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- 発売日:2009/07/29
- レーベル:アイエムシーミュージック
- カタログNo.:IMCM8120
- 組み枚数:4枚
- 発売国:日本
- フォーマット:CD
CD
ショパン パーフェクトベスト 100【CD】 4枚組
ショパン生誕200年記念プロジェクト 第2弾!!ショパン パーフェクトベスト 100ショパンピアノ全集でおなじみのアイエムシーミュージックからお贈りするショパン生誕200...
ショパン パーフェクトベスト 100【CD】 4枚組
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曲目
- ディスク1
- 練習曲 第5番 変ト長調 作品10の5<黒鍵>
- ワルツ 第1番 変ホ長調 作品18<華麗なる大円舞曲>
- ワルツ 第6番 変ニ長調 作品64の1<小犬のワルツ>
- 練習曲 第9番 変ト長調 作品25の9<蝶々>
- マズルカ 第5番 変ロ長調 作品7の1
- ワルツ 第2番 変イ長調 作品34の1<華麗なる大円舞曲>
- マズルカ 第23番 ニ長調 作品33の2
- マズルカ 第37番 変イ長調 作品59の2
- ワルツ 第4番 ヘ長調 作品34の3<華麗なる大円舞曲>
- ワルツ 第5番 変イ長調 作品42<大円舞曲>
- ポロネーズ 第6番 変イ長調 作品53<英雄>
- マズルカ 第8番 変イ長調 作品7の4
- マズルカ 第10番 変ロ長調 作品17の1
- ポロネーズ 第12番 変ロ長調 遺作
- ポロネーズ 第13番 変イ長調 遺作
- マズルカ 第48番 ヘ長調 作品68の3
- 練習曲 第1番 ハ長調 作品10の1
- 練習曲 第8番 ヘ長調 作品10の8
- 即興曲 第1番 変イ長調 作品29
- 3つのエコセーズ 作品72の3
- マズルカ 第15番 ハ長調 作品24の2
- マズルカ 第27番 ロ長調 作品41の2
- 24の前奏曲 第1番 ハ長調 作品28の1
- 24の前奏曲 第5番 ニ長調 作品28の5
- 24の前奏曲 第3番 ト長調 作品28の3
- 前奏曲 変イ長調 遺作
- 練習曲 第3番 ヘ長調 作品25の3
- マズルカ 第34番 ハ長調 作品56の2
- 3つの新練習曲 第2番 変イ長調
- 変奏曲 遺作<パガニーニの思い出>
- マズルカ 第44番 ハ長調 作品67の3
- マズルカ 第54番 ニ長調 遺作
- ワルツ 第11番 変ト長調 作品70の1
- ディスク2
- 練習曲 第12番 ハ短調 作品10の12<革命>
- ポロネーズ 第3番 イ長調 作品40の1<軍隊>
- バラード 第1番 ト短調 作品23
- 即興曲 第4番 嬰ハ短調 作品66<幻想即興曲>
- ソナタ 第2番 変ロ短調 作品35<葬送>より 第3楽章
- 練習曲 第11番 イ短調 作品25の11<木枯らし>
- 練習曲 第12番 ハ短調 作品25の12<大洋>
- 24の前奏曲 第20番 ハ短調 作品28の20
- 24の前奏曲 第24番 ニ短調 作品28の24
- ノクターン 第13番 ハ短調 作品48の1
- スケルツォ 第2番 変ロ短調 作品31
- ソナタ 第3番 ロ短調 作品58より 第4楽章
- 練習曲 第7番 ハ長調 作品10の7
- 24の前奏曲 第12番 嬰ト短調 作品28の12
- 24の前奏曲 第14番 変ホ短調 作品28の14
- 24の前奏曲 第16番 変ロ短調 作品28の16
- 練習曲 第4番 嬰ハ短調 作品10の4
- 練習曲 第10番 ロ短調 作品25の10
- ポロネーズ 第15番 変ロ短調 遺作<別れ>
- 24の前奏曲 第18番 ヘ短調 作品28の18
- 24の前奏曲 第22番 ト短調 作品28の22
- ディスク3
- ノクターン 第20番 嬰ハ短調 遺作
- ワルツ 第7番 嬰ハ短調 作品64の2
- ワルツ 第9番 変イ長調 作品69の1<別れのワルツ>
- ノクターン 第1番 変ロ短調 作品9の1
- マズルカ 第47番 イ短調 作品68の2
