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  • 発売日:2009/11/13
  • レーベル:Dg
  • カタログNo.:4778445
  • 組み枚数:17枚
  • 発売国:Europe
  • フォーマット:CD
  • 国内送料無料

CD

コンプリート・エディション(17CD)【CD】 17枚組

ショパン (1810-1849)

ショパン・コンプリート・エディションショパン生誕200周年を祝う17枚組ボックス2010年はショパン・イヤーということで、ユニバーサルミュージックでは、ドイツ・グラモフォ...

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コンプリート・エディション(17CD)【CD】 17枚組

税込 13,640 124pt

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CD コンプリート・エディション(17CD) 国内盤 発売日 : 2010/03/24 購入できません

商品説明

ショパン・コンプリート・エディション
ショパン生誕200周年を祝う17枚組ボックス

2010年はショパン・イヤーということで、ユニバーサルミュージックでは、ドイツ・グラモフォンとデッカの音源を用いて、主要作品をすべて収めた「コンプリート・エディション」をリリース。よく知られた名曲が網羅されているのはもちろん、知られざるピアノ小品や、室内楽、歌曲に至るまで幅広く収録しています。 ピアニストは、ポリーニ、アルゲリッチ、アシュケナージなどのほか、ブレハッチ、ユンディ・リらの若手など、歴代ショパン・コンクール優勝者を中心に選ばれています。 ドイツ・グラモフォンのショパン・ボックスといえば、ショパン没後250年(1999年)を記念した17枚組のセットがありましたが、今回はさらにお得な価格に大幅プライスダウンし、内容にも吟味が加えられています。
 すでに世界中から高い評価を得ているポリーニのエチュードやソナタ、スケルツォはそのまま収録し、協奏曲録音はツィマーマンの弾き振りに、前奏曲集はブレハッチ、マズルカはアシュケナージといった具合に変更が加えられ、さらに魅力的なエディションとして生まれ変わっています。
 参考までに、各ディスクのオリジナル・アルバム、もしくはその音源が含まれている現行アルバムのジャケット画像を表示しておきます。


【収録情報】
CD1
・ピアノ協奏曲第1番ホ短調Op.11
・ピアノ協奏曲第2番へ短調Op.21
 ポーランド祝祭管弦楽団
 クリスティアン・ツィマーマン(ピアノ&指揮)
 録音:1999年8月 トリノ

CD2
・ピアノ協奏曲第2番へ短調Op.21
・ロンド《クラコヴィアク》ヘ長調Op.14
・アンダンテ・スピアナートとポロネーズ変ホ長調Op.22
・ポーランドの民謡の主題による幻想曲イ長調Op.13
 クラウディオ・アラウ(ピアノ)
 ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団
 指揮:エリアフ・インバル
 録音:1970年6月~1972年6月 ロンドン

CD3
①バラード全集(4曲)
②幻想曲ヘ短調Op.49
③3つの新しい練習曲
④葬送行進曲ハ短調Op.72‐2
⑤3つのエコセーズOp.72‐3
 ①②クリスティアン・ツィマーマン(ピアノ)
 録音:1987年7月 ビーレフェルト
 ③~⑤アナトール・ウゴルスキ(ピアノ)
 録音:1999年5月 ビーレフェルト

CD4
①練習曲集(24曲:Op.10&25)
②舟歌嬰ヘ長調Op.60
③子守歌変ニ長調Op.57
 マウリツィオ・ポリーニ(ピアノ)
 録音:1972年1月&5月
 ②③1990年9月 ミュンヘン

