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目次

内田康哉関係資料集成 第2巻 資料編 2

内田康哉関係資料集成 第2巻 資料編 2

  • 小林 道彦(編集)/ 高橋 勝浩(編集)/ 奈良岡 聰智(編集)/ 西田 敏宏(編集)/ 森 靖夫(編集)
  • 帝国議会外交演説
    • 明治45年1月23日 第二十八回帝国議会に於ける外交方針演説及び答弁
    • 大正8年1月21日 第四十一回帝国議会に於ける外交方針演説及び答弁
    • 大正9年1月22日 第四十二回帝国議会に於ける外交方針演説及び答弁
    • 大正9年7月3日 第四十三回帝国議会に於ける外交方針演説及び答弁
    • 大正10年1月22日 第四十四回帝国議会に於ける外交方針演説及び答弁
    • 大正11年1月21日 第四十五回帝国議会に於ける外交方針演説及び答弁
    • 大正12年1月23日 第四十六回帝国議会に於ける外交方針演説及び答弁
    • 昭和7年8月25日 第六十三回帝国議会に於ける外交方針演説及び答弁
    • 昭和8年1月21日 第六十四回帝国議会に於ける外交方針演説及び答弁
  • 内田満鉄総裁・リットン調査団会見記録(訳)
    • 昭和7年5月 内田満鉄総裁国際聯盟調査員会見記録(訳)
  • 執筆論文等
    • 明治39年6月20日 「清国教育談」(『東邦協会会報』第136号)
    • 明治44年12月29日 「新聞紙に対する希望」(『新聞総覧』)
    • 大正5年6月25日 「支那近世の傑物」(『欧洲戦争実記』第66号)
    • 大正5年7月1日 「梟雄袁世凱」(『学生』第7巻第7号)
    • 大正5年12月15日 「以聯絡経済為急務」(李文権編『他山百家言』)
    • 大正8年8月9日 「時事往来山東還附声明」(『東京経済雑誌』第80巻第2017号)
    • 大正9年1月31日 「時事往来外交方針」(『東京経済雑誌』第81巻第2041号)
    • 大正11年12月1日 「日華両国民の哀悼」(『斯民』第17編第12号)
    • 大正12年1月1日 「国際協調主義と日本」(『実業公論』第9巻第1月号)
    • 大正15年3月1日 「外交家としての加藤伯を偲ぶ」(『太陽』第32巻第3号)
    • 大正15年7月22日 「支那を巡りて感あり」(『郷友雑誌肥後』第6巻第7号)
    • 昭和2年5月10日 「医院長会議席上に於て」(『同仁』第1巻第1号)
    • 昭和2年6月10日 「朝野の各位に告ぐ」(『同仁』第1巻第2号)
    • 昭和3年4月10日 「事務長会議に於ける訓示」(『同仁』第2巻第4号)
    • 昭和3年10月31日 「危機一髪の宣戦 見事露国の対支要求を喰ひ止めて」(東京朝日新聞政治部編『その頃を語る』)
    • 昭和4年2月10日 「総裁久邇宮殿下の薨去に就て」(『同仁』第3巻第2号)
    • 昭和4年6月10日 「同仁会北京医院創立十五週年に当りて」(『同仁』第3巻第6号)
    • 昭和4年12月29日 「休戦の回顧 十一月十一日休戦記念日講演」(『郷友雑誌肥後』第9巻第12号)
    • 昭和7年4月21日 「横川・沖両志士追悼会の席上内田伯追懐談 於芝青松寺」
    • 昭和7年5月31日 「序」(藤曲政吉『満洲建国と五省の富源』)
    • 昭和7年12月1日 「国際聯盟会議を前にして」(『支那』第23巻第12号)
    • 昭和8年1月1日 「昭和八年の新春を迎へて」(『植民』第12巻第1号)
    • 昭和8年1月1日 「外交非常時に際して」(『現代』第14巻第1号)