- 24の前奏曲 第4番 ホ短調 作品28の4
- マズルカ 第36番 イ短調 作品59の1
- ノクターン 第15番 ヘ短調 作品55の1
- マズルカ 第49番 ヘ短調 作品68の4
- マズルカ 第1番 嬰ヘ短調 作品6の1
- マズルカ 第2番 嬰ハ短調 作品6の2
- ノクターン 第19番 ホ短調 作品72の1
- 24の前奏曲 第2番 イ短調 作品28の2
- 24の前奏曲 第6番 ロ短調 作品28の6
- ワルツ 第10番 ロ短調 作品69の2
- ワルツ 第17番 イ短調 遺作
- ポロネーズ 第11番 ト短調 遺作
- マズルカ 第13番 イ短調 作品17の4
- マズルカ 第43番 ト短調 作品67の2
- 春 ト短調 作品74の2
- マズルカ 第17番 変ロ短調 作品24の4
- マズルカ 第19番 ロ短調 作品30の2
- 練習曲 第2番 ヘ短調 作品25の2
- 3つの新練習曲 第1番 ヘ短調 遺作
- マズルカ 第14番 ト短調 作品24の1
- マズルカ 第22番 嬰ト短調 作品33の1
- マズルカ 第41番 嬰ハ短調 作品63の3
- ディスク4
- 24の前奏曲 第7番 イ長調 作品28の7
- 24の前奏曲 第15番 変ニ長調 作品28の15<雨だれ>
- 練習曲 第3番 ホ長調 作品10の3<別れの曲>
- ノクターン 第2番 変ホ長調 作品9の2
- ノクターン 第8番 変ニ長調 作品27の2
- 子守歌 変ニ長調 作品57
- 練習曲 第1番 変イ長調 作品25の1<エオリアン・ハープ>
- ノクターン 第5番 嬰ヘ長調 作品15の2
- 舟歌 嬰ヘ長調 作品60
- ピアノ協奏曲 第1番 ホ短調 作品11より 第2楽章
- 24の前奏曲 第13番 嬰ヘ長調 作品28の13
- ポロネーズ 第7番 変イ長調 作品61<幻想ポロネーズ>
- ワルツ 第13番 変ニ長調 作品70の3
- ワルツ 第18番 変ホ長調 遺作
- ノクターン 第9番 ロ長調 作品32の1
- ラルゴ 変ホ長調 遺作
- 24の前奏曲 第11番 ロ長調 作品28の11
- 変奏曲 遺作<ヘクサメロン>
- カンタービレ 変ロ長調 遺作
商品説明
ショパン生誕200年記念プロジェクト 第2弾!!
ショパン パーフェクトベスト 100
ショパンピアノ全集でおなじみのアイエムシーミュージックからお贈りする
ショパン生誕200年記念プロジェクト 第2弾。これさえ聴けばパーフェクトな100曲をCD4枚に収めました。100%自社オリジナル音源の使用により低価格を実現!しかも、ノーカット完全収録(フェードイン・アウトなし)、テーマ別ディスク構成で入門者の方にはもちろん、ショパンファンの方にもお楽しみ頂ける 究極のベスト100!
【2010年はショパンイヤー・・・】
1810年に誕生したショパンは現在でも根強い人気を誇るクラシック作曲家です。これまでも、様々なアーティストのコンサートや、CM等で身近に触れる機会が多かったショパンですが、2010年は彼の生誕200年記念ということで、日本国内はもちろんのこと、世界各国で様々なコンサートやイベントが企画されています。また、いまや国民的音楽祭になった「ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン~熱狂の日~」(毎年5月開催)の次回テーマもショパン。まさに2010年のクラシック界はショパン一色の「ショパンイヤー」なのです。
弊社ではショパンイヤー記念として昨年「ショパンピアノ全集」をリリースしました。
これまでの全集物では実現しなかった低価格とボリュームで大変な好評を頂き現在も
絶賛発売中です。本年はその第2弾として「ショパンってどんな曲を書いた人?」という
入門者の方でも気軽に楽しめる、とてもお得なベストショパンCD集を発売いたします。
【パーフェクトベスト100 5つのポイント】
1.生誕200年を記念したCD4枚組¥1,980(税込)のスペシャルプライス!
2.「子犬」「革命」「別れの曲」「英雄」「幻想即興曲」「雨だれ」…誰もが知っている名曲を完全収録!
3.ショパン国際ピアノコンクール優勝者・入賞者を中心とする世界的ピアニストによる名演奏!
