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みどりのひかりさんのレビュー一覧

投稿者:みどりのひかり

101 件中 1 件~ 15 件を表示

紙の本

紙の本自省録 改版

2010/05/10 11:59

キリスト教以前のギリシャ、ローマはこんなにもまともだったんだ。

34人中、25人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 平山 令明著「熱力学で理解する化学反応のしくみ」の中に、このマルクス・アウレーリスの「自省録」のことが書かれてあって、読んでみようという気になりました。アウレーリスはローマ皇帝で西暦121年から180年の人です。

 興味深かったのは、この頃の考え方というのは、きわめてまともで、迷信的なものもなく、冷静に自然を見ているということでした。

 紀元前275年から紀元前194年に生きたエラトステネスは、シエネ(現在のアスワン)で夏至の日に陽光が井戸の底まで届くことと、アレキサンドリアでの夏至の日の南中高度が 82.8°であったことから、地球の全周を求めました。

 つまり、マルクス・アウレーリスの時代より300年も前に自分たちの住んでいる世界がまるいことと、その球の大きさまでわかっていたのでした。

 アウレーリスの自然感は、観察に基づいた真っ当なもので、命あるものはいづれ、元素に分解され、それらがまた、集まって別の命が生まれ、それが何年も何年もの昔から、繰り返され、未来にも繰り返され、我々はその中で生きているんだということを、受け入れて、どう生きるかを決めていました。

 キリスト教はすでにありましたが、まだローマがこれに支配される前のことでした。キリスト教以前のギリシャ、ローマはこんなにもまともだったんだ、と思いました。キリスト教は素晴らしい面もあるのだけれど、随分と世界をよがめてしまったんだなとあらためて思いました。

 諸行無常というのはエントロピーは増大するという、熱力学の第二法則の文学的表現だけれど、ローマでもきちんとこの法則が捉えられていたことがわかります。

 ただ、仏教の般若心経で言っている、色即是空で代表される情報物理の原理については、まだアウレリウスはそこまで考えが及んでいません。これは残念なことです。

 情報物理の原理は、神はあってもなくてもかまわないというか、どう考えようと、この原理が崩れることはないので、神はいてもいなくてもいいのですが、キリスト教ではそうはいかないでしょう。神はいなければならないのですから。

そんなことを色々考えさせられた本でした。


:::::

熱力学で理解する化学反応のしくみ

不落樽号の旅

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紙の本

紙の本夜と霧 新版

2011/03/07 16:44

新訳の翻訳者、池田香代子先生は今のところ翻訳のミスの訂正に応じてくれてはいません。

34人中、16人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 旧訳の霜山徳爾先生の「夜と霧」にも、新訳の池田香代子先生の「夜と霧」にも、同じところで翻訳のミスがありました。
 霜山先生はそのミスを訂正して下さいました。これについては旧訳への私の書評で詳しく書いていますので、まずそれをお読みになって下さい。

旧訳への私の書評

 新訳の翻訳者、池田香代子先生は今のところ訂正に応じてくれてはいません。
私が新訳の存在を知ったのは初版のだいぶ後になってからのことでしたので翻訳のミスを指摘し訂正のお願いの申し出をしたのは2007年8月でした。みすず書房の編集担当者は新しい人に代わっていましたが会ってお話しましたところ訂正する意思はお有りになりました。あとは、池田先生の意思次第です。

 文章間の矛盾が明確だったからこそ、また重要な事柄だったからこそ、霜山先生と当時の編集担当者、吉田欣子さんは訂正して下さいました。

 訂正の内容は旧訳への私“みどりのひかり”の書評に書いていますが、ここにも主な文を載せておきましょう。

それは霜山先生訳の「夜と霧」の196ページに書かれています。引用します。これを《2》の文章とします。

《2》
『これらすべてのことから、われわれはこの地上には二つの人間の種族だけが存するのを学ぶのである。すなわち品位ある善意の人間とそうでない人間との「種族」である。』

で、この部分は正しい文章であり間違いはありません。問題は、このページの一つ前のページ、195ページの文章です。これを《1》の文章とします。

《1》
『人間の善意を人はあらゆる人間において発見しうるのである。』

この文章は、《2》の『われわれはこの地上には二つの人間の種族だけが存するのを学ぶのである。すなわち品位ある善意の人間とそうでない人間との「種族」である。』という文章と矛盾します。

《2》の文章では、フランクルは決して、あらゆる人間が善意の人間だとは言っていません。二つの人間の種族だけがいると言っています。つまり、善意の人間とそうでない人間の二つの「種族」がいると言っています。

 だから、《1》の『人間の善意を人はあらゆる人間において発見しうるのである』というような、みんな善意の人とは言っていません。

で、結論としては、《1》の文章の

『人間の善意を人はあらゆる人間において発見しうるのである』

の、「あらゆる」と「人間」の間に「グループの」という言葉が入るはずです、ということです。つまり、ユダヤ人のグループにも、看視兵のグループにも善意の人を発見しうる、と言っているのであり、あらゆる人間が善意の人である、とは言っていません。

で、この私の考えを霜山先生も当時の編集担当者も認めて下さり、1986年の刊行のものから現在に至るまで、この部分は「グループの」という言葉が入れられ、

『人間の善意を人はあらゆるグループの人間において発見しうるのである』と改められています。

この、『二つの「種族」だけがいて、一方は善意の人、すなわち「残虐行為を嫌悪する種族」であり、他方はそうでない「残虐行為を好む種族」である。』という考え方はキリスト教文明圏では持ってはならない考え方であり、普通ならごうごうたる非難に見舞われるような内容です。ですが、これは、フランクルが何百万人もの命と引き換えに学んだことなのです。この学んだ内容は、事実は事実として認めて社会の制度に役立てなければ、またあの忌まわしいアウシュビッツが繰り返されることになります。

池田先生の新訳では、その《1》の部分は143から144ページに、《2》の部分は144ページから145ページにかけて載っています。

その部分をここに引用しておきましょう。
《1》
人間らしい善意はだれにでもあり、全体として断罪される可能性の高い集団にも、善意の人はいる。


《2》
こうしたことから、わたしたちは学ぶのだ。この世にはふたつの人間の種族がいる、いや、ふたつの種族しかいない、まともな人間とまともではない人間と、ということを。


ということで、フランクルは決して「人間らしい善意はだれにでもある」とは言っていないということ。
そして、「この世にはふたつの人間の種族がいる、いや、ふたつの種族しかいない、まともな人間とまともではない人間と」ということを言っているわけです。

残虐行為を好む人間のことについては、脳のfMRIスキャンによって判ってきました。旧訳への私の書評の中にリンク先がありますので見て下さい。

ただ、残虐行為をして楽しむ人間とは別に、粗暴で直に怒りをあらわにする人がいますが、この人たちは本質的に残虐人間とは異なります。この人たちと残虐行為を好む人間を混同して、悪い子を愛と教育で良くしたと思い込むインテリ人がいますが、これは明確に異なります。フランクルも「夜と霧」(旧訳)の201ページ、202ページにその人のことを書いていました。引用します。


