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「桜の森の満開の下」の女は安吾のおかあさんのことかなと思う
2009/09/09 00:20
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投稿者:みどりのひかり - この投稿者のレビュー一覧を見る
安吾の本は40年前、20才のころ読んだ。堕落論や風と光と二十の私と、教祖の文学など夢中になって読んだ。爽快であり、感動があった。教祖の文学では小林秀雄のことをさんざんに言っているのだが、伝わってくるのは愛ばかりだった。小林秀雄を愛し尊敬する安吾はまるで大好きな恋人に駄々をこねているように文句を言っているのだ。
「桜の森の満開の下」はうっすらとしか覚えてなかった。読んでもよく分からなかったのだと思う。40年後の今、これを読むとここに登場する女は安吾のおかあさんだったのだなと思う。男に亭主を殺されその男の妻となった女は男に理不尽な要求を次々としてくる。でもこれは安吾のおかあさんだったのだなと思う。
母を嫌っていた安吾、母に憎まれていると思っていた安吾は嵐の日に母の食べたいというものをとるために、海へ入る。安吾の切ない思いがあった。本当は安吾は母を一番愛していたのだ。
今も安吾の作品が若い人々に読まれているのは嬉しい。年とった私はというと、ちょっとふざけた「不落樽号の旅」なんぞを読んでいます。安吾を愛する方々がこれを面白く読んで下さると、また嬉しい。
不落樽号の旅
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堕落には覚悟が必要
2016/07/29 07:20
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投稿者:夏の雨 - この投稿者のレビュー一覧を見る
どんなに有名で名著と呼ばれる本であっても、読者の一番いいタイミングで出会えるとは限らない。
あるいは同時代的な作家の作品であっても、遅れて生まれてきた読者にとってはすでに評価の定まった作品でもある。
坂口安吾のこの作品でいえば、表題作である『堕落論』は終戦後間もない昭和21年4月に発表された自我的評論である。1970年代に安吾は劇的な復活を果たして、当時の若者たちに熱狂的に支持されたという記憶がある。
ただ残念なことに当時私は同じ無頼派の作家でも太宰に傾倒していたので安吾を全く寄せ付けなかった。
読まず嫌いということほど恐ろしいことはない。
まず大きな誤解であったことは一冊の文庫に『堕落論』というタイトルが付けられていても、表題作そのものはわずか数ページのエッセイであること。
例えば、私が読んだ集英社文庫でいえば『続堕落論』『日本文化私観』(この評論がすこぶるいい。なんといっても文章が生きている)『不良少年とキリスト』(太宰の情死後に書かれた評論と小さな太宰治論になっている)『桜の森の満開の下』(1975年に篠田正浩監督によって映画化されている)など9篇の作品によって構成されている。
現在『堕落論』はさまざまな文庫に収録されているが、他の作品の構成は各文庫ともにばらばらなので、気をつける必要がある。 少なくとも『続堕落論』『日本文化私観』が併録されているものがいい。
安吾の言葉をそのまま読む必要はないし、逆説的解釈も必要であるが、どの作品もその奥のある純粋な湧き水のような清冽な透明さに気がつくことだろう。
もっと早くに読んでおくべきだった。
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堕落論以外もオススメ
2015/08/18 15:02
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投稿者:しろくま - この投稿者のレビュー一覧を見る
目からうろこ。すがすがしいことこの上なし。でも、極端なことを言っているから読んでいて気持ちいがいいのではなく、モヤモヤしたものの正体を見つけるヒントを与えてくれるからなのです。
のびやかで淀みのない、軽やかな文章は、そうそう出会えるものではありません。何度も読み返し、安吾に会いに行きたくなる、そんな本です。
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美しいとは何か
2002/08/07 19:38
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投稿者:ゆうげ - この投稿者のレビュー一覧を見る
表題作の「堕落論」・「桜の森の満開の下」は安吾の作品の中で有名である。
しかし私は同時収録の「文学のふるさと」が興味深い。
また「桜の森の満開の下」と合わせて読むと、更に面白い。
童話や小説を読んでいて、残酷なシーンを目にすることがある。
童話などは子供向けなはずなのに、よくそういうシーンをよく目にする機会が多い。
だが残酷だからといってそのシーンを無くしてしまうと、