4.初心者の方でも気軽に楽しめる、テーマ別の選曲でBGMにも最適!
5.価格、内容、演奏、どれをとってもパーフェクト! ショパンイヤーに贈る必聴盤!
【収録内容(全100曲・313分)】
Disc 1 喜びのショパン ~明るく軽快なリズムで、元気に~
「黒鍵」、「小犬のワルツ」、「英雄」他 全33曲収録
Disc 2 激情のショパン ~力強くエネルギッシュに、ストレス発散~
「革命」、「軍隊」、「幻想即興曲」他 全21曲収録
Disc 3 哀愁のショパン ~哀しげな旋律で、センチメンタルに~
ノクターン 第20番、「別れのワルツ」他 全27曲収録
Disc 4 癒しのショパン ~優しくゆったりと、リラックス~
「雨だれ」、「別れの曲」、舟歌他 全19曲収録
【収録アーティスト紹介】
ケヴィン・ケナー:第12回ショパン国際ピアノコンクール最高位
クシシュトフ・ヤブウォンスキ:第11回ショパン国際ピアノコンクール第3位
ハリーナ・チェルニー=ステファンスカ:第4回ショパン国際ピアノコンクール第1位
タチアナ・シェバノワ:第10回ショパン国際ピアノコンクール第2位
レム・ウラシン:第13回ショパン国際ピアノコンクール第4位
ズビグニェフ・ラウボ:第3回リスト国際ピアノコンクール第4位/シマノフスキ・ピアノコンクール第4位
カロル・ラジウォノヴィチ:フルブライト・ピアノコンクール第1位
ベアタ・ビリンスカ:ポーランド・ヤング・ピアニストコンクール第1位/
アルトゥル・ルービンシュタイン記念国際ヤング・ピアノコンクール第2位
ミー・ジョー・リー:ロン=ティボー国際コンクール ディプロマ賞/第3回日本国際音楽コンクール第4位
アーティスト紹介
ショパン (1810-1849)
。39年の短い生涯を、作曲とピアノ演奏で駆け抜けた「ピアノの詩人」の素晴らしい音楽が世界中で鳴り響きます。世界各国でさまざまなコンサートやイベントがおこなわれ、CDやDVDなど、数多くの音楽ソフトもリリースされ、ショパンの音楽が過去最高の注目を集めるにぎやかな年になりそうです。 【生誕200年】
2010年は作曲家ショパンの生誕200年にあたる記念の年。39年の短い生涯を、作曲とピアノ演奏で駆け抜けた「ピアノの詩人」の素晴らしい音楽が世界中で鳴り響きます。世界各国でさまざまなコンサートやイベントがおこなわれ、CDやDVDなど、数多くの音楽ソフトもリリースされ、ショパンの音楽が過去最高の注目を集めるにぎやかな年になりそうです。
【二つの名前】
ショパンはポーランドに生まれた作曲家ですが、成人してからは父親の国であるフランスを中心に暮らしていたこともあって、通常、「フレデリック・フランソワ・ショパン」というフランス名で呼ばれ、祖国ポーランドでは「フリデリク・フランツィシェク・ショペン」と呼ばれています。
【フランス系ポーランド人】
ショパンの父親、ニコラ・ショパン[1771-1844]は、10代のなかばからポーランドで暮らしていたフランス人で、ポーランド解放軍に従軍したのちは家庭教師となってポーランド貴族の家庭で子女にフランス語を教えて過ごし、やがて同じく貴族の家庭で働いていたポーランドの没落貴族の子女であるユスティナ・クシジャノフスカ[1782-1861]と結婚し、フレデリックが生まれることとなります。なお、父の名はポーランド名ではミコワイ・ショペンとなります。
【体質】
ショパンは肺結核のため39歳という若さで亡くなっています。結核には生涯を通じて悩まされており、17歳の時には2歳下の妹エミリアを同じ病気で失っています。インフルエンザでもショパンは重態に陥るなど、その華奢な体はあまり健康には恵まれていませんでした。
【恋愛】
幼少からピアノの練習と作曲の勉強に明け暮れ、体もあまり丈夫ではなかったショパンですが、よく知られている話としては4人の女性への恋愛事情が知られています。
最初の女性は19歳のときに出会った歌手のコンスタンツィア・グワトコフスカで、残念ながら片思いに終わってしまうものの、その心情はピアノ協奏曲第2番の第2楽章に結実しています。