一人の仲間と私とは、われわれが少し前に解放された収容所に向かって、野原を横切って行った。すると突然われわれの前に麦の芽の出たばかりの畑があった。無意識的に私はそれを避けた。しかし彼は私の腕を捉え、自分と一緒にその真中を突切った。私は口ごもりながら若い芽を踏みにじるべきではないと彼に言った。(中略)「何を言うのだ!われわれの奪われたものは僅かなものだったか?他人はともかく・・・・・・俺の妻も子供もガスで殺されたのだ!それなのにお前は俺がほんの少し麦藁を踏みつけるのを禁ずるのか!・・・・・・」何人も不正をする権利はないということ、(中略)この真理の取り違えは、ある未知の百姓が幾粒かの穀物を失うのよりは遥かに悪い結果になりかねないからである。なぜならば私はシャツの袖をまくり上げ、私の鼻先にむきだしの右手をつき出して「もし俺が家に帰ったその日に、この手が血で染まらないならば俺の手を切り落としてもいいぞ。」と叫んだ収容所の一人の囚人を思い出すのである。そして私はこう言った男は元来少しも悪い男でなくて、収容所でもその後においても常に最もよい仲間であったことを強調したいと思う。


この人たちが残虐性を好む人間とは異なるのだということは、いっしょに暮らしていれば判ることなのです。インテリは彼らのそばで暮らしてないからそのことはわかりません。私はわかります。粗暴だけど本質的には良い人か、残虐性を好む人間かは身近に一緒に暮らしていれば判ります。
フランクルは、このことは重要と思ったからこそ文章を入れたのでしょう。

私”みどりのひかり”の著書はこれらの問題を考える参考になります。

般若心経物語
不落樽号の旅

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紙の本

紙の本昭和史 1926−1945

2009/12/03 21:21

人ごとではない、自分がもし、大正から昭和の初めに生まれていたら、やはりのぼせ上がったに違いないと思う。

22人中、16人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

“それでも、日本人は「戦争」を選んだ”(加藤陽子 著)の書評を書こうと思ったのですが、その前に、以前読んだ“昭和史”(半藤一利著)をもう一度読み直してみました。それで、こちらの書評を先に書きます。

 全体の感想から言うと、勝っていい気になってのぼせ上がった日本、及び日本人。その日本人の自らが招いた迎えるべくして迎えた無謀な戦争と敗北。人ごとではない、自分がもし、大正から昭和の初めに生まれていたら、やはりのぼせ上がったに違いないと思う。(だが日本だけを責める訳にもいかない。どの国もろくでもない国じゃないの?と言いたくなる。)

 日清戦争、日露戦争、第一次世界大戦と、勝ち続け、うぬぼれを強くしていった、にっぽんと、にっぽん人。
こののぼせ上がった根性を叩き潰すのは、結局戦争で徹底的に打ちまかされる以外になかったような気がする。

 かつて、死出の旅路の戦艦大和の中で、学徒出身士官と兵学校出身の少尉中尉たちが、いま迎えようとしている自分たちの死の意味について、論争となり、遂には鉄拳の雨、乱闘の修羅場となったとき、臼淵大尉の次の言葉は「出撃ノ直前、ヨクコノ論戦ヲ制シテ、収拾ニ成功セルモノナリ」と「戦艦大和ノ最期」に書かれている。

「進歩ノナイ者ハ決シテ勝タナイ 負ケテ目ザメルコトガ最上ノ道ダ
日本ハ進歩トイウコトヲ軽ンジスギタ 私的ナ潔癖ヤ徳義ニコダワッテ、本当ノ進歩ヲ忘レテイタ 敗レテ目覚メル ソレ以外ニドウシテ日本ガ救ワレルカ 今目覚メズシテイツ救ワレルカ 俺タチハソノ先導ニナルノダ 日本ノ新生ニサキガケテ散ル マサニ本望ジャナイカ」

 敗れて目覚めなければならなかったのは、進歩に対する考え方だけではない。にっぽん人の思い上がった根性だ。

 明治の日清戦争、日露戦争は日本がヨーロッパ列強の植民地にならないための戦いであったのはまちがいないでしょう。(“それでも、日本人は「戦争」を選んだ”には、大正の第一次世界大戦の章のところで、「日本は安全保障上の利益を第一目的として植民地を獲得した」と書かれています。)

 やがて昭和となり日本は日中戦争へと突入してゆく。このときにはもう日本人は完全に中国、及び中国人を舐めきっていたように思う。
 そして軍人がのさばるようになってくる。隆慶一郎が「死ぬことと見つけたり」で書いているように「陸軍の軍人が共鳴する思想など、僕にとっては嫌忌の対象以外の何物でもなかった。」というような軍人が日本を破滅へと導いて行くようになる。

 原因を探っていけば、きりがないけど、ペリー来航までさかのぼって区切りをつけ、それ以後の日本の歴史の流れの中で軍人が前面へ出て来て政治に関わるようになってきたのも、必然的な流れだったのかもしれない。
 ただ、知事抹殺」(佐藤栄佐久著)「の書評にも書いたけど、ヨーロッパの国々にしろ、日本にしろ、背景に人口の増加で食っていけない人々が大勢出てきていたことがあると思う。(今、人口で見る日本史」「という本を読んでいます。)

 食っていけないから、武力で強奪する。相手が弱ければ、戦争と言えるほどのものにはならないが、強ければ戦争になる。もちろんすべての戦争が食うことだけを目的としたものではないけど、やはり根底にこれがあることを感じる。「アンネの日記」のアンネたちに食料を運んでいたミープさんは、もともとオーストリア生まれですが、貧乏で食っていけなくてオランダの家庭にひきとられて育った人です。「思い出のアンネ・フランク」

 戦後生まれの私は、いったい昭和と言う時代はどんなことがあって戦争に進んでいったのか、ずっと知りたかったことでした。この“昭和史”(半藤一利著)はよく取材し、重要な出来事に関わった人がたくさん出てきます。よくまとめられた優れものだと思います。

 何だか書評をまとめ切れなかったですが、ぜひ読んでほしい本です。


 ちょっと“昭和史”(半藤一利著)とは趣きを異にしますが、次の本をお勧めします。

戦争に関連して


浄土三部経_下_観無量寿経・阿弥陀経_ワイド版岩波文庫

浄土三部経_下_改訳_観無量寿経・阿弥陀経_岩波文庫


そしてもっと趣きをかえて

不落樽号の旅

にあんちゃん_十歳の少女の日記

わたしと小鳥とすずと_金子みすゞ童謡集

ハイジ_福音館古典童話シリーズ

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紙の本

紙の本ブッダのことば スッタニパータ 改訳

2011/02/04 13:43

ブッダ(釈尊)はこのような単純ですなおな形で、人として歩むべき道を説いたのである。

18人中、15人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 中村元先生の「ブッダのことば(スッタニパータ)」を漸く読み終えました。決して厚い本ではないのですが註記を見ながらの読書でしたのでゆっくり読むという結果になりました。
 これは最も古い経典ということでお釈迦様の言葉に直に触れられるところもあり、また煩瑣な教理もなく、最初期の仏教というものがこういうものだったのかということがわかります。

 この経典は「シナ・日本の仏教にはほとんど知られなかったが、学問的には極めて重要である。」 また、「ブッダ(釈尊)はこのような単純ですなおな形で、人として歩むべき道を説いたのである。」と中村先生は解説の中で述べられています。

 この本は註記の部分と本文の分量がほぼ同じくらいです。それだけ当時のインドの状況を伝えておかなくては誤解されてしまうことも沢山あることを考慮しているとも言えましょう。

 この本も「般若心経・金剛般若経_岩波文庫」と同じく、翻訳者の主観が入らないような配慮がされていて、自分で読み解くための素材を提供してくれています。著者の余計なしゃらくさい自説は入っていません。ありがたいです。

 なお「般若心経・金剛般若経_岩波文庫」は中村先生と紀野一義先生の共訳です。(お二人は東大のインド哲学科で師弟の関係で、非常に信頼関係がありました。)