    • 昭和8年1月10日 「極東の平和を確立して新文化の創造に奉仕す」(『拓務評論』新年号)
    • 昭和8年3月5日 「結束せよ、国民」(『日曜報知』第145号)
    • 昭和8年3月25日 「序文」(末広重雄監修、王芸生著、長野勲・波多野乾一編訳『日支外交六十年史』第1巻)
    • 昭和8年4月1日 「満洲国の独立と日本の使命」(『雄弁』第24巻第4号第2附録)
    • 昭和8年5月1日 「聯盟脱退と国民の覚悟」(『婦人公論』第18年5月号)
    • 昭和8年6月1日 「聯盟脱退後の我外交と国民の覚悟」(『愛知之自治』第19年第6号)
    • 昭和8年6月6日 「国家国民の大覚悟」ほか(内田康哉・荒木貞夫『非常時教本』)
    • 昭和8年6月23日 「序」(林正義『我が非常時外交』)
    • 昭和8年8月15日 「満洲国承認こそ唯一の平和策内田外相の演説」(『工業評論』第18巻第9号)
    • 昭和8年9月1日 「南洋発展号に寄す」(『植民』第12巻第9号)
    • 昭和8年12月 「序」(大島与吉『爆破行秘史』)
  • 内田康哉についての評論
    • 明治40年7月20日 画伝子「墺国駐剳大使内田康哉君」(『人物画伝』)
    • 明治42年12月30日 『ザ・タイムズ』(The Times)切抜
    • 明治44年5月1日 三宅雄二郎ほか「加藤高明と内田康哉論」(『中央公論』第26年第5号〈第266号〉)
    • 明治44年9月17日 周而生「新外務大臣内田康哉」(『日曜画報』第1巻第38号)
    • 明治44年9月25日 「西園寺内閣の十大臣一総裁 外務大臣内田康哉」(『時事評論』第6巻第9号)
    • 明治44年11月5日 やすを生「新外務大臣内田康哉子の平生」(『日曜画報』第1巻第45号)
    • 明治45年3月1日 「口の人手の人 内田康哉君」(『日本実業新報』第143号)
    • 明治45年7月 森田太三郎「内田康哉子の人形振り」(『名流漫画』)
    • 大正2年7月1日 仙朶谿隠士「人物評伝 外交界の人物 牧野、加藤、内田、珍田」(『中央公論』第28年7月号)
    • 大正2年11月29日 高橋鉄太郎「宰相の器に非ずビジネスライキの内田康哉」(『フースヒー』)
    • 大正3年4月4日 墨堤隠士「内田康哉」(『大臣の書生時代』)
    • 大正6年2月1日 鵜崎鷺城「人物評論 内田新駐露大使」(『日本及日本人』第698号)
    • 大正7年8月1日 三宅雪嶺ほか「人物評論 露国大使を辞任せる内田康哉子」(『中央公論』第33年第9号)
    • 大正8年10月5日 神部飛雄太郎「内田外相の平民主義」(『修養と逸話』)
    • 大正9年4月1日 石川半山「内田外相の失言」(『改造中の世界を旅行して』)
    • 大正9年6月30日 松本忠雄「内田外相の妄言」(『対支国論の回顧−大正四年日支交渉前より講和外交迄』)
    • 大正9年9月15日 芳川赳「恋の勝利者 俠骨なる内田康哉子」(『恋の前科者』)
    • 大正10年5月15日 鈴木梅四郎「内田外務大臣との問答 予算委員会に於ける質問演説」(『第十政戦録』)
    • 大正12年2月11日 鷺城学人「人物評論 三代続きの内田外相」(『日本型日本人』第855号)
    • 大正12年2月20日 松本忠雄『内田伯の外交(第二)−虚偽と欺瞞・矛盾と撞着の事実』
    • 昭和2年7月23日 広田弥七「熊本出身明治中葉の二大臣 内田康哉氏」(『地霊人傑 肥後の学統と熊本の人物』)
    • 昭和2年9月30日 鵜崎鷺城「新旧外務大臣 内田康哉と故小村寿太郎」(『明治大正人傑伝』)
