しても、それが遅過ぎたら、もう取り返しはつかない」。この二つの言葉が、キーワードだ。
四半世紀前の大きな災害、事件でありながら、その後も東日本大震災、新型コロナ・ウイルスと、次々に襲い来る災害、驚愕の出来事に翻弄され、阪神淡路大震災も地下鉄サリン事件も記憶から抜け落ちていた。
まだまだ、未曽有の災難に遭遇しなければ、人間は覚醒できないのだろうか。推理小説のようでいて、そうではない。一歩、立ち止まって、自身を振り返る作品である。