 で、この「ブッダのことば(スッタニパータ)」には、のちの般若心経の「色(しき)」と「空(くう)」のことは出てきませんが、最後のほうに一度だけ{空(くう)という言葉が出てきます。しかしまた、般若心経に出てくる「無色聲香味觸法」の「色聲香味觸」に相当する言葉などが出て来ていて、「へー、この頃から考えられていたんだと」お思ったりもしました。

 仏教はその後発展し「般若心経」や「法華経(妙法蓮華経)」などが出てきます。仏教に興味を持たれた方は、やはりこれらの本は読んだほうがいいでしょう。

 般若心経につきましては、私”みどりのひかり”が書きました「般若心経物語」をまず読むことをお薦め致します。この本は「色しき)」と「空(くう)」の関係がまず、情報物理の原理であることを明らかにしています。それとそれを背景に築きあげられた思想が述べられています。数ある般若心経解説本の中で、「色(しき)}と「空(くう)」の関係を最も解りやすく、かつ明確な論理で説明していると思っております。数学の写像を使って説明しています。(写像は中学、高校で習う関数と同じものです。)この本を読んだ後で中村先生とその弟子の紀野一義先生共訳の「般若心経・金剛般若経 岩波文庫」を読まれるといいでしょう。この岩波文庫本が最も正しく般若心経を現代語訳しているからです。

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紙の本

「知事抹殺」と原子力発電

14人中、13人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。



福島県知事、佐藤栄佐久さんは収賄罪で逮捕された。

 この本には一審判決までの経緯が書かれている。著者、佐藤栄佐久さんは無実であることを主張している

一審、二審とも有罪だったが、二審では、言わば、0円の利益供与があったという、摩訶不思議な判決が出たらしい。
 詳しくは佐藤栄佐久公式サイトのブログ「2009年10月15日控訴審判決を受けて」の記事をお読みください。

 「知事抹殺 つくられた福島県汚職事件」について、私が読んだ率直な感想は、いやな感じの文章はどこにもなかった。栄佐久氏の良きところが充分伝わって来た本だった。

 まちがいなく無実の罪であるのだろうと私は思いました。事実は神のみぞ知るではなく、佐藤栄佐久氏と東京地検特捜部の検事が知っていると思うのですが、この部分についてはこれ以上触れません。この本の持つ別の価値について触れたいと思います。

 第3章から引用します。

2003年4月14日の午後、東京電力福島第一原発6号機は、安全点検のため原子炉停止作業に入った。これにより、東京電力の持つすべての原発(福島10基、柏崎刈羽7基)が運転を停止した。
 日本にある原発の三分の一を所有する東京電力の全原発が止まったのだ。(中略)
 県民の立場に立って淡々とやるべきことをやっていたら、結果として原発が停止した(中略)
 しかし、その結果わかったことは、原発政策は国会議員さえタッチできない内閣の専権事項、つまり政府の決めることで、その意を受けた原子力委員会の力が大きいということだった。そして、原子力委員会の実態は、霞ヶ関ががっちり握っている。すなわち、原発政策は、立地している自治体にはまったく手が出せない問題だということが、私の在任中に起きた数々の事故、そしてその処理にともなう情報の隠蔽でよくわかった。(中略)
 私と原発の最初の「コンタクト」は、参議院議員だった1987年1月に当時の中曽根首相の東欧訪問に随行したときのことだった。(中略)1986年4月26日、当時のソビエト連邦(現在はウクライナ共和国)チェルノブイリ原子力発電所の炉心融解事故が発生し「死の灰」でウクライナ、ベラルーシは大きな被害をこうむった。皮肉にも、戦後すぐの時代から平和利用とともに、軍事戦略的に日本の原子力の必要性を声高に主張してきた中曽根氏の東欧訪問に、チェルノブイリはついてまわることになった。(中略)この経験が、原子力事故の恐ろしさと、ひとたび起こってしまうと、一国では終わらない広がりをもつということについての、私の原体験となった。


 ここに、日本の原発政策の本質をつく話が語られています。原爆を持たねばならないと考えているのでしょう。国を守るという観点からみればそれは、戦略上極めて合理的なことなのかも知れません。(あくまで戦略上であり、非人道なことは許されないという心の問題は無視するということを含んだ上での合理的ということです。)

 優位な暴力の前にアメリカのインディアンはほぼ全滅させられたし、ユダヤ人はドイツとその占領地から一掃され灰と煙になって消えました。暴力で優位に立たねば滅ぼされてしまう恐れは、これからの時代でも本当にあるでしょう。だから各国の指導者は原爆を持ちたがるのでしょう。これはしかし、どのように判断したところで、このように発達した文明を持つ星の生きものはホーキングが言うように100年しか持たないのかも知れません。核廃棄物を含めてエントロピーの増大を考えていくと人類の滅びは間近になっているのでしょう。
資源物理学入門_NHKブックス

 私が義務教育を受けたのは昭和30年代の9年間でした。その間、国家間や民族間の争いで、一番ものを言うのは相手より優位な武力、暴力であるという教えを受けたことは、一度も無かったと思います。文武両道という言葉は聞いたことはありました。しかし義務教育の中で、武力暴力の重要性が説かれたことは無かったと思います。ただ、教育科目の中で暴力が最もものをいうのだと教えられなくても、学校と言う集団生活の場はそれを教えてくれます。物理的に強い者が他を思いのままに支配できるということを、最もよく自覚していて、実生活に活用していらっしゃるのはヤクザやさんなど暴力団の方々でしょうか。彼らは真理を実践しておられます。この真理は単純に物理学的にかんがえて物理の法則に則ったものであります。特別、理解の難しいものではありません。

 現在栄えている生物種はすべてその「種」の間で殺し合いをしているはずです。何故なら、その「種」が存在しているということは、常にその「種」の数が増え続ける状態に置かれているからです。例えば哺乳類でいうなら、その集団で、平均して、1頭のメスから「1頭以上のメス(それも1頭以上のメスを生めるメス)」が生まれなかったら、その生物集団はやがて数が0に収束して滅びてしまいます。ですから「その種」が現在存在しているということは常に個体数の増加という圧力がかかっているわけです。その中でその種の数が一定を保っているとすれば、それは食料が限られているからです。増え続ける方向にあったとしても生き残れる数は食料の量によって決まってきます。必然的に「その種」の中で食料の奪い合いが生じます。戦争が悪いと言っても食い物がなければ食うために争いは生じます。史記や十八史略を読んでいると、人間の戦争の歴史が語られていますが、そのいくさも結局は食料争いが根底にあることを感じさせられます。徳川幕府は永い平和の時代を打ち立てましたが、それには増えようとする人口に対して、生き残っていいのは原則として長男夫婦だよ、ということを貫いて平和を保ってきました。戦争でも沢山の不幸が訪れますが、平和でも餓死という沢山の死ななければならない不幸な人たちがいたはずです。
 今は避妊もできますし、人口をある一定のところプラスマイナス10パーセントくらいで揺らせておけば食べ物の奪い合いはしなくて済みます。戦争反対を本当に考えるなら人口問題を考えるのが最も基本的に重要なことでしょう。

 武力を持たなくても大変、武力を持ったら持ったで威張りくさって人を死地に平気で追いやる命令を出す奴とか戦争をしたがる奴が出て大変。
 大虐殺をされないためには自らを守る武力をもたなければならないし、武力を持てば、容易に戦争を始めないための、間断のない大変な努力が必要。
 いづれにしても大変で、平和を保つと言うことは常に努力をし続けなければなりません。