    • 昭和3年10月5日 松島宗衛「伯爵内田康哉氏談片」(『烈士横川省三』)
    • 昭和3年10月20日 山口愛川「内田康哉 打てば響く護謨人形」(『波瀾立志大臣』)
    • 昭和4年1月22日 赤星陸治「随筆 若き日の思ひ出 内田さんと林田さん」(『郷友雑誌肥後』第9巻第1号)
    • 昭和5年3月25日 長尾永五郎「田中男の無責任と内田伯の不用意」(『田中・浜口両内閣を筆の裁判に−田中内閣の巻』)
    • 昭和5年9月26日 馬場恒吾「西園寺公望と内田康哉」(『現代人物評論』)
    • 昭和6年7月1日 天辺光「支那通列伝 内田康哉と佐々木安五郎」(『日本及日本人』昭和6年7月1日号)
    • 昭和6年7月15日 岩崎租堂「伯爵内田康哉」(『歴代閣僚伝 青少年時代編』)
    • 昭和6年8月1日 伊藤金次郎「人物とその郷土 内田康哉の巻」(『公民講座』第81号)
    • 昭和6年8月1日 秋元俊吉「満鉄総裁内田康哉伯」(『現代』第12巻第8号)
    • 昭和6年8月2日 梅山信太郎「内田康哉 従二位勲一等 伯爵」(『政変闘志 政界傍聴』)
    • 昭和6年9月1日 松島宗衛「内田康哉論」(『大日』第14号)
    • 昭和6年9月25日 島屋政一「支那人乱暴のかずかず」(『日支戦争記』)
    • 昭和7年6月1日 馬場恒吾「内田康哉論」(『中央公論』第47年第6号)
    • 昭和7年6月29日 山口愛川「酒乱の内田伯」(『横から見た華族物語』)
    • 昭和7年9月11日 「外務省情報部発表 内田外相の演説に対する海外の反響」(『国際パンフレット通信』第529冊)
    • 昭和7年9月15日 「米英仏の言論界に反映したる内田外相の声明(日誌)」(『日本及日本人』昭和7年9月15日号)
    • 昭和7年10月22日 浅尾勝弥「内田伯、軍部と諒解」(『政界人は乱れ飛ぶ』)
    • 昭和8年1月28日 伴熊太「内田伯の首相説」(『郷友雑誌肥後』第13巻第1号)
    • 昭和8年2月15日 「和協への最終回訓発電の為内田外相参内委曲伏奏す」(『週刊国際写真新聞』第1号)
    • 昭和8年3月3日 馬場恒吾「内田康哉論」(『議会政治論』)
    • 昭和8年3月20日 清沢洌「内田外相に与ふ」ほか(『非常日本への直言』)
    • 昭和8年6月27日 国民新聞社編集部「『底知れぬ馬鹿』が生み出す大腹芸 嵌り役の内田外相」(『非常時日本に躍る人々』)
    • 昭和8年11月1日 前田蓮山「その頃・あの頃 内田外相と語る」(『政界往来』第4巻第11号)
    • 昭和9年5月10日 渡邊尚広「内田康哉伯」ほか(『三角読本』)
    • 昭和10年1月1日 佐藤周平「我が外交界の長老格 内田康哉」(『相当なもの』)
    • 昭和10年6月10日 村田耕堂「伯爵内田康哉」(『歴代国務大臣の親族姻族 華族の巻』)
    • 昭和11年4月10日 稗田雪崖「内田外相と調査団会見論諍」(『満洲国独立の由来−吉田松陰先生の仏教観観察』)
    • 昭和12年3月21日 「故内田伯追悼会」(『郷友雑誌肥後』第17巻第3号)
    • 昭和12年4月13日 山田好文「逝ける内田康哉伯」(『新聞記者の道草』)
    • 昭和12年4月20日 若槻礼次郎「故内田伯と私 慕はしき其思ひ出」(『郷友雑誌肥後』第17巻第4号)
    • 昭和13年2月20日 北垣恭次郎「内田伯外相就任」ほか(『国史美談現代史』巻二)
    • 昭和13年8月1日 岡野増次郎「呉佩孚と内田伯の思出」(『大日』第180号)