CD5
・マズルカ全集Vol.1
 (第1~29番)
 ヴラディーミル・アシュケナージ(ピアノ)
 録音:1982~83年 ロンドン

CD6
・マズルカ全集Vol.2
 (第30~58番)
 ヴラディーミル・アシュケナージ(ピアノ)
 録音:1976~84年

CD7
・夜想曲全集Vol.1
 (第1~10番)
 マリア・ジョアン・ピリス(ピアノ)
 録音:1995年1月 ミュンヘン

CD8
・夜想曲全集Vol.2
 (第11~21番)
 マリア・ジョアン・ピリス(ピアノ)
 録音:1996年1&4月 ミュンヘン

CD9
・ポロネーズ全集Vol.1
 (第1~7番)
 マウリツィオ・ポリーニ(ピアノ)
 録音:1975年11月 ウィーン

CD10
①アンダンテ・スピアナートとポロネーズ変ホ長調Op.22
②ポロネーズ全集Vol.2(第8~16番)
③2つのブーレB.160b
④ギャロップマルキ
⑤アルバムの一葉(モデラート)ホ長調
⑥カンタービレ変ロ短調
⑦フーガ イ短調
⑧ラルゴ 変ホ長調
 ①マルタ・アルゲリッチ(ピアノ)
 録音:1974年7月 ミュンヘン
 ②③アナトール・ウゴルスキ(ピアノ)
 録音:1999年5月 ビーレフェルト

CD11
①前奏曲全集(26曲)
②即興曲全集(第1~3番)
 ①ラファウ・ブレハッチ(ピアノ)
 録音:2007年7月 ハンブルク
 ②ユンディ・リ(ピアノ)
 録音:2004年7~8月 ベルリン

CD12
①スケルツォ全集(4曲)
②ロンド ハ短調Op.1
③ロンド ヘ長調Op.5《マズルカ風》
④ロンド ハ長調
⑤2台のピアノのためのロンド ハ長調Op.73
 ①マウリツィオ・ポリーニ(ピアノ)
 録音:1990年9月 ミュンヘン
 ②③ リーリャ・ジルベルシュテイン(ピアノ)
 録音:1999年3月 ハンブルク
 ④ミハイル・プレトニョフ
 録音:1996年11月 ハンブルク
 ⑤クルト・バウアー、ハイディ・ブング(ピアノ)
 録音:1958年4~5月 ハノーファー

CD13
ピアノ・ソナタ全集
①第1番ハ短調Op.4
②第2番変ロ長調Op.35《葬送》
③第3番ロ短調Op.58
 ①リーリャ・ジルベルシュテイン(ピアノ)
 録音:1999年3月 ハンブルク
 ②③マウリツィオ・ポリーニ(ピアノ)
 録音:1984年9月 ミュンヘン

CD14
・ドイツ民謡《スイスの少年》による変奏曲ホ長調
・パガニーニの想い出(変奏曲)イ長調
・華麗なる変奏曲変ロ長調Op.12
・4手のための変奏曲ニ長調
・ヘクサメロン変奏曲ホ長調
・演奏会用アレグロ イ長調Op.46
・ボレロ ハ長調Op.19
・タランテラ変イ長調Op.43
・葬送行進曲ハ短調Op.72‐2
・コントルダンス変ト長調
・アルバムの一葉(モデラート)ホ長調
・《春》ト短調B.117
 ヴラディーミル・アシュケナージ
 ヴォフカ・アシュケナージ(ピアノ)
 録音:1979~84年

CD15
・ワルツ全集
 (19曲)
 ヴラディーミル・アシュケナージ(ピアノ)
 録音:1976~84年

CD16
室内楽作品集Vol.1
①ピアノ三重奏曲ト短調Op.8
②序奏と華麗なるポロネーズOp.3
③マイアベーアの歌劇《悪魔のロベール》の主題による大二重奏曲
④チェロ・ソナタOp.65
 ①ボサール・トリオ
 録音:1970年8月 ラ・ショード・フォン
 ②④マルタ・アルゲリッチ(ピアノ)
 ムスティスラフ・ロストロポーヴィチ(チェロ)
 録音:1980年3月 ミュンヘン
 ③アンナー・ビルスマ(チェロ)
 ランバート・オーキス(ピアノ)
 録音:1993年1月 ニューヨーク