 2009年11月6日、玄海原発3号機で日本初のプルサーマルが始動しました。
この時期、上記のようなことを思い起こさせた「知事抹殺」でした。

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紙の本

紙の本わが家の母はビョーキです

2010/01/06 02:03

漫画であっても、大宅壮一ノンフィクション賞を与えてもらいたいくらい素晴らしい本です。

12人中、12人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。



 この本はbk1の「あがさ」さんの書評で知り、すさまじいものを感じ、読もうと思いました。他に「なのしん」さんの体験と重なる感想や、「kumataro」さんの書評もあり、私がまた書かなくてもいいのですが、書かずにおれないものがあって、書く次第です。
 みなさんの書評を読めばどういう状況だったのか分かりますので、全員のをお読み下さい。

 統合失調症の母。ギャンブルに狂い借金癖の直らない父。親なんかアテにしない、そう決めたのが著者11才の時。

***
 母の口ぐせは「死にたい」。たまに自殺企図。苦しまぎれにパチンコと酒におぼれ、ときどき娘に暴力をふるう。包丁を持って。

 それでも、「おかあちゃん ユキを生んだときが生まれて一番幸せだったのよ」という。

ユキは「お母ちゃん 大好き」という。

 私のおかあちゃん フツーじゃないけど 私のこと大事に思ってくれてはいるんだよね・・・
***

 でも、まだまだ大変な生活はつづく。

 精神科に通院していた母は、医師に自分の症状は全く伝えず、世間話ばかりしていて、医師は患者の嘘を見抜くことができていなかった。それで出す薬も間違っていた。

 正気を失い大変な時と正気にもどることの繰り返し。

***
 「消えたいね」

    正気に戻った母と
    何回くらいこのコトバを
    口にしただろうか

 「消えたいね」は
 「死にたい」とは違う・・・

   「存在しない平安」なのです
***

 後半は「高額医療費」「傷病手当金」、措置入院、医療保護入院、自立支援医療(精神通院医療)、本人や家族を支援する地域支援センターや、障害年金のこと、などが、物語の進行とともに、分かりやすく書かれています。この辺はみごとです。よく整理されて書かれています。

 さまざま、大変な状況をくぐりながらも、著者は漫画家のアシスタントになる。そして、東京に引っ越し、母との二人暮らしを始める。そのころ地域生活支援センターの保健婦さんから「統合失調症は脳の病気で治療可能です。」という言葉を聞き、著者は「脳の病気ってわかったら不思議!コワクなくなった」という。「ココロとか 精神の病気なんていわれるとコワイ気がしたけど 脳の病気ってわかったら なんか安心した」という。えたいの知れないものではなく、脳という科学的に理解しうる実体のあるものだと分かったことで、あるひとつの安心が得られたのでしょう。それから「統合失調症」に対する正しい知識が入ってくるようになる。

 やがて、病院も医師も替え、そして薬も変えてゆく。変薬後、効果があらわれて、母の幻聴も副作用も、だいぶラクになる。それ以前は死んだ魚の目のようにボーっとしていたのが、以後は瞳に輝きが出て、表情も感情も出てきた。
 そして、著者は母の発言にビックリ!!する。
「今までツライだけで何のためにクスリ飲んでるのかわからなかったんだ」
「じゃあ なんで飲んでたの?」
「飲まないとみんなにおこられるから」

 実は、私が書評を書きたかったことのひとつはここなのです。統合失調症の患者が薬を嫌がっているのは、何かの本を読んで知っていました。医者は無理やりにでも飲めというらしいのですが、何かその薬のはたらきが、どうも良くないらしく、とても嫌がっているように感じました。私はかつて多数の人を相手にする職場にいたので統合失調症の人には5人くらい接したことがありましたが、うつ病に比べ、これはやはり大変だという感じがありました。それは10年位前までのことでしたが、薬の良いのが未だないんだなと思いました。   
 ところが、「わが家の母はビョーキです」を読みますと、どうやら、いい薬が出て来たようです。完全に治ったわけではないらしいけど、母に笑顔も見られるようになり、著者も結婚して母と夫と自分の三人暮らしになり、助け合って生きていける人ができ、生活もかなり穏やかになってきたようです。

***
これからは
家族一緒に
のんびり楽しく
トーシツライフ
できるといい・・・

「失敗」と「反省」を
くり返しながら
「涙」と「笑顔」で
生きてみようと思う
***

 このお話の、おしまいの言葉です。


 書き落とすところでしたが、病気の母の人格を尊重していることがよくわかる場面があります。夫に聞かれて母の病気のことをどこまで詳しく話すか著者が迷って考えて、母自身に相談し、昔のことは恥ずかしいから知られたくないと言ってることを伝える場面があります。目立たないけどこの場面も大切なところだと思います。


 この本の著者のあとがきのところも、とても大切なことが書かれています。

 この本は世の中の統合失調症で苦しんでいる本人と家族のために、自らの体験を通して、生活のする上で大変な部分の解決手段を具体的に提示しています。

 そして何よりも大きな感動があります。
 漫画であっても、大宅壮一ノンフィクション賞を与えてもらいたいくらい素晴らしい本です。


 サンマーク出版社って聞いたことがあるな、と思って調べたら「坂村真民」さんの本を出している出版社でした。サンマーク出版さん、ありがとう。

中村ユキさん、ありがとう。

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紙の本

深いものを感じさせる予感がする物語である。

25人中、10人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 人間を襲って食う巨人。人々は巨人から逃れるために周りを高い壁で囲んだ中の安全な地域で暮らしている。その安全地域も、もしも壁が巨人に破られた場合に備え、その内側にも一回り狭い地域が壁で囲まれており、全体で3重に囲まれた地域がある。壁の高さは50メートルあった。巨人は最大でも15メートルだった。ところが、ある日、その50メートルの壁から顔を出すほどの大型の巨人が現われる。一番外側の壁は破られ、次々と巨人たちが入って来て、人類は食べられていく。
 その巨人と戦うために訓練兵となり、主席で卒業したミカサ・アッカーマン。わけあって、そのミカサと同じ家で暮らしていたエレン・イェーガーは5番の成績だった。彼らはやがて巨人と戦うようになる。そしてエレンは巨人に食われてしまう。ミカサはまだそのことを知らない。

 恐ろしい物語だが、これは人類が他の生物に対してやっている残酷な仕打ちと変わらない。いや、人類はもっと恐ろしいことをやっている。

 深いものを感じさせる予感がする物語である。


***

「般若心経物語」は私、”みどりのひかり”が書いたものです。この「進撃の巨人」とは直接的な関係はありませんが、どこか奥底でつながっているように思います。いや、つながらなくてはならないと考えているのかも知れません。
 

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紙の本

紙の本六千人の命のビザ 新版

2010/02/18 01:15

この素晴らしい杉原千畝の物語の中の、間違いの部分だけは指摘しておきたい。

13人中、8人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

この本につきましては同じ著者の杉原千畝物語にも私“みどりのひかり”は書評を書きましたのでそちらもご覧下さい。

 リトアニアの日本領事館の前に1940年7月27日の朝、ナチスの手を逃れて大勢のユダヤ人が日本通過のビザを求めて集まって来た。
 
 杉原千畝さんはユダヤ人に日本のビザを出す前にソ連領事館に行き、ユダヤ人たちがソ連を通過できることを確認しビザの発行を始めます。千畝さんは発給条件が満たされていなくても人道を優先し発給した。外務省からの「発給条件を守られたし」という指示は無視して。

