紙の本
「立派に死に、立派に生きるための読書」
2012/05/21 23:42
5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:インザギコ - この投稿者のレビュー一覧を見る
山本夏彦翁がこの人の『私の文章作法』を絶賛していたので、名前は覚えていた。帯には「選び方、読み方、整理法、メモのとり方――豊富な経験からあみだした知恵と工夫。昭和を代表する知識人の体験的読書論」とある。
読書を勧める本は、たいてい要旨は一緒なのだが、細部が人それぞれでけっこう面白い。たいていは速読を否定する人が多いのだが、清水は速読を否定しない。ただし清水の言う速読は、10分間で1冊読むのではない。「作者が書いたスピードに合わせて読む」ということだ。言い換えると作者の筆の勢いに読者も乗っかる、ということになろうか。これは翻訳にも通じて、勢いある文章をとろとろした文章にすると、まったく印象が違ってしまい、原文の面白さを殺すことになる。えてしてこういうケースは少なくない。
それにしても、清水の学習院大学の学部の授業は今からだと考えられないくらい厳しい課題が課された。課題図書3冊を選び、それぞれ400字詰め原稿用紙30枚以内の感想文を書いて提出するのだ。1万2000字! 課題本も岩波新書から出ている清水の訳書。堅いことこのうえない。こういう訓練ってどこかで受けておいたほうがいいのはたしか。文章が書ける人って意外といないのだ。
そのほか「本は買うもの」(そうだ、そうだ!)、「古典だからって自分にとって面白いとは限らない」(そうだ、そうだ!!)とか、こちらの胸の内を代弁してくれること多々。40年も前の本だが、内容がまったく古びていないことにも感心した。
紙の本
書物との交際術
2022/05/05 16:37
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:かずさん - この投稿者のレビュー一覧を見る
著名な社会学者である著者が自身の読書を通して本をどう読んでいくかを述べている。
学者は論文や本を書いたり読んだりするのが仕事。著者は幼少期の本の出逢いから本との付き合い方を説いている。「本というのは人間が密室の中で自分を少しでも高め少しでも豊かにするための楽しい相手」実用書は「生活が強制する本」娯楽書は「生活から連れ出す本」教養書は「生活を高める本」。一般人は教養書を楽しく面白く読むべしと。社会学者であるが西欧哲学を学んでいたためか哲学的記述も多い。本の内容を全て覚え知識にするのは無理とも。然り。どんな立派な人のどんな立派な本でもバイブルではない。これも然り。
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まさに「大社会学者」と呼んで間違いの無い、清水氏による読書術。
・・・と言っても、本の全てが読書術に割かれているのではなく、前半は自分の読書の想い出が書かれています。
前半は読書とのかかわりについて、後半は具体的な読書術、という分け方をしてもよいのではないでしょうか。ただ、一貫して書かれているのは、「読書は楽しいもの」ということ。楽しくなければ読書ではない、と。だから、つまらないのであれば読むのなんて止めてしまえ、という話の展開は、遅読かつ教科書づけになる僕にとってはある意味爽快な言葉です。
また、図書館では本を借りない、それは自分の物のようになってしまうし、書き込みもできない。さらに、余計に大切に扱わなければならないという箇所については、諸手を挙げて大賛成です。ただ、金銭的に余裕のない学生や社会人にとっては、やはり図書館に頼らざるをえないという側面もあろうかとは思いますが・・・。
書かれている読書術は、清水氏のような偉人だからこそできると思われるような方法が多いけれども(特に洋書の読み方)、必ずいくつかの箇所は自分のためになると思います。そこいらの大もうけしているビジネスマンが書いた読書術よりは、よほどためになる一冊なのではないでしょうか。具体的な読書法よりも、個人的には「読書に対する気持ち」を養う一冊としてお薦めしたい気持ちになります。
「要するに、私にとっては、英語はどうでもよいのであった。まして、落ち着いて英語を勉強しようという気はなかった。問題は、生きることであった。そして、生きるためには、育児法の原稿を書かねばならず、それを書くのには、判ろうと、判るまいと、英語の本を読まねばならなかったのである。食いつめなければ外国語は身につかぬ、と私は言っているのではない。私が言いたいのは、有無を言わせぬ絶対の目的があって、或る外国語の習得が、その目的を達成するための、これまた有無を言わせぬ絶対の手段である時、こういう緊張関係の中でこそ外国語の勉強は身につくということである。他に目的がなく、漫然と、語学のための語学をやっても、決して能率の上るものではない。」(p134-135)
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本にハマった理由・体験談