物語として何か足りないものになってしまうのではないだろうか。
つまり、残酷さがあってこそ魅力のある作品であるという証明にもなる。
そのことが「文学のふるさと」には赤頭巾ちゃんと伊勢物語の中の男女の駆け落ちの話を例にして書かれてある。
特に伊勢物語を例にとったものを読んだ時のハッと何かに気付かされた感覚を忘れることが出来ない。
どこか残酷で美しい話を好んで読んでいる方には、
私と同じ「ハッ」と気付く感覚が味わえるかもしれない。
「桜の森の満開の下」は「文学のふるさと」を安吾が自ら実践した作品ではないのだろうか?と思うほど、
残酷さなどが心を惹きつける美しい作品である。
是非「文学のふるさと」と合わせて読んで欲しい。
最初に何も知識なしに「桜の森の満開の下」を読んでから
「文学のふるさと」を読むと面白いのではないだろうか。
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「桜の森の満開の下」が収録されているのがポイント高い。「堕落論」は心が萎えた時に自分に喝を入れるために読みたくなる。
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いくつかある『堕落論』という表題のついた文庫の中でこれを選んだのは、これには坂口安吾の代表的な評論「堕落論」「続堕落論」などに加えて小説「風博士」「桜の森の満開の下」も収録されているためである。
安易なロマンチシズムや虚飾を徹底的に排除し、リアリズムの果てにある美と真実を追求し続けた安吾のエッセンスとも言える評論(小説も入っているが)が詰まった本といえる。
この人の評論を読むと、「堕ちることが必要だ」と訴えながらも、その中に不思議と前向きな世界観も内在しているように感じられるのは私だけでしょうか。
また、小説である「桜の森の満開の下」は、山賊と、彼に亭主を殺されその妻となった女の交流を描いたもので、女の美しさに酔い、殺しを重ねる男の様子などが描かれ、内容としては非常におどろおどろしい話である。
しかし、それ以上に読んでいると美しい描写と息苦しいほどの静けさに浸ってしまい、読み終わったあと、不思議な余韻が残る。
坂口安吾といえばエッセイだと思っていた私が、この人の小説ももっと読んでみたいと思うようになったきっかけの本です。
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自宅から一番近い本屋に行って桜の森の満開の下が入ってる短編集でもなんでも良いから探していたんです。そうしたらあったのがこれだけで。集英社文庫のこの堕落論は写真も入っていたりします。少し得した様な気分にはなりましたね…中学時代の国語の先生が坂口安吾のこの作品が大好きで。勧められて読みましたが、その先生が言っていたことと同じです、感想は。美しい、綺麗。それが印象、感想です。
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きっかけは、日本文学特有の雰囲気を克服する為に読み始めたもの。
今では坂口安吾ファンになるきっかけになった本。
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「堕落は制度の母胎」「必要ならば、法隆寺をとりこわして停車場をつくるがいい。我が民族の光輝なる文化や伝統は、そのことによって決して亡びはしないのである。」「孤独は、人のふるさとだ。恋愛は、人生の花であります。いかに退屈であろうとも、このほかに花はない。」
新鮮な言葉がありすぎて、読んでいて自分の価値観が大崩壊・再構築されていく感じがした。「桜の森の満開の下」目当てで購入したが、他の作品も読めて本当によかった。太宰のことも前よりも好きになった。
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何かに囚われてしまうということ、それを嬉々として受け入れて思考停止のまま踊っている人間、そういうものに対する嫌悪を本書からは強く感じる。終戦期に発表されるや一気に話題となったのは、読み手が戦時体制への批判を程よい羞恥心を伴って反芻できたからか。一方で、2009年に生きる自分の心にも安吾の言葉が響くのはなぜか。
ここでいう堕落は、「いわゆる堕落」とは違う。制度や伝統や価値観、そういうものが生み出す茶番を示して、人間本来の姿への回帰を説く。その回帰が「堕落」と呼ばれるのなら、甘んじて堕落の道を行こうではないかと語りかけている。
『生きよ堕ちよ、その正当な手順のほかに、真に人間を救い得る便利な近道がありうるだろうか』(本文抜粋)。人間存在を真摯に見つめていればこそ、かくも硬派な評論ができる。一見シニシズムに陥っているようだがそうではない。大きな愛に満ちているテクストだ。
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なぜこれほど明治時代を生きた文豪たちの作品は響くのでしょうか?