 この本には杉原さんのビザ発給に関する外務省への問い合わせに対し、次のように書いています。
 「やっと返事が来ました。外務省の判断は「否」。最終目的国の入国許可を持たない者にはビザは発行するなという意向でした。それは夫も予想していた答えでした。七月二十二日に日本では第二次近衛内閣が成立し、外務大臣も有田八郎氏から松岡洋右氏に代わったばかりでした。陸軍大臣にも東条英機氏が就任し、日独伊三国同盟への直線コースが引かれた直後のことです。当時の松岡洋右外務大臣はドイツ、イタリアとの協力関係を積極的に進めようとしている人でした。ドイツに敵対する行為を認めるとは思えなかったのです。」

 この文章には著者の誤解があります。彼らユダヤ人が無事に日本を通過し安全な国へと脱出できたのは、松岡と東条の考え方がユダヤ人擁護に働いていたからこそ出来たことではなかったのか。
 そして松岡は、外務大臣の立場とは別に、一方ではユダヤ人を助ける行動をしている。「日本とユダヤ_その友好の歴史」116ページから119ページにかけてそのことが書かれています。以下その内容です

 小辻節三というヘブライ語を話せる日本人がいた。1939年1月頃、小辻は南満州鉄道株式会社(満鉄)の松岡洋右総裁より顧問として働いてほしいとの招聘状を受け取る。
 小辻は、ユダヤ人に対する松岡の見解を尋ねる。松岡は「私は反共の協定は指示するが、反ユダヤには賛成しない。この二つは全く異なる。この点、日本は明確にしなければならない」と答えた。


 もうひとつは杉原ビザで来たユダヤ人たちの滞在許可日数の問題である。日本での滞在許可はわずか10日しかなく、これでは足りない。

 小辻は神戸のユダヤ人協会から依頼を受けて、滞在延長を許可してくれるよう毎日のように東京の外務省に通う。が埒があかない。最後に満鉄時代の上司、新任の松岡外務大臣に会う。松岡は小辻を静かなレストランに誘いだし、「友人として」と言って助言した。「小辻博士、外務省はすでに政策を決定したので、それは動かせない。どんなに陳情しても無駄だ。だが、難民のビザ延長は神戸の出先機関でできるかもしれぬ。外務省は見て見ぬふりをする。」
そしてビザ延長は実現した。


 また、今、話題のそれでも日本人は「戦争」を選んだの226ページに、松岡洋右の手紙が掲げられています。我々の脳裏には1933年3月、満州国をめぐる問題で日本が国際連盟を脱退する際、全権として最後の演説をし、国際連盟総会の議場から去っていく記録映画の松岡の映像が焼きついています。だが、ここに掲げられた手紙は見ると松岡の本当の思いがどうだったのか判ってきます。是非この本を読んでいただきたいと思います。松岡への評価も変わってくるでしょう。参考までに単純な脳_複雑な私も読んでみて下さい。自分の判断のもとになっているものが、自分の脳が如何にあてにならないものかが判ります。
 
 昭和の日本の軍部にはユダヤ人を味方につけたいという思惑を持っている人もいました。それは日露戦争の時、資金面でユダヤ人の助けがあったからです。
ただそういう実利的な面ばかりでなく、やはり人道上もユダヤ人差別には反対していた人もいました。

以下、「日本とユダヤ_その友好の歴史」に書かれていたことを纏めて紹介します。


 日露戦争の前にロシアではユダヤ人虐殺の嵐ポグロムが吹き荒れており、これに心を痛めたアメリカのユダヤ人ヤコブ・シフは、ロシアに負けてほしいため、日本の国債を買い、戦争資金調達に苦労していた高橋是清を助けます。誰も日本が勝つなんて思っていませんでしたからヨーロッパでもアメリカでも日本の国債なんて買ってくれる人はなかなかいなかったのです。


 杉原ビザの2年半前1938年3月に、満州の「満州里」駅と国境を接するソ連側の駅「オトポール」(シベリア鉄道の支線の終点)に、ヨーロッパからナチスの迫害を逃れて来た約2万人のユダヤ人が到着した。彼らは正式なビザを持たないためか満州国に入れてもらえず、野宿に近い生活を強いられていた。このままでは飢え凍えてしまう。
 このとき関東軍(満州に駐留していた軍)の樋口季一郎陸軍少将は満州国外交部の下村信貞と協議し、これは人道上の問題であるとし、満州里駅で難民への通過ビザを発行した。さらに、樋口は満鉄の松岡洋右総裁に連絡を取る。松岡は直ちに救援列車の出動を手配した。救われたユダヤ人は、やがて上海、日本、アメリカ他へ安住の地を求めて渡った。


 樋口に対して、ハルピン・ユダヤ人は謝恩の大会を催した。樋口はその時演説し、「ユダヤ人追放の前に、彼らに土地すなわち祖国を与えよ」と言った。これは間接的にドイツを批判していることになる。二年前に「日独防共協定」が結ばれていたから、ドイツは樋口の発言に対して抗議してきた。関東軍参謀長だった東条英機は樋口に釈明を求めた。樋口は東条参謀長に所信を述べた。
「もしドイツの国策なるものが、オトポールにおいて被追放ユダヤ民族を進退両難に陥れることがあったとすれば、それは恐るべき人道上の敵ともいうべき国策である。そして日満両国が、かかる非人道的ドイツ国策に協力すべきものであるとすれば、これはまた驚くべき問題である。
 私は日独間の国交の親善を希望するが、日本はドイツの属国ではなく、満州国はまた日本の属国にあらざるを信ずるが故に、私の私的忠告による満州国外交の正当なる働きに関連し、私を追及するドイツ、日本外務省、日本陸軍省の態度に大いなる疑問を持つものである」
 これを聞いた東条は、樋口の主張に同意し、彼の意見を陸軍省に申し送った。ドイツの抗議は不問に付された。樋口はオトポール事件で責任を問われなかったどころか、同年1938年八月参謀本部第二部長に栄転した。



以上、この素晴らしい杉原千畝の物語の中の、間違いの部分だけは指摘しておきたい。

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紙の本

ユダヤ人も日本人もともにキリスト教の受容を拒絶したのだが、その理由は根本的に正反対だった。ユダヤ人がキリスト教を拒絶したのは宗教が何よりも大切なものだったからであり、日本人がキリスト教を受け入れなかったのは、宗教などどうでもよかったからである。

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この本は

それでも日本人は「戦争」を選んだ(加藤陽子著)と

昭和史(半藤一利著)と

セットで読むべきだなと思った。加藤氏や半藤氏が書いていなかった戦争への宗教の影響が書かれていて、うーんと思わず考えさせられてしまう。

 日本人のユダヤ人に対する親ユダヤの行動も反ユダヤの行動もきちんと冷静に書いているし、その逆のユダヤ人の日本人に対し味方した行動も、敵対した行動もきちんと書いている。その上で両者の特徴を比較し、両者の今後の交流と世界における展望を書いている。