2人目は、ポーランド人貴族ヴォジンスキ伯爵家の令嬢マリアで、婚約にまで至りますが、翌年、マリア側から破棄されてしまいます。
3人目は、作家のジョルジュ・サンドで、9年間に渡る交際の中、さまざまな名曲が生み出されます。
4人目は、歌手でもあるデルフィヌ・ポトツカ伯爵夫人。彼女は古くからショパンと交流があり、死の床にも駆けつけたとされる人物で、若き日のピアノ協奏曲第2番と晩年の『小犬のワルツ』が捧げられてもいます。
【使用楽器】
ショパンが活躍した19世紀前半は、ピアノという楽器がまだまだ進化の途中だったとされる時代で、そのサウンドは現代の楽器とは少なからず違ってはいたものの、それでも古典派時代のフォルテピアノに較べると大きな変貌を遂げており、ショパンの作曲意欲を刺激するのに十分な機能を持ち合わせていたものと思われます。
実際に当時の楽器で演奏されたCDもリリースされていますが、1840年代に製造されたものは、現代のピアノとはまた違った魅力に富んでおり、ショパンが思い描いたイメージをリアルに再現するという意味でも、たいへん興味深い仕上がりを示しているものが多いようです。
時代楽器によるショパン演奏
【ピアノの可能性を探求】
そうした機能面で恵まれた楽器に接していたこともあってか、ショパンのピアノ音楽は、それまでの作曲家の書いたピアノ音楽には無かった、非常に繊細で抒情的な美しさや、ダイナミックな表現にまでさまざまな感情の込められたものなど、独自の工夫を感じさせるものが多く、オペラや交響曲には目もくれず、ピアノという楽器に没入したショパンならではの、音楽表現の可能性の探求がなされているのがポイントといえます。
【ピアノ曲以外の音楽】
人生の中心がピアノだったショパンは、作曲した曲もほとんどがピアノ曲ですが、わずかながら室内楽曲や歌曲も書いています。チェロ・ソナタは親友のチェリストで作曲家のオーギュスト・フランショーム[1808-1884]のために書いたショパン晩年の作品で、同じ時期にヴァイオリン・ソナタにも着手していることから、ショパンがピアノ曲以外のジャンルにも積極的になっていたことが推測されています。
歌曲については、歌が好きで幼いショパンにいつも歌って聴かせていた母親の影響や、歌手だった恋人たちの影響もあるものと思われます。
【年表】
ポーランド時代[1810-1830]
【1810】
0歳。ポーランドのジェラゾヴァ・ヴォラに、フランス人の父とポーランド人母の間に誕生。生後六ヶ月でワルシャワのサスキ宮殿近くに転居。
【1814】
4歳。母や姉からピアノ演奏を習い始めます。母はピアノと歌が得意でした。
【1816】
6歳。ヴォイチェフ・ジヴニーからピアノの指導を受け始めます。
【1817】
7歳。最初の作品『ポロネーズ ト短調』を作曲。スカルベックの援助で出版。
【1818】
8歳。ワルシャワでイーロヴェッツのピアノ協奏曲を演奏。
【1821】
11歳。師のジヴニーの誕生日のために名技的なポロネーズを作曲して献呈。
【1823】
12歳。フェルディナント・リースのピアノ協奏曲を演奏。ワルシャワ音楽院長ユゼフ・エルスネルから対位法、和声学を学び、ヴィルヘルム・ヴュルフェルからオルガンの指導を受けます。
【1825】
15歳。高等学校の正式なオルガニストになります。
【1826】
16歳。高等学校を退学しワルシャワ音楽院に入学。
【1827】
17歳。妹エミリアが結核で死亡。
【1828】
18歳。ベルリンに行きウェーバーの『魔弾の射手』、チマローザの『秘密の結婚』、ヘンデルの『聖セシリア』を鑑賞。
【1829】
19歳。声楽のコンスタンツヤ・グワトコフスカに恋愛感情を抱き、ピアノ協奏曲第2番の第2楽章にその気持ちを反映。ワルシャワ音楽院を首席で卒業し、ウィーンで演奏会を開催。
【1830】
20歳。ピアノ協奏曲第2番をワルシャワで演奏。ウィーン行きを決め告別演奏会を開催。ピアノ協奏曲第1番を演奏し、ショパンの希望でコンスタンツヤはロッシーニの『湖上の美人』のアリアを披露。その後、コンスタンツヤから別れの詩を贈られ、ウィーンに出発。ウィーン到着後、まもなくワルシャワ蜂起がおこります。