CD17
・歌曲集《ポーランドの歌》Op.74(全19曲)
 エルジビェータ・シュミトカ(ソプラノ)
 マルコム・マルティノー(ピアノ)
 録音:1999年1月 ロンドン

アーティスト紹介

ショパン (1810-1849)

。39年の短い生涯を、作曲とピアノ演奏で駆け抜けた「ピアノの詩人」の素晴らしい音楽が世界中で鳴り響きます。世界各国でさまざまなコンサートやイベントがおこなわれ、CDやDVDなど、数多くの音楽ソフトもリリースされ、ショパンの音楽が過去最高の注目を集めるにぎやかな年になりそうです。 【生誕200年】
2010年は作曲家ショパンの生誕200年にあたる記念の年。39年の短い生涯を、作曲とピアノ演奏で駆け抜けた「ピアノの詩人」の素晴らしい音楽が世界中で鳴り響きます。世界各国でさまざまなコンサートやイベントがおこなわれ、CDやDVDなど、数多くの音楽ソフトもリリースされ、ショパンの音楽が過去最高の注目を集めるにぎやかな年になりそうです。

【二つの名前】
ショパンはポーランドに生まれた作曲家ですが、成人してからは父親の国であるフランスを中心に暮らしていたこともあって、通常、「フレデリック・フランソワ・ショパン」というフランス名で呼ばれ、祖国ポーランドでは「フリデリク・フランツィシェク・ショペン」と呼ばれています。

【フランス系ポーランド人】
ショパンの父親、ニコラ・ショパン[1771-1844]は、10代のなかばからポーランドで暮らしていたフランス人で、ポーランド解放軍に従軍したのちは家庭教師となってポーランド貴族の家庭で子女にフランス語を教えて過ごし、やがて同じく貴族の家庭で働いていたポーランドの没落貴族の子女であるユスティナ・クシジャノフスカ[1782-1861]と結婚し、フレデリックが生まれることとなります。なお、父の名はポーランド名ではミコワイ・ショペンとなります。

【体質】
ショパンは肺結核のため39歳という若さで亡くなっています。結核には生涯を通じて悩まされており、17歳の時には2歳下の妹エミリアを同じ病気で失っています。インフルエンザでもショパンは重態に陥るなど、その華奢な体はあまり健康には恵まれていませんでした。

【恋愛】
幼少からピアノの練習と作曲の勉強に明け暮れ、体もあまり丈夫ではなかったショパンですが、よく知られている話としては4人の女性への恋愛事情が知られています。
 最初の女性は19歳のときに出会った歌手のコンスタンツィア・グワトコフスカで、残念ながら片思いに終わってしまうものの、その心情はピアノ協奏曲第2番の第2楽章に結実しています。
 2人目は、ポーランド人貴族ヴォジンスキ伯爵家の令嬢マリアで、婚約にまで至りますが、翌年、マリア側から破棄されてしまいます。
 3人目は、作家のジョルジュ・サンドで、9年間に渡る交際の中、さまざまな名曲が生み出されます。
 4人目は、歌手でもあるデルフィヌ・ポトツカ伯爵夫人。彼女は古くからショパンと交流があり、死の床にも駆けつけたとされる人物で、若き日のピアノ協奏曲第2番と晩年の『小犬のワルツ』が捧げられてもいます。