本の集め方(買い方)
活字と電波メディアの差
なんかが印象的。
特に最後の部分にあったマスメディア変遷と本の立場というのは時代を感じる。これからもこういった新しいメディアとの対比はしていかれるのだと思う。
割とデジタル的な部分(1か0か)をTV等のメディアに当てはめていたけれど、グラデーションのように受け取れる部分が多いという面は別にそれほど差がないとも思える。ただ単にニュースなんかのように情報伝達が主体の映像作品と受け手に任せたタイプの映像作品の違いなんじゃないのかな・・・と
区分けに関してはともかく、買って自分のものにして自由に汚せる、半年〜数年後に初めて読みたい気分になる、っていうパターンは確かにある。
小さいころに集めてた文庫をある時「飽きた」という理由で一気に手放したのはなんだか自分も同じことをやったことがある為、非常に引っかかった、なるほどこういう肯定の仕方もあるんだなと。
ノートを作る・カードにまとめるなんかは今まさにこのブクログでやってることそのまんまかも。
本について書かれているというものの中でショウペンハウエルは知ってたが、プラトンの「パイドン」は知らなかった。
海外の書物に関しては今のところ自分は目が向いていないけど、全体的に今後の読書に対して参考になりそうな読み物だった。
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『本を読む本』を意識した題名なのかは知らないが、趣旨は全く違う。20分程度で読むために、取捨選択して読んだ中で印象に残ったのは次の3つ。1つ目は、書評は読んだことをアウトプットするためだけでなく、自らにひきつけて「主体的な」ものにするために有益であるということ。2つ目は、本を読む第一の目的は著者がその本を書くことを決意した理由、言わば「作家の衝動」を理解することであり、そのためには一字一句理解することは求められずただ早く読めば良いということ。3つ目は、「本を読むことは考えなくなること」などといったショウペンバウムの教訓を「本に読まれるな」と表現していたこと。自分にとって、この3点をまとめると読書は、自分の目標と作家の衝動を結びつけて、効率よく読み、またそれをこれからの自分の思索・行動に活かすための主体的なリアクションをするということでなのかなと思う。
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時代遅れ感が否めない読書論。今にも通じるものはあるが、多読する人なら「そんなこといまさら言われなくてもね」という気になるだろう。昔の読書雰囲気を知りたい人は読んでみていいと思う。
純粋に読書論を知りたいひとにはお勧めできない。
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(1997.02.04読了)(1988.09.09購入)
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本書は、本の選び方、読み方から、メモのとり方、整理の仕方、外国書の読み方まで、著者が豊富な読書経験からあみだした、本とつきあう上で欠かすことのできない知恵や工夫の数々をあまさず明かし、あわせて、マス・メディア時代における読書の意義を考察した読んで楽しい知的実用の書である。そして同時に、ここには、読書というフィルターを通して写し出された1つの卓越した精神の歴史がある。(講談社現代新書)
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まず全体として、書き方が自伝的なので、帯に昭和を代表する知識人と書かれるような人物でも、このように数々の試行錯誤を泥臭くやってきたのだな、というのが分かって、とても面白かった。
読書論の部分では、以下の二点が印象に残った。
一つは読み方のスピードについての部分。
「そばを食べるように」「相当なスピード」でと書いてあるが、決していわゆる速読を勧めているわけではない。
本を書く人は「観念の急流」に突き動かされるままに相当なスピードで書いている人が多いので、同じ空気感を共有した方が、筆者の言わんとしていることの全体感がより理解しやすいということらしい。
本を書く人には巨大な伝えたいことがまずあって、それを一種の「もどかしさ」を感じながら書いているので、そういう先へ先へという気持ちになるのだそうだ。
勿論そういう文筆家ばかりではないだろうが、筆者がどういった気持ちでこれを書いているのかということを想像する一助になるような気がする。
二つ目は外国語で書かれた本の読み方についての部分。
読書論の本で外国書の読み方を見たのは初めてだったし、書いてある内容が初心者向けというと失礼だが、全然読んだことがないけど興味があるという、自分のような読者向けだったので、かなりはまった。
まずは積ん読をしてみて、時が来たら(気力的な意味で)2、3冊読み通すところから始めたいと思った。
