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商品説明
明治25年(1892)から明治27年にかけて、旧制松山中学校で英語教師を務めたホーキンスが、帰国後に日本での見聞を記した冊子を翻訳。当時の松山とそこに暮らす人々の様子をありありと描く。【「TRC MARC」の商品解説】
明治25年(1892)から明治27年にかけて、旧制松山中学校で英語教師を務めたヘンリー・ガブリエル・ホーキンスは、帰国後、日本での見聞を滞在中(明治25年7月10日江戸湾着~明治27年4月離日)の二十ケ月を記した小冊子『Twenty Months in Japan』にまとめ、刊行した。本書はそれを翻訳したものである。
明治25年の夏の松山は、若き日の正岡子規、夏目漱石、碧梧桐、虚子らがいた時期であるが、その当時の松山の様子を、異国人ホーキンス先生が客観的に語っているという、興味深いものである。その観察は克明で、かつ教師としての温かい眼差しで、当時の松山とそこに暮らす人々の様子がありありと描かれている。【商品解説】
目次
- 1.太平洋ロイヤルメイル蒸気船「エンプレスオブジャパン号」
- 2.江戸湾と横浜
- 3.会議が開かれる ―目新しい光景と音―
- 4.山の保養地にて
- 5.パスポートが無ければ
- 6.日本の家屋
- 7.外国人の日本での暮らし
- 8.松山―温泉の町
- 9.祝宴―日曜日の街
- 10.礼拝参加
著者紹介
H.G.ホーキンス
- 略歴
- ヘンリー・ガブリエル・ホーキンス
1866年10月5日 アラバマ州チョクトー郡で生まれる。5歳で洗礼。
1884年 アラバマ大学にて学士取得。
1885年 ホーキンス一家は父の死後、ミシシッピ州クラーク郡エンタープライズに移る。ここで2年間職に就いたが、伝導への道を選ぶ。
1890年 エンタープライズで牧師の資格を得、さらに神学を学ぶためビルト大学に入学。
1892年 日本の松山の公立中学で英語教師となり教鞭をとった。その後日本での見聞を『日本で過ごした二十ケ月』という小冊子にまとめ刊行する。(1901年)
1897年12月 ジャクソンのウィルソン司教から長老(教職者)に叙階された。
1899年 マディソン郡で牧師として務める。
1939年10月13日(金) ヘンリー・ガブリエル・ホーキンスは姪(養女ステラ・ギャロウェイ)2人の兄弟、3人の姉妹を残して没す。ホーキンスは、ホィットワース・カレッジ、ポート・ギブソン女子大学、メンフィス女子大学で、学長を務めた。ミシシッピ会議歴史協会の会長も務…
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