【使用楽器】
ショパンが活躍した19世紀前半は、ピアノという楽器がまだまだ進化の途中だったとされる時代で、そのサウンドは現代の楽器とは少なからず違ってはいたものの、それでも古典派時代のフォルテピアノに較べると大きな変貌を遂げており、ショパンの作曲意欲を刺激するのに十分な機能を持ち合わせていたものと思われます。
 実際に当時の楽器で演奏されたCDもリリースされていますが、1840年代に製造されたものは、現代のピアノとはまた違った魅力に富んでおり、ショパンが思い描いたイメージをリアルに再現するという意味でも、たいへん興味深い仕上がりを示しているものが多いようです。
  時代楽器によるショパン演奏
【ピアノの可能性を探求】
そうした機能面で恵まれた楽器に接していたこともあってか、ショパンのピアノ音楽は、それまでの作曲家の書いたピアノ音楽には無かった、非常に繊細で抒情的な美しさや、ダイナミックな表現にまでさまざまな感情の込められたものなど、独自の工夫を感じさせるものが多く、オペラや交響曲には目もくれず、ピアノという楽器に没入したショパンならではの、音楽表現の可能性の探求がなされているのがポイントといえます。

【ピアノ曲以外の音楽】
人生の中心がピアノだったショパンは、作曲した曲もほとんどがピアノ曲ですが、わずかながら室内楽曲や歌曲も書いています。チェロ・ソナタは親友のチェリストで作曲家のオーギュスト・フランショーム[1808-1884]のために書いたショパン晩年の作品で、同じ時期にヴァイオリン・ソナタにも着手していることから、ショパンがピアノ曲以外のジャンルにも積極的になっていたことが推測されています。
 歌曲については、歌が好きで幼いショパンにいつも歌って聴かせていた母親の影響や、歌手だった恋人たちの影響もあるものと思われます。

【年表】
ポーランド時代[1810-1830]
【1810】
0歳。ポーランドのジェラゾヴァ・ヴォラに、フランス人の父とポーランド人母の間に誕生。生後六ヶ月でワルシャワのサスキ宮殿近くに転居。
【1814】
4歳。母や姉からピアノ演奏を習い始めます。母はピアノと歌が得意でした。
【1816】
6歳。ヴォイチェフ・ジヴニーからピアノの指導を受け始めます。
【1817】
7歳。最初の作品『ポロネーズ ト短調』を作曲。スカルベックの援助で出版。
【1818】
8歳。ワルシャワでイーロヴェッツのピアノ協奏曲を演奏。
【1821】
11歳。師のジヴニーの誕生日のために名技的なポロネーズを作曲して献呈。
【1823】
12歳。フェルディナント・リースのピアノ協奏曲を演奏。ワルシャワ音楽院長ユゼフ・エルスネルから対位法、和声学を学び、ヴィルヘルム・ヴュルフェルからオルガンの指導を受けます。
【1825】
15歳。高等学校の正式なオルガニストになります。
【1826】
16歳。高等学校を退学しワルシャワ音楽院に入学。
【1827】
17歳。妹エミリアが結核で死亡。
【1828】
18歳。ベルリンに行きウェーバーの『魔弾の射手』、チマローザの『秘密の結婚』、ヘンデルの『聖セシリア』を鑑賞。
【1829】
19歳。声楽のコンスタンツヤ・グワトコフスカに恋愛感情を抱き、ピアノ協奏曲第2番の第2楽章にその気持ちを反映。ワルシャワ音楽院を首席で卒業し、ウィーンで演奏会を開催。
【1830】
20歳。ピアノ協奏曲第2番をワルシャワで演奏。ウィーン行きを決め告別演奏会を開催。ピアノ協奏曲第1番を演奏し、ショパンの希望でコンスタンツヤはロッシーニの『湖上の美人』のアリアを披露。その後、コンスタンツヤから別れの詩を贈られ、ウィーンに出発。ウィーン到着後、まもなくワルシャワ蜂起がおこります。
【1831】
21歳。ワルシャワ蜂起の影響もあり反ポーランドの色が濃くなったウィーン楽壇では演奏する機会がなかなか得られず、7月にウィーンを去り、8月、ミュンヘンでピアノ協奏曲第1番ほかによる演奏会を開催。翌月、シュトゥットガルトでワルシャワ蜂起の失敗を知り、パリに向かいます。パリ到着後、デルフィヌ・ポトツカ夫人と再会。