 日猶(にちゆ)同祖論という説がある。
 紀元前722年、アッシリア王は、二つに分かれていたイスラエル人の王国のうち北にあった10部族の暮らしていたサマリアを征服し、そこに住んでいたイスラエル人を捕らえてアッシリアに連れて行き、ヘラ、ハボル、ゴザン川、メデイアの町々に住ませた。
で、現代のユダヤ人は南のユダ王国の末裔であり、はるか昔に離ればなれになった同胞が見つかることに希望を抱いてきた。
 1867年に来日したスコットランドの実業家ノーマン・マクロードは、様々な観察から、日本人をイスラエル10部族の末裔だということを本に書いて、1897年に出版している。
 しかし、「ユダヤ人と日本人の不思議な関係」の著者、ベン=アミー・シロニー氏はこれを否定している。
 だが、これを信じた日本人は居る。北杜夫さんが「夜と霧の隅で」の中でこのことに触れているし、かの1940年、第2次近衛内閣で外務大臣に就任した松岡洋右もこの日猶(にちゆ)同祖論を信じていた。

以下、「ユダヤ人と日本人の不思議な関係」からの引用です。


1939年二月二十七日、外務大臣有田八郎は貴族院で、日本はユダヤ人を差別しない、他の外国人と同じに扱うことを宣言した。(中略)松岡洋右は外務大臣として1940年9月にヒトラー、およびムソリーニとともに三国同盟に署名した人物だが、その松岡も、同年十一月にあるユダヤ人実業家に英文の手紙を送っている。

 何よりもまず、反ユダヤ主義が日本で採用されることは決してないことを確約しておきたい。たしかにわたしはヒトラーとの条約に署名したが、反ユダヤ主義は約束していない。これは私見ではなく、大日本帝国全体の国是である。

 同年十二月、松岡は満州国のユダヤ人砂糖業者レヴ・ジクマンと会談し、自分だけでなく、天皇自身がユダヤ人迫害に強く反対していることを打ち明けた。さらに松岡は、もしドイツが日本にユダヤ人迫害を要求してくることがあっても、そのような要求に屈するくらいなら三国同盟を破棄する、とまで言った。また自分は日本人がユダヤ人の末裔だという理論を信じているとも言っている。


杉原千畝物語

六千人の命のビザ

の書評にも書きましたが、松岡洋右や東条英機に対して、六千人の命のビザの著者、杉原幸子さんは次のように書いています。


 「やっと返事が来ました。外務省の判断は「否」。最終目的国の入国許可を持たない者にはビザは発行するなという意向でした。それは夫も予想していた答えでした。七月二十二日に日本では第二次近衛内閣が成立し、外務大臣も有田八郎氏から松岡洋右氏に代わったばかりでした。陸軍大臣にも東条英機氏が就任し、日独伊三国同盟への直線コースが引かれた直後のことです。当時の松岡洋右外務大臣はドイツ、イタリアとの協力関係を積極的に進めようとしている人でした。ドイツに敵対する行為を認めるとは思えなかったのです。」


 これが杉原幸子氏の誤解であることは「六千人の命のビザ」への書評でも書きました。

 日本が太平洋戦争に突入したときの総理大臣は確かに東条英機で批判されるべきところはあるでしょう。ですが、ユダヤ人に関してはドイツと違い、迫害する方向ではありませんでした。松岡にしても同じです。

 また、松岡は国際連盟の脱退で悪いイメージがありますが
“それでも「日本人は」戦争を選んだ”
には、松岡が国際連盟脱退に反対だったことも書かれています。

 なお、日猶(にちゆ)同祖論については、かなりいい加減な本もいっぱいありますが、これはもしかしたら本当なのじゃないかと思わせる本もあります。ヨセフ・アイデルバーグの
日本書紀と日本語のユダヤ起源(徳間書店)
です。

 私、“みどりのひかり”としては、ユダヤ人が日本に来て支配者となったという説はたぶん、あたっているのではないかという気がしています。少なくともユダヤ人が厩戸皇子の時代以前に日本に来ていたということはあったのではないかと思っています。

 駐日のイスラエル大使、エリー・コーヘン氏の著書
大使が書いた日本人とユダヤ人
の中に、伊勢神宮の神主の装束を見て驚いたことが書かれています。「なんと実はわたしたちが古代イスラエルの祭司が至聖所において着ていたとされ、いろいろな資料や図鑑などでイラストなどで描かれているものとよく似ていたのだ」
さらにショファール(巻貝)を吹くユダヤ教徒の写真が出ていて、これがほら貝を吹く山伏の格好とそっくりなのだ。
 小学生の頃以来、なぜ山伏の格好が突然日本に現れたのか疑問に思っていた私としては驚きとともに大変納得できたことでした。

 高速でDNAを解読する技術が進んでいますので近い将来、遺伝子が調べられればはっきりするでしょう。ちなみに、2008年全国学力テストの上位・下位県は2007年とほとんど変わらず、中学3年の上位3県は、国語、数学とも秋田、富山、福井であり、これに国語Aの4位5位に山形、石川、数学Bの4位5位に石川、愛知などとなっており、日本海側の北陸東北勢が上位をしめているのは単なる偶然でしょうか。

 他にシロニーさんの考え方で興味を惹かれたは、「ユダヤ人も日本人もともにキリスト教の受容を拒絶したのだが、その理由は根本的に正反対だった。ユダヤ人がキリスト教を拒絶したのは宗教が何よりも大切なものだったからであり、日本人がキリスト教を受け入れなかったのは、宗教などどうでもよかったからである。」

 江戸時代の間に、日本人はキリスト教を受け入れないほどに進歩していた、という考え方を、安部公房と三島由紀夫が対談で話していたのを読んだ記憶があります。30年以上前のことでしたが、その時そのとおりだと思いました。

 他にも面白い話がいっぱい載っています。ぜひとも読まれることをお勧めします。

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紙の本

あまりヒネリのない、べたな駄洒落で始まる楽しいお話です。

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 この漫画は駄洒落やジョークが私のストライクゾーンではないのですが、面白いところはあちこちにあって、つい笑ってしまいます。嵌まる人はたくさんいるでしょう。私の身近にもいます。かなりの人気漫画ではないでしょうか。

ブッダとイエスが同じアパートで暮らすという物語です。

 ブッダが横になって寝ていると、雀や白鳥や猫など寄ってきてまとわりつく。(釈迦涅槃図を思い起こさせる)そんなありがた迷惑な動物たちに「ち・・・違う違う 大丈夫! 今日はコレ 涅槃とかじゃないから!」そして「ほっとけ!」と叫ぶ。
と、まあこんな、あまりヒネリのない、べたな駄洒落で始まります。

 私のストライクゾーンは鳥山明の「なぬか用か」「九日、十日(ここのか、とおか)や、岩男潔の「カナダからの手紙は、仮名だけの手紙だった」などです。どうでもいいような駄洒落ではありますがストライクゾーンであるか否かは死活問題であります。なぜ死活問題か?その理由はありません。そんな気がするだけです。

 聖☆おにいさんは、[(私にとって)そんなストライクではない駄洒落]満載の物語で、日常のありふれた出来事の中に、いろんな勘違いとか、ありえない出来事がまざった楽しいお話です。

とりあえず、1巻を読んでみてください。次の巻を読みたいと思う人がたぶんたくさん出てくるでしょう。
 

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紙の本

作者の笑わせ方が、私としてはすごく気に入っています。

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kissの方で、のだめが終わったということだったので講談社の販売部に電話したら、コミックでは23巻が終りということでした。他に番外編も出るようなことをおっしゃってましたが。

第1巻にも書評を

こちらに

書きました。ご覧いただければ嬉しいです。

 一番笑ったのは第9巻の、千秋がのだめの家を訪れたときの、のだめの家族の博多弁(大川弁)での会話でしょうか。作者の笑わせ方が、私としてはすごく気に入っています。

 恋と笑いと奥の深さで、他にちょっとない作品だと思います。私自身は恋愛ものは苦手なのですが、のだめは笑いがあちこちに入っていて退屈させません。

 それから、のだめのおかげでCDを買ってベートーベンの交響曲第7番とかラフマニノフのピアノ協奏曲第2番とか、今まであまり聞かなかったものも聴いて自分にとっての発見もありました。

