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SACD
交響曲第9番 レナード・バーンスタイン&イスラエル・フィル(1985年8月ライヴ)(2SACD)【SACD】 2枚組
日本独自企画 限定盤バーンスタインによるマーラー9番命がけともいえる衝撃的かつ壮絶な演奏がSACDハイブリッドで登場!マーラーとい...
交響曲第9番 レナード・バーンスタイン&イスラエル・フィル(1985年8月ライヴ)(2SACD)【SACD】 2枚組
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CD | 交響曲第9番 バーンスタイン&イスラエル・フィル(1985年8月ライヴ)(2CD) | ISR輸入盤 | 発売日 : 2012/04/06 | 購入できません |
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CD | Sym, 9, : Bernstein / Ipo (1985) | 国内盤 | 発売日 : 2012/08/18 | 購入できません |
商品説明
日本独自企画 限定盤
バーンスタインによるマーラー9番
命がけともいえる衝撃的かつ壮絶な演奏がSACDハイブリッドで登場!
マーラーといえばバーンスタインとくるほど貴いもの。このイスラエル・フィルとのマーラー9番は通常CDで発売されておりましたが、このたび日本独自企画でSACDハイブリッドで発売の運びとなりました。
この演奏は、1985年8月25日にテルアヴィヴで行われたイスラエル・フィルとの共演のライヴ録音。彼らはこの直後に来日公演を行い、大阪と東京でマーラーの交響曲第9番を披露、稀代の名演として伝説となっています。それとほぼ同時期ゆえ、幻の日本公演をまざまざと蘇らせてくれる神業を聴かせてくれます。普通の演奏会とは次元の違う、一期一会的事件の記録と申せましょう。宇野功芳氏も絶賛している衝撃的かつ壮絶な演奏です。
ブックレットには、通常CD国内仕様盤(KKC5220)発売時に掲載の山崎浩太郎氏の演奏に関してのノートと曲目解説にくわえ、今回、宇野功芳氏によるこの演奏の聴きどころについての文章(『KAWADE夢ムック 文藝別冊 バーンスタイン』(河出書房新社、2014年)より)も、一部抜粋して掲載しております。(販売元情報)
【バーンスタインによるマーラー】
レナード・バーンスタインといえば、その経歴が端的に示すように、言わずと知れたマーラーのエキスパート。いち早くアメリカ時代の1960年代に交響曲全曲をセッション録音すると、1970年代には交響曲全曲の映像をライヴ収録、晩年の1980年代にもライヴ録音で全集に取り組みながら、第8番の収録を残し完成間近に世を去っています。
マーラーを指揮しているときのバーンスタインはやはり別格で、作曲家・指揮者としての自らの姿とを完全に重ね合わせるかのような瞬間もあり、バーンスタインの演奏を通じてマーラーに目覚めたというファンは数知れず、おおいに受容に貢献した功績については異論の余地のないところです。
【バーンスタインによるマーラー第9番のレコーディング】
バーンスタインによるマーラーの第9交響曲について、正規の商業録音として以下の4つの演奏が知られています。
・1965年12月 ニューヨーク・フィル(セッション録音)
・1971年3月 ウィーン・フィル(ライヴ録音)※映像作品
・1979年10月 ベルリン・フィル(ライヴ録音)
・1985年5,6月 ロイヤル・コンセルトヘボウ管(ライヴ録音)
録音年が下るにつれて、全体の演奏時間が拡大する傾向が認められ(下記トラックタイム参照)、濃厚なうたい回しと主情的な表現が一種独特の世界を醸し出し、そこがまた「バーンスタインのマーラー演奏」の魅力として熱い支持を集める要因にもなりました。
【日本公演でのイスラエル・フィルとのマーラー第9番】
ただ、これらのレコーディングとは別に、比較するもののない空前絶後の大演奏として語り草となっているのが、1985年9月の来日公演でバーンスタインが指揮したマーラーの第9番。終身桂冠指揮者としてイスラエル・フィルを率いた全9公演のうち、マーラーの第9番を演奏したのは4公演、なかでも初日3日の大阪・フェスティバルホールと、8日の東京・NHKホールがことのほか凄絶な内容であったとは衆目の一致するところのようで、8日の東京公演を目の当たりにした音楽評論家の許光俊氏も、当時を振り返り次のように述べています。