フランス時代[1831-1849]
【1832】
22歳。2月、プレイエル・ホールでカルクブレンナーと演奏会開催。リスト、メンデルスゾーン、ヒラー、ベルリオーズらと親しくなります。
【1833】
23歳。リスト、ヒラーと共にバッハの3台のピアノのための協奏曲を演奏。ベッリーニと知り合い友情を深めます。
【1835】
カールスバートで両親と最後の再会。かつて親交のあったポーランド人貴族ヴォジンスキ伯爵家のマリアとドレスデンで再会し、ワルツを献呈(後に『別れのワルツ』と呼ばれる曲)。 ハイデルベルクとパリで喀血、ショパン重態説が流れます。
【1836】
26歳。マリア・ヴォジンスキに求婚。リストの愛人マリ・ダグー伯爵夫人のサロンでジョルジュ・サンドを紹介され、その後、ショパン宅の夜会にサンドを招きます。
【1837】
27歳。2月、インフルエンザ罹患。7月、ヴォジンスキ家から婚約が破棄。
【1838】
28歳。アルカンの演奏会に出演。サンドとの交際がスタート。結核療養のためマジョルカ島に4ヶ月滞在しますが病状は一進一退。
【1839】
29歳。4月、友人の歌手ヌーリが自殺し、鎮魂ミサでオルガンを演奏。6月、サンドの別荘のあるフランス中部のノアン村(パリの南約270キロ)に到着、夏を過ごします。
【1840】
30歳。モシェレスと共にサン・クルー宮殿で御前演奏。
【1841】
31歳。4月、プレイエル・ホールで演奏会開催。6月、ノアンに出発。11月、サンドの住むピガール街に転居。
【1842】
32歳。2月、プレイエル・ホールで演奏会開催。4月、親友マトゥシニスキの死を看取ります。5月、ノアンに出発。
【1843】
33歳。5月、ノアンに出発。10月、パリに戻ります。体調の悪化に伴い、サンドの交友相手に嫉妬。
【1844】
34歳。冬、インフルエンザにより重態。春、回復。5月、父親死去。5月、ノアンに出発。11月、パリに戻ります。サンドの息子モーリスとの感情的対立が深刻に。
【1845】
35歳。3月、病状悪化。6月、ノアンに出発。7月、サンドの娘ソランジュとショパンの心の繋がりが強まり、サンドは息子モーリスとの繋がりを強めて対立的に。
【1846】
36歳。5月、ノアンに出発。モーリスとの関係、さらに悪化。9月、健康状態悪化。
【1847】
37歳。サンドのいない新年。インフルエンザ罹患。5月、喘息の発作で一時重態に。7月、ソランジュをめぐるいざこざもあり、サンドから別れの手紙。
【1848】
38歳。2月、プレイエル・ホールで演奏会開催。パリで最後の演奏会。4月、ロンドンに出発。ヴィクトリア女王の御前演奏。エディンバラ、マンチェスター、グラスゴーなどでの演奏会を経て10月ロンドンに戻ります。ひどい風邪で呼吸困難に。11月、パリに出発。喀血。体調悪化。
【1849】
39歳。冬の間病床。春、小康状態に。6月、シャイヨに転居。大量の喀血。この頃、大流行したコレラにより友人のカルクブレンナー、カタラーニが死亡。8月姉ルドヴィカと再会。9月、パリ中心のヴァンドーム広場のアパルトマンに転居。10月、病状悪化、デルフィナ・ポトツカ夫人、病床を見舞い歌う。10月17日、死去。 葬儀はパリのマドレーヌ寺院でおこなわれ、モーツァルトのレクィエムが演奏されました。これは、ショパンの生前の希望によるもの。遺体はペール・ラシェーズ墓地に埋葬。
【1850】
1月、ショパンの意向により、心臓が姉ルドヴィカによってポーランドに持ち帰られます。
【1855】
1月、ワルシャワの聖十字架教会に心臓が安置されます。

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