歴史に残る作品だと思います。

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紙の本

紙の本影武者徳川家康 改版 上

2011/02/22 06:22

自分が死ぬことを勘定にいれずに、今、どうすべきか何の躊躇もなく即やりました

7人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 隆慶一郎の作品は、命知らずの、死ぬことを屁とも思っていないようなみごとな男の生き様があります。勇敢であり人情に厚く、大きな感動があります

 私は、小学4年生のとき、国語の教科書で、ひとつだけ解らないことがありました。それは、宮澤賢治の最期の様子でした。


 病気で寝ていたときに、ひとりの農夫が肥料のことについて たずねに来ました。賢治の病気がたいへん重くなっていることを知っている うちの人たちはことわろうとしました。しかし賢治はせっかくたずねてこられたのだから、と言って、ねどこから起き上がると、一時間にもわたって、ていねいに教えてあげました。
次の日の昼すぎ、賢治は、安らかに息を引きとりました。


 小学校の担任の先生は、ここは無理して応対せず、ゆっくり休んで病気が良くなってから教えればもっと沢山の人に教えられるのだから断るべきだった、と言ってました。そのときは担任の話に一応納得していたのですが、心に引っかかるものがあり、二十才の頃、ともかく、そういう生き方をした人がいたことを、心に留めておこうと思いました。でも、宮澤賢治の行動の意味はわかりませんでした。

 そして、小学四年生のときから数えて四十数年後、隆慶一郎のメモに、これから書く予定の小説があって、その中に宮澤賢治の名があったのです。

 このとき初めて宮澤賢治の最期の行動の意味がわかりました。賢治は隆慶一郎の描く小説の命知らずの主人公たちと同じでした。自分が死ぬことを勘定にいれずに、今、どうすべきか何の躊躇もなく即やりました。 みごとな生き方でした。

 私、”みどりのひかり”が書きました「般若心経物語」には、好きな小説家として、隆慶一郎と中島敦をあげています。この本は宮澤賢治の「眼にて云ふ」の詩の中の《きれいな青ぞらとすきとほつた風》を中心として、様々な先達の生き方や物語が書かれています。隆慶一郎がシナリオをかいた、映画「にあんちゃん」の原作、小学生の日記「にあんちゃん」のお話も出てきたりして慟哭します。隆慶一郎の書いてきたことと共通する大切な何ものかがあります。

 影武者徳川家康では、本物の家康は、関ヶ原の戦いで甲斐の六郎に殺され、影武者の世良田二郎三郎が家康に成りすまし指揮を執る。そののち、徳川秀忠との長い戦いが始まる。そういう内容ですがいたる所に大きな感動があります。

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紙の本

表紙のギャグセンスの通りの中味になっております。

7人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。


 何人もの方が書評を書かれていますので、みなさんのを読めば大体のことはわかります。

 表紙の、デッサン練習用のギリシャローマ時代の石膏像を思わせる絵を、私は初め迂闊にも見逃してしまっていて、何の違和感もなく、普通によくある石膏像の絵だと思っていました。
 ところがこれが、どうやら手ぬぐいを肩にかけ、湯桶(風呂桶)を持った、まじめな(風呂専門?の)建築士、ルシウス・モデストゥスそのひとなのでしょう。(?)

 表紙のギャグセンスの通りの中味になっております。

 著者のヤマザキ マリ先生は昭和42年生まれのようですが、あと20年早く生まれていれば、また違った日本の風呂の様子も描けたかも知れません。

 五歳まで、現在の別府市の古市町というところで育った私”みどりのひかり”は、そこの共同浴場(その地域の住民が入る浴場で温泉が引かれている)のようすをよく覚えています。風呂は男湯と女湯に別れて作られてはいるのですが。木の板で作られた2メートルくらいの高さの仕切りがあって、その仕切りに戸がついていて、出入りできるようになっていました。その戸は、出入りするために使われるというよりも、女湯と男湯の向こうとこっちで、夫婦、親子、兄弟姉妹が、石鹸のやりとりをするときによく利用されていました。昭和28年くらいの頃です。今ほど裸に対していやらしく扱うこともなく自然でした。

 その浴場は外からみると1階建てで、木の建具のガラス窓も普通についていて、洗い場と浴槽は地下4メートルか5メートルくらいのところにあり、1階の窓から見おろすことができました。でも誰も興味本位に女風呂を覗く者などいなかったのですが、今では女風呂の方の窓は目隠しされています。

 しょうもない西洋文明が入ってきたものだと思っております。江戸時代以前は、外人は珍しかったので外人が通ったときは、それを見るために男も女も裸のまま風呂から出てきたという話を何かで読みましたが、その裸を見ても何でもない文化の方が人間の本来あるべき姿だと私は思います。
 そのなごりが昭和20年代までは、(観光地などの特別の所でなく)毎日の日常の生活の共同浴場の中に若干残ってあったのでしょうが、今はもうありません。裸を見ても何でもないという文化は消えてしまいました。

 変わり映えのしない決まりきった映像のポルノビデオが、数だけ多く出回っている現代文明。

 裸を恥ずかしいこととする文化はキリスト教に由来するのでしょうか。それもひとつの文化ではありますが、世界中に拡げなければならないほどのものでもないし、高級な文化とも思えません。

 ヤマザキマリ先生が昭和20年代の風呂文化を体験していたら、また違った面白さも生まれてきたでしょう。

 素晴らしきテルマエ・ロマエは、王様のブランチ等で紹介されたため一時売り切れになっていて、仕方がないのでヤマザキマリ先生の別の作品、「ルミとマヤとその周辺」を先に買って読みました。こちらはまた、テルマエ・ロマエと違った素晴らしさがあります。そちらの書評も書きましたので次をクリックしてみて下さい。

ルミとマヤとその周辺_2

ルミとマヤとその周辺_1


「ルミとマヤとその周辺」には、あたたかいものがあって、感動の作品です。

 先ほどキリスト教文化の気に入ってない部分のことを書きましたが、好きな面、素晴らしい面についてはこちらに書いていますのでご覧下さい。

ハイジ_福音館古典童話シリーズ


そして、これらと共通するものが下記のもの

不落樽号の旅

山月記・李陵_岩波文庫

にもあるでしょうか。これらもご覧下さい。

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紙の本

有意義な本がたくさん紹介されています。

6人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 すでに”風紋”さんの書評でわかりやすく内容が紹介されています。で、私はあまり纏めもせず、ややいい加減に紹介したいと思います。

 立花隆氏と佐藤優氏がお勧めの本を紹介しながら対談しているわけですが、私の気になった本は

 柴山全慶の「無門関」(創元社)です。

 この本は手に入りにくく図書館で借りるほかないかもしれません。
 春秋社こころの本シリーズに「柴山全慶」(編集・解説は紀野一義先生)があって、中味は「越後獅子禅話」ですが、昔これを読んだだけで柴山全慶の他の本は読んでいませんでした。

他に立花隆氏は、仏教では「名僧列伝(一巻~四巻(紀野一義著)を勧めています。


あの戦争では
「大日本帝国の興亡1~5」(ジョン・トーランド著)
「責任 ラバウルの将軍今村均」(角田房子著)
「戦艦大和―生還者たちの証言から」(栗原俊雄著)

「戦艦大和の最期」(吉田満著)