「実際、あれ以後、この曲でそれ以上の演奏は聴いていません。期待もしていないほどです。あまりに強烈すぎて、あれ以上のは、バーンスタイン自身が蘇らない限りあり得ないと思われます。」
【収録情報】
● マーラー:交響曲第9番ニ長調
イスラエル・フィルハーモニー管弦楽団
レナード・バーンスタイン(指揮)
録音時期:1985年8月25日
録音場所:テルアビブ、マン・オーディトリアム
録音方式:ステレオ(ライヴ)
【トラック・タイム】
1985 IPO 29:27 + 16:43 + 12:07 + 30:15 = 88:32
1985 RCO 29:52 + 17:26 + 11:47 + 29:34 = 88:39
1979 BPO 27:31 + 15:49 + 11:59 + 26:03 = 81:22
1971 VPO 27:24 + 16:06 + 11:28 + 25:48 = 80:46
1965 NYP 28:26 + 15:52 + 12:30 + 23:03 = 79:51
【許光俊の言いたい放題 第206回 「バーンスタインの偉大さにひれ伏す」より】*CD発売時のコラム
...あのときは、まず大阪で演奏会があり、吉田秀和がそれを絶讃する評が東京公演の直前に朝日新聞に掲載された。ただの名演奏と言うよりも、歴史的な大演奏とか何とか、そんなことが書かれていたように記憶している。それは嘘でもなければ大げさでもなかった。今でこそ、曲が静かに終わったときには拍手を控えるようになった日本の聴衆だが、かつてはそうではなかった。むしろ逆で、すばやく拍手するのが礼儀だと信じられていた。ところが、この時ばかりは二十秒も沈黙が続いた。何しろ、黒田恭一がそれに仰天して、後日バーンスタインとのインタビューでわざわざ触れたほどだ(もっとも、バーンスタインはそんなことは意に介さず、マーラーの魂が話しかけてきた云々と彼らしい怪しい話をしていたのだが)。
私にとってはこのイスラエル・フィルとの演奏が思い出が強烈すぎて、コンセルトヘボウとの録音は一度聴いただけでがっかりしたし(こういう、深いところに突っ込まないことを美学とする楽団で第9番を録音したレコード会社を恨んだ)、ベルリン・フィルとのライヴ盤にも熱中しなかった。
東京公演はNHKホールで行われたが、あの会場で音響のことなどまったくどうでもよくなったのはあとにも先にもこの時だけである。あまりにも鋭い、肺腑をえぐるような衝撃的な響きから、ぶあつい弦のカンタービレまで、あのお粗末な音響のホールにおいてすら、恐るべき生々しさで聞こえてきたのである。いや、耳に突き刺さるように音が飛んできたのである。身を切られるような痛みすら覚えた。
そんな東京公演に先行する本拠地でのライヴ録音が発売されるというニュースを聞いて、私は驚き、喜び、恐れた。まさかあの忘れがたい、というか、私が聴いた最高のコンサートのひとつである来日公演と同様のすごい演奏を聴くことができるのか? だが、演奏のよしあしが伝わるかどうかは音質次第でもある。はっきり言って、期待しすぎないほうがいい。不安も感じつつ、今度のCDを聴き始めた。
結果から言おう。これはバーンスタインの代表盤とされるべき、すばらしいCDである。いや、その域を超えて、あらゆるクラシックのCDの中でも特に大事にされなければならない貴重なうえにも貴重な記録である。音質も欲を言えばきりがないが、まずこれ以上は求められないだろう。
弦楽器全体の響きを生かした録音ゆえ、金管楽器や打楽器の衝撃力は減じられている。だから、第1楽章では、聴くものを責め苛み、引きずりまわし、圧倒しつくしたはずのデモーニッシュな迫力は薄れている。そこにわずかな不満がないわけではない。が、それにしたって、これほどまでに弦があちこちで不気味に鳴っている演奏は、バーンスタイン以外にない。しかもその一方で、実に陶酔的でもある。幸福と不幸、甘さと苦さ、静謐と狂乱が、じかに隣り合っている。この強烈なコントラストこそがマーラーなのだ、と改めて思わされる。
カラヤンとベルリン・フィルの、あの練りに練られた美しいスタジオ録音と比較してみるとよい。カラヤンのほうは、あれはあれでたいへん立派な第1楽章だけれど、バーンスタインで聴くと、あっちこっちの音型、リズムなどが異様に生命感を帯びている。カラヤンが情報を一元化するのに対し、バーンスタインは多元化させるのだ。情報量がまったく違うのだ。本当に、まったく別方向の演奏である。このふたつを聴けば、演奏によってまったく違う音楽が生まれてしまう不思議を痛感するに違いない。