古典作品を読み始めたのが遅く、未だに読んでいない作家、作品が数多くあります。
しかし、こういった作品に出会う度に勿体ないことをしたと悔やむばかりです。
ゲーテやツルゲーネフ、シェークスピアといった海外の作家に勝るとも劣らぬこの文才!
個人的な好みとしては表題作の「堕落論」よりも、「文学のふるさと」での作品・作家語りや、
「桜の森の満開の下」の破滅的、崩壊的な展開の方が心惹かれるものがありました♪
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■目的
堕落論とは? 「2009 夏の文庫フェア」8冊目。
■本の内容・特徴
受け身に安住するな。堕落自体は悪であるが、人間は本来堕落するものである。まずはそこから目を背けるのではなく肯定すること。堕ちるところまで堕ちることによってのみ、自分自身を発見することができる。そして自分自身を救えるのである。
■感想
いわゆる「ご立派な教え」というのは、人間性というものを無視したものが多いですよね。私はこれらは苦手です。見苦しいものに蓋をして上辺を取り繕うだけのキレイ事だと思うからです。上辺をいくら取り繕っても根本的な解決にはならないと思います。机上の空論やキレイ事では何も救えない。
なので、著者の言う人間性そのものを肯定する、という考え方はとても納得がいきます。そう、人間は見苦しいもの、堕落するものなんです。でも、完全に堕落することはなかなか難しい。そこに救いがあると著者も言います。同感です。
上辺だけの理想論には説得力がない。単なる空論、だから救いにもならない、何も解決しない。堕ちるところまで堕ちて、地獄を見て這い上がってくる力こそ本当の強さ・問題解決能力ではないでしょうか。救いは美しい言葉などではなく、「経験から得た力で自助すること」だと思います。
価値のあるものが、一瞬にしてその価値を失ってしまうような今の世の中だからこそ、こういう底から這い上がる力が必要なのではないか、と感じました。いい教えでした。
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人間は荒唐無稽であり乱痴気な存在で、そういった人間性のふるさとに回帰することが自然なことであるということなのだろうか。
読んでみて救われたり共感できたりすることはなかったが、こういった自分とは異なるものの見方に触れることができたという意味では有意義といえるのかもしれない。
ただ、ほかの文豪に対して批判的とも言えるような表現が多く見られ、正直読んでいて気持ちいいものではなかった。
坂口安吾もただ非難をしていただけではないのだが、やはり気になったしまった。
エッセイ全体の評価は★★
小説のほうは結構楽しく読ませてもらった。
『桜の森の満開の下』では坂口安吾のファルスとはこういったものだというのを感じられた。
まさに荒唐無稽、話に読者がおいていかれるようである。
桜、女、鬼…これらについてどういった解釈をするのか考えていきたい。
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あまり長々と書かない方がしっかりレビューできそうなので、簡潔に。
大雑把だけれども、見るとこ見てます。
臆面もなく、おそらく言葉もあまり選ばず、言う。
彼は 自身をさらけ出すことを厭わない。
このおっさん、ロックです。
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旧表紙版。
っちゅーか、この表紙はちょっと違うだろ…と集英社に言いたい。
代表作とその続編よりも、他の短編の方が面白かった。とても、面白いオッサンだと思います。アウトローで、図太くて、爽快で、とっても面白いオッサンだと。
この時代の小説の中ではかなり読み易い方なのではないでしょうか。代表作の二作以外は。
というかこの人の「桜の森の満開の下」が、こんなにあっさりと読めるものだとは思いませんでした。名前と時代的な文章のイメージから、もっと、かっちりした文章かと思っていたのに、十分程度で読めてしまって、肩透かし。
ちゃんと、面白かったんです、よ?