【1831】
21歳。ワルシャワ蜂起の影響もあり反ポーランドの色が濃くなったウィーン楽壇では演奏する機会がなかなか得られず、7月にウィーンを去り、8月、ミュンヘンでピアノ協奏曲第1番ほかによる演奏会を開催。翌月、シュトゥットガルトでワルシャワ蜂起の失敗を知り、パリに向かいます。パリ到着後、デルフィヌ・ポトツカ夫人と再会。
フランス時代[1831-1849]
【1832】
22歳。2月、プレイエル・ホールでカルクブレンナーと演奏会開催。リスト、メンデルスゾーン、ヒラー、ベルリオーズらと親しくなります。
【1833】
23歳。リスト、ヒラーと共にバッハの3台のピアノのための協奏曲を演奏。ベッリーニと知り合い友情を深めます。
【1835】
カールスバートで両親と最後の再会。かつて親交のあったポーランド人貴族ヴォジンスキ伯爵家のマリアとドレスデンで再会し、ワルツを献呈(後に『別れのワルツ』と呼ばれる曲)。 ハイデルベルクとパリで喀血、ショパン重態説が流れます。
【1836】
26歳。マリア・ヴォジンスキに求婚。リストの愛人マリ・ダグー伯爵夫人のサロンでジョルジュ・サンドを紹介され、その後、ショパン宅の夜会にサンドを招きます。
【1837】
27歳。2月、インフルエンザ罹患。7月、ヴォジンスキ家から婚約が破棄。
【1838】
28歳。アルカンの演奏会に出演。サンドとの交際がスタート。結核療養のためマジョルカ島に4ヶ月滞在しますが病状は一進一退。
【1839】
29歳。4月、友人の歌手ヌーリが自殺し、鎮魂ミサでオルガンを演奏。6月、サンドの別荘のあるフランス中部のノアン村(パリの南約270キロ)に到着、夏を過ごします。
【1840】
30歳。モシェレスと共にサン・クルー宮殿で御前演奏。
【1841】
31歳。4月、プレイエル・ホールで演奏会開催。6月、ノアンに出発。11月、サンドの住むピガール街に転居。
【1842】
32歳。2月、プレイエル・ホールで演奏会開催。4月、親友マトゥシニスキの死を看取ります。5月、ノアンに出発。
【1843】
33歳。5月、ノアンに出発。10月、パリに戻ります。体調の悪化に伴い、サンドの交友相手に嫉妬。
【1844】
34歳。冬、インフルエンザにより重態。春、回復。5月、父親死去。5月、ノアンに出発。11月、パリに戻ります。サンドの息子モーリスとの感情的対立が深刻に。
【1845】
35歳。3月、病状悪化。6月、ノアンに出発。7月、サンドの娘ソランジュとショパンの心の繋がりが強まり、サンドは息子モーリスとの繋がりを強めて対立的に。
【1846】
36歳。5月、ノアンに出発。モーリスとの関係、さらに悪化。9月、健康状態悪化。
【1847】
37歳。サンドのいない新年。インフルエンザ罹患。5月、喘息の発作で一時重態に。7月、ソランジュをめぐるいざこざもあり、サンドから別れの手紙。
【1848】
38歳。2月、プレイエル・ホールで演奏会開催。パリで最後の演奏会。4月、ロンドンに出発。ヴィクトリア女王の御前演奏。エディンバラ、マンチェスター、グラスゴーなどでの演奏会を経て10月ロンドンに戻ります。ひどい風邪で呼吸困難に。11月、パリに出発。喀血。体調悪化。
【1849】
39歳。冬の間病床。春、小康状態に。6月、シャイヨに転居。大量の喀血。この頃、大流行したコレラにより友人のカルクブレンナー、カタラーニが死亡。8月姉ルドヴィカと再会。9月、パリ中心のヴァンドーム広場のアパルトマンに転居。10月、病状悪化、デルフィナ・ポトツカ夫人、病床を見舞い歌う。10月17日、死去。 葬儀はパリのマドレーヌ寺院でおこなわれ、モーツァルトのレクィエムが演奏されました。これは、ショパンの生前の希望によるもの。遺体はペール・ラシェーズ墓地に埋葬。
【1850】
1月、ショパンの意向により、心臓が姉ルドヴィカによってポーランドに持ち帰られます。
【1855】
1月、ワルシャワの聖十字架教会に心臓が安置されます。
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