第3楽章でも、あらゆるディテールが意味を持っているのがすごい。これはもはや美しさをまったく問題とはしていない音楽である。人生が必ずしも美しさで割り切れないのと同様に。バーンスタインが達した解釈の高みは、他を圧している。私はこうした演奏を聴いたことがあるからこそ、アバド、ブーレーズ、ヤンソンス、ハイティンクあたりを、まったくマーラーがわかっていないと百パーセントの確信を持って批判できるのである。もちろん、バーンスタインと違う解釈や音楽観があってよい。いや、あるべきだ。しかし、ここまで徹底的に読み込み、表現した例が他にあるなら、教えてもらいたいほどだ。
フィナーレは想像をはるかに超えてすさまじい。こういうのを何と言ったらよいのか。豊かな歌、嘆きの歌、いや、全然言い足りない。弦のハーモニーのひとつひとつに異様な強さがある。特に16分過ぎ、ここは東京でも度肝を抜かれ、いまだにはっきり覚えている個所だけれど、木管楽器から弦楽器に交替してからあとが、戦慄的だ。オーケストラからこんなにとてつもない音、まるで人間の必死の叫び声のような音が出るのかと文字通り震えが来るような、凄絶きわまりない音楽だ。もし私が指揮者ならは、一生のうちに一度だけでいい、こんな音を出さないでは死にたくない。
このうえなく孤独でありながら、このうえなく連帯を求める音楽。この演奏のさなか、聴衆の多くは、指揮者とともに、オーケストラとともに、そして作曲者とともに、心の中でいっしょに歌い、悲しみ、愛おしんだはずだ。音楽を生きたはずだ。そんな例外的な演奏がテープに見事に記録されていたとは、ただただ感謝あるのみである。当時の新聞評によれば、イスラエルでのこのコンサートのあとでは20分間拍手が続いたという。
このCDは半端な気持で聴くものではない。家に誰もいないときに、たっぷり時間を取って、真剣に相対すべき音楽である。私は聴き終わったあとで、しばらく平常心に戻れなかった。そして、このような音楽を聴くためにこそ自分の人生は存在するのであり、他のことは結局のところ、すべてどうでもよいことなのだと思った。傑出した芸術は、それ以外のすべての価値を無にしてしまう危険な作用があるのだ。
そんなものが家で聴けるとは、本来あってよいことなのかどうか、私にはわからない。
(きょみつとし 音楽評論家、慶応大学教授)
アーティスト紹介
マーラー(1860-1911)
1860年:オーストリア領ボヘミア、イーグラウ近郊のカリシュト村で、グスタフ・マーラー誕生。1875年:ウィーン楽友協会音楽院に入学。1877年:ウィーン大学にてアントン・ブルックナーの対位法の講義を受講。1883年:カッセル王立劇場の副指揮者に就任。1885年:『さすらう若人の歌』を完成。プラハのドイツ劇場の 【主要作品検索】
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作品リスト
【生涯】
1860年:オーストリア領ボヘミア、イーグラウ近郊のカリシュト村で、グスタフ・マーラー誕生。
1875年:ウィーン楽友協会音楽院に入学。
1877年:ウィーン大学にてアントン・ブルックナーの対位法の講義を受講。
1883年:カッセル王立劇場の副指揮者に就任。
1885年:『さすらう若人の歌』を完成。プラハのドイツ劇場の副指揮者に就任。
1886年:ライプツィヒ市立劇場で副指揮者に就任。『子供の不思議な角笛』を作曲。
1888年:交響曲第1番『巨人』が完成。ブダペスト王立歌劇場の芸術監督に就任。
1891年:ハンブルク市立劇場の正指揮者に就任。
1896年:交響曲第2番『復活』、交響曲第3番を作曲。
1897年:ウィーン宮廷歌劇場芸術監督に就任。
1898年:ウィーン・フィルハーモニーの指揮者に就任。
1900年:交響曲第4番が完成。
1902年:アルマ・シントラーと結婚。
1903年:フランツ・ヨーゼフ1世皇帝から第三等鉄十字勲章を授章。
1907年:メトロポリタン・オペラから招かれ渡米。交響曲第8番『千人の交響曲』が完成。
1908年:『大地の歌』が完成。
1909年:ニューヨーク・フィルハーモニックの指揮者に就任。
1911年:敗血症のため死去。
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