    • 昭和14年4月20日 観世左近「内田康哉伯」(『能楽随想』)
    • 昭和15年12月25日 近藤保雄「外交の巨人外務大臣内田康哉伯を想ふ」(『偉人英傑と立志奮闘伝』)
    • 昭和16年4月24日 北野慧「内田康哉伯と幣原喜重郎男」(『人間西園寺公』)
    • 昭和16年5月20日 山浦貫一「内田満鉄総裁と江口副総裁」(『森恪は生きて居る』)
    • 昭和18年4月15日 山下亀三郎「内田康哉伯の気概」(『沈みつ浮きつ』)
    • 昭和19年6月20日 伊東峻一郎「内田康哉」(『志士の生涯−横川省三伝』)
    • 昭和19年11月15日 鶴見祐輔「内田外相への覚書」(『後藤新平伝−国民指導者時代 前期下 日ソ交渉篇』)
    • 昭和34年6月1日 荒木清之「内田康哉」(『熊本県人物誌』)
    • 昭和39年3月20日 富永能雄「内田康哉」(『蓮の実』)
    • 昭和40年6月15日 木下宗一「元老をなぐった内田康哉」(『風雪(4)日清戦争』)
    • 昭和40年9月1日 伊豆富人「内田さん(上)」(『随筆くまもと』第114号)
    • 昭和40年10月1日 伊豆富人「内田さん(下)」(『随筆くまもと』第115号)
    • 昭和42年12月1日 片倉衷「内田満鉄総裁の協力」(片倉衷・古海忠之『挫折した理想国』)
    • 昭和43年4月14日 永松豊蔵「城南百年目人物誌 政友会万年外相内田康哉」(『熊本日日新聞』)
    • 昭和45年2月16日 「『内田康哉の碑』建つ 竜北中創立二十周年を記念して」(『竜北中新聞』第138号)
  • 死去・葬儀関係
    • 昭和11年3月12日 病状概要
    • 昭和11年3月16日 伯爵内田康哉葬儀執行順序
    • 昭和11年3月16日 内田邸ヨリ礼拝所ニ至ル自動車順序
    • 昭和11年3月27日 故伯爵内田康哉分骨埋葬式
    • 昭和11年4月15日 「勅使御使」「恩賜」(『宮内省省報』第307号)
    • 昭和12年3月12日 故内田康哉伯追悼会出席芳名簿
    • 昭和12年3月12日 故内田伯追悼晩餐会献立
    • 年次不詳 故伯爵内田康哉記念会順序
    • 年次不詳 故伯爵内田康哉記念会順序
  • 追悼文集
    • 昭和12年4月1日「故内田伯一周年追悼」(『同仁』第11巻第4号)
  • 懐旧座談会記録
    • 昭和19年 満鉄本社に於ける内田伯懐旧座談会記録
  • 内田政追懐談
    • 昭和15年4月2日 「内田伯未亡人追懐談(一)」
    • 昭和15年4月5日 「内田伯未亡人追懐談(二)」
    • 昭和42年7月10日 斉藤宗績編「内田伯爵夫人政子刀自の面影」(『西海医報』第229号別刷)
  • 内田康哉伝記編纂事業関係
    • 昭和13年10月12日 故内田伝記編纂事業に関する件
    • 昭和17年1月9日 「昭和十七年一月九日 火災残存書類」
    • 昭和17年1月21日 浮田郷次「故内田伯伝記編纂事業調査資料焼失調書」
    • 昭和17年1月26日 星野義男「内田伯伝記編纂事務室損害(第二草稿)」
    • 昭和17年3月 「内田伯伝記罹災関係 外務省火災関係罹災調書 青木公使室」
    • 昭和32〜35年 青木新宛横井幸蔵書翰
    • 昭和39年 青木新宛横井幸蔵書翰写
    • 昭和42年6月 大浜寿満子宛大山梓書翰(葉書)
    • 昭和42年7月 大浜寿満子宛大山梓書翰
    • 年次不詳 「内田伯人物論(並に伯の述話)」
    • 年次不詳 北京隊につきて
    • 年次不詳 内田伯伝記の件
    • 年次不詳 内田玄真手記「松村氏疏遠ノ事件」