『「きけわだつみのこえ」の戦後史』(保坂正康著)
「終戦日記」(大佛次郎著)
「南京事件 増補版」(秦郁彦著)
「731 石井四郎と細菌戦部隊の闇を暴く」(青木富貴子著)
などが挙げられています。

 サイエンスについても興味深いものが16冊ほど挙げられていて、「ファラデーとマクスウェル」(後藤憲一著)というのがあります。この本は電磁気のことのようですが、マクスウェルと言えば

「エントロピー」を思いうかべます。

 こちらの関係の本は題名を見る限り無いような感じですがどれかに含まれているのでしょうか。

 他にフロイトのことを少し書いていました。私は昔「精神分析入門」を最初読んだときは、素晴らしいと思い、この研究がもっと進んですべて判ることを望んでいたのですが、そのうちこれは科学と言えるしろものではないなと思うようになりました。立花さんも同じ経過を辿ったようです。

 ま、心理学も科学のつもりというか、科学を装っているけど、学者が思い込みの理由づけをしているだけで占いのたぐいとあまり変わりないと今では思っています。理由づけもたいていキリスト教の教えに合うようになされています。キリスト教の側からそれをお願いしたわけではないでしょうけど。

他に宮澤賢治全集が挙げられているのが嬉しかった。



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紙の本

一所懸命勉強して、一所懸命伝えようとすると、こんなにすごい本が出来る。

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 一所懸命勉強して、一所懸命伝えようとすると、こんなにすごい本が出来る。
 「昭和史」半藤_一利著も読み応えがありましたが“それでも、日本人は「戦争」を選んだ”はそれを超えます。

 満州事変、日中戦争、太平洋戦争は、何ゆえに軍が暴走を始めたのか。次に引用します。


 統帥権独立という考え方は、山県有朋が、西南戦争の翌年、一八七八(明治十一)年八月に、近衛砲兵隊が給料の不満から起こした竹橋騒動を見て、また、当時の自由民権運動が軍隊内へ波及しないように、政治から軍隊を隔離しておく、との発想でつくったものです。自らこの年、参謀本部長となった山県は、軍令(軍隊を動かす命令)に関することはもっぱら参謀本部長の管知するところ、との規則を定めます。山県の動きを見ていると、どうも、自由民権運動に恐れをなして、軍隊への影響を止めるようにしたということだけでなく、自らも指揮した西南戦争における、西郷との戦いの教訓が大きく影響していると思います。軍事面での指導者と政治面での指導者を分けておいたほうが国家のために安全だ、との発想、これは反乱を防ぐためにも必要なことだったでしょう。
 先に、レーニンの後継者がスターリンにされたことで人類の歴史が結果的にこうむってしまった災厄を話しましたが、この西郷の一件と統帥権独立の関係も、人類の歴史が結果的にこうむってしまった災厄の一つといえるかもしれませんね。日中戦争、太平洋戦争のそれぞれの局面で、外交・政治と軍事が緊密な連携をとれなかったことで、戦争はとどまるところを知らず、自国民にも他国民にも多大の惨禍を与えることになったからです。


ここで、レーニンの後継者がスターリンにされた、というところも引用しますと、


 [後にボリシェビキ(多数派を意味するロシア語)といわれるグループの]人たちは、一七八九年に起きたフランス革命が、ナポレオンという戦争の天才、軍事的なリーダーシップを持ったカリスマの登場によって変質した結果、ヨーロッパが長い間、戦争状態になったと考えていました。
 そのことを歴史に学んで知っていたボリシェビキは、ロシア革命を進めていくにあたってどうしたか。これは、レーニンの後継者として誰を選ぶかという問題のときにとられた選択です。ナポレオンのような軍事的カリスマを選んでしまうと、フランス革命の終末がそうであったように、革命が変質してしまう。ならばということで、レーニンが死んだ時、軍事的カリスマ性を持っていたトロッキーではなく、国内に向けた支配をきっちりやりそうな人、ということでスターリンを後継者として選んでしまうのです。


 過去の歴史に学んで同じ轍は踏むまいとするわけですが、別の悪い事態を生んでしまう。これについて考える時、思いうかぶ本があります。

歴史は「べき乗則」で動く

複雑系_図解雑学

 ロジスティック差分方程式やカオスのことが出ています。

 カオスは生物や物理といった自然界のことだけでなく、歴史や政治や経済においても考えておかなくてはならないことでしょう。

 “それでも、日本人は「戦争」を選んだ“には、人口のことも出て来ています。自国の人口増加に対して植民地支配ということに解決の道が求められたことが若干書かれているのですが、著者加藤先生はどの程度人口問題を重要視していたのでしょう。あまり書かれていません。

 人口増加にどう対処するか、武器の進化に伴い未開の国との軍事力の差が圧倒的になったことが、ヨーロッパの帝国主義、植民地支配を可能にし、多くの被害者の国がつくられて来ました。日本もその被害者の国になるところを、武器の近代化に成功し、かろうじて植民地にならずにすんだ。みじめな植民地にならないよう急ピッチで軍事力を整え、日清、日露の戦争を戦ってきた。(加藤先生は、これらの戦争はヨーロッパのA郡の国々とB郡の国々の代理戦争だという。日清ではAはロシア、Bはイギリス。日露ではAはドイツ・フランス、Bはイギリス・アメリカ。なるほど、そういうことだったのか、とも思う)
 だがそれをやっていくうちに日本にも人口の大幅増加が訪れる。ヨーロッパの国々がやったように、日本も植民地に自国の増えすぎた人口を吐き出す政策をとるようになる。はじめはヨーロッパ列強に植民地化されないための戦いだったが、やがてそれだけに留まらなくなる。ここでも、諸外国との軋轢が生じてくる。

 この本は、経済、軍事、政治、その他各面から国際関係をよくみていると思う。ただ人口のことも書いているが少ない。

 私は現在地球上にいる、あらゆる生物はどの種の生きものも常に食糧不足に直面している、というこを”歴史は「べき乗則」で動く”や”知事抹殺”に、書きました。

 戦争の一番大きな原因は食っていけないというところにあると私は思う。この本は経済と軍事のことが中心です。歴史の見方としては、これも重要ですが、人口問題への言及少ない。経済問題で戦争が始まるように書かれていますが背後にある飢えの問題をもう少し取り扱ってほしかった。

 この本にはエントロピーの項目はありません。日本、アメリカなどの現在の不景気と中国の発展の背後にはエントロピーの増大ということがあります。温度の異なる二つの物体が隣り合わせに接して熱の伝達が行なわれると、やがて低い方は高くなり、高い方は低くなってお互い同じ温度に近づきます。これはエントロピーの増大です。
 賃金も同じで、低い賃金の国と高い賃金の国があって貿易がありますと、やがてそれらの国の賃金は等しくなる方へと近づいていきます。これもエントロピーの増大です。

エントロピーについては

こちら

こちら

に私の簡単な説明がありますので参考にして下さい。

 エントロピーということを考えると地球規模の経済成長はいつまでも続けることは出来ないのですが、何故か経済が成長することが不可欠のようなことがいわれ続けています。不思議です。

 著者がエントロピーのことに触れなかったのはどうしてなのだろうかと思う。イギリスの元首相サッチャー氏はオックスフォード大学で化学を学びLangmuir- Blodgett膜の研究を行っていたそうだからエントロピーの重要性はよくわかっていたでしょう。

 歴史もエントロピー項を含めて考えなければならないと私は考えていますが加藤先生はどう考えていたでしょう。

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