最後のメディア論の部分は、こういった短い内容とはいえ、各メディアの特徴を整理した記述というのは初めて読んだので、今後更に理解を深めたいという気持ちになった。
筆者によれば、電波メディア・・・テレビやラジオなどには、誰もが送り手になるのは難しく、送り手と受け手が固定しやすいことや、どうしても送り手の恣意が全てになりやすい(0か1かの話)などの欠点が書いてあるが、それを解決する方向に向かったのがインターネットなのかな、と考えた。
それにより私達は、筆者の時代よりも更に高い精神生活を営める可能性を得たのだけれども、筆者の言う、それらを使いこなす「不断の努力」は逆に現代では高まっていている。
この難しい時代を生き抜くため、本に読まれる段階を早く卒業し、主体的に考える読書ができるようになりたいと切に思った。
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今や古典的読書論だが、江戸っ子気質からかその言葉は、どこまでも潔く雄々しい。どきりとする言葉があちらこちらに転がっている。
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教養書なんて読む必要があるものではないけれど、
「立派に」生き、「立派に」死ぬために読むのだとする。
この「立派に」というのが、どういうことなのか。
というのは、それこそ読書を通して自分で定義づけることなのかな、と解釈した。
それから本を読んだら、当たり前かもしれないが「考える」ことが大事。
読んで、理解した、だけではなく、そこから何を感じ、考えたか。
それがないと本の内容が自分の力にならないよなあと反省。
読むことだけに重きを置いていたので、
「考える」ことを意識したい。
そこを意識すれば、それはたった一行でも考えるに値する部分があれば、
その本は自分の役に立ったということだ。
逆にそこしか役に立たなさそうだったら読むのをやめればよい。
清水先生が言っているのは、たぶんそういうことかな、と。
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個人的な経験によって書かれているところも多く、読書論として読もうとして購入した私にとっては、少し残念。しかし、この個人的な経験というものが面白く、読み物としては十分に楽しめたと思う。
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本書の最後に、少数の志をたてた者たちが将来も読書すると書いてある。生意気と言われるかもしれないが、この世界はあらゆるディヴイジョンで多数の無知者と少数の教養ある人という比率みたいなものが決まっているように思う。より多くの人々が読書なり何なりを通じて、自己啓発し、より健全で優しい世界の建立を希求してゆくことを願う。
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多くの読書論の中でも人気のある一冊。
教養書と呼ばれる合理的に考えると直接は役に立たない本を読むことの進め。
というよりも、そういう本を読むという贅沢を他の人に教えるといった趣旨の本。
もちろん、本を読むというそのことの楽しさも見逃してはおらず、バランスの良い読書論。
本以外にも様々なマスコミが誕生し、大衆の間に普及している現代にとって「本を読む」という労力を多大に消費する行動の優位性を説く。
結果的には、全てのメディアの立体的協力を必要とするという所に落ち着くが、それでも大衆がテレビなどの楽なメディアに傾倒していき本が消滅してしまいはしないかという危惧を捨て去ることはできない。
電子書籍もあるし、少数の人が好きで読むだけでも良いというならそれも可能なのかもしれないが、個人的には色々な人が本を通して豊富な知識を持っている社会の方が楽しいだろうと思う。
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1日1冊を課す。ムチャな数本を読めるのは30代まで。3泊くらい旅館に篭るか、1週間で100冊読むことを課す。
線引いた点を振り返り読む五分の復習がインプットの質を大幅に上げる。読書人でも年齢とともに読める数は低下するから出遅れ組も努力次第で追いつける可能性はある。
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本をよみながら「然、然」と理解しても、そういう理解は、心の表面に成り立つ理解である。浅い理解である。本を読んで学んだことを、下手でもよい、自分の文章で表現したとき、心のそこに理解が生まれる。深い理解である。
ブームに乗せられるキケン/どういう意味で面白いのか聞いちゃえ
書物との間にも、浅い交際、深い交際があると言うことを知っておいたほうがよいと思う。そうでないと、初対面の異性にすぐ結婚を申し込むことになる。
読書が人生最高の理想と解く人もいることもいるが、これは インテリの思い上